表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/21

6 涙の理由(わけ)

 空が橙色に染まっている。グラウンドでボールを追いかける、運動部の部員たち。

 花びらが散り、葉桜になってしまった木の下で、私はひとり、そんな光景を眺めていた。

 ――「部活終わるまで、待っててよ。なんかおごるからさ」

 藤枝くんに初めて会ってから二週間。私の気持ちとは裏腹に、私たちが付き合っているという噂は学校中に知れ渡っていた。

「彼氏、待ってんの?」

 振り返ると、いつもみたいに少し笑って穂積が立っていた。

「……関係ないでしょ」

「そりゃそうだけど」

 穂積は許可も取らずに、私の隣に腰かける。グラウンドではサッカー部が練習をしていて、その向こうには野球部の姿も見えた。

「あんたは? 部活やってないの?」

「やってねぇよ。めんどくせぇ」

 穂積がグラウンドを見つめたまま答える。私の頭に、穂積の母親の言葉がよぎった。

「野球部……入ったんじゃないの?」

「野球? おれが野球なんかするはずないじゃん」

 そうだよね……おばさん何か勘違いしてるんだ。

 小さいころから野球を続けていた伊織と、二か月で辞めてしまった穂積。

 実は穂積がものすごく負けず嫌いなことを、私は知っている。ふたつ年上の兄にかなわないのが悔しくて、もう野球なんかやらないって泣きわめいて、おばさんを困らせた。

 それきり穂積は、伊織と同じことはやらない。

「この前言ってたから……穂積のお母さんが」

 穂積が私の顔を見た。一瞬ふたりの目があって、そして穂積のほうから目をそらした。

「ああ、会ったの? ヘンだっただろ? うちの母ちゃん」

「え?」

 だるそうに伸びをしながら穂積が立ち上がる。

「おれさ、伊織ってことになってるから」

 黙って顔を上げて穂積を見る。穂積は私を見下ろして小さく笑った。

「母さんにとっては、おれが伊織なの。真面目でやさしくて野球がうまくて……母さん自慢の息子なんだ」

「穂積?」

「毎日野球部終わるまで時間つぶして、誰も着てないユニフォーム汚して、家に帰る。母さんは喜んで洗濯してるよ。今度試合はいつなの? 伊織は小さいころから頑張ってたから、すぐにレギュラーになれるわよね、なんて話しながらさ」

 穂積の向こうに藤枝くんの姿が見えた。

「果歩っ」

 藤枝くんの声と同時に、穂積が背中を向けて去ってゆく。

「果歩? どうした?」

 驚いた顔で駆け寄ってくる藤枝くん。私の目からは涙がこぼれていた。止めようと思えば思うほど、その涙はあふれて止まらなかった。


 ***


「かわいそうにね……交通事故ですって」

「まだ中学生なのに……ご両親もお気の毒よねぇ……」

 喪服を着た人たちとすれ違いながら、母親と一緒に斎場へ入る。長い列の一番後ろに並ぶと、ずっと先に伊織の笑った写真が見えた。

「伊織くん……かわいそうに……」

 隣に立つ母が、ハンカチで涙をぬぐう。私は前日に伊織の母からもらった小さな袋を、ポケットの中で握りしめる。

 伊織は交通事故で亡くなった。駅前のショッピングセンターへ行った帰り、雪でスリップしてきた車にはねられて亡くなった。

 伊織のポケットの中にこれが入っていたと、お通夜の日、おばさんが言った。

「果歩ちゃんの誕生日プレゼントみたいなの……」

 おばさんから手渡された、汚れて破れてぼろぼろになった袋の中に、野球ボールのキーホルダーが入っていた。

 伊織はこれを買いに、ショッピングセンターへ行ったのだ。私のプレゼントを買うために……私が欲しいと言ったから……。

 お焼香を終わらせた制服姿の女子生徒たちが、泣きながら私の横を通り過ぎる。友達に抱きかかえられるようにして、一番泣きじゃくっているのは、伊織の彼女と言われていた先輩だ。

「果歩……」

 母に促されて、一緒に遺影の前に立つ。憔悴しきった顔つきで頭を下げている、おじさんとおばさん。そしてその隣に、まだ小学生だった穂積。

 ぎゅっと唇をかみしめた穂積と目があった瞬間、胸の奥でなにかがあふれた。

 ごめんなさい。ごめんなさい……伊織を死なせてごめんなさい……。

 ――あたしが伊織を殺した。

 なんとかお焼香を済ませると、私は外へ飛び出した。

 雲ひとつない青い空。凍りつくような冷たい空気。

 私は声をあげて泣いた。キーホルダーを握りしめて……ごめんなさい、ごめんなさいと、何度も伊織に謝りながら……。


 ***


「どう? 少しは落ち着いた?」

 駅前のハンバーガーショップで、藤枝くんと向かい合って座っていた。

「……ごめんなさい。泣いたりして」

 うつむいたままつぶやいた私に、藤枝くんはふうっとため息をつく。

 いつまでも泣き止まない私のことを心配して、藤枝くんがここへ誘ったのだ。

「まぁ、いいけど……てか、あいつ誰なの? ご近所さんとか言ってたけどさぁ」

「穂積は……あの子は関係ない」

「なんかされたんじゃ、ないの?」

 私が首を横に振る。

「なんでもないの……ホントになんでも……」

 藤枝くんは怪訝な目をして、コーラのストローに口をつける。そしてそれを飲み干すと、立ち上がって言った。

「おれたち、付き合ってるんだよなぁ?」

 ずずっと鼻をすすりながら、藤枝くんを見上げる。

「だったら言って? おれになんでも」

 藤枝くんの真っ直ぐな視線が、私だけに注がれている。

「おれじゃ、頼りないかもしれないけどさ」

 そう言って、いつもみたいに頭をくしゃっとかきながら、片手でトレーを持って歩き出す。

「ふ、藤枝くんっ」

 立ち上がって名前を呼んだ。藤枝くんが振り返って私を見る。

「……ありがとう。ごめんね」

 藤枝くんはふっと笑って

「まぁ、いいけどさ」

 と言った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ