6 涙の理由(わけ)
空が橙色に染まっている。グラウンドでボールを追いかける、運動部の部員たち。
花びらが散り、葉桜になってしまった木の下で、私はひとり、そんな光景を眺めていた。
――「部活終わるまで、待っててよ。なんかおごるからさ」
藤枝くんに初めて会ってから二週間。私の気持ちとは裏腹に、私たちが付き合っているという噂は学校中に知れ渡っていた。
「彼氏、待ってんの?」
振り返ると、いつもみたいに少し笑って穂積が立っていた。
「……関係ないでしょ」
「そりゃそうだけど」
穂積は許可も取らずに、私の隣に腰かける。グラウンドではサッカー部が練習をしていて、その向こうには野球部の姿も見えた。
「あんたは? 部活やってないの?」
「やってねぇよ。めんどくせぇ」
穂積がグラウンドを見つめたまま答える。私の頭に、穂積の母親の言葉がよぎった。
「野球部……入ったんじゃないの?」
「野球? おれが野球なんかするはずないじゃん」
そうだよね……おばさん何か勘違いしてるんだ。
小さいころから野球を続けていた伊織と、二か月で辞めてしまった穂積。
実は穂積がものすごく負けず嫌いなことを、私は知っている。ふたつ年上の兄にかなわないのが悔しくて、もう野球なんかやらないって泣きわめいて、おばさんを困らせた。
それきり穂積は、伊織と同じことはやらない。
「この前言ってたから……穂積のお母さんが」
穂積が私の顔を見た。一瞬ふたりの目があって、そして穂積のほうから目をそらした。
「ああ、会ったの? ヘンだっただろ? うちの母ちゃん」
「え?」
だるそうに伸びをしながら穂積が立ち上がる。
「おれさ、伊織ってことになってるから」
黙って顔を上げて穂積を見る。穂積は私を見下ろして小さく笑った。
「母さんにとっては、おれが伊織なの。真面目でやさしくて野球がうまくて……母さん自慢の息子なんだ」
「穂積?」
「毎日野球部終わるまで時間つぶして、誰も着てないユニフォーム汚して、家に帰る。母さんは喜んで洗濯してるよ。今度試合はいつなの? 伊織は小さいころから頑張ってたから、すぐにレギュラーになれるわよね、なんて話しながらさ」
穂積の向こうに藤枝くんの姿が見えた。
「果歩っ」
藤枝くんの声と同時に、穂積が背中を向けて去ってゆく。
「果歩? どうした?」
驚いた顔で駆け寄ってくる藤枝くん。私の目からは涙がこぼれていた。止めようと思えば思うほど、その涙はあふれて止まらなかった。
***
「かわいそうにね……交通事故ですって」
「まだ中学生なのに……ご両親もお気の毒よねぇ……」
喪服を着た人たちとすれ違いながら、母親と一緒に斎場へ入る。長い列の一番後ろに並ぶと、ずっと先に伊織の笑った写真が見えた。
「伊織くん……かわいそうに……」
隣に立つ母が、ハンカチで涙をぬぐう。私は前日に伊織の母からもらった小さな袋を、ポケットの中で握りしめる。
伊織は交通事故で亡くなった。駅前のショッピングセンターへ行った帰り、雪でスリップしてきた車にはねられて亡くなった。
伊織のポケットの中にこれが入っていたと、お通夜の日、おばさんが言った。
「果歩ちゃんの誕生日プレゼントみたいなの……」
おばさんから手渡された、汚れて破れてぼろぼろになった袋の中に、野球ボールのキーホルダーが入っていた。
伊織はこれを買いに、ショッピングセンターへ行ったのだ。私のプレゼントを買うために……私が欲しいと言ったから……。
お焼香を終わらせた制服姿の女子生徒たちが、泣きながら私の横を通り過ぎる。友達に抱きかかえられるようにして、一番泣きじゃくっているのは、伊織の彼女と言われていた先輩だ。
「果歩……」
母に促されて、一緒に遺影の前に立つ。憔悴しきった顔つきで頭を下げている、おじさんとおばさん。そしてその隣に、まだ小学生だった穂積。
ぎゅっと唇をかみしめた穂積と目があった瞬間、胸の奥でなにかがあふれた。
ごめんなさい。ごめんなさい……伊織を死なせてごめんなさい……。
――あたしが伊織を殺した。
なんとかお焼香を済ませると、私は外へ飛び出した。
雲ひとつない青い空。凍りつくような冷たい空気。
私は声をあげて泣いた。キーホルダーを握りしめて……ごめんなさい、ごめんなさいと、何度も伊織に謝りながら……。
***
「どう? 少しは落ち着いた?」
駅前のハンバーガーショップで、藤枝くんと向かい合って座っていた。
「……ごめんなさい。泣いたりして」
うつむいたままつぶやいた私に、藤枝くんはふうっとため息をつく。
いつまでも泣き止まない私のことを心配して、藤枝くんがここへ誘ったのだ。
「まぁ、いいけど……てか、あいつ誰なの? ご近所さんとか言ってたけどさぁ」
「穂積は……あの子は関係ない」
「なんかされたんじゃ、ないの?」
私が首を横に振る。
「なんでもないの……ホントになんでも……」
藤枝くんは怪訝な目をして、コーラのストローに口をつける。そしてそれを飲み干すと、立ち上がって言った。
「おれたち、付き合ってるんだよなぁ?」
ずずっと鼻をすすりながら、藤枝くんを見上げる。
「だったら言って? おれになんでも」
藤枝くんの真っ直ぐな視線が、私だけに注がれている。
「おれじゃ、頼りないかもしれないけどさ」
そう言って、いつもみたいに頭をくしゃっとかきながら、片手でトレーを持って歩き出す。
「ふ、藤枝くんっ」
立ち上がって名前を呼んだ。藤枝くんが振り返って私を見る。
「……ありがとう。ごめんね」
藤枝くんはふっと笑って
「まぁ、いいけどさ」
と言った。