5 これから知ればいい
駅までの道を藤枝……くんと歩いた。
知り合いが多い人なのだろうか。十数分の間に、何人もの生徒が冷やかすように、藤枝くんに声をかけてきた。
それに藤枝くんは、初対面なのにやたらとしゃべった。照れ隠しなのかな? とも思ったけれど、どうやらただのおしゃべりらしい。
「あの……」
いつの間にか着いた改札口で、藤枝くんが一瞬黙った隙に、私が言った。
「せっかくなんですけど……あたし、誰かと付き合うとか、そういうの全然考えてなくて……ごめんなさい」
は? と驚いたような表情で、藤枝くんが私を見る。
「なんで?」
「え?」
「誰とも付き合うつもりないの?」
「あ、はい……まぁ、そうです」
「もったいねーっ」
藤枝くんがそう言って、頭をくしゃっとかいた。ばっちり決まっていた髪型が、わずかに乱れる。
「紗那から聞いたと思うけど。おれ、園田さんのこと、ずっと前からいいなって思ってて……でも彼氏いるかと思ってて」
「え、なんで?」
今度は逆に私が聞いた。藤枝くんはもう一度頭をかきながらつぶやく。
「かわいいから」
頬が熱くなって、心臓がどきどきした。目の前に立つ藤枝くんの顔が、恥ずかしくて見られない。
「ダメかな……おれじゃ」
駅に電車がついて、たくさんの人たちが改札からあふれ出す。私たちの周りがざわざわとした空気に包まれる。
「おれじゃ、ダメ? っすか?」
「ダメとか……そういうんじゃなくて……」
「じゃあ、付き合ってみない?」
「でも……あたし、藤枝くんのこと、なんにも知らないし……」
「これから知ればいい。でしょ?」
理由はわからないけど、最後の「でしょ?」という声にすごく説得力があって、私はこれ以上、拒絶することができなかった。
「よし、決まりっ! 園田さんは今日からおれのカノジョってことで!」
藤枝くんは急に元気になって、勝手にそう言って勝手に笑った。
彼氏と彼女。恋人同士。男の子とお付き合い……。
自分とは関係ない世界の話だと思っていたのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう……。
電車を降りてバスに乗り換える。家の近くのバス停で降り、ため息をつきながら住宅街を歩く。藤枝くんとは家が反対方向だったから、学校のある駅で別れて、それからずっと、私はため息をついていた。
彼氏なんて作ってどうするつもり? 高校生活を楽しむつもり? そんなこと……私に許されるはずないのに……。
もう一度、深いため息をついた私に、やわらかい声が響いた。
「果歩ちゃん?」
振り返ると穂積のお母さんが、夕陽を背に、にこやかに立っていた。
「おばさん……」
「久しぶりね、果歩ちゃん。まぁまぁ、なんだか、素敵なお嬢さんになっちゃって……」
おばさんがまぶしそうに目を細める。あんなに近くに住んでいるのに、何年もおばさんに会っていなかった。
それはきっと……私がこの家の人たちを避けていたから……。
しばらく私のことを眺めていたおばさんは、私の着ている制服を見て、ハッと気づいたように言った。
「果歩ちゃん、青陵高校行ってるの?」
「あ、はい。そうです」
「うちの伊織も、今年青陵に入ったのよ!」
え? と思った。おばさん、伊織と穂積、間違えてるよ……けれどそのセリフを口にはできなかった。
伊織の名前を口に出すのは、それも伊織の母親の前で口に出すのは、まだあまりにもつらすぎた。
「学校で……会いました」
間違いに気づいていないふりをして、私は答える。
「そう。あの子、野球続けるって言ってたから、また応援してあげてね」
おばさんは幸せそうに微笑むと、家とは反対方向へ歩いていった。
野球続ける? 野球していたのは伊織でしょ? 穂積じゃないよ?
私はぼんやりと突っ立ったまま、おばさんのひとまわり小さくなった背中を見送った。