3 雪の帰り道
「果歩、どうかした?」
学校から家までの十五分間、私はほとんど伊織と口をきかなかった。さくさくと、少し積もった雪を踏みしめる足音だけが、夜道に響く。
「具合でも悪いの?」
心配そうに顔を覗き込む伊織のバッグに、あのキーホルダーが揺れている。
――「伊織先輩って……彼女いるみたいだよ?」
彼女がいるってホントなの? なのになんで、あたしと一緒に帰ってくれるの? 家が近所だから? 弟に言われたから?
聞きたくても聞けない言葉が、頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「そういえばさ、果歩、明日誕生日だろ?」
その声に反応して顔を上げる。伊織がいたずらっ子みたいな表情で私を見ている。
「なんか欲しいものとか、ある?」
私の目にあのキーホルダーが映った。
「それ……欲しい」
「え?」
「そのキーホルダーが欲しい」
「これ? マジで?」
伊織がぶら下がっているキーホルダーを手にとった。私がこくんと小さくうなずく。伊織は少し考えてから、こう言った。
「わかった。買ってきてやるよ」
「違うのっ。新しいのじゃなくて、それが欲しいの!」
「でもこれ汚れてるし……」
「いいのっ! 伊織の持ってるそれが欲しいの!」
わがままを言っているのはわかってる。これではまるで、欲しいものが手に入らなくて駄々をこねている子どもと同じだ。だけど……私は言わずにはいられなかった。
うつむく私に、伊織の視線を感じる。やがて伊織は、申し訳なさそうにつぶやいた。
「ごめん……これだけは……果歩にもあげられないんだ」
果歩にもあげられない……あげられない……頭の中でその言葉が何度もリピートされる。
「ごめんな?」
伊織の手が、私の髪をぽんぽんと叩いた。小さなころから私が泣くと、伊織がいつもしてくれたしぐさ。
私は顔を上げて、精一杯の笑顔を作る。
「わかった。他のもので許してあげる」
伊織がほっとしたように微笑む。薄暗い街灯の灯りが、そんな伊織の笑顔をかすかに照らす。
――好き。
ずっとずっと、初めて会ったときから、あなたのことが好きでした。
伊織が背中を向けて歩き出す。少し早足になってその背中を追いかける。
はらはらと、桜の花びらが舞い散るように、空から落ちてくる雪。伊織の吐く白い息と、私に見せてくれた最後の笑顔。
あの日のことを、忘れることはない。きっと一生、忘れることはない。
***
「ただいまぁ。果歩ー? いるのー?」
「果歩たーん、ケーキ買ってきたよぉ!」
階段の下で、バタバタと走り回る足音がする。陽太を呼ぶ父の声、幸せそうに笑う母の声……。
私は、汚れて所々が破れた小さな袋を、手のひらでなでる。
「果歩ちゃーん! 一緒にケーキ食べないかい?」
父が私を呼んでいる。
「いま行くー」
お腹の底から振り絞るような声で答えると、机の引き出しにそれをそっとしまいこんだ。