21 雪解けの向こうに春はあるから
紗那と藤枝くんと別れて電車で帰った。また会おうね、メールするって紗那は言ったけれど、今度会えるのはいつだろう。
私たちのまわりは少しずつ変わっていく。それが大人になるってことなのかな……。
バスを降りて住宅街を歩く。橙がかった空の下、春の空気を吸い込んだら、あの桜の木が見えてきた。
新しい街並みの中にぽつんと立っている場違いな桜の木。私が初めて伊織と会った場所。
私は立ち止って、満開になった桜をひとり見上げた。
「なに見てんの?」
その声にふと振り返る。
「桜、好きなの?」
夢……でも見ているのかと思った。それともあの日にタイムスリップしちゃったとか……?
「伊織……」
ううん、違う。
「穂積……だ」
「おれの顔、忘れんなよっ」
穂積がそう言って、私の前で笑った。
「な、なんであんたがここにいるのよっ」
「おれ、引っ越してきたから」
穂積の指が、私の家の三軒隣を指す。
「佐藤穂積っていいます。どうぞよろしく」
ぼうっと突っ立っている私を見ながら、穂積がいたずらっぽく笑う。
「うちの母ちゃんが急に、伊織の墓参りしたいなんて言いだしてさ。やっと現実を受け入れられたっていうか……少しずつだけど」
春の風が、私と穂積の髪をやわらかく揺らす。
「で、墓参り行くなら、こっち帰るかみたいな? あの家でずっと一人暮らししてる親父も心配だし……」
もう……どうしてそんな大事なこと、私に話してくれなかったのよ?
「てか、なんで泣いてんの? 果歩」
「ばかっ! 泣いてなんかないよっ!」
私は涙を袖口でぬぐって穂積を見る。穂積も照れくさそうな顔で私を見ている。
そんな私たちの上から、桜の花びらがひらひらと舞い落ちてきた。
そう言えばさっき、穂積言ったよね? 「桜、好きなの?」って……。
「ねぇ、もしかして……」
私は涙声でつぶやきながら、遠い記憶を手繰り寄せる。
「私が引っ越してきたとき、私に話しかけるように伊織に頼んだの……もしかして穂積?」
穂積が不思議そうに私を見る。
「違う。おれ、そんなこと頼んでない」
そして桜の木を見上げながらこう言った。
「たぶんそれ、おれだから。最初に果歩に話しかけたの、伊織じゃなくておれだから」
私はぼんやりと穂積の顔を見た。
あの頃……新しい家にも、新しい学校にも、新しいお父さんにもなじめなくて、いつもひとりでいた私。ひとりだって大丈夫なんて強がっていたけど、本当はちょっとだけ寂しくて……。そんなとき、近所の男の子が私に声をかけてくれた。
公園に、いっぱい咲いてるよ。見に行く? って……。
そしてふたりで並んで桜を見たんだ。雪みたいに舞い散る、美しい桜の花を……。
「もしかしてずっと、伊織だと思ってた?」
「……うん」
穂積はわざとらしく、はぁーっと大きなため息をついてから私に言う。
「果歩が寂しそうに見えたから、おれが公園に誘ってあげたの!」
そうか、そうだったのか……じゃあ、私が最初に好きになったのは……。
「……ありがと。穂積」
「今ごろ、遅い」
笑顔の私の前で、穂積がむすっとした顔をしている。
「でもきっと、伊織も笑ってるね?」
「……伊織が?」
「そうだよ。きっと今のあたしたち見て笑ってる」
伊織は、穂積のことも、私のことも、恨んでいるはずなんてない。
空の上から私たちのことを見守りながら、お前らなにやってるんだよって、きっと絶対笑ってる……そんな気がする。
そして私の心は、雪が解けて春が来たみたいに、ぽかぽかと温かくなった。
穂積も――同じ気持ちだったらいいのにな……。
「果歩」
穂積が私の名前を呼ぶ。ふたりの視線が一瞬だけぶつかり合って……私は静かに目を閉じる。
穂積とキスする私の上から、桜がひとひら舞い落ちた。
「とりあえず、公園で花見でもする?」
穂積が照れたように笑ってそう言った。
「うん。連れてって」
どちらともなく差し出した手を絡ませて、私たちは並んで歩く。ゆっくり、ゆっくりだけど……いまはこんな感じでちょうどいい。
肩からかけた私のバッグに、うさぎのキーホルダーが揺れている。
空からはやさしい夕陽が、私たちの背中を照らしていた。
最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
まだまだ寒い日が続きそうですが
みなさまの心にも、あたたかい春がやってきますように……。