表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/21

19 泣かないで

 その日は朝からどんよりと曇っていた。テレビの画面に並んでいた雪だるまのマークを思い出し、そろそろ降るかな? と、教室の窓から空を見上げる。

 いつもと変わらない放課後の教室。男子のふざけ合う声、女子の楽しそうな笑い声……。きっと明日も明後日も同じことの繰り返し。私たちは、そんな中で生きている。

「あ、穂積くん、見っけ」

 いつの間にか私の後ろにいた紗那が、そう言って私に笑いかけた。校舎の外へあふれてゆく生徒たちの中で、私もやっぱり穂積の姿を追っていた。

「遠くに行っちゃうって、ほんとなの?」

「うん。お母さんの具合がよくなるまで、親戚の家に行くんだって」

「そっか……」

 そうつぶやいてから、紗那がいつものように微笑む。

「でも、会いに行っちゃえばいいよね?」

「え?」

「なにもこの世の果てまで行っちゃうわけでもないんだし。同じ日本にいるんじゃん? 全然オッケーだよ」

 ぼうっとしている私の背中を、紗那がぽんっと叩く。

「追いかけて会いに行っちゃいなよ? 絶対穂積くん喜ぶって」

 私が追いかける? 穂積のことを? いつも私を追いかけてきた穂積のことを?

「そう、だよね」

「そうそう」

 紗那があの人懐っこい顔で笑う。私も紗那に笑い返して、そして窓から外を見た。

 校舎の外で、穂積が女の子と話していた。女の子の表情は少し寂しそうに見えた。もしかしたらあの子も、穂積のこと好きなのかもしれないな……。

 ふたりは少し話してすぐに別れた。駅に向かう人の流れにのって、穂積がゆっくりと歩き出す。

「行かなくていいの?」

 紗那が私に言った。歩き出した穂積が立ち止って空を見上げる。

 空からは、雪が舞っていた。ちらちらとはらはらと、それは穂積の上から舞い落ちていた。

 そしてそのとき、ほんの一瞬だけ、穂積が私のことを見た気がした。

「ごめん……あたし、行ってくる」

「うん。行ってらっしゃい」

 紗那が、娘を見守るお母さんのような顔つきで、私に手を振る。私は教室を飛び出して、穂積のもとへ走っていった。


「穂積っ」

 校門を出たところで穂積に追いついた。立ち止る穂積の脇を、自転車に乗った生徒たちがすり抜けてゆく。

「……一緒に帰ろう?」

 穂積はなにも言わないで私を見た。ふたりの上から舞い落ちる雪は、この学校で初めて穂積に会った日の、桜の花びらみたいだった。

「……勝手にすれば?」

 無愛想に穂積が言った。

「うん。勝手にする」

 そう言って私は穂積の隣に並ぶ。伊織と並んで歩いた、最後の雪の通学路を思い出す。

 そうなんだ……伊織が私たちの前からいなくなって、ちょうど四年がたった。


 駅までの道を並んで歩いて、電車に乗ってバスに乗り換え、バス停からの道をふたりで歩いた。その間、穂積はほとんど口をきかなかった。

 国道の交差点を渡ったところにあるコンビニ、歩きなれた静かな住宅街、いつも遊んでいた公園……今日は穂積と並んで歩く。

 そしてそれは、今日で最後かもしれない……。

「……あのさ」

 枯れ木になった桜の下で、ずっと黙っていた穂積がやっと口を開いた。穂積の吐く白い息が、冷たい空気の中に溶けてゆく。

「これ」

「え、なに?」

 穂積が無理やり、私の手になにかを押し付ける。

「今日誕生日だろ」

「え……」

 覚えていた? 穂積、まだ私の誕生日、覚えていてくれたんだ。

「その代わりに、それもらうから」

 穂積が私のバッグを指した。そこには、伊織からもらったキーホルダーが揺れている。

 ずっと机の引き出しの奥にしまってあったプレゼント。でもやっぱりこれは使ったほうがいいのかな、と思って……そのほうが、伊織も喜ぶのかな、と思って……最近バッグにつけた。

「いまどき『一球入魂』ってダサすぎだろ。ほら、早くはずせよ。おれがもらってやるから」

「でも……これは」

「いいから! 早くはずせ!」

 私はバッグからキーホルダーをはずして穂積に渡した。

「でもそれ……大事なものだよ?」

「わかってるよ。ちゃんと兄貴に返す」

「返すの?」

「そう、返す。だから代わりにおれがあげたやつ、つけろよな」

 私は穂積からもらった小さな袋を開けてみる。中にはうさぎのキャラクターのキーホルダーが入っていた。

「これ……買ってくれたんだ」

 高校生の男の子が、店でこれを選んでいるところを想像して、なんだかおかしくなった。

「笑うなよっ! 笑うなら返せ」

「ううん、うれしい。ありがと、穂積」

 私が言ったら穂積が照れくさそうに顔をそむけた。そして手のひらの中のキーホルダーを見つめて、独り言みたいにつぶやいた。

「バカだよな……伊織は」

 雪が、穂積の手のひらに落ちて消えてゆく。

「なんで車なんかにひかれちゃうんだよ。なんでよけないんだよ……」

「穂積……」

「おれ、まだ兄貴になんにも勝ってないのに……ていうか、まだ勝負もしてないのに……」

 穂積が手のひらをぎゅっと握りしめる。

「伊織は、バカだ……」

 そう言いながら鼻をすすって、制服の袖で目をこする。

 穂積は泣いていた。いつもおばさんの前で伊織のふりをして、いつもみんなの前で笑っていた穂積が、私の前で泣いていた。穂積の中で、伊織はまだこんなにも生きていたのだ。

「穂積……泣かないで……」

 冷たい手を伸ばして、その体に触れてみる。そしてそのまま、穂積の体をぎゅっと抱きしめた。

「泣いて……ないから」

 私の肩のあたりに顔をうずめて、涙声で強がりを言う。

「うん……」

「果歩のことなんか……好きじゃないから」

「わかってる」

 わかってる。わかってる。どこにいたって、誰といたって、穂積のことは私が一番わかってる。

 負けず嫌いで、強がりで、照れ屋なくせに生意気で、そして本当はやさしい穂積のことを……。

 穂積がそっと体を離し、ぎゅっと唇をかんでいる私を見る。そして冷え切った私の手を、その手で軽く引き寄せた。

 顔……近い。鼻と鼻がちょっとぶつかって……穂積の唇が一瞬だけ私の唇と触れ合った。

「……鼻、ぶつかった」

「……悪かったな。下手くそで」

「そんなこと言ってないのに」

 そう言って笑った。恥ずかしくて、くすぐったくて、でもうれしくて……涙が出そうだった。

「おれ、果歩のことなんか、好きじゃないから」

 照れくさそうに顔をそむけながら、もう一度穂積が私に言った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ