15 呼べなかった名前
空が高い。風は昨日より少しだけ冷たくなって、誰かのぬくもりが恋しくなる季節。
「……でさ? 果歩」
藤枝くんの声で我に返る。ぎこちなく微笑んで、え? と言い返す。藤枝くんはわざとらしくため息をついて、頭をかいた。
「ふつー、カレシの話は、うんうん、ってうなずきながら聞くもんだろ? ぼけっとするのって、ありえねーし」
「……ごめん」
放課後の体育館前。バスケ部の練習を抜け出して、藤枝くんは私の隣に座っている。ジャージに包まれた彼の腕と、制服に包まれた私の腕が、触れそうで触れない微妙な距離。
「ほかの男のこと、考えてた?」
「え……」
「おれ以外の男のこと、考えてたんじゃね?」
心臓がどくんと音を立てる。
「……考えてないよ」
藤枝くんは、嘘をついた私の顔をじっと見た。そしてすっと顔を寄せてきたかと思うと、私の唇に素早くキスをした。
「……や、やめてよ。こんなところで……」
抑えた声でそう言って、あわてて周りを見回す。体育館からボールのはずむ音と、男子のふざけ声が聞こえてくる。
「果歩の髪、いー匂い」
藤枝くんは私の言葉を無視して、背中から私の体を抱え込み、髪に唇を寄せてくる。
「もう……やめてってば」
「やだ、やめない。離さない」
通りかかった男子が、「いちゃつくなー」ってからかってくる。藤枝くんは、「うらやましーだろー」なんて言いながら、私の体を抱きしめる。
ぎゅっとぎゅっと……痛いくらいに、強く。
「……痛いよ」
私が言ったら、藤枝くんがふざけた調子で、だけどほんの少し真剣な表情でつぶやいた。
「おれだって……胸がいてーよ」
空が青い。太陽がまぶしい。なのに、どうにもならないもどかしい気持ちで、窒息しそうになる。
「藤枝ー、さぼんなよー」
体育館から女子の笑い声が聞こえた。藤枝くんの体が、私からゆっくりと離れる。
「おれ……ふられんの?」
私の目に藤枝くんの顔がうつった。
「果歩、好きなやつ、いるだろ?」
「……いない」
「事故で亡くなったっていうひと? それとも……」
私は首を横に振った。本当はもうわかっていたのに……。これ以上、自分の気持ちを抑えられないこと、わかっていたのに……。
「無理しなくていいよ」
藤枝くんの手が、私の髪をふわっとなでた。
「おれがふってやるからさ」
そう言って、私の前で立ち上がる。
「だから別れよう。おれたち」
「藤枝……くん」
ごめんなさいも、ありがとうも言えない、情けない私の前で、藤枝くんはいつもみたいにふざけた感じで笑った。
そして私は最後まで、「たもつ」って呼んであげることができなかったのだ。