14 ごめんね
「果歩たーん、見てー」
砂場に、砂で作ったプリンをたくさん並べて、陽太がうれしそうに手を振っている。ベンチに座りながら、私もそんな陽太に小さく手を振りかえす。
冷たい風が吹いて、枯葉がはらはらと落ちてきた。ちょっと寒くて、両手をポケットの奥につっこむ。
子供たちは、寒さなんて関係ないかのように、公園の中を走り回っている。伊織を追いかけて走っていた、あの頃の自分をふと思い出す。そして……その思い出の中には、いつだって穂積もいたんだ。
ひとりで黙々とプリンカップに砂をつめている陽太を眺めてから、私はゆっくりと立ち上がった。
「ようちゃーん、そろそろ帰ろうか?」
「えー? まだ遊びたーい」
「でもママがご飯作って待ってるよ? 今日はカレーだって」
「やった! カレーカレー!」
陽太は片づけも忘れてはしゃいでいる。
「ほら、ようちゃん、お片付け!」
一緒に砂場にしゃがんでおもちゃを片づける。無邪気に笑っている陽太の顔を、雲から覗いた夕陽がやわらかく照らしていた。
陽太と手をつないで住宅街を歩く。やがて見慣れた我が家が見えてきて、「ようちゃん、お家まで競争しようか」なんて言おうとしたとき、誰かが声をかけてきた。
「果歩ちゃん」
「……おじさん」
三軒隣のガレージで、車に乗ろうとしていた穂積の父親が、笑いかける。
「果歩ちゃん、きれいになったなぁ。おじさん、見違えちゃったよ」
キーホルダーがたくさんついた車のキーをじゃらつかせながら、おじさんはにこにこと笑う。
「陽太くんはいくつになったの?」
「ぼく五歳だよ」
「そうか。えらいな」
陽太の頭をやさしくなでて、そしてまたおじさんは私を見た。
「やっぱり女の子は華があっていいねぇ。うちも女の子がひとり欲しかったよ」
そう言って豪快に笑うおじさんのことを、私はわりと好きだった。
がっちりした体格で、声が大きくて明るくて、少年野球のコーチをしていたおじさん。でもそんなおじさんも、昔より白髪が増えて、おばさんと同じように小さくなってしまった気がした。
「ぼく、先に帰るねっ」
手を離して走り出す陽太。
「ようちゃん! 車に気をつけて……」
言い終わらないうちに、陽太の小さな姿は門の中へ消えて行った。
こんなに近くに住んでいるのに……今までおじさんに会わなかったのは、やっぱり私が避けていたから。
「そういえば果歩ちゃん、穂積と同じ学校だよね?」
「え、あ、はい」
「あいつ学校ではどうなのかな? 家ではぶすっとしてるからさ。まぁ、母さんがあんな調子じゃ、仕方ないけどな」
そう言っておじさんは、ちょっと寂しそうに笑う。だけど私は笑えなくて、消えそうな声でつぶやいた。
「穂積くんは……元気ですよ。学校ではいつも笑ってて……」
「そうか……ならいいけど」
するとおじさんは、いたずらっ子のような表情で私に言った。
「穂積ってさ、ちっちゃいころから果歩ちゃんの後ばかり追いかけてただろ? ストーカーみたいに」
私は顔を上げて、苦笑いをしてごまかす。
「果歩ちゃんの友達の名前とか、好きな食べ物とか、あいつなんでも知ってるんだ。なのに恥ずかしいから、いつも伊織に頼んでさ」
私の耳に、懐かしい伊織の声が聞こえてくる。
――穂積のやつに頼まれたんだ。果歩ちゃんと一緒に帰ってやれってさ。
やっぱりそうだったんだ。伊織がやさしくしてくれたのは、弟の穂積に頼まれたからで……でも今さらそれを知っても、伊織への想いは変わらない。それよりむしろ、胸の中に温かいものが込み上げてきた。
「実はね、猛勉強して青陵入ったのも、果歩ちゃんと同じ高校に行きたかったからなんだよ」
「え……」
おじさんの笑い声と、ドアを開く音が重なった。
「うるさい、親父っ! 声でかいんだよっ」
振り向いたら、穂積がむすっとした顔で立っていた。おじさんはいたずらが見つかった子どものように、舌をペロッと出して私に笑いかける。
「早くしろよ。母さんの病院行くんだろ?」
「わかった、わかった。じゃあね、果歩ちゃん」
私に手を振って、おじさんが車に乗り込む。
「近所中に聞こえてるっての……」
穂積のため息まじりの声と同時に、おじさんの車が走り去る。私が穂積の顔を見たら、すねたように目をそらした。
「穂積……」
穂積はなにも言わずに、車を見送っていた。夕陽に染まるその横顔は、伊織とよく似ていて……だけどそれは伊織じゃなくて……私の胸に痛いものがこみあげて、なぜだかすごく泣きたくなった。
「穂積……ごめんね?」
私の声に穂積が振り向く。
「ごめんね……あたしが……伊織にプレゼントなんか頼んだから……」
伊織が亡くなって、おばさんが病気になって……穂積の周りを、私が変えてしまった。
「違うよ」
「え?」
「果歩のせいじゃない」
穂積の声が胸に響く。
「伊織が死んだのは、おれのせいだから」
なに言ってるの? そうじゃない……言いたいのに言葉が出ない。穂積がそんな私を見て、いつものように少し微笑む。
「おれがプレゼント買ってこいって言ったんだ。あいつ、果歩の誕生日覚えてないから……だから……果歩にプレゼントぐらい買ってやれよって……」
あの日。雪の積もった帰り道。
――そういえばさ、果歩、明日誕生日だろ?
伊織が言った。誕生日、覚えてくれてたんだって、すごくうれしくて……。
だけど私の誕生日の前日、伊織は死んでしまった。
「バカだよなぁ、おれ。なんであんなこと言っちゃったんだろ……」
穂積がおかしそうに笑って、そして私から視線をはずした。
「ごめんな、果歩。おれのせいで……伊織が死んじゃって」
違う。違う。違うよ、穂積。私に謝ったりしないで――心の中で何度も繰り返す。だけどその言葉は、声に出しても伝わらないような気がして……。
手を伸ばして、穂積の腕に触れた。シャツの袖から、穂積の体温が伝わってくる。
どうしてだろう……どうしてこんなに切ないんだろう。どうしてこんなに涙があふれるんだろう。
けれど穂積はそんな私からすぐに離れた。
「穂積……」
「帰れよ」
それだけつぶやくと、私に背中を向けたまま歩いてゆく。
何も言えない私の前で、ドアが静かに閉まった。