12 笑顔の裏のそれぞれの想い
新学期の始まった教室。弁当を食べながら、大きな笑い声を上げているのは、バスケ部の女子だ。
一学期の始め、紗那も入っていたそのグループは、どの子もかわいくておしゃれで目立っていて……よく男子も交えて教室で騒いでいた。
「あー、紗那ねー」
わざとらしい大声が聞こえて、目の前で弁当を食べている紗那の肩が、ぴくんっと震えた。
「……でしょー?」
「やっぱねー!」
女の子たちが高い声で笑う。紗那は聞こえないふりをするように、黙って弁当箱の端っこをつついていた。
「……あたしさ」
そんな紗那がぼそっと言う。
「正直、きつかったんだよね? あの子らと合わせてんの」
私は何も言わずに紗那を見る。紗那はえへへっと、いつもみたいに笑う。
「でもさ、合わせてないとハブかれるじゃん? それが怖くてさ。よくひとりで教室にいた果歩のこと、あの子変わってるねー、変な子だねー、なんて笑ってた」
がたがたという席を立つ音と、女の子たちのはしゃぎ声がして、あのグループが教室から出ていった。紗那はちらっとそれを見てから、また私に言う。
「だけど今、果歩といるとすごく落ち着く。無理して笑う必要もないし」
茶色い髪を耳にかけて、長くてくるんとカールしたまつ毛を伏せ気味にして、紗那が窓の外を見た。
――誰かあたしを愛してくれる人、いないかな……。
紗那の横顔がそう言っているみたいだった。
「夏休み……穂積と会ったの?」
私の言葉に、紗那がゆっくりとこちらを向く。
「一回だけね。あたしが無理やり誘ったんだけど」
そうなんだ……ふたりで会ったんだ。穂積は紗那の前で、やっぱり笑っていたんだろうな……。
だけど紗那は、弁当箱のふたを閉じてから、苦笑いしながら付け足した。
「でも……ダメだね。あの子は」
「え?」
「穂積くんは、女の子とか興味ないみたいだし。誰とも付き合う気ないっていうか……」
机の下で、思わず両手をぎゅっと握る。そんな私を見て、紗那が言う。
「そう、ちょっと前の果歩みたいにさ」
窓から吹き込む風が、私の黒髪と紗那の茶色い髪を揺らす。風はいつの間にか秋風に変わっていて、ひと夏の浮ついた私の心を、どこかへ連れていってしまった気がした。
「おかえり、果歩ちゃん」
父がそう言っていつものように微笑みかける。
「ただいま」
私はぎこちない作り笑顔をして、テーブルにつく。
母は陽太の隣で、「もっとお野菜も食べなさい」とか世話を焼いていて、陽太は首を横に振っていやいやしている。
私の家は四人家族――だけどその前は、母とふたり暮らしだった。
毎日学校から帰ると、首から下げていた鍵で玄関を開けた。ランドセルを置いて、手を洗って、用意してあったおやつを食べながら宿題を済ませる。洗濯物を取り込んで、テレビを見ながらそれをたたんで、たまにはちょっと頑張って食事の支度もした。
ひとりぼっちの部屋。だけどさみしいとは思わなかった。
「ただいま……」
スーツ姿で、両手にスーパーの袋を下げた母が帰ってくる。
「お帰りなさーい!」
私が駆け寄ると、母は疲れた顔で微笑んだ。
だいすきなお母さん。母がいればそれでよかった。『お父さん』なんていなくてもよかった。けれど母が言ったのだ。
「今度、果歩にもお父さんができるのよ」
『お父さん』という人はやさしかった。いつもにこにこ笑っていたし、いろんな所へ連れて行ってくれた。母は仕事を辞めて家にずっといて、新しいうちに引っ越して、やがて弟が生まれた。
「ようちゃん、ようちゃん」
「今日、ようちゃんが声を上げて笑ったのよ」
「あらあら、ようちゃん、どうして泣いてるの?」
「しょうがないわねぇ。ほら、だっこ」
そして母は、私だけのお母さんじゃなくなった。
「ごちそうさまぁ!」
陽太が椅子からぴょんっと飛び降り、リビングのテレビをつける。
「ようちゃん! ゲームは三十分よ」
母がそう言いながら立ち上がって、食器を片づけ始める。私はエプロンをつけた母の後ろ姿を、ぼんやりと眺めていた。
「果歩ちゃん」
そんな私に父の声が聞こえた。
「大丈夫?」
「え?」
「いや、ちょっと元気ないみたいだから」
――お前の父さん、ちゃんと娘のこと見てるし。
そうだよね……いつだって父は私のことを見ていてくれた。きっと、母だって……。
それなのに私は、駄々をこねて、すねていただけなのだ。「あたしだけのお母さんが欲しい」って、子どもみたいに。
そしてそんなこと、穂積に言われて気づくなんて……本当に私って情けない。
「パパ、ちょっとそのお皿運んで」
「ああ……」
父が伸ばした手よりも早く、私がそれを手に取った。
「あたし運ぶから。お父さんは座ってて」
その一言に、父が驚いた顔で私を見た。母も食器を洗い始めた手を止めて、振り返って私を見る。
「果歩ちゃん……今なんて?」
父の声は聞こえていたけれど、聞こえないふりをして席を立つ。近くの食器をぱぱっと集めて、流しに運ぶ。すると母が、昔仕事から帰ってきたときのように、疲れているけど幸せそうな顔で私を見ていた。
「果歩……」
「ごちそうさまでした」
それだけ言ってキッチンを出た。
リビングから聞こえてくるゲームの音。淡い部屋の灯り。陽太の笑い声。
初めて言った『お父さん』って言葉。
ちょっと胸がどきどきした。そして階段を上りながら、穂積のことを考えていた。