プロローグ - 白紙の誓い
人類はいつしか、自由の方向性を喪失するに至った
天に届くほどそびえ立つ超巨大城壁『アイギス』。その殺伐としながらも安楽な鉄のゆりかごの中で、人々は偽りの平和に酔いしれ、本当の空の色を忘れてしまった。城壁の中の腐りきった権力者たちはそれを救済と呼んだが、俺にとってそれは滅亡を猶予する巨大な墓碑に過ぎなかった。
本当の現実は城壁の外、このぬかるんだ黒泥と、鼻を突く魔力の残香の中にあったからだ。
「はぁ……はぁ……」
つい先ほどまで大地を揺るがしていた巨大脅威体――烙印の肉塊が、黒い雨に打たれながら泥へと溶け落ちていた。人間の醜い欲望が固まってできたその巨大な山脈の残骸のど真ん中に、銀色の装甲を纏った少女が立っていた。
少女の体は凄惨なまでに壊れていた。人間を精巧に模した人工表皮が裂けた場所からは、冷たい機械の骨格が痛々しく露出し、赤い血の代わりに青い魔力液が雨水と混ざってぽたぽたと滴り落ちていた。生きた生命体であれば、極度の苦痛と黒泥の精神汚染によって発狂して当然の地獄だった。
しかし、第五世代の殺戮自動人形、アストラペの顔は鳥肌が立つほどに平穏だった。
『恐怖』という感情演算そのものを去勢されて生まれた兵器。城壁内の魔術師たちが「欠陥のないガラクタ」と呼び、死地へと追いやる存在。彼女は血の気のない無感覚な顔で、すでに限界まで熱を帯びて形を失った大剣を、地面に投げ捨てるように落とした。
「アストラペ……!」
俺が折れた肋骨の痛みを噛み殺しながら泥濘を這い進むと、彼女はゆっくりと首を向けた。蒼白なほど美しい瞳が俺の顔を捉えた。
その瞬間、俺は本能的に悟った。何かが決定的に間違っていると。
その眼差しの中には、つい先ほどまで俺と背中を合わせて戦っていた切迫感がなかった。わずか三時間前、出撃する前の前哨基地の焚き火の前で、「無事に帰ったら、角砂糖をたっぷり入れた紅茶を淹れてください」と微かに笑った温もりさえも、跡形もなく蒸発していた。
「ご報告します。前方の臨界脅威体、沈黙を確認しました」
機械的で、一寸の乱れもない丁寧な敬語。その声を聞いた瞬間、息が詰まった。
「お前……無事なのか。その傷……」
「損傷は全装甲の四十七パーセントレベルです。稼働に問題はありません。ところで……」
アストラペは小さく小首を傾げながら、俺を見上げた。
「申し訳ありません。私の記憶領域に一部破損が生じたようです。もしかして……貴官が、私の主ですか?」
頭の中が真っ白になるようだった。
外部から魔力を補給できないこの呪われた体は、敵を斬り伏せる圧倒的な出力を得るために、自身の内面から最も不要な演算領域から燃やし尽くしていく。彼女のシステムが判断した不要な領域とは、すなわち戦闘とは無関係な日常の記憶だった。
彼女は俺を生かすため、俺と紅茶を飲むという小さくも大切な約束を、喜んで魔力の薪として投げ込んだのだ。
俺は血がにじむ唇をきつく噛みしめ、無理に微笑みを作ってみせた。今ここで俺が崩れ落ちてしまえば、産まれたばかりの子供のように白紙となってしまった彼女を混乱させてしまうから。
「……ああ。俺はお前の主だ。名前は……」
俺は血まみれの手を伸ばし、彼女の額に付いた黒泥を袖で慎重に拭ってやった。冷たい金属の感触の上に、微かな温もりが伝わってきた。
「覚えていなくてもいい。俺が何度でも、繰り返し教えてやるから。そして、いつか必ず……」
俺たちが生きるこの地上に、再び青い空が開かれる日まで
口には出せなかった誓いを飲み込みながら、俺は崩れ落ちそうな体を引きずり、彼女の冷たい手をしっかりと握りしめた。
彼女が失った記憶の破片の上に、滅亡した世界の黒い雨が、とめどなく降り注いでいた。
文章はあまり得意ではありませんが、拙いながらも自分なりに書いてみようと思います。




