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星霜エルフの追想録  作者: 古賀月 蜜柑


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2.外へ向かう風

 リュミナは反射的に弓を引き、距離を取った。


 心臓が跳ねる。エルクを狙うのに集中しすぎていた

 

 ――自分らしくない失態だ。


 エルクの亡骸を挟んだ、エルフと人間の沈黙の時間はほんの数秒だった。


「ご、ごめん! 驚かせるつもりはなかったんだ!」


 慌てて両手を上げる少年の声が、草原の風に溶け込む。


 黒髪に日焼けした肌、背に大きな盾を担ぎ、腰には紙を挟んだ皮袋。どこか抜けた笑顔を浮かべている。


「ほら、カイレン……だからいきなり声をかけるなって言ったのよ」


 栗色の髪の少女が眉を寄せて青年の肩をつつく。


「……本当に驚かせるつもりはなかった。敵意もない」


 最後の少年は低く落ち着いた声で、静かに武器から手を離してみせた。


 三人に敵意はない――


 リュミナは瞬時にそう判断した。


 エルフの森で育った身として、人の“気配”の違いには敏感だ。


 彼らの呼吸のリズム、足の向き、視線の揺らぎ――いずれも襲う気配からは程遠い。


「……びっくりさせないでよ」


 ようやく肩の力を抜き、リュミナは弓を下ろした。


 少女――セリがぱっと表情を明るくした。


「よかった……あなた、エルフよね? この草原で会えるなんて思わなくて!」


「俺たち、地図を作る旅の途中なんだ。森に入るつもりはなかったけど……たまたま道に迷っちゃってね」


 黒髪の少年――カイレンが頭をかく。


「迷っている、というより……道を“見失っている”に近いな。カイレンが地図を逆に持っていたから」


 アシュレイが静かに突っ込む。


「おい、それ言う必要ある?」


「あると思う」


 軽口を叩き合う三人を見て、リュミナは少しだけ口元を緩めた。


 本当に気のいい旅人たちだ。

 

 しかし、それよりも問題がひとつ――


 さきほど仕留めたエルクが重い。


 リュミナは背後の倒れたエルクへ視線を向けた。


 一人でも運べなくはないが、森までは少し距離がある。骨や皮もきれいに運びたいとなると、慎重に運ぶ必要があった。


 すると、カイレンがその視線の先に気づいた。


「……君が仕留めたのか? 見事な精度だな」


「見事なんてものじゃない、エーテルを使った、いわば魔法の矢をこんな正確に扱えるなんて、ただでさえエーテルを使うだけでも珍しいってのに……」


 褒められてるみたい。リュミナは恥ずかしそうに顔をそらす。


「え、あ……うん。森のみんなの分の肉を持ち帰らないといけなくて」


「それなら――俺たちも手伝っていいか?」


「えっ?」


 思わず声が裏返る。


 手伝う? 外の人間が?


「俺はカイレン。こっちは学者見習のアシュレイと、騎士のセリ」


 そう言って手を差し伸べてくる。


「わ、私はリュミナ」


 セリが一歩前に出て、笑顔で続ける。


「お礼も言いたかったしね。リュミナ、で合ってる? 重いでしょ。三人いれば余裕だよ!」


「もちろん、エルフの森に危害を加えるつもりはまったくない」


 アシュレイが穏やかな声で言い、ゆっくり両手を見せた。


 心の奥で何かがじんわりと温かくなる。


 ――外の世界の人は怖いかもしれない、とどこかで思っていた。


 でも、この三人は違う。


 素直で、不器用で、まっすぐだ。


「……わかった。じゃあ、お願いしてもいい?」


「任せとけ!」


 カイレンが胸を叩く。


「重いもの運ぶのには自信あるんだ」


「カイレンは少し張り切りすぎるから……落とさないでよ?」


 セリが呆れ半分に笑い、


「僕が後ろで支える。バランスは任せてくれ」


 アシュレイが淡々と続ける。


「あ、でも少し待ってて」


 そう言ってリュミナはしゃがみ込み、ポーチから植物の種を取り出し、エルクの亡骸のそばに植える。


「じゃあ、森まで案内するね。すぐそこだから」


 三人は力を合わせてエルクを持ち上げた。


 その姿を見て、リュミナの胸の奥がまた少しざわつく。


 ――外の世界の人たちって、こんなに……優しいんだ。


 その感情に気づかないふりをしたまま、リュミナは草原から森への道を歩き始めた。


 三人が後ろからエルクを担ぎ、笑いながらついてくる。


 森の冷たく澄んだ匂いとは違う、陽だまりのような、少し汗の混じった人間の匂い。それが、なぜか嫌ではなかった。


 森の空気が、今日はいつもより柔らかい気がした。


 木々の間を抜け、日差しが柔らかく降りそそぐエルフの集落が姿を現した。


 木の上に組まれた家々が枝を渡る橋でつながれ、蔦の揺れる音が風に溶ける。


「すご……こんな場所が森の奥にあったなんて」


 セリが目を輝かせる。


「人間の集落とはまるで違うな。ここは……静かだ」


 アシュレイの声も少しだけ柔らかかった。


「こっちだよ。エルクは共同の食堂に運ぶように頼まれてるんだ」


 リュミナが案内すると、三人はエルクを抱えたまま頷いた。


 木の根元に寄り添うように建つ大きな食堂では、主人のローヴェが薪割りをしていた。


 旅をした経験のある珍しいエルフで、森の外の文化にも理解のある人物だ。


「おや、リュミナじゃないか。今日はずいぶん大きいのを仕留めたんだな」


「ローヴェさん、頼まれてた分です。……それと、この人たちが手伝ってくれたの」


 三人を見るなり、ローヴェの目が細められた。エルフ特有の鋭さではなく、旅人を見慣れた懐かしさのある表情だった。


「なるほど。あんたら、森の外から来たんだな?」


「はい、地図を作る旅をしているんです」


 カイレンが胸を張ると、ローヴェは笑う。


「地図だと? いいなぁ……若い頃はよく外の山を越えて、近くの街まで行ったもんだ」


「エルフなのに旅を?」


 セリが驚くと、ローヴェは肩をすくめた。


「閉じこもってちゃ腕も頭も鈍っちまう。外の祭りの飯なんざ最高だぞ。串焼きも甘い菓子も――」


「串焼き!」


 カイレンとセリが同時に反応し、アシュレイが苦笑した。


「人間の街の料理ってそんなに違うんですね」


 リュミナも興味が湧いてしまい、ローヴェに視線を向けた。


「香辛料ってのがあってな。肉の味をがらりと変える。エルクだって焼き方しだいで……」


 ローヴェが話しはじめると、三人は子どものように前のめりになって聞き入った。


 リュミナも、聞いたことのない味の話に心が少し弾む。


 そんな中――


 森の空気が変わった。


 深い根の向こうから、風のように呼ぶ声が響いたのだ。


「……少しいいかな?」


 大地を抱くような低い声。


 リュミナの父――巨木〈オルダ〉の呼び声だった。


 そしてその声は、リュミナではなく三人へ向かっていた。


「……え、私じゃないの?」


「どうやら、俺たちが呼ばれてるらしい」


 アシュレイが静かに言った。


 ローヴェが頷く。


「巨木さまが呼ぶってことは、滅多にないことだ。失礼のないようにな」


 三人は緊張しながら森の奥へ消えていった。

 

 リュミナは胸の奥に不思議なざわめきを覚えながら、残った仕事に取りかかる。


「さて、リュミナ。エルクの下処理を手伝ってくれるか?」


「うん!」


 ローヴェと並んで作業をしながら、リュミナはさっきの話の続きを尋ねる。


「ローヴェさん……外の食べ物って、本当にそんなに違うの?」


「違うさ。いいも悪いも含めてな。でも……”世界には想像もつかない味がある”ってだけで、人は少し強くなれる」


「強く……?」


「知らない景色、慣れない匂い、初めて出会う人。そういう全部に触れるたび、自分がちょっとずつ変わっていくんだ」


 ローヴェの声は思い出に浸るように柔らかかった。


「私は……外の世界を見たことない。でも、さっきの人たちは、普通に見てるんだよね」


「羨ましいか?」


「……少しだけ。だって私、森と草原しか知らないから」


 リュミナは笑いながら言うが、胸の奥がほんの少しだけ熱くなる。


 ローヴェもそれを察したように、温かく頷いた。


「気づいていないだけで、おまえさんの中にはちゃんと“外へ向かう風”が吹いてるよ」


 その言葉が、リュミナの胸に静かに残った。


 夕暮れが森を金色に染める頃、三人が戻ってきた。

 どこか緊張しながらも、満たされた表情をしている。


「リュミナ!」


 セリが駆け寄ってくる。


「あなたのお父さん……すごい人だった! いや、すごい“木”だったというか!」


「何話したの?」


 リュミナが目を丸くすると、カイレンは言葉に詰まった。


「えっと……すごい圧があって……でも、あたたかくて……。なんていうか……認められた、みたいな?」


「父さんが……?」


 オルダが他者を森へ迎えるなど、めったにないことだ。


 リュミナの胸がくすぐったくなる。


 アシュレイが一歩前へ出た。


「オルダさまは言った。『森の外へ行く者は、森の風を忘れるな』と。そして……」


 少し間を置いてから、続けた。


「『リュミナを誘ってみるといい』とも」


「……え?」


 リュミナの心臓が大きく跳ねる。


 カイレンが真剣な表情でこちらを見た。


「リュミナ。俺たちの旅に、一緒に来ないか?」


「世界を歩いて、知らない景色を地図に描くの。あなたの弓の腕も、きっと役に立つ」


 セリも続く。


「無理にとは言わない。ただ……一緒に行けたら嬉しい」


 アシュレイの言葉は静かだが、真っ直ぐだった。


 リュミナは何も言えず、ただ夕陽に染まる森の色を見つめた。


 胸の奥に、ローヴェの言葉がそっと灯る。


 ――“おまえさんの中には、外へ向かう風が吹いてる”


 その風は今、確かに動き出していた。

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