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Ladybird, Ladybird

三女 小夜の話です。


呼吸がひとつ漏れるたび、胸がきしむ。

肺が拒むように震え、酸素チューブが小さく揺れた。


いつもの痛み。いつもの気だるさ。

けれど私の指は、その痛みに一切迷わせられない。


黒いベッドの上。

周囲を囲むのは、大小合わせて十数枚のモニター。

セラ姉さまたちの所在、警備システム、街中の公的カメラ……すべて父様の許可のもと、

私は“王国の影”のように見続けている。


《隠者》と《嫉妬》

──それが私のギフト。

身体が動かなくても、世界の方からこちらへ“開く”。


カタ……カタ……とキーボードの音だけが、

夜のクロウリー邸に静かに響いていた。



その時、モニターのひとつがノイズを走らせた。


「……また、これ。」


昨夜 オークション会場で

セラフィナ姉さまが感じ取った“視線”。

あれを私も、カメラ越しに確かに見た。


いや、“視た”と言うのも違う。

影の端、画面の縁、光の欠け方、

その全てが『誰かがそこに立っていた痕跡』を示していた。


けれど──

そのデータはたった今、消された。


私が触るより先に、私が解析するより速く、まるで“誰かの手”が先にそこへ届いたみたいに。


「……こんな芸当、父様以外にできるはずが……」


言いかけた瞬間、画面に走る赤い警告フラグ。


ザザ……ッ。


また一つ、監視ログが消える。


「……てんとう虫みたいに逃げ足が早いですね。」


思わず、小さく笑った。自嘲でも皮肉でもなく、ほんの少しだけ、胸の痛みを忘れたくて。

だがすぐに笑みは消える。


「これは“偶然”ではありませんね……」


ベッドの上、小さな私の世界で、

画面だけが激しく明滅していた。


まるで問いかけるように。まるで警告するように。

そして私は、息を呑む。


そこに──

“確かに存在したはずのもの”が、

跡形もなく消えていた。


「……Ladybird, Ladybird(てんとう虫、逃げておいで)。」


そっと呟く。昔、父様が教えてくれた古い韻。

逃げなさい。火が来る前に、全部燃える前に。



その言葉が今夜ほど、胸に重く沈んだことはない。

部屋のドアがノックされもせずに開いた。


「おはよ、小夜〜〜〜!!元気か!?」


父様の声は、いつも通り天井まで跳ね返る。私はまばたき一つだけで応えた。


「元気には……見えませんでしょう。」

「いやいや、その辛辣なツッコミが出てる時点で元気だろ!」


父様は、私のベッド横に無意味に豪勢な椅子を持ってきて座る。この椅子、絶対邪魔。


「どうだ、昨日のオークション……見てたか?」


私は酸素を吸いながら、目線だけでモニターのログを呼び出した。


「ええ。セラ姉様の無茶と、父様の……その……子供じみた騒ぎも、全部。」

「子供じみた!?」

「ええ。……でも、楽しそうでしたわね。」


父様は一瞬だけ黙った。

そのあと、照れ隠しのように頭をかく。


「……まあ、セラと一緒だとテンション上がるんだよ。」


その言葉に、胸の奥が少しだけきゅっとなる。

嫉妬か、それとも寂しさか。


私は画面に指を走らせ、

“例の視線”が映った一瞬のログを開いた。


「父様……昨日の会場で。セラフィナ姉様に向けられた“視線”。私、記録したのですけれども……」


次の瞬間――

画面が黒く塗りつぶされた。

消えた。誰かが、私より速く。


「……ね?ほら、小夜も気にしなくていい。」


父様の声がやわらかく落ちる。


「父様。あなたが“気にするな”と言う時ほど、気にすべきことはありませんわ。」

「ははっ……ほんと、お前は頭が良すぎるな。」


父様は私の頭をそっと撫でる。大きくて温かい手だ。


「でもまあ……てんとう虫は逃げなくていい。俺たちクロウリー家が守るからさ。」


私はその言葉に、静かに微笑んだ。


「逃げる気は、最初からありませんわ。私はこの場所からでも、全部を見ていますもの。」


父様は嬉しそうに目を細めた。

そして私は、胸の奥にある“棘”に触れるように囁く。


――てんとう虫は逃げておいで。

 けれど私は、逃げない。



《隠者》は全てを見ている。

《嫉妬》は全てを記憶している。


父様が部屋を出て行ったあと、私はすぐに“作業モード”へ移行した。


画面には黒く塗りつぶされたログ。普通ならここで諦める。でも、私は《隠者》。


「……消されている、なんて。かえって不自然ですね。」


私は指先で数十のログを並列照合した。

セキュリティシステム、魔術結界の微細記録、会場周辺の交通データ。どれも表面上は“異常なし”。


だが――


「……ここ。消去痕。」


一フレームだけ、画素が乱れていた。1/1000秒の“歪み”。

魔力結界の検知線が、極限まで薄い何かに触れて揺れている。


「鼠ではありませんね、父様。」


小さく呟くと、胸が少し痛んだ。嫉妬か、呼吸か、わからない。


その痕跡は、人間でも、普通の魔術師でも、貴族でもない“何か” の存在を示していた。


私は判断した。誰より先に、父様へ。



酸素チューブが頬に触れるひんやりした感触で、ようやく自分が“起きている”と実感できた。

肺の奥まで空気が届くまで、ゆっくり、ゆっくり時間をかける。この儀式が済んでようやく――私は動ける。


「お嬢様、準備できましたよ。」


私の専属メイドのエスターが横で微笑む。いつも通りの穏やかな声。彼女の手が車椅子のハンドルを軽く握る音がした。


「押しますか? それとも……ご自分で?」

「押してもらうわ。今日は……少し胸が重いの。」

「承知しました。」


わずかな返事だけで、エスターは部屋のドアを静かに開けた。車椅子のタイヤが動き出す。足元のブランケットが揺れ、酸素ボンベのわずかな振動が背中に伝わる。


廊下の空気はひどく冷たい。

クロウリー邸は広すぎて、どの季節でも体温を奪う静けさがある。


私は腕の上に置いたタブレットを指先で軽く叩く。

確認したいログが山ほどあったが――

その前に“父様への報告”が先だ。


「……エスター。」

「はい、お嬢様。」

「歩調を少し速めて。父様を待たせるのは好きではなくて。」

「承知しました。」


エスターは押す力をわずかに強める。

車椅子が滑るように前へ。


廊下の壁に設置されたカメラのひとつが、わずかに赤く瞬いた。

私が近づくと、どのセンサーも“反応”する。

私の魔力ではなく――

《隠者》の認識のせいだ。


「(視えているのは、私だけ。)」


だからこそ、父様へ報告しなければならない。


呼吸が少し乱れる。

胸が締め付けられ、酸素の流れが速くなる音が耳に近い。

エスターが気づいて声をかけた。


「小夜お嬢様、無理をされませんように。」

「大丈夫……問題ないわ。それより父様に伝える方が、優先度が高いの。」

「……はい。」


クロウリー家の長い廊下を抜ける頃には、手が少し震えていた。

けれど、この程度で弱音は吐かない。

吐けない。


父様のの前で、エスターがそっと車椅子を止めた。

大きな黒木の扉。父様の魔力が淡く波打つのが分かる――

セラフィナ姉さまとは違う、もっと深くて静かな闇の気配。


私は軽く息を整え、扉をノックした。


正確にはノックをしようと手を扉へ向けようと上げた。

ドアはノックする前に開いた。

父様の魔法で開いたのだ。

部屋に入ると、父様は書類の山を片腕で抱えたまま、片手でコーヒーをかき混ぜていた。

その姿は、常人から見れば“仕事の鬼”にしか映らないだろう。

でも私にとっては――ただの父様だ。


「おっ、小夜?どうした?」

「こちらを。昨日のログ……消えていた部分ですが、痕跡だけは拾えました。」


私は画面を父様の前に持ってくる。

父様の目が一瞬だけ細められた――

けれど。


「……へえ。小夜、よく見てるな。」


その声はやけに軽い。

軽すぎる。


「父様。笑って誤魔化さないでください。この消去方法……人間の技術では不可能です。」


父様は、手をひらひらさせた。


「わかってるよ〜。でも、ほら。」


その“ほら”で全てを片付けるつもりだというのは、よくわかる。


「小夜、これはな。追わなくていい。」

「……理由は?」

「お前が追っても勝てない。」


優しい声。残酷な真実。


父様は続ける。


「その存在は……セラでも、俺でも、“今は”深入りしちゃいけない相手だ。」


“今は”。


つまり、近いうちに関わる。必ず。

私は唇をかすかに噛んだ。


「では、誰がログを消したのですの?」


焦りと不安で普段の口調になってしまった。しかし父様は何も気になっていないようで笑った。


「心配すんな小夜。“そいつ”と話すのは俺の役目だ。お前は……見てるだけでいい。」


柔らかい声なのに――命令だった。

私はゆっくり画面を閉じる。


「……承知しましたわ、父様。」

「いい子だ。」


父様は頭を軽く撫でて部屋を出る。

ドアが閉まると、部屋は再びモニターの光だけになった。



ログは消された。父様は止めた。

未知の存在は沈黙した。


――だからこそ、私は忘れない。


《てんとう虫は逃げておいで。

 でも私は、ここで全部を見る。》


父様が言ったように“今は”追わない。

けれど、必ずまた触れる日が来る。


私の“嫉妬”が、それを覚えている。

父様の部屋を出ると、エスターが待ち構えていた。


「お疲れでしょう。お部屋に戻りますか?」

「いいえ。いつものルーティンを続けるわ。」

「承知しました。」


そのまま廊下を移動する。時間は夜半。

姉妹たちはそれぞれの場所で好き勝手に過ごしている頃だ。


私は部屋に戻ると、エスターが酸素ボンベを交換し、ブランケットを整える。

そのあいだ私はベッド脇のモニター群にアクセスした。


“クロウリー家の心臓部”いや”脳”は、私の部屋だ。


監視カメラ、魔術結界、警備線、屋敷下のラボ、父様の外部契約先……

それらが一斉に動いている状況を俯瞰するのが、私の“日常”。


「(本来なら父様が見るべき範囲なんだけど……まあ、いいわ。私が信頼されている証だわ。)」


酸素がすっと肺に満ちる。呼吸が安定するたび、頭が冴えていく。

そして――姉妹の動きも、嫌でも目に入る。


私はモニターの光に照らされながら、静かに姉妹たちを見下ろす。

冷静に。分析的に。

そして、胸の奥に渦巻く小さな嫉妬を抱えたまま。




セラフィナ


――“完璧な善良”。

クロウリー家で唯一魔術を使えないのに、誰よりも「中心」であり続ける。

体が弱かった私が失ったもの……彼女は努力せずとも持っている。あの健康な肉体。

父上が一番“上手く扱えない”のもこの人。

理由は簡単。

どれだけ強くしても、どれだけ弱くしても壊れてしまいそうに見えるから。

……羨ましい。腹立つほど。


朝霧


――“外向きの双子”。”愛される片割れ”

同じ身体を持って生まれたはずなのに、なぜこんなにも差がついたのか。

彼女は陽の下、私は影の中。

彼女が走れば、私は息を吸うことすら苦しい。

……でも、嫌えない。

同じスタートラインに立てなかっただけ。

それが一番悔しい。


ブランシュ


――“甘え上手の天才”。

悪意ゼロ、考えゼロ、計算ゼロ。

ただニコッと笑うだけで欲しいものが手に入る。

これを才能と言わずに何と言うのかしら?

父上すら振り回されるほど“愛される力”が強い。

……あれはズルい。真面目に努力している人間が馬鹿みたい。


マリーナ


――“粗雑な天才肌”。

感覚と思考の両方で動くタイプ。

観察力が異常なほど鋭いくせに、それを自覚していない。

彼女は「世界の筋道」を直感で掴む。

……私の“知識で積み上げた理解”とは違う。

だからこそ気に入らない。


オリーフィア


――“整いすぎた優等生”。

クロウリー家の“正常値”。

礼儀も魔力量も、健康も、人付き合いも全部平均より少し上。

本来なら私が欲しかった“普通”の人生。

……普通を持っている人間ほど、それを自覚しないのよね。


末弟 アズラエル


――“災害”。

可愛いとか、賢いとか、そういう次元じゃない。

天災。混沌。自然現象。

観察対象としては面白い

唯一、私をイラつかせずに笑わせてくれる存在。


でも


「……あなたはいいわね、全部持っていて。」


愛おしくて、羨ましくて、悔しくて。

この中で最も複雑な感情を抱くのは、あの弟だ。


アズラエルのケラケラ笑う声が、廊下の奥からかすかに響いた瞬間だった。


胸の奥が、ひとつだけ軽くなる。


(……弟は好き。でも、“理由なく好きでいられる存在”が弟しかいないのは──それはそれで、酷くない?)


私はモニターの光をぼんやり眺めながら、自分でも分かっている“答え”に触れる。

家族を監視する理由。


皮肉っぽく言えば──


「私だけが、家族を“まともに理解してあげられる唯一の存在”だから。」


もっと本音に近づければ──


「家族の中心にいられない私が、せめて“観測者”であり続けないと壊れてしまうから。」


そして、最も醜く、最も人間らしい本質は……


「誰かの温度を知らなければ、孤独に押し潰されて死ぬから。」


私はベッドの上から動けない。

呼吸すら満足にできない。



だから……

失いたくないの。


誰かの“視線”も、

誰かの“秘密”も、

誰かの“異変”も。


ほんの少しでも見逃せば、

私は“何も持っていない人間”になってしまう。


私のギフト《隠者》が、世界を開いてくれるのは──

神様の慈悲なんかじゃない。


私は、ただ。見ていたいだけ。

羨ましくて、妬ましくて、愛おしすぎるこの家族を。


目を逸らしたら、心が壊れる。


だから観察する。だから分析する。だから監視する。


誰にも頼まれていないのに、

父上でさえ止められないほど、私は“視続ける”。


(……だって私、家族の誰よりも弱い。だからこそ、誰よりもこの家族を知っていなきゃ均衡が崩れる。)


その瞬間、モニターのひとつがチッと鳴り、画面が切り替わった。


屋敷の庭。

夜の静けさの中、ブランシュがふわふわした寝巻きのまま、月を見ていた。


ぼんやり、無防備で。

世界は彼女を甘やかすように柔らかい光を落としている。


「……いいわね。無自覚な幸福って。」


胸がちくりと痛む。


でも、嫌いじゃない。

守りたいと思うほど愛おしくて、

同時に胸を刺すほど憎らしい。


そして──

次の瞬間。


モニターの“庭の映像”の端が、ふ、と欠けた。


光の揺らぎ。

影のズレ。


昨日、セラフィナ姉さまを見つめた“あの視線”と同じような痕跡。



「……ブランシュ、そこから離れなさい。」


呟いたが、届くはずもない。

だから私が動くしかない。

私は胸の痛みを無視し、エスターを呼んだ。


「いますぐ庭へ。ブランシュを……守るの。」


エスターが驚き、すぐに頷いた。

私の指は同時に、監視システムの全権限を強制解放する。


(家族は、私が見ている。守れるのも、私。)


そうでなければ――

私は、このベッドから世界に触れられないのだから。


エスターに車椅子を押してもらい庭へ出た瞬間、夜風の冷たさに肺が悲鳴を上げた。


「っ……く……」


胸が痛む。酸素が足りない。視界がわずかに暗くなる。


(……急ぎすぎた。わかってる。でも……間に合わなきゃ意味がない。)


エスターが後ろで不安げに声をかける。


「小夜お嬢様、無理です! 一度お部屋に戻らないと――」

「……ダメ。ブランシュが……一番危ないの。」


その言葉を押し出した瞬間、庭の中央でこちらを振り向く小さな影があった。

月明かりに照らされた白髪。ふわふわの寝巻き。裸足。


ブランシュだ。


彼女は、私を見た途端、目をまん丸にして叫んだ。


「えっ!? え、え、小夜姉ちゃん!?

 顔色、わるっ……!?!?青っ!?」


「あ……青く……なるのは、必然ですわ……

 あなたが……危険だから、来たの……」

「来ちゃダメでしょ!? こんな寒いのに!!」

「あなたが……危険、なので……」


必死に呼吸を整え、胸の鈍い痛みを押し殺す。

私はブランシュに視線だけで近づいてもらい、小声で告げた。


「ブランシュ……落ち着いて聞きなさい。

近くに……魔獣の気配がある。――武器を構えて。」


ブランシュの顔つきが一瞬で変わった。


ぽやぽやした甘い表情が、すっと消える。

目の色が深く、鋭くなる。


そして――彼女は手を軽く掲げた。


「……《造形フォージ》」


空気が震える。



次の瞬間、ブランシュの手には炎から生成された二丁拳銃 が現れていた。


小さな手には不釣り合いなほど、禍々しいほどに美しい銃。


ブランシュは寝巻きの裾を踏まないよう軽く結び、

いつものトコトコした歩きではなく、

獣の気配を読む 狩人の足取り で庭の奥へ向けて銃口を向ける。


「小夜姉ちゃん。“どの方向”?」


私は揺れる視界の中、周囲の魔力線を追った。


(……ここだ。昨日の残滓と同じ……“薄すぎる気配”。)


指先で、ゆっくり、ある地点を示す。


「……東の木立。気配は……極めて薄い……でも……確実に“いる”。ブランシュ……引き金は……早めに。」


「了~解。」


ブランシュの声は楽しそうに笑っていた。


ふだん無邪気な子が、一度“魔獣狩り”のスイッチが入るとクロウリー家の名に相応しい獣性見せる。

エスターが私の背に手を添え、酸素濃度を上げてくれる。

呼吸がなんとか安定し始めたところで――


庭の草がひとつ、揺れた。

ブランシュの指がトリガーにかかる。


私の胸が、痛むより先に、ぞくりと震えた。


「(来る……!魔獣狩りの“開幕”……!)」


夜の静寂が破れる音がした


木立の影から、黒い獣影が跳び出した。


四足獣の形をしてはいるが、骨格が人間ではあり得ないほど歪んでいる。

目は赤く、口からは黒い煙を吐き――

魔力の“濁り”が凝固した存在。


魔獣。


その歪んだ顎が大きく開いた瞬間、


「はい、ざんねーん 」


ブランシュの軽い声とともに二丁拳銃から光弾が走った。


ドンッ!!


獣影は地を跳ねることすら許されずに、

炎に焼かれて霧となって消えた。



あまりに一瞬。あまりに正確。

ブランシュはくるりと銃を回してホルスターもない空中にひゅっと吸わせ、

そのまま寝巻き姿のまま肩をすくめた。


「屋敷の近くなんて滅多に寄ってこないのに〜。魔獣ってさ、もっと外の森とか街はずれの……。」


黒い霧のようになった魔獣の残滓が、

まだ庭の芝生にふわふわと漂っていた。

ブランシュが二丁拳銃をくるりと回しながら言う。


「屋敷の近くなんて滅多に来ないのにね〜。今はノーマルタイプ?」


私はゆっくりと呼吸を整えつつ、頷いた。動悸で胸が焼けるように痛い。


「……そう。四足の……一番“典型的”な個体。赤い目が……顔の、どこにでも浮かぶような形の……不安定なタイプ。」

「不安定?」

「あれは……存在そのものが、魔力でつぎはぎされてるから。だから……身体の“決まった形”が持てないの。目が斑に散ってるのも……そのせい。」


ブランシュが残滓を指でつつきながら、

へぇー、と楽しそうに相槌を打つ。


私は続けた。


「それに……あの口。耳元まで裂けて、牙が……やたら鋭いでしょう?

あれで、魔力を持つ生き物を……刺して、吸う。」

「魔力狙いってやつね。セラ姉ちゃんだけ狙われない理由、あれわたし好き〜」

「……あなたは、もっと危機感を持った方がいい。」


わずかに呆れを混ぜて言うと、

ブランシュは笑いながら肩をすくめた。


私は視線を残滓に戻した。


「……魔獣は魔力で自分を保ってる。だから……魔力を多く持つ者ほど引き寄せられやすい。あなたも……わたしも……父上も。」

「はいはい、“魔力は餌”ってやつね」

「ええ。だから本来……屋敷の結界がある限り、ここまで近づくことは……ほとんどない。」

「なのに来た、と。」


私は一拍置き、息を整えてから言った。


「……誰かが放った可能性も……ある。」

「誰が?」

「わからない……」


ブランシュは拳銃を魔法で消しながら言った。


「ま、いいや! もう寝る〜。ありがと、小夜姉ちゃん」


彼女はあっさりと背を向け、軽い足取りで自室へ戻っていった。



ブランシュが去り、バルコニーに静寂が戻る。まだ庭の方から、魔獣の残滓が風に流される匂いが微かに残っていた。


私は車椅子のハンドルを握りながら、ゆっくりと息を吐く。


「(……本当に来た。屋敷の結界を越えて。)」


魔獣がただの野生動物なら、

こんなことは絶対に起こらない。


あれは人が生み、魔力が歪めた“産物”。


そして——

それを狩ることが、クロウリー家に課された使命。


「(きっと私たち姉妹は……“魔獣狩りのために”生み出された。)」



朝霧の静かな眼差しも、

ブランシュの能天気な明るさも

オリーフィアの優しささえも。


その裏には、

“魔獣を制御し、狩るための能力”という残酷な設計図がある。


父様が作ったもの。父様が望んだもの。


(魔獣は魔力ある生き物を襲い、喰い、増える。だからこそ、魔力を扱える者が止めなければ……世界は飲まれる。)


狩りは貴族の誇りでも、娯楽でもない。

生活でもない。


「現代における、人間社会の維持のために必須の“仕事”。」


——私を除いて。


(……あぁ。もし私にも、戦える身体があれば。)


胸の内に、また小さな嫉妬の棘が刺さった。


魔獣狩りに出られない代わりに、

私は“情報”と“予測”で彼女たちを支える。


気配の異常、結界の揺らぎ、魔力の反応。

どれも私が最も早く察知できる。


だからこそ、今回のように

わざわざブランシュのところへ駆けつけるのではなく——


「(……もっと効率的に、正確に。父様にも姉妹にも、即座に情報を共有する仕組みを作らなくては。)」


動けない自分が動く代わりに、

動ける姉妹たちが最善を尽くせるように。


“戦場に出られない隠者”の戦い方はそこにある。



私は酸素チューブを指で直し、自室ーー監視室へ戻るとエスターに指で合図する

エスターは無言で車椅子を押してくれる。


父様の契約であり、責務でもあり、そして姉妹たちの“仕事”。


本来は父様がその大半を請け負うが……

姉妹たちも能力に応じて各地で討伐をしている。


そして。

私はそれを、監視と分析で支える役。


逃げられない代わりに、どこにも行けない代わりに。

痛みじゃなく嫉妬で肺が締め付けられる。


息を吸うたびに、酸素チューブが揺れる。

その揺れを見るたび、思い知らされる。


“私は戦えない”。


でも、だからこそ――


「(……もっと、効率的に。私がわざわざ走って伝えるなんて……アナログすぎる。)」


ブランシュは呑気に眠りに戻った。

でも小夜には、眠るどころかひとつの“答え”が生まれていた。


(……今回のはイレギュラーだったが各姉妹、父様へ、危険を“直接”知らせる手段が必要だ。遠隔で、即時で、確実に。)


私は静かに息を整え、揺れる胸の痛みを押し込んだ。


「 作るしかないわね。この身体のままでも……“できること”を。」


夜気の中、モニターの光が瞳に戻ってくる。

《隠者》のギフトが、再び静かに世界を開く。


クロウリー家に迫る影を、

今度こそ誰より早く気づくために。


自室へ戻る途中、車椅子の振動が胸の奥へじわりと染み込んでいく。



私たち姉妹が魔獣狩りのために造られた——

それは、理屈で言えば完璧に成り立つ。


魔力特性、身体的強化、ギフトの選別。

その全てが“用途特化型”だ。


「(父様にとって、私たちは道具……。優秀で、壊れにくく、役に立つように設計された。)」


物のように扱われた覚えはない。

むしろ父様は、誰より騒がしく、誰より楽しそうに、まるで“家族”を演じるように私たちへ愛情を向けてくる。


……だが。


「(あれはきっと、“成果物を愛でる科学者の顔”の延長なのだろう。)」


私には、そうとしか思えない。


誕生日を過剰に祝われた日も。

酸素の機械を新型に替えてくれた日も。

苦しい夜に手を握ってくれた日も。


「良い子に育ったなぁ! 最高だなぁ!」

と笑った父様の声が思い出に残っている。


——だがあの目は、

“成功した研究への満足”そのものだ、と私は解釈した。


「父様にとって私は“失敗作”でさえ、観察すべきサンプルで……決して“娘”ではない。」


この事実は私の胸の奥で静かに根を張り続けている。


「(だから私は、役に立たなければ。“造られた理由”を自分で証明しなければ。)」


そう思うことでしか、

自分の存在を肯定できなかった。


私は薄い唇を噛み、ゆっくりと自室の前に着いた。エスターが扉を開ける。モ二ターの光が、

いつもの“孤独な戦場”を照らし出す。


「(——今日も働かなくては。私にできる唯一のことで。)」


私の部屋は屋敷の中で最も静かだった。

窓を開ければ庭の草木が揺れる音すら聞こえるほどだ。


病弱な身体を包む毛布の上で、

私は淡々とキーボードを叩き続ける。


クロウリー邸全体に張り巡らされた魔術式・センサー・結界。

それらを再構築し、一本の“神経”として繋ぎ直すのが私、小夜の役目。


私は戦えない。

走ることもできない。

姉妹のように、美しく誰かを助けることもできない。



――だからこそこの座を自分がやる。

誰にも奪わせるつもりはない。


それが、私の嫉妬と誇りの混ざった静かな決意だった。コードを打ちながら私は姉妹の顔を思い浮かべる。

私の嫉妬は姉妹を捉えてはなさい彼女らの全てが嫉妬の対象だ




セラフィナは父を支える優秀な長女。

何を任せても落とさない。完璧で、息が苦しくなる。


朝霧は無邪気で、誰からも愛される。

“愚者”というギフトのせいで、永遠に子供のまま。

守られるばかりの存在に、小夜は羨望よりも刺すような痛みを覚える。


ブランシュは自由そのものだ。

魔獣を狩りに行き、笑い、血まみれのまま帰ってくる。

強くて、美しくて、誰も追いつけない。


マリーナは生まれつき魔術の天才。

努力する前から魔術が手のひらで踊る。

小夜が十日かけて到達する地点に、彼女は一夜で立つ。


オリーフィアは器用で、何でもこなす。

気付けば誰かの役に立っていて、自然と人に囲まれる。


アズラエルは幼いのに先を見通す目を持つ。

その存在自体が“未来”。


――眩しい。

彼女たちは全員、眩しすぎる。


だから小夜は言い聞かせる。

「私は私の役目を果たす」と。


病弱でも構わない。

クロウリー家の神経は、自分が握る。

作業に没頭していた時、

ノックもなく扉が開いた。




「小夜。なにしてるの?」


振り向くと、朝霧が立っていた。双子の片割れ私の中の姉

無邪気な笑み。白いワンピース。

変わらない、子供の姿。


「……見ての通りよ。警備の組み直し。」

「手伝えることある?」


小夜は一瞬だけ眉をひそめた。

“愚者”のギフトを持つ朝霧は、本人の意思に関係なく人に愛される。同時に、永遠に成長しない。純粋なままでいるよう願われた結果だ。


――何も知らないくせに、手伝えるはずないでしょ。


そんな言葉は胸の内に押し込み、小夜は微笑んだ。


「大丈夫。お姉ちゃんにはもっと大事な役があるでしょ?」

「わたしの……役?」


「皆に笑顔を配ることよ。それを出来るのはお姉ちゃんだけ。ほら、父様だってあなたが来ると嬉しそうでしょ?」


朝霧はぱっと顔を明るくした。


「うん! じゃあ小夜の邪魔しないね!」

「ええ。流石お姉ちゃん。」


小夜は優しく言ったが、心は冷たかった。


(……これでいい。ここは私の領域。誰にも触らせない。)


朝霧は軽い足取りで去っていく。

去り際、小夜の背中に視線を向けたように見えたが――

気のせいだと思った。


夜になり、システムの最終調整に入った時だった。

画面の一つが唐突に明滅した。


「……ログ再生?」


小夜は指を止める。


消去したはずの監視ログが、勝手に復元されている。

しかも――


「未来……?」


復元されたログの時刻は、

“今から数分後”。


あり得ない。

クロウリー家の技術にも、魔術体系にもそんな機能はない。


小夜は内部コードを開く。


そこには、人の手で書かれたような痕跡があった。


魔術でもない。科学でもない。

だが明確に“思考の癖”だけは感じられる。


「……これ……私に似ている……?」


でももっと速い。

もっと精確で、もっと深い。


小夜が十秒考える場所に、その誰かは一瞬で辿り着く。

ぞくり、と背筋が冷えた。


「誰?」


その瞬間、画面がざらりと揺れる。


闇の奥――

影が立っている。


光でもなく、体温でもなく、

ただ“存在”だけをこちらへ寄せてくるような影。


小夜が視線を向けると、

その影は逃げるように掻き消えた。


「……私に“見られて”消えたの……?」


彼女は息を呑んだ。

屋敷の外、夜の庭を

ひとつのてんとう虫が横切る。


Ladybird, Ladybird──逃げておいで。


胸の奥から、理由のわからない言葉が零れた。


「……逃げたいのは、どっち……?」


その問いに、暗闇は答えない。

しかし小夜は確信した。


“誰かがこちらを見ている”のではない。

 “こちらが見られるのを待っていた”。


さて 視線は ログを消したのは誰なんでしょうね


次回は次女 朝霧の話です。

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