What are little girls made of?
セラフィナ マリーナ そしてもう1人の母親 ルイの話です。
自分勝手で心が少女のまま大人になった 女 そんなイメージで書きました
輝くスポットライト 点滅するフラッシュ
舞台に上がれば溢れんばかりの喝采を浴びる
ーーー私はここで輝いている。
神崎ルイ 本名 「東原瑠衣」は15歳で芸能界にスカウトされモデルとして始まり19歳で舞台にたったその瞬間 、
自分が”選ばれる側の人間”だと理解した。
モデルでではない女優として
感情をのせた声が
仕草が
視線をひとつが人の心を動かす。
それを知ってからは、芸能界という海で溺れたことはなかった。
毎日のように浴びる喝采。
途切れないフラッシュ。
憧れと羨望の視線。
——私は、特別だ。
「海外撮影?私に?」
マネージャーの言葉に思わずそう返す。
「素晴らしい仕事を取ってきたんだ!」
声を弾ませるマネージャーに対し、
ルイはわずかに眉をひそめた。
今までも何回か行ったことのある海外撮影、特別めずらしいものでもないのでルイさマネージャーを睨む
「監督はこの間ヒット作出したあの方でその続編なんだけど!」
「ふぅん」
「なにより撮影場所が特別でね、滅多に公開されない場所なんだ!」
「それで?」
「話題性は抜群だよ!ヒット作の続編 希少な場所でのロケ地!みんな食いつく!」
「それでーーー」
ルイは静かに言った。
「それで、私は輝くの?」
一瞬の間。
それから、マネージャーは即座に笑顔になる。
「もちろんだよルイ!」
マネージャーは映画の台本と頼んだ硬水を置いて「絶対に輝く!」と言い切った。
それの言葉を聞いてルイは満足そうに唇をわずかに釣り上げた。
——そう。
私は、いつだって輝く。
撮影で訪れた古城は、思っていたよりも静かだった。
観光用に整えられた城とは違う。
人の気配を拒むような、冷たい石の匂い。
高い天井に、長い回廊。
差し込む光さえ、どこか慎ましやかで
「……綺麗」
思わず、そう零した。
この場所は、ただの“撮影地”じゃない。
長い時間を生きてきた、物語そのものだ。
私は、胸の奥がくすぐったくなるのを感じながら、
ドレスの裾を整え、視線を巡らせた。
——そして。
見つけてしまった。広間の端。
光の届かない影の中に、ひとり立つ男。
背が高い。黒に近い色の外套。
装飾のない、簡素な服装。
それなのに——
目が、離れなかった。
エメラルドのような緑の瞳。
宝石みたいに澄んでいて、冷たくて、深い。
肌は、化粧なんて必要ないほど、静かに光を帯びている。
「(……人、なの?)」
そんな馬鹿げた疑問が、浮かぶ。
彼は、こちらを見ていなかった。
誰かと話すでもなく、
スタッフに指示を出すでもなく、ただ、城を“見て”いる。
壁。
床。
天井。
まるで、生き物の体調を確かめるように。
「(……不思議な人)」
この古城の持ち主でかなりの富豪だと聞いていた。
それなのに、SPもいない。護衛も、取り巻きもいない。
ひとりで。
この古城の中に、立っている。
私は、気づけば一歩、近づいていた。
——この人、誰?
監督でもない。
スタッフでもない。
俳優でもない。
なのに、この城よりも、目を奪われる。
心臓が、変な音を立てる。
「(……あ)」
その瞬間、これは“出会い”なんだと、勝手に理解していた。
運命とか、
必然とか、
そういう言葉が、頭の中で勝手に並ぶ。
——私、今、恋をしてる。
彼は、相変わらずこちらを見ない。
視線を向ける気配すらない。
それでも。
「(大丈夫)」
私は、知っている。
——振り向かせる方法を。
舞台の上で、
カメラの前で、
何度も人の視線を奪ってきた。
きっと、この人も。
ヴィクターは、何度目か分からない確認を終え、城の中央で足を止めた。
「……壊されてはいないな」
もともと、この城を撮影に貸すつもりはなかった。
クロウリー家が所有する、フランスの古城のひとつ。
——それを、
「日本の人気映画の続編にどうしても使いたい」
そう、同じ魔術師仲間に持ちかけられたのが始まりだった。
最初は、即座に断った。
商業作品に、魔法を張り巡らせた城を使わせる理由はない。
だが。
「頼む。どうしても、ここじゃなきゃ駄目なんだ」
珍しく、彼は深く頭を下げた。
魔術師としてではなく、一人の人間として。
——それだけで、十分だった。
「……条件付きだ」
そう言って、承諾した。
魔法陣の反応は安定している。
結界に歪みなし。
外部からの干渉も、想定の範囲内。
——問題ない。
人間の数が増えたのは想定外だが、
撮影という名目なら、許容範囲だ。
ヴィクターは石壁に指を触れ、
古い刻印を、なぞるように視線で追った。
この城は、まだ健全だ。
傷ついていない。
壊されてもいない。
「……よし」
そのとき、背後から声がした。
人の声。
高く、よく通る。
振り返る前に、思う。
「(よく喋る人だな)」
城の空気を乱すほどではない。
害もない。危険も感じない。
——なら、無視する必要はない。
そう判断しただけだった。
「すごい……本当に、映画みたいな場所ですね」
声をかけた瞬間、彼がこちらを向いた。
——目が合った。
「(……綺麗)」
心臓が、跳ねる。
「こんな場所、どうやって見つけたんですか?私、海外ロケは何度も来てるんですけど、こんな“生きてる城”、初めてで……!」
一気に喋ってしまった。でも、止められない。
「石の色も、空気も、全部違う。きっと、長い時間、大事にされてきたんですね」
彼は、少しだけ視線を城に戻した。
「……傷つけないでくれるなら、それでいい」
低い声。感情の起伏が、ほとんどない。
「え?」
「撮影は構わない。だが、壁と柱には触れないでほしい」
「(……それだけ?私の事は、無視?)」
拍子抜けするほど、事務的。でも、私は笑った。
「大丈夫です!私、衣装や小物の扱いには慣れてますし、場所を大事にする撮影、好きなんです」
返事は、なかった。彼は、もう私を見ていない。
城の柱。
天井の影。
床に描かれた見たことない丸い模様。
「(……あ)」
それでも、私は続けた。
「私、神崎ルイって言います。今回の主演で——」
「知っている」
遮られた。一瞬、胸が高鳴る。
「……あなたは、有名だから」
それだけ。それ以上でも、以下でもない。
「……そう、ですか……」
それで、会話は終わった。
——終わったはずなのに。
私の中では、もう始まっていた。
撮影三日目の夜。
城から少し離れた、石畳の続く中庭。
ヴィクターは、一人で結界の再確認をしていた。
人の出入りが増えれば、魔法は必ず歪む。
それを修正するのが、貸主としての最低限の責任だ。
「……やっぱり、ここが薄いか」
指先で空気を撫でる。
光にならない程度の魔力が、静かに巡る。
「——やっぱり、いた」
声。
振り返ると、あの女優だった。
昼間よりも軽装で、無駄に目立つ。
「(……またか)」
「お仕事中?真面目ね」
返事をする義務はない。
だが、無視すると余計に話しかけてくるタイプだと、もう分かっている。
「確認作業だ」
「ふーん。城のお医者さんみたい」
的外れだが、訂正するほどでもない。
「ねえ、あなた」
距離が近い。一歩、踏み込んでくる。
「お名前、まだ聞いてない」
「……必要か?」
「必要よ」
即答だった。
沈黙。
ヴィクターは、ほんの一瞬考えた。
本名を告げる理由はない。
だが、偽名を使うほど警戒する相手でもない。
「……ヴァレンティノ」
「へえ。綺麗な名前」
評価するポイントが、いつも違う。
「ねえ、ここ寒いでしょ」
「そうでもない」
「嘘。顔がそう言ってない」
言っていない。
だが、訂正する気力が、少しずつ削られている。
「このあと、少し話さない?」
「断る」
即答。だが、ルイは引かない。
「大丈夫。変な話しないから」
「……それが信用できない」
くすっと笑う。
「ひどい。でも、正直ね」
沈黙が落ちる。風が石畳をなぞる。
ヴィクターは、ため息をひとつ吐いた。
「(……このまま拒み続ける方が、面倒だな)」
「五分だけだ」
「ほんと!?」
「五分だ」
それ以上は譲らない。
ルイは、勝ったと確信した顔で笑った。
話を聞いている間も、
彼の意識の半分は城にあった。
この女が、危険かどうか。
否。
魔法を乱す存在か。
違う。
ただ——
距離感が壊れているだけだ。
「(……厄介だが、害はない)」
そう判断した。それが、最初の間違いだった。
五分は、十分に過ぎた。だが、彼女は去らなかった。
「ねえ、また会える?」
ヴィクターは、少しだけ考えた。
断る理由はある。
だが、断る必要性は——薄い。
「……撮影が終わるまでは」
それだけ言った。ルイは、満足そうに微笑んだ。
「じゃあ、約束ね」
約束ではない。だが、彼は訂正しなかった。
——その小さな不精が、
やがて“娘”という形で残ることになる。
白いカーテン越しの光が、やけに眩しかった。
消毒薬の匂い。
規則正しい時計の音。
本来なら、ヴィクターはもう帰国しているはずだった。
撮影は終わり、古城の貸与契約も形式上は完了している。
がヴィクターは、結界の最終点検と書類上の立ち会いを理由に、帰国を延ばしていた。
それだけではない。撮影中から、ルイの魔力に、微かな違和感を感じ取っていたからだ。
妊娠だと断定はできない。だが、過去に何度も見てきた兆候と、よく似ていた。
医師の声が、少しだけ遠い。
「……妊娠されていますね」
その言葉が、遅れて胸に落ちてきた。
「……え?」
一拍。
次の瞬間、世界が弾けた。
「……っ、」
思わず、笑ってしまった。
声にならない笑い。胸がいっぱいで、息が苦しい。
妊娠。
子供。
――ヴァレンティノいや、ヴィクター。彼は何故か私と初めて会った時偽名を名乗った龍は分からないが本名を聞けて
やっと心を開いてくれたと思った。
横を見る。ヴィクターは椅子に腰掛けたまま、静かに医師の言葉を聞いていた。
驚いた様子はない。
声も上げない。
ただ。ほんの一瞬、目を伏せた。
それは、祈るようにも、耐えるようにも見えた。
「……」
長い沈黙のあと、彼は小さく頷いた。
「そうか」
それだけ。けれど、ルイは見逃さなかった。
その頬が、ほんのわずかに緩んだことを。
「(……喜んでる)」
胸が、じんと熱くなる。
「ねえ」
弾む声で、彼を見上げる。
「パパになるの、不安?」
自分でも、可愛い質問だと思った。
大人の男が、初めて父親になるときの、あの戸惑い。
ヴィクターは、少しだけ目を見開いた。
それから、ゆっくりと視線を逸らす。
「……そうだな」
短い答え。その横顔は、どこか遠くを見ていた。
喜びと同時に、深い影を落とすような、不思議な表情。
だが、ルイにはそれが見えなかった。
「(そっか……責任、感じてるんだ)」
そう、都合よく解釈した。
自分が選ばれた。
この人の“特別”になった。
それだけで、十分だった。
彼の手が、無意識に私のお腹に触れる。
それは、祈りにも似た動作だった。
「おめでとう、ルイ」
その言葉に、ルイの胸は一気に満たされる。
「でしょう!?私、ちゃんと女だったのよね!すごいと思わない?」
畳みかけるように喋る。
「ねえねえ、男の子かな?女の子かな?あなたに似てたら、絶対綺麗よ!名前、もう考えた?」
だが。
ヴィクターは、微笑んでいなかった。
喜んでいる。それは確かだ。
けれど、その瞳の奥に、深い影が落ちている。
それに気づいて、ルイは首を傾げた。
ヴィクターは内心は喜んでいただが同時に不安もあった。父になったことによる不安ではない。
だが、そんなことをルイ説明する必要はない。
「……大丈夫だ」
自分に言い聞かせるように、そう言った。
「今回は、違う」
ルイは、その言葉を自分と赤ん坊への信頼だと受け取ったようだ。
「でしょ?」
嬉しそうに笑う。
「私、ちゃんと産むわ!だって、あなたの子供だもの」
その言葉を聞いた瞬間、ヴィクターの胸に、地下の冷たい空気がよぎる。
——保存された、小さな棺。
——歪んだ身体。
——泣くこともできなかった命。
だが、それを口にすることはない。
「……ああ」
ただ、そう返した。
フランス クロウリー邸 迎賓用大広間
シャンデリアがいくつもぶら下がり、
豪華絢爛なインテリアが部屋のあちこちに飾られている。
長いテーブルには金の皿、銀のカトラリー。
使用人が、一人ひとりのグラスに高級なワインを注いで回る。
「また、女が孕んだそうだ」
「今度は日本の女優か」
「“器”としては?」
「血は入っている」
「だが、例の通りだろう」
皺だらけの顔が、いくつも歪んで笑う。
ナイフが肉を切り分ける。
赤い肉汁が、皿の縁に滲んだ。
「生まれない」
「生きない」
「価値はない」
「——もし、生きたら?」
一瞬の沈黙。
「その時は、その時だ」
「“使い道”を考えればいい」
誰かがワイングラスを傾ける。
祝福などない。期待もない。
ただ、“確認すべき事象”が一つ増えただけだった。
クロウリー家御用達の病院。
白を基調にした、静かすぎる個室。
産声は、小さかった。
けれど、確かに――そこにあった。
ヴィクターは、差し出された赤ん坊を受け取ると、
一瞬、動きを止めた。
腕の中。
小さな重み。
呼吸。
皮膚越しに伝わる、はっきりとした温度。
「……本当に、生きている」
誰に向けた言葉でもなく、祈りのように、呟いた。
「……暖かい……」
初めてだった。“生きたまま”生まれ、
今、この瞬間も呼吸をしている赤ん坊を抱くのは。
その表情は、クロウリー家当主でも、魔術師でもない。
ただの――父親だった。
「……可愛いな」
その声は、柔らかく、誰よりも優しかった。
ヴィクターが、赤ん坊を抱いたまま、
冷たく低く言った。
「……この後、家の者が来る」
「家の……?」
ルイが聞き返すより先に、彼は続けた。
「血筋とか、継承を管理している人間たちだ」
「君が気にする必要はない」
その言い方は、安心させるためのものではなかった。
——事実として告げただけだった。
扉の向こうから、
重たい足音と、香水の匂いが流れ込んで来ると同時に病室の扉が開いた。
「女か」
知らない老婆が開口一番にそう言った。
ルイは、きょとんとする。
意味が、すぐには飲み込めなかった。
ヴィクターは、赤ん坊から目を離さないが内心で、短く思う。
「(……ああ、来たよあのババァ)」
空気が変わる。
「……直系の子、だな」
年配の女が、値踏みするように言った。
「まあ……最初だ。仕方あるまい」
慰めるような声。
だが、その声音には、最初から納得などなかった。
「次があるでしょうね。男児が生まれることを望みますよ。」
当然のように。
そこに、ルイの意思が入り込む隙はない。
ヴィクターは、
赤ん坊の指が自分の指を握るのを見ていた。
小さな手。
確かな力。
——それだけで、十分だった。
だから、ルイの方を見なかった。
何も言わなかった。フォローもしなかった。
ルイは、ベッドの上で、黙ってそれを聞いていた。
舞台に立ってきた。フラッシュを浴び、拍手を浴び、
称賛は確かに自分に向けられていた。
それは、努力と才能の証だった。
けれど今、この場所で――
自分は、ただの「器」だった。
しかも。その器が、生んだものは。期待された形ではなかった。
誰も、ルイを見ない。誰も、労わらない。
祝福されているのは、
彼女ではなく。
——“次”の可能性だった。
その事実が、静かに、確実に、
彼女の自尊心を削っていった。
謎の老婆とヴィクターが帰った後
病室は、急に静かになった。
さっきまで漂っていた香水と他人の気配が消えて、残ったのは、消毒薬の匂いと、規則正しい機械音だけ。
ルイは、腕の中の赤ん坊を見下ろす。
小さな顔。
閉じた瞼。
規則正しい呼吸。
——生きている。
それなのに。ふと、頭の奥に、別の光景が浮かんだ。
暗転した舞台。スポットライトが一斉に灯る瞬間。観客の息を呑む気配。
一行目の台詞を口にした瞬間、世界が自分に集まる、あの感覚。
「(……あ)」
胸が、きゅっと締め付けられる。
「(……恋しい)」
それは、赤ん坊ではなかった。
舞台だった。
拍手だった。
自分が「選ばれる」あの時間だった。
ルイは、無意識のうちに、台本の一節を思い出していた。
——「私は、まだ終わっていない」
それは、かつて何度も演じた役の台詞だった。
なのに、その言葉が、今の自分に重なって聞こえた。
赤ん坊が、小さく身じろぎする。
ルイは、はっとして、抱き直す。
「……大丈夫よ」
優しい声。母親のような声音。
けれど、その目は、もう舞台を見ていた。
赤ん坊は、一時的に預けられた。
ほんの検査の間。ほんの数十分。
病室に一人になる。
ルイは、ゆっくりとベッドから降り、洗面台の前に立った。
鏡の中の自分。少し疲れている。
化粧は落ちている。
けれど。
「(……まだ)」
目が、死んでいない。
「(……いける)」
その確信が、胸の奥で静かに灯る。
「(私、まだ輝ける……!)」
その思いが、恐ろしいほど自然に浮かんできて、ルイは、否定しなかった。
翌日
携帯が震えた。マネージャーからだった。
「ルイ、体調はどう?」
「……大丈夫」
少しの沈黙。
「実はね、復帰作の話が来てるの」 「え……?」
「話題性もあるし、役もいい。出産の件は――公表しない方向で調整できそう」
その瞬間。胸の奥で、何かが跳ねた。
「(……舞台、空けたくない……私が消えたら、忘れられる!)」
それは、恐怖だった。母になる不安よりも、ずっと強い。
「……できるわ」
自分でも驚くほど、即答だった。
電話を切ったあと、ルイは、しばらく天井を見つめていた。
そして、ゆっくりと理解する。
自分は、「母」より先に「女優」なのだと。
赤ん坊は、守るべき存在だ。
でも、自分の人生の中心では、ない。
その事実が残酷なほど、しっくり来てしまった。
そのときだった。病室の空気が、わずかに歪んだ。
「……なるほど」
低い声。
気づけば部屋の隅に、あの老婆の一人が立っていた。
「君は、賢い選択をする」
逃げるより先に、言葉が落ちてくる。
「我々が育てよう。君は、産んだ。それで十分だ」
ルイは、何も言えなかった。そして、最後の一言。
「“産んだ女優”より、“産んでいない女優”の方が価値が高い」
それは、悪魔の囁きだった。
けれど、呪いのように、深く染み込んだ。
——ああ。
(そうか)
(私は、選べるんだ)
ルイは、赤ん坊を抱いた。
その顔を、じっと見つめる。
名前を、考えようとした。
けれど、言葉が浮かばなかった。
代わりに浮かんだのは、
次の舞台。
次の役。
次の喝采。
「……ごめんね」
その言葉は、赤ん坊ではなく、
自分自身に向けられたものだった。
名前をつける前に、
ルイは、赤ん坊を差し出した。
ルイは、舞台に戻った。
スポットライトの下で、再び輝いた。
ピークよりは少し弱くても、それでも、人々は彼女を見た。
そして――
ヴィクターは知る。なぜ、あの赤ん坊が、“あの連中”の手にあるのか。
問い詰める。怒りを隠さず。
答えを聞いたあと、ただ一言。
「ああ、そう」
興味は、そこにはなかった。
ヴィクターは、赤ん坊を奪い取るように抱き上げる。
小さな体。
確かな温度。
「……名前は?」
返事はない。
その夜、ヴィクターは書斎に籠もり、
本という本ををひっくり返しながら、名前を探す。
——今度こそ。
——今度こそ、この子は。
あの子を産んでから、七年。
クロウリー家の人間たちは、定期的に姿を見せた。祝福ではない。見舞いでもない。
——確認だった。
「次は、いつだ」
「身体は戻っているな」
「女優業は、控えめにしろ」
ルイは、曖昧に笑って、頷くだけだった。
評価されている、という感覚はあった。
ヴィクターの子供を産んだ女。
“器”としては、合格。
けれど、一年前。
その評価は、はっきりと色を変えた。
「お前の産んだ子供は、才能がなかった」
「……才能?」
思わず、聞き返した。
返ってきたのは、説明ではない。
「次こそは、男児を産め。それが、役目だ」
才能。
何の話をしているのか、分からなかった。
勉強が?
運動が?
それとももっと別のこと?
どんなに考えてもピンと来なかった。
ただ。
——圧だけは、確かにあった。
「(……また、期待されてる)」
それは、誇らしさではなかった。逃げ場のない、重さだった。
翌年。
ルイは、再びあの病院にいた。
白い廊下。
同じ匂い。
同じ個室。
違っていたのは。
——そこに、ヴィクターがいなかったこと。
知らせていない。知らせる必要がないと、言われた。
産声が上がる。
「……女児です」
その言葉に部屋の空気が、わずかに沈んだ。
あの老人達は、赤ん坊を見下ろす。
同じ反応。
同じ沈黙。
「……また、女か」
「この子は、クロウリー家には入れない」
即断だった。
「母親が育てろ」
「こちらで管理する価値はない」
ルイは、赤ん坊を抱いた。
小さな体。
柔らかい重み。
「(……私が、育てる……?)」
それは、決意というより、押し付けられた役割だった。
この子には、名前がある。ルイが、つけた名前。
——けれど、その名が公に呼ばれることはない。
こうして、ルイは、
女優業を続けながら、初めて“育児”というものに触れることになった。
だが——
泣き声の意味が、分からない。
抱き方が、分からない。
夜中に起きる理由も、分からない。
どうして泣いているのか。
何を求めているのか。
舞台の台詞なら分かる。
観客の反応も分かる。
でも。
この小さな存在は、
何一つ、教えてくれなかった。
愛せないわけではない。
憎んでいるわけでもない。
ただ。
どう関わればいいのかが、分からなかった。
それでも女優業と育児を両立させようと必死になった。
夜明け前に台本を読み、
昼は撮影、
帰宅すれば、泣き止まない赤ん坊。
身体は疲れているのに、
眠ると、置いていかれる気がした。
「(私が消えたら、忘れられる)」
だから、舞台に立つ。フラッシュを浴びる。
こうしないとルイは自分のい場所を奪われるような気がしていた。
その頃
七年前に生まれた赤ん坊は、「セラフィナ」と名付けられた。
それは、ヴィクターが三日三晩、眠らずに考えた名前だった。
意味も、由来も誰にも語られなかった。
ただ、彼にとっては、それだけで十分だった。
診断結果が、淡々と読み上げられる。
「魔法資質なし」
別の者が、事務的に続ける。
「加えて、女子です」
空気が、はっきりと冷えた。
「クロウリーの血が、薄まったな」
「女で、魔法もないとは」
「……期待しすぎたか」
価値を測る声。減点する声。
「……何を言っている」
ヴィクターが、遮った。
低く、静かな声だったが、確かに場を切った。
彼は、セラフィナを抱き上げる。
ぎこちない手つき。それでも、迷いはなかった。
「この子は、私の娘だ。それ以上でも、それ以下でもない」
セラフィナは、彼の胸元で、きょとんとした顔をしている。
その様子を見て、ヴィクターは、ほんの少しだけ笑った。
「魔法が使えなくてもいい。男じゃなくてもいい」
まるで、最初から問題ですらなかったかのように。
「元気に生きてくれれば、それでいい」
クロウリー家の人間たちは、黙り込んだ。
理解できない、という顔。
——価値の話をしているのに。
——なぜ、感情で返す?
その沈黙の中で、
ヴィクターは、ゆっくりと視線を上げた。
老人たちの顔。
計算する目。
測るような視線。
一人一人を、確かめるように、見ていく。
怒りはなかった。失望も、なかった。
ただ、「位置」を確認するような目だった。
次にヴィクターはセラフィナを見つめる
小さな身体。
まだ細い肩。
状況を理解できないまま、それでも静かにしている姿。
ヴィクターは自然な動作で、彼女頭を撫でる。
——この空間は、
——この子らにとって、健全ではない。
セラフィナは、何も言わず、彼を見上げている。
守られることを、疑いもしない目で。
その視線を受けて、ヴィクターの表情が、わずかに変わる。
柔らかさが消え、感情ではなく、判断の顔になる。
もう一度、老人たちを見る。
今度は、
“家族”を見る目ではなかった。
城の傷みを見つけたときと、同じ目だった。
——放置すれば、
——必ず、腐る。
彼は何も言わない。
だが、その沈黙は、
この場にいる誰よりも、はっきりしていた。
ヴィクターの腕の中で、セラフィナは、守られていた。
母親がいなくても。
価値を否定されても。
セラフィナは、確かに、幸福の中にいた。
一方で。
実の母であるルイは、
赤ん坊を前に立ち尽くしていた。
愛そうとしているのに、やり方が分からない。
選ばれ続けてきた女が、
初めて「正解」を与えられない場所。
——皮肉だった。
守られる娘と、舞台にしがみつく母。
同じ血を引きながら、
まったく違う場所に立っていた。
「……ちょっと、無理」
その結論は、早かった。
ルイは、ベビーシッターを雇うことにした。
最初のベビーシッターは、
高額な報酬と“有名女優の子供”という肩書きに惹かれてやってきた。
資格はある。履歴も、問題ない。
だが彼女は、赤ん坊ではなく、家を見ていた。
調度品を。
棚を。
引き出しを。
「さっすが女優!凄いブランドの数!アクセサリーもこんな豪華な宝石が沢山!!」
シッターの声に赤ん坊が驚いて泣き始める。
赤ん坊の泣き声が、次第に雑音になる。
「……うるさいわね!」
苛立った声。乱暴に抱き上げられ、
身体が、ぐらりと揺れる。
まだ首が支えられていない。息が詰まる。
——落ちる。
赤ん坊の中で、
それは“感情”ではなく、本能として浮かんだ。
——このままでは、死ぬ。
その瞬間世界が、歪んだ。
その日の夜。ベビーシッターは、
階段から転落して死亡した。
打ち所が悪かった。
ただそれだけの、不運な事故。
シッターの死亡は派遣会社から短くルイに伝えられた。
ルイは形式上のお悔やみを申しあげ
2人目のシッターを雇った。
二人目のベビーシッターも、
特別な理由があって来たわけではなかった。
派遣会社の名簿に載っていた。条件に合った。それだけ。
彼女は、殴らなかった。怒鳴りもしなかった。
ただ、世話をしなかった。
泣いてもすぐには来ない。
ミルクの時間はずれる。
オムツは、替えられるまでに時間がかかる。
「あとでね」
「今忙しいの」
その言葉が、何度も繰り返される。
手元には携帯電話。目線はテレビドラマ。赤ん坊の世話を積極的しようとはしなかった。
赤ん坊は、泣くことに疲れ始めていた。
喉が、渇く。
息が、浅くなる。
身体が、冷える。
——苦しい。
それでも、誰も来ない。部屋は静かで
赤ん坊の存在だけが、そこから少しずつ、削れていく。
——このまま、忘れられる。
——このまま、死ぬ。
その感覚は、
一人目の時よりも、ずっと長く、はっきりしていた。
そして。
部屋の空気が、きしんだ。
初めはカーテンが、風もないのに揺れる。次に棚の上の小物が、震え出す。
そして、重たい額縁が壁から外れて落ちた。床に叩きつけられ、大きな音が響く。
女が、悲鳴を上げる。
続けざまに椅子が倒れ照明が激しく揺れ、テレビが点滅する。引き出しが勝手に開く。
何かが、部屋を「拒絶」していた。
「……な、なにこれ……」
恐怖に引きつった声。
女は、赤ん坊に近づかなかった。
それどころか、後ずさり、ドアに手をかけ、そのまま部屋を飛び出した。
翌日。
二人目のベビーシッターは、
何も理由を告げずに、辞めた。
派遣会社に残されたのは、
「体調不良」の一言だけだった。
ルイは、理由が分からなかった。
三人目のベビーシッターは、
年配の女性だった。声は穏やかで、動作はゆっくり。抱き上げる手は慣れていて、泣けばすぐに気づき、理由も探る。
「大丈夫よ」
「ちゃんと、ここにいるからね」
その言葉通り、彼女は赤ん坊を見る人間だった。ミルクも、体温も、小さな呼吸の変化も。赤ん坊は初めて、安心して眠った。
だからこそ。
その日、外に出たのは、ほんの気まぐれだった。
ベビーカーでの散歩。日差しは柔らかく、人通りも多くない道。
「いいお天気ね お日様が気持ちいいわね」
そうシッターが赤ん坊に語りかける。
赤ん坊は「あぶあぶ」と何か答える。
平和な景色。まさにそう呼べるものだった
だが、
それは突然やって来た。
「——神崎ルイさんのお子さんですよね?」
カメラ。
マイク。
距離を詰めてくる、知らない顔。
年配のシッターは、すぐに理解した。
「すみません、関係ありません。お答えできません」
彼女は、ベビーカーを押して、立ち去ろうとした。
だが。
「ちょっと待ってください!父親は誰なんですか?」
誰かが、ベビーカーを掴んだ。
止める力。急激な衝撃。慣性で、
中の赤ん坊の身体が、大きく揺れる。
視界が、ぶれる。
頭が、叩きつけられる。
——危険。
——殺される。
その認識は、
もはや直感ではなかった。明確な判断だった。
次の瞬間まるで、指先で虫を潰すように。
——ぐしゃり、と。
一人の頭部が、原型を留めない形で崩れ落ちた。血が、飛ぶ。
悲鳴が、途中で途切れる。
命令信号を失った手足がまさに虫のようにバタバタと動く。
年配の女性は、その光景を、はっきりと見てしまった。悲鳴もあげられず呆然と見ていた。
一方赤ん坊は、ベビーカーの中で、静かだった。
まるで、「もう大丈夫」とでも言うように指をしゃぶり 満足気な顔をしていた。
その日以降。
三人目のベビーシッターは、
辞めた。理由は、
一言だけだった。
「……事故に、巻き込まれました」
それ以上は、何も語らなかった。
ルイは、頭を抱えていた。
三人目までが、あまりにも短期間で辞めている。
理由は、揃って曖昧だった。
「不慮の事故」
「体調不良」
「事故に巻き込まれた」
どれも、それ以上追及できない理由。
共通点が見つからない。決定的なトラブルの報告もない。
なのに、人だけが消えていく。
ベビーシッターの派遣会社からの報告は、すべて事務的だった。
詳細は伏せられ、
「問題はありませんでした」とだけ添えられている。
ルイの耳に入ったのは、“交代が必要になった”という結果だけ。
しかしルイには育児に専念するという考えはなかった。 女優業を優先したい
忘れられたくない 脚光を浴び続けたい
そんなエゴでまた シッターを雇う。
今度は 先輩女優から教えてもらった芸能界御用達のベビーシッター派遣会社から
派遣されたベビーシッターは若く 最初は直ぐに辞めるのではないかとルイは不安に感じだが とても丁寧で優しく甲斐甲斐しく赤ん坊の世話を焼き よく赤ん坊を抱っこしていた。その姿はまるで本物の母親のようだった。
だからルイは油断した。
全てこのシッターに任せれば問題なしだど思っていた。
その深夜、ルイは自宅でパーティを開いていた。
今日は、そういう夜だ、と。
仕事は順調だ。役の話も、以前よりも大きな役が多くなった。自分でプロデュースした化粧品も売り出した。
——全てが軌道に乗って来たところだった。
だから。若い男たちを呼んだ。
売れ始めた俳優。モデル。名前だけ知っている顔。
自分を見上げる視線が欲しかった。
称賛が欲しかった。自分を癒して欲しかった。
「まだ価値がある。もっと輝ける」と、確かめたかった。
子供?
ベビーシッターがいる。
もう寝ているはず。
問題ない。
そう、判断した。
酒と、甘い匂い。音楽。笑い声。
久しぶりに、世界が自分を中心に回っている感覚。
その中に、
少し調子に乗りすぎた男がいた。
新人俳優。
最近、名前を見かけるようになった顔。
酒も、薬も、かなり入っていた。
「トイレ、どこっすか」
ふらつきながら、廊下の奥へ消えていく。
誰も気にしなかった。ルイも、見なかった。
——次に聞こえたのは。
何かが、壊れる音。
グラスじゃない。家具でもない。
パキパキ、ベキベキ ゴキゴキ 嫌な音がする。
ふと、その音に笑い声が、止まる。
「……なに?」
廊下の奥。子供部屋の方。
嫌な予感、というより、“考えたくない”という拒否感。
ドアは、開いていた。
見えた瞬間。脳が理解が、追いつかなかった。
床に、赤黒いもの。
濡れて、広がっている。鉄の匂い。
そして、
“それ”。
人だったはずのもの。でも、人の形をしていない。
倒れてもいない。立ってもいない。
捻れている。荒縄みたいに。
関節も、胴も、首も、
全部、用途を失ったみたいに。
「……なに、これ」
声が、出なかった。
ベビーシッターが、そこにいた。
蒼白で、震えている。
腕の中には——
娘。
静かだった。泣いていない。目も、動かしていない。
ただ、その“変な形”を、ぼんやり見下ろしている。
男は、動かない。息も、していない。
「……触られそうに、なって……」
シッターが、壊れた声で言う。
「私を……奥様が呼んだ人だと……」
意味が、繋がった瞬間。
——ああ。
判断力を失った男。間違えた部屋。間違えた相手。
そして。起きてしまった、“結果”。
ルイの喉が、ひくりと鳴った。
「……事故よ」
誰に言ったのかも、分からない。
「酔ってたんでしょ?薬も……やってたんでしょ?」
自分に、そう言い聞かせる。
シッターはうわ言のように赤ん坊を抱き抱えながら
「大丈夫です大丈夫です……だい、大丈夫だから……ね……」
と言い続ける。
ルイはそこで呆然と立ちすくんでいた。
気がついたら黒い服の人間たちが来ていた。
「急性アルコール中毒」
「転倒」
「不運な事故」
“荒縄状”のことは、口に出されない。
薬物の話も、表には出ない。
全部、消える。そういう世界だと、ルイは知っている。
でも。
翌日から。世界は、優しくなかった。
自宅前に、マスコミ。連日の取材。
「何か関係があるのでは?」
脚光は、確実に落ちていく。
その日から、ルイは一つの結論に辿り着いた。
——あの子は外に出してはいけない。
それは、愛情からではなかった。守ろうという覚悟でもなかった。
ただの、恐怖だった。
あの夜の光景が、頭から離れない。
壊れた人間。血の匂い。
そして、静かすぎる赤ん坊。
「(……また、起きたら……)」
そう思うだけで、喉が締めつけられる。
世話をする人間はもう呼ばなかった。
呼べなかった。代わりに、
部屋を決めた。子供部屋。
窓は高く、外は見えない。
鍵をかけるわけではない。
だが、誰も入らない。
必要なものは、すべて揃えた。
清潔なベッド。
ミルク。
服。
玩具。
“環境”としては、問題がないように。
——そう、思い込もうとした。
ルイは、そこに長く居なかった。
顔を見れば、思い出してしまうから。
あの夜を。あの死体を。
だから、距離を取った。
仕事がある。取材がある。役がある。
言い訳は、いくらでもあった。
成長は早かった。言葉も表情も。
だが、それを知ったのは、カメラ越しだった。
ベビーモニターの、白黒の映像。
——ちゃんと、生きている。
それだけ確認できれば、
それでよかった。抱き上げることはなかった。外に連れ出すこともなかった。
この子は危険だ。自分も危険が及ぶかもしれない。
だからこの家の中で。この部屋の中で。
——それが、一番安全。
そう信じた。その“安全”が、
六年分の時間を奪ったことに。
六年後。
屋敷の廊下に、重たい靴音が響いた。
玄関が開くより先に、ルイは分かった。
――来た。
ようやく、来た。
「ヴィクター……!」
縋りつくように駆け寄る。六年
長かった待った耐えた。愛しい人。
やっと、迎えに来てくれたのだと、そう思った。
けれど。
彼はルイを見なかった。
視線を一度も寄越さないまま、まっすぐ子供部屋へ向かう。
そこには、ベビーベッドの上に、ひとりの少女がいた。
5、6歳ほど。成長した体に対して、あまりにも不釣り合いなベビーベッド。
膝を抱え、遠くを見つめている。
何も映していない目。
ヴィクターは、迷いなく彼女を抱き上げた。
軽い。
人形のように、抵抗がない。
「……ごめんね」
低く、優しい声。
「家の掃除に、六年もかかってしまった」
少女は答えない。ただ、彼の胸元に顔を埋めた。
「今日から、パパと暮らそう」
その背後で、ルイの声が弾ける。
「〇〇!!何してるの!? その人から離れなさい!!」
必死だった。母として。
――いや、母である“はずの女”として。
その場所は自分が居るべき場所だと主張するように。
ヴィクターは、ふと首を傾げた。
「〇〇……?それが、君の名前なの?」
少女は、目を伏せたまま。視線を合わせない。
合わせないように、意識しているかのようだった。
一瞬の沈黙。
ヴィクターは、淡々と続ける。
「良くない名前だ。新しく付けてあげる」
彼は、少女の顔を覗き込む。
「――マリーナ」
少女が、ぴくりと反応した。
「イタリア語で“海”を意味する。君の青い瞳に、よく似合う」
その瞬間。初めて、ヴィクターを見る。
言葉はない。
けれどその瞳は、確かに揺れた。
――それだけで、十分だった。
ヴィクターは踵を返す。
「待って!!」
ルイが、再び足に縋りつく。
「私は!?私は、どうなるの!?」
必死な声。置いていかれる恐怖。
ヴィクターは、一瞬だけルイを見る。
だが、その視線に感情はなかった。
すぐに視線を戻し、玄関に控えていた使用人たちに命じる。
「この子に必要な書類を持ってこい。今すぐだ」
それだけ。ルイには、何も言わない。
そして、去っていく。
少女を抱いたまま。
何事もなかったかのように。
扉が閉まる。音が、完全に消える。
残されたのは――
広すぎる部屋と、ルイひとり。
「(……どうして)」
ルイは、その場に立ち尽くす。
「(どうして、こんなことに)」
産んだ。
耐えた。
仕事も続けた。
全部、ちゃんとやってきたはずなのに。
「(私は……被害者じゃない)」
選ばれた女だった。輝いていた。
愛されたはずだった。
「(なのに、どうして……)」
子供だけが愛されてる。
愛する人にヴィクターに背を向けられた。
――悲劇だ。
これは、間違いなく。
「(私、可哀想じゃない……?)」
胸が、きゅっと締め付けられる。
涙が、自然に溢れてくる。
(誰も、私を見てくれない)
(あの子のことばかり)
(私だって、傷ついてるのに)
鏡に映る自分を見る。
泣き顔。
それでも、整った輪郭。
「(……まだ、いける)」
そう思った瞬間、胸の奥が少し軽くなる。
(私は、終わってない)
(まだ、舞台に立てる)
(まだ、スポットライトを浴びられる)
――そうだ。
悪いのは、全部、運命だ。周りだ。
理解しなかった世界だ。
私は、悪くない。何も変わっていない。
変わる必要なんて、なかった。
その考えに縋るように、
ルイは、静まり返った家に一人、立っていた。
ルイは、舞台に戻った。最初は小さな役だった。
けれど、話題性は十分だった。
――“あの事件”の女優。
――“子供を失った悲劇の母”。
噂は、勝手に脚色されていく。ルイは訂正しない。否定もしない。ただ、微笑んで受け入れた。
拍手。
フラッシュ。
称賛の言葉。
「強い女性ですね」
「乗り越えたんですね」
その度に、胸の奥が、くすぐったくなる。
(そうよ)
(私は、可哀想で)
(それでも、前に進んでる)
そう思える瞬間だけが、ルイを生かしていた。
子供の部屋は、閉め切られたまま。
ベビーベッドも、そのまま。
埃が積もっても、気にしない。
まるで――
最初から、存在しなかったかのように。
忘れたわけじゃない。
ただ、思い出す必要がなかった。
(また輝けば、迎えに来てくれる)
(私が、価値ある女だって思い出せば)
そう信じて、ルイはスポットライトの中に立ち続つた。
その姿は、まるで少女だった。
拍手を求めて、笑顔を貼り付ける。
何も学ばないまま、年だけを重ねた少女。
2年後
楽屋の前に、男が立っていた。
長身。黒い外套。緑色の瞳。見慣れすぎた顔。
「……ヴィクター!」
ルイは、確認するように名前を呼ぶ。
男は、否定しなかった。ただ、静かに頷く。
それだけで、十分だった。
「迎えに来てくれたのね!」
縋るような声。男は何も言わない。
沈黙を、肯定と受け取るには、
ルイはあまりにも疲れきっていた。
「私、ちゃんとやってきたでしょう?」
舞台の話をする。
拍手の話をする。
まだ輝いている、自分の話を。
男は、ただ聞いている。相槌も、否定もない。
ただ今までないくらい優しい瞳でルイを見つめている
「あぁ……ヴィクター!!会いたかった!!」
ーーーイタリア某所 クロウリー邸
クロウリー邸は広かった。
白い廊下。
高い天井。
声が、やけに遠くに響く。
マリーナは、黙って歩いていた。
抱き上げられても、手を引かれても、
特別な反応はない。
怖くもない。安心もない。ただここに来た。
それだけ。
最初に紹介されたの同じ母を持つ姉だった。
「……セラフィナ様です」
使用人にそう紹介される。
同じ血。
同じ顔立ち。
同じ青い瞳。
マリーナは、ちらりと見ただけだった。
興味が、湧かない。
姉がいるという実感もない。
家族という言葉も、まだ意味を持たない。
セラフィナが何か言おうとしても、
マリーナは、もう視線を外していた。
それで終わりだった。
使用人たちは、距離を取った。
声を落とし、動きを慎重にし、必要以上に触れない。
――人を、三人殺した子供。
その事実は、屋敷の中で共有されていた。
腫れ物。
危険物。
管理対象。
だが、マリーナ自身は、それを気にしない。
怖がられているとも避けられているとも、思わない。
どうでもよかった。
必要なのは、名前と居場所だけ。
それ以外に、欲しいものは、まだなかった。
ルイは、再び身籠っていた。
相手の名は、確かめなかった。
確かめる必要も、感じなかった。
――迎えに来てくれた。
それだけで、十分だった。
今度こそ。今度こそ、間違えない。
お腹の中にいると知った瞬間、
ルイの世界は、再び輝きを取り戻す。
医師の言葉は、祝福だった。
「男の子です」
その一言で、胸が満たされた。
望まれていた。求められていた。
期待に、応えられた。
クロウリー家が欲しがっていたもの。
“正解”のかたち。
それを、自分は産めるのだと。
ルイは笑った。
泣いた。
そして、確信した。
――私は、まだ必要とされている。
この子は、失敗させない。
クロウリー家にヴィクターに迎えに来てもらえる為に、間違いなんておかしてはならない。
愛しているから。
守りたいから。
そう言い聞かせながら、
ルイは、管理を始めた。
時間。
接触。
視線。
声。
過剰なほどの配慮。
過剰なほどの確認。
それは、母性というよりも、恐怖に近かった。
――否定されたくない。
――「また失敗した」と思われたくない。
無事、生まれた男の子に、
ルイは名を与える。
「累都」
自分の名を、分け与えるように。
祝福の中で、
期待の中で、
拍手の中で。
ルイは、さらに壊れていった。
累都は、泣く前に起こされる。
「もうすぐ起きる時間だから」
ルイはそう言って、まだ眠りの底にいる子供を抱き上げる。
睡眠時間は、決められている。
食事の時間も、量も、栄養も。
医師と栄養士が決めた“最適解”。
甘いものは禁止。
刺激になる言葉は禁止。
泣くのは、「感情が乱れている証拠」。
「どうして泣くの?」
「理由がないなら、泣いちゃだめ」
そう教えられる。褒める時も、条件付きだった。
「いい子ね」
「ママの言う通りにできたから」
逆に、少しでも予定から外れると、
ルイの声を荒らげる。
「それは、違うわ」
「そんな風に考えちゃだめ」
選択肢は、与えられない。“正解”だけが、置かれている。
服も、友達も、遊びも。
すべて、ルイの目が届く範囲。
累都は、学んでいく。
――考える前に、顔色を見ること。
――欲しいものより、求められているもの
を選ぶこと。
――「自分」を、後回しにすること。
それが、母ルイに愛され続けるための条件だった。
一方で。
クロウリー邸の庭を、マリーナは一人で歩いている。
行き先は、決まっていない。
時間も、制限されていない。
「お嬢様、危のうございます」
使用人が声をかけても、彼女は振り向かない。止められないことを、使用人達は知っている。
食事は、用意される。
だが、食べるかどうかは、本人次第。
眠くなったら、眠る。
起きたら、起きる。
誰も感情を矯正しない。
誰も「正しい反応」を求めない。
泣かなくても、咎められない。
笑わなくても、叱られない。
「……興味、ない」
それが、マリーナの口癖だった。
人にも。
物にも。
評価にも。
姉であるセラフィナに対しても、同じ。
同じ血。
同じ父。
それ以上の意味を、マリーナは見出していなかった。
自由だった。だがそれは、
守られている自由ではない。触れられないように距離を取られているだけ。
“怪物”として扱われない代わりに、
“子供”としても扱われない。
——その時。
「マリーナ」
低い声が、庭に落ちた。彼女は、初めて足を止める。
振り向くと、そこに立っているのは、父だった。
黒い外套。
無駄のない佇まい。
視線は、真っ直ぐに彼女だけを見ている。
使用人たちが、反射的に一歩下がる。
空気が、変わる。
ヴィクターは、何も言わずに近づいて膝を着く。彼女と同じ高さまで目線を落とす。
「寒くないか」
それだけだった。
マリーナは、少し考えてから首を横に振る。
「そうか」
ヴィクターは、それ以上聞かない。
叱らない。
笑わせようともしない。
ただ、外套を外し、彼女の肩にかける。
大人用のそれは明らかに大きすぎて裾が地面を擦った。
使用人が、息を呑む。
「……歩くなら、一緒に行こう」
命令でも、提案でもない。
当然のことのような口調。
マリーナは、答えない。けれど、逃げもしない。
ヴィクターが歩き出すと、
少し遅れて、彼女も隣を歩き出した。
距離は、半歩分。触れてはいないだが、離れてもいない。
使用人たちは、
その後ろ姿を、言葉もなく見送る。
——あれほど近づけなかった子に、
——あれほど触れなかった存在に。
父だけが、当然のように手を伸ばしている。
守られている自由。
甘やかされているのでもない。
管理されているのでもない。
ただ、「選ばれている」という距離。
それでも、マリーナは、息がしやすかった。
舞台は、静かな家庭の居間だった。
柔らかな照明。 木の椅子。 食卓の上には、作り物のパンとスープ。
ルイは、舞台の中央に立っている。
腕の中には、 “子供役”の小さな役者。
台本通りに、彼女は微笑む。
「大丈夫よ」 「ママがいるわ」
その声は、優しく、慈しみに満ちていた。
客席が、息を呑む。 誰かが、小さくすすり泣く。
——いい母親だ。
——なんて愛情深いんだ。
そんな感想が、空気の中に満ちていく。
ルイは、子供を抱きしめる。 背中を撫でる。 守るように、包み込む。
完璧だった。 一分の隙もない、“母”の演技。
幕が下りた瞬間、 割れんばかりの拍手が起こる。スタンディングオベーション。
「神崎ルイ!」 「神崎ルイ!」
名前が、呼ばれる。ルイは、深く一礼した。 胸に手を当て、感極まったような表情を作る。
——やっぱり、ここだ。
楽屋に戻り、 鏡の前に立つ。照明を落とした顔。 少しだけ疲れているが、 それでもまだ、美しい。
「……まだ、いける」
そう呟いて、 口紅を引き直す。
ふと、 理由の分からない胸のざわめきがあった。
子供。 泣き声。 小さな手。一瞬だけ、何かが脳裏をかすめる。けれど、ルイは首を振った。
——今は、違う。
——今じゃない。
迎えは、まだ来ていないだけ。
自分は、 選ばれる女だ。
母である前に。 誰かを守る前に。
——光の中に立つ存在なのだから。
再び拍手が鳴る。 スタッフが呼びに来る。
ルイは、微笑んで立ち上がった。
まるで、 子供など、最初から存在しなかったかのように。
幕が下りた、その夜。
遠く離れた場所。
広すぎる机の上に、封筒が一通、置かれている。
差出人は、決まっていた。
東原瑠衣。
――弁護士経由。
ヴィクターは、無言でそれを開いた。
中身は、いつもの書式。いつもの言葉。
『私、東原瑠衣は、貴殿ヴィクター・ファウスタス・クロウリーに対し、
未成年時におけるセラフィナ及びマリーナの親権について、
形式上放棄する旨の最終確認書類を送付いたします。
ご捺印の上、返送願います。
なお、当該件につき、直接の面会は一切希望いたしません。 以上』
淡々とした文章。
感情は、削ぎ落とされている。
けれど、ヴィクターには分かっていた。
――これは拒絶ではない。
――距離を取っているつもりの、祈りだ。
彼女は「会いたくない」のではない。
「会う資格がない」と、思い込んでいるだけだ。
ヴィクターは、ペンを取らない。
返事は、出さない。
それでも、この手紙は終わらない。
数か月に一度。役が決まった時。舞台が成功した時。名前が、また世間に響いた時。
同じ文面で。
同じ距離感で。
――私は、まだ、あなたに会える場所を目指しています。
そう言外に滲ませながら。ヴィクターは、封筒を閉じた。他の書類と同じように、静かに重ねる。
その向こうで、世界は回り続ける。
光の中で、母を演じる女。
母であることから、逃げ続ける女。
彼女は、まだ信じている。輝き続けていれば、いつか迎えが来るのだと。
王子は、スポットライトの先に立っているのだと。
――それが、
もう二度と来ないものだとも知らずに。
はたして、ルイに逢いに来たヴィクターはヴィクターなのか。
あまり累都への過保護描写を激しくするとどっかの寮長の母親みたいになるので抑えてますが 彼女はかなり酷いもんです。




