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Humpty Dumpty

クロウリー家末弟のアズラエルの話です。

彼はぼんやりふんにゃりボーイなので今から通う学校が合うか不安ですね。


黒塔学園の正門は、朝の光を受けても重かった。

石造りの門柱。校章。

磨かれすぎて逆に冷たい大理石の床。

通学時間だというのに、生徒の足音は不思議と揃っている。

笑い声は少ない。雑談はあっても、声量は抑えられていた。

アズラエル・ヴァイスは、その流れの中に少し遅れて立っていた。

肩にかけた鞄を両手で持ち、背中をわずかに丸めている。 背は高い。体格もいい。 それなのに、視線はいつも少し下を向いていた。

「……ここ、だよね」

確認するように校門を見上げ、小さく呟く。 声は低いが、張りがない。

案内役の教師が振り返った。


「ヴァイス君、緊張しているかね?」

「……はい。少し」


正直に答える。 取り繕うことはしない。

教室に入ると、空気が一段階、静まった。


転入生。

それだけで注目されるが、ここでは別の意味を持つ。

教師が黒板に名前を書く。


――アズラエル・ヴァイス


「では、自己紹介を」


アズラエルは一瞬、躊躇った。 だが言われたことから逃げることはない。

前に出る。

視線が集まる。 値踏みする目。 興味と無

関心が半々。


「……ヴァイス、アズラエルです」


低く、控えめな声。


「海外から来ました。運動は、あまり得意じゃありません。勉強は……普通、だと思います」


一通り言い終え、アズラエルは一度だけ教室を見回した。

誰とも、目が合わない。

合わないように、されている。


「(……あれ?)」


胸の奥に、ほんの小さな引っかかりが生まれる。それでも――

日本の学校が初めてなのは事実だ。 だから多少、反応が遅れるのは仕方ないと思っていた。

けれどこの沈黙は、 「様子見」というより―― 値踏みに近かった。


「(質問、来ないんだ)」


普通なら、どこから来たのか。 どの国にいたのか。 何が好きなのか。

少しくらい、教師が促してもいいはずだった。

だが、教師は黒板に向き直り、淡々と続ける。


「では、席に着きなさい」


それだけ。

アズラエルは一瞬だけ口を開きかけて、閉じた。


「(……いいのかな)」


自分から何か付け足すべきか。 それとも、余計なことか。

判断がつかない。

結局、言われた通りに席へ戻る。

席に向かう途中、視線を感じる。

前から、横からで。 斜め後ろから。

椅子を引く音。 床に触れる足の感触。

やけに、よく響く。


後方の席から、ひそひそと声が漏れた。


「日本の学校初めて、って」

「じゃあ基準分かってないよな」

「……点数つけづらくない?」


点数。

その言葉だけが、耳に残る。

アズラエルは、気づかないふりをして前を向いた。


「(……あ、そうかここ、点数で見るんだ)」


運動。 学力。 家柄。 態度。

全部、見られて、並べられて。

そして―― 何者か分からないものは、下に置かれる。

そんな空気を、肌で感じる。

黒板の前では教師が時間割を説明している。 生徒たちは黙ってノートを取っている。

誰一人、質問しない。


「(……静かすぎる)」


アズラエルは、再びそう思った。

騒がしいのが好きなわけではない。 だがこの静けさは「秩序」ではない「圧」だった。

息を潜めるような。 失点を恐れるような。


それでも彼は、背筋を伸ばした。

逃げる、という選択肢は最初からない。

分からないなら、観察する。 理解できないなら、聞く。

それが教えられてきたやり方だった。




教室の扉が、ノックもなく開いた。


「失礼します」


低く、通る声。

全員が、反射的に背筋を伸ばす。

入ってきたのは、 制服を寸分の乱れもなく着こなした上級生。

胸元には、生徒会章。


「生徒会長の、鷹宮だ」


教師が一言添える。

その瞬間、 教室の空気が変わった。

緊張ではない。 服従に近い静けさ。

鷹宮は教卓の前に立ち、 教室を一巡だけ見渡す。

視線は冷静で、感情がない。


「転入生が来たと聞きました」


アズラエルのところで、視線が止まる。

ほんの一瞬。 だが、逃げ場がない。


「ヴァイス・アズラエル君」


名前を、正確に呼ばれる。


「黒塔学園へようこそ」


口調は丁寧だが、 歓迎の響きはなかった。


「この学園は、才能を正しく導く場所です。同時に才能のない者に、幻想を与えない場所でもある」


教室が、しんと静まり返る。


「「成績」 「態度」 「規律」 「貢献」それらはすべて、記録され、評価されます」


鷹宮は、淡々と続ける。


「優劣は明示されませんしかし、存在しないわけでもない」


薄く、笑った。


「それを理解できる者だけが、この学園に残る」


その視線が、再びアズラエルに向く。


「君も、例外ではない」


責める口調ではない。 だが、逃げ道もなかった。

アズラエルは、素直に頷いた。


「……はい」


即答だった。

それに、鷹宮はわずかに目を細める。


「放課後、学園内を案内する。黒塔学園の“ルール”を、実際に見てもらおう。では、失礼」


そう言って、踵を返す。

扉が閉まった瞬間、 教室の空気が、ほんの少しだけ緩んだ。


「(……なるほど)」


アズラエルは、静かに思う。


「(ここは、ちゃんと“強い人”がいる場所なんだ)」


怖い、とは思わなかった。 むしろ、分かりやすい。

だが同時に、 胸の奥に、説明できない違和感が残った。


「(……大丈夫かな、僕)」





放課後。

アズラエルは、生徒会長・鷲宮の少し後ろを歩いていた。

廊下は広く、磨き上げられている。 掲示物は多いが、どれも整然としていた。


「まず、ここだ」


鷲宮が立ち止まったのは、 中央棟の吹き抜けに面した巨大な掲示板だった。

アズラエルは、思わず足を止める。


「……成績表?」

「正確には、評価一覧だ」


掲示板には、学年・クラスごとに名前が並び、 その横に数値と記号が記されている。順位はない。 だが――


「(……並び順、上から……?)」


気づいた瞬間、背中が少し冷えた。


「A、B、C……」

「クラス内の相対評価だ。掲示は義務ではないが、異議も認められない」


淡々とした説明。

周囲には生徒がいる。 だが誰も掲示板を見上げていない。


――もう、見なくても分かっている者たち。


「この掲示板は、序列を“示す”ためのものではない」


鷲宮はそう言ってから、続けた。


「“確認”するためのものだ」


アズラエルは、黙って頷いた。


「(……分かる人だけ分かれ、ってことか)」


次に案内されたのは、校内のいくつかの区画。

部活動棟。 特別教室。 生徒会専用フロア。

同じ制服。 同じ校舎。なのに、 通る場所によって、生徒の雰囲気がまるで違う。

声の大きさ。 歩き方。 目線。


「(……空気が違う)」

「ここから先は、原則として許可制だ」


鷲宮が指したのは、特別教室棟の奥。


「評価A以上の生徒が主に使う」

「……使えないと、どうなるんですか」


アズラエルは、素直に尋ねた。

鷲宮は一瞬だけ、こちらを見る。


「不便になるそれだけだ」


それ以上は、言わなかった。


廊下を進む。


その途中。


――ドン。


鈍い音。

アズラエルは、反射的に足を止めた。

視線の先。 ロッカールーム付近。

数人の生徒が、誰かを囲んでいる。


「……生意気なんだよ!!」

「口だけは一丁前なんだな!」


低い、嘲る声。

その中央。ロッカーに背中を叩きつけられている少年がいた。


「(……)」


細身。 眼鏡。 制服は乱れていないが、手に持っていたノートが床に落ちている。

少年――累都(ルイト)は、歯を食いしばって何も言わなかった。


「成績いいからって調子乗るなよ」

「点数でしか喋れないくせに」


拳が腹に入る。鈍い音。

アズラエルの足が、一歩前に出かけた。

そのとき。


「見るな」


低く、静かな声。鷲宮だった。

アズラエルは、思わず振り返る。


「……止めないんですか」

「規則違反ではない」


即答。


「暴力は記録される。だが、被害者が“問題児”である場合、評価は相殺される」

「……問題児?」

「優秀すぎる生徒は、軋轢を生む。それも“適性”の一部だ」


鷲宮は、視線を逸らさずに言う。


「黒塔学園は、平等を教える場所ではない」


その言葉の意味が、 嫌というほど分かった。

囲まれている少年が、 助けを求めるような目をしているように見える。

だが、誰とも目が合わない。合わないように、されている。


「(……)」


アズラエルの胸の奥で、 何かが、静かに固まった。


「……すみません」


鷲宮が言葉を返す前に、 アズラエルは歩き出していた。


「ヴァイス君」


呼び止める声。だが、止まらない。

アズラエルがロッカールームの前に立つ


ロッカールームの空気が、ひとつ軋んだ。


「……何だよ」


誰かがそう言った。次の瞬間、 影が落ちた。


「?」


囲んでいた生徒たちが、 反射的に視線を上げる。そこにいたのは――


でかい。


それが、最初の感想だった。

制服姿。 背筋は少し猫背気味なのに、 それでも頭ひとつ、明らかに高い。肩幅が広く、 無駄な肉はない。

ロッカーの列の前に立っただけで、 空間が“狭く”なる。


「(……何だ、こいつ)」


誰もが同じことを思った。

アズラエルは、 囲むように立っていた生徒たちの間に 何も言わずに一歩、入り込んだ。それだけで一人分の距離が、 自然に後ろへ押しやられる。


「転入生、だよな」


強気を装う声。


「関係ないなら――」


その言葉が終わる前に、 アズラエルが視線を下ろした。見下ろす、というより 落とすような目線。無表情。 怒りも、挑発もない。


だが。


「(……でかい)」


近くで見ると、 余計にそう思う。

視界の半分を塞ぐ胴体。 真正面に立たれると、 息が詰まる。


「……」


誰も、すぐに言葉を続けられなかった。

その沈黙を破ったのは、 短い舌打ちだった。


「チッ……調子乗んな!!」


一人が、勢いで拳を振る。


――ゴン。


鈍い音。拳は、アズラエルの腹に当たった。

だが。


「……?」


殴った側の顔が、引きつる。動かない。

衝撃を受けたはずなのに、 アズラエルの身体は、 ロッカーに寄りも、揺れもしない。

まるで、 床と一体化しているかのようだった。


「(……壁か?)」


次に、肩。 さらに、胸。


――ゴン、ゴン。


音だけが響く。アズラエルは、 一切反応しなかった。

殴られているのに、 殴られているように見えない。

ただ、 静かに立っているだけ。それが、 いちばん怖かった。


「……やめとけ」


誰かが、声を潜めた。


「こいつ……ヤバい」


アズラエルは、 ようやく口を開いた。


「……それ、やめて」


声は小さい。 むしろ穏やかだった。

だが、 この距離、この体格、この静けさ。言葉よりも 存在そのものが圧力だった。

数秒の沈黙。

そして――


「……チッ」


一人が目を逸らし、 背を向ける。


「行くぞ」


誰も、逆らわなかった。足早に去っていく背中。ロッカールームには、 アズラエルと、 床に座り込んだままの累都だけが残る。アズラエルは、 少しだけ屈んだ。

それでも、 目線は高い。


「……大丈夫?」


差し出された手。

累都は、その手を叩き落とした。


「……構うな」


吐き捨てるように。だが、 その声はわずかに震えていた。

アズラエルは、 何も言わずに手を引っ込める。ただ、 その場を離れなかった。

少し離れた場所で、 生徒会長・鷲宮はその光景を見ていた。


「(……なるほど)」


表情は変わらない。

ただ、 ほんのわずかに目を細めていた。


「(……面倒な芽が、入ったな)」


そう思ったかどうかは、誰にも分からない。


彼は思う。

力を振るわない“力”。

序列に乗らない“圧”。

黒塔学園にとって、 最も扱いにくい種類の存在だと。




それから、アズラエルは なんだか彼をほっとけないような気がして毎日、累都に何かしら声をかけるようになった。

大したことじゃない。たとえば朝の掲示板の前で、


「今日は貼り出し早いね」


と言うだけの日もあれば、廊下ですれ違ったときに、


「今日の学食カレーだって!」


と言う日もある。累都は最初、露骨に面倒そうだった。


「用がないなら話しかけるな」

「一人でいたい」


そう言われても、アズラエルは引かなかったし、詰めもしなかった。


「そっか」

「じゃあ、またね」


それだけ言って、引く。

その距離感が、逆に奇妙だった。


朝の校門は、静かだった。

正確には、音がないわけじゃない。

靴音も、話し声も、風に揺れる木々の音もある。

ただそれらすべてが、決められた音量で鳴っている。

黒塔学園の朝は、いつもそうだ。

アズラエル・ヴァイスは、校門をくぐった瞬間に背筋を伸ばした。無意識だった。

肩をすくめる癖も、歩幅が小さくなるのも、ここでは少しだけ抑えられる。

それは「緊張」というより、環境に合わせて形を変える感覚に近い。


「……おはようございます」


すれ違う上級生に、小さく頭を下げる。

返ってくるのは、視線だけ。

挨拶でも、無視でもない。

――評価。

アズラエルはそれを、もう理解していた。

掲示板の前には、すでに人だかりができている。

今日更新された成績表。

名前と順位が、容赦なく並ぶ。

アズラエルは、少し離れた位置からそれを見た。

「(……真ん中より、少し上)」


悪くない。

けれど、良くもない。

その事実が、胸の奥に静かに沈む。

誰かがひそひそと話している。


「転入生だよな」

「期待されてるらしいけど」

「この順位じゃ、ね」


失望は、声を荒げない。

黒塔学園では、失望は囁きになる。

アズラエルは聞こえないふりをして、教室へ向かった。授業は淡々と進む。

質問されれば、ちゃんと答える。

答えられる自分がいることも、分かっている。ただ、手を挙げることはない。

正解を出すことより、どこまで求められているかを測る方がここでは重要なようだ。




昼休み。

教室の隅で一人、パンをかじっていると、視界の端に見覚えのある背中が映った。

累都だ。

廊下の窓際。

壁にもたれ、誰とも話さず、スマホも見ず、ただ外を眺めている。


「(……今日も、あそこ)」


アズラエルは、少し考えてから立ち上がった。

歩み寄ると、やはり気配で気づいたらしく、累都がちらりと視線を寄越す。


「……何」


素っ気ない。

けれど、拒絶ではない。


「ここ、風通しいいね」


アズラエルは、わざと間の抜けたことを言った。


「……だから何」

「いや、教室より息しやすいなって」


累都は一瞬、何か言いかけて――やめた。代わりに、鼻で小さく息を吐く。


「……変なやつ」

「よく言われる」


アズラエルは、窓の外を見る。

同じ景色を見ているはずなのに、累都の立ち位置はどこか孤立している。


「(同じだ)」


胸の奥で、言葉にならない感覚が動いた。

同じ場所に立たされている。

同じ学校。

同じ“才能を測られる檻”。

なのに――

累都は、逃げない。媚びない。適応もしない。

折れることを選ばず、壊れることも選ばず、

ただ、そこに立ち続けている。

アズラエルは、少しだけ身を屈めて言った。


「ねえ」

「……何」

「君さ、ここで息苦しくならない?」


累都は、はっきりとアズラエルを見た。


「なるよ」

「……そっか」

「だから?」


問い返される。

アズラエルは一瞬、言葉を探し――やめた。


「ううん。なんでもない」


累都は怪訝そうに眉を寄せたが、それ以上追及しなかった。

チャイムが鳴る。


「じゃあね」


アズラエルは軽く手を振り、教室へ戻る。

背中に視線を感じた気がした。


その日の放課後、アズラエルは思う。

――どうして、あんなに気になるのか。

答えは、まだ言葉にならない。

ただ一つだけ、確かなことがあった。


同じ檻に入れられているのに、

自分とは違う選択をしている人間がそこにいた。


それが、どうしようもなく目に焼き付いて離れなかった。





黒塔学園では、人は大きく二種類に分かれる。

踏み込んで利用するか、完全に無視するか。

その中間は、ほとんど存在しない。

生徒たちは、常に評価表と序列を意識している。


誰と話すか。

誰と組むか。

誰の隣に立つか。


それすら「成績」に換算される。

累都は、そのどちらにも属していなかった。

優秀すぎて利用しにくく、鼻につくほど孤高で、かといって無視するには目立ちすぎる。だから、いじめられる。

累都はこの間もそうだった。



黒塔学園では毎朝一度、成績掲示板が更新される。

エントランスホールの中央。誰もが必ず通る位置に、電子掲示板が設置されている。


名前。

クラス。

総合順位。


それだけ。理由も過程も、努力も表示されない。結果だけが、静かに並ぶ。


「……また、上がってる」


誰かが呟いた。


最上段。ほとんど動かない名前。


東原累都。


掲示板の前に立つ生徒たちの空気は、奇妙だった。

尊敬と嫉妬と諦めが、混ざった沈黙。

当の本人は、少し離れたところで腕を組み、掲示板を見上げていた。

表情は、無い。喜びも誇りもない。ただ、確認するだけ。


「当然だ」


小さく、しかしはっきりとそう言った。

それが聞こえたのは、

彼のすぐ後ろにいた数人の生徒だった。


「……何が当然だよ」

「感じ悪」


累都は振り返る。


「努力してない人間が下にいるのは、当たり前だろ」

「は?」

「ここはそういう場所だ。違うのか?」


声音は冷静で、論理的で、正しい。

だからこそ、余計に刺さる。


「結果が出てる。評価される。それだけの話だ」


一人が、苛立ちを隠さずに言った。


「……お前さ」

「何」

「言い方ってもんがあるだろ」


累都は、ほんの一瞬だけ考える素振りを見せそれから首を傾げた。


「必要か?」

「……は?」

「ここでは、結果以外に価値がない。なら、言い方を気にする意味はないだろ」


静まり返る。正論だった。

黒塔学園が、公式に肯定している思想。

だから、教師は止めない。生徒会も止めない。


だが――


人間の感情だけは、置き去りにされる。


「……調子乗りすぎなんだよ」


その日の昼休み。

人気のない校舎裏。

累都はロッカーに叩きつけられていた。


「成績いいからって、何でも言っていいと思ってんのか?」

「事実を言っただけだ」


殴られる。

鈍い音。

累都は、反撃しない。

叫びもしない。

ただ、睨み返す。


「……効率が悪いな」

「あ?」

「こういうことをしても、君たちの順位は上がらない」


もう一発。


「黙れ!」


床に落ちた教材が散らばる。

それでも累都は、歪んだ笑みを浮かべた。


「ほら、やっぱり」

「……何がだよ」

「感情でしか動けない。だから、負ける」


その言葉が空気に落ちた瞬間。

ごん、という低い音がした。殴られたのは、累都ではなかった。

いじめっ子の一人の拳が途中で止められていた。

掴んでいたのは、白いシャツの袖口。

見上げると、そこにいたのは――

後ろに一つに結った茶色の長髪。緑色の瞳。アズラエルだった。


相変わらず、背が高い。

近くで見ると、校舎裏の影がさらに濃くなる。


「……やめなよ」


静かな声。


だが今度は、前よりも一歩踏み込んでいた。


「何度やっても、結果は変わらない」

「っ、またお前かよ!」


掴まれた手を振りほどこうとするが、動かない。

アズラエルは、いじめっ子たちを順番に見た。


「君たち、さっきのやり取り聞いてた?」

「は?」

「彼の言い方が気に入らない。それで殴る。でも、ここは黒塔学園だ」


一拍。


「言い方じゃなくて、結果を見る場所でしょ」


沈黙。

それは、彼ら自身が毎日突きつけられている理屈だった。


「それとも――自分たちは、感情で動いていい側だと思ってる?」


誰も答えない。

アズラエルは、掴んでいた手を離した。


「次は先生に言うよ」

「……チッ」


舌打ちを残して、いじめっ子たちは去っていった。

静寂。


累都は、ロッカーにもたれたまま、息を整えている。


「……またか」


低く呟いた。


「何が?」

「助けるの、やめろって言っただろ!」


アズラエルは首を傾げる。


「でも、見ちゃったから」

「……意味が分からない」

「困ってるのが見えた」


累都は、鼻で笑った。

「同情?」

「違うよ」


即答だった。


「気になっただけ」


累都は、初めてちゃんとアズラエルを見る。

巨体。

ぼんやりした顔。

だが、目だけは静かに澄んでいる。


「……変なやつだな」

「よく言われる」


そのまま、二人は校舎へ戻った。





放課後の廊下。


人の気配が少ない時間帯。

アズラエルは、生徒会室前で呼び止められていた。


「一年生。ヴァイス君だったね」


声をかけてきたのは、三年の男子生徒だった。

腕章は、生徒会補佐。隣には、担任ではないが学年主任クラスの教師が立っている。


「最近、君の名前が少し上がっていてね」


穏やかな口調。だが、その目は値踏みしている。


「えっと……何か、しましたか?」


アズラエルは首を傾げる。

声も姿勢も、いつも通り頼りない。


「成績だよ。入学して間もないのに、平均以上を安定して出している。それに、特定の生徒とよく行動しているそうじゃないか」


——累都のことだ。


アズラエルは、一瞬だけ理解した。


「ああ……」

「黒塔学園ではね、個人的な関係性は評価に影響する」


教師が続ける。


「君が彼に肩入れしているように見えると、誤解を招く」


「誤解、ですか」


アズラエルは、少し考えてから言った。


「具体的には、どの評価項目でしょうか?」

「……は?」


生徒会補佐が眉をひそめる。


「“協調性”か“客観性”あたりですか?それとも、“自己判断によるリスク行動”?」


静かだが、的確に教師が口を挟む。


「細かいことを言っているわけじゃない

要は——余計なことはするな、という指導だ」


「余計、というのは」


アズラエルは、初めて背筋を伸ばした。

視線が、まっすぐ教師を捉える。


「学園の規則に反する行為ですか?それとも、成績評価の基準外の行動ですか?」


空気が、わずかに変わる。


「……君は、少し言い方が——」

「でしたら」


被せるように、アズラエルは続けた。


「規則番号を教えてください。評価基準表の、該当箇所も」


声は低く、落ち着いている。


「それが分かれば、改善します」

「分からないまま“余計”と言われても、対処できない」


沈黙。

生徒会補佐が、明らかに苛立った。


「生意気だな」

「そうですか?」


アズラエルは、少しだけ首を傾げる。


「黒塔学園は、結果と合理性を重視する学校ですよね?感情や空気で注意される場所ではないと、入学説明で聞きました」


教師の喉が、わずかに鳴る。

——正論だ。

学園が掲げている理念、そのもの。


「……君」


教師は、探るように言った。


「君の家庭は、どういう教育方針で?」


その瞬間。アズラエルの“ふんにゃり”が、完全に消えた。


「家庭環境は、成績評価に関係ありますか」


声音は、穏やか。

だが、拒絶がはっきりと含まれている。


「もし関係があるなら、正式な書類で問い合わせてください無いなら——」


一歩、距離を詰める。


「それ以上は、個人情報です」


生徒会補佐が、思わず後ずさった。

——威圧ではない。

だが、引けない線を知っている人間の立ち方だった。

数秒の沈黙の後。教師は、息を吐いた。


「……分かった。今回は注意だけだ」 「ありがとうございます」


アズラエルは、すっと頭を下げた。

元の、少し猫背の姿勢に戻る。


「気をつけますね」


そう言って、その場を離れた。

廊下の角を曲がった瞬間。アズラエルは、ぽつりと呟いた。


「……やっぱり、面倒だなぁ」


廊下の奥。吹き抜けに面した二階の回廊。

生徒会室の扉越しに、一連のやり取りを、最初から最後まで見ていた人物がいた。

鷲宮だった。腕を組み背を壁に預けたまま、表情はほとんど動かない。

教師の言葉。生徒会補佐の苛立ち。

そして——

最後に見せた、アズラエルの一歩。


「(……なるほど)」


胸中で、短く評価を下す。

声を荒げない。頭も下げる。

だが、譲る線は一切動かさない。

秩序に逆らわず、秩序を盾にして前に出る。

——最も、黒塔学園向きでないタイプだ。

鷲宮は、何も言わずに踵を返した。



アズラエルの背中を見ていた生徒会補佐は、低く言った。


「……厄介なのが来たな」

「ええ」


教師も、視線を細める。


「まだ芽だが折るには、少し硬すぎる」





ある日の放課後。


図書室。


累都は、いつものように一人で机に向かっていた。

広げているのは、黒塔学園の指定教材ではない。分厚い一冊。

学術論文をまとめた古い評論集――

才能評価制度と社会構造について書かれた、かなり癖のある本。

アズラエルは、それを見て足を止めた。


「……それ、授業で使わないよね」

「使うわけないだろ」


累都は視線を上げずに言う。


「ここでは“考え方”より“結果”しか評価されない」

「でも、読んでる」

「だから読んでるんだ」


その返答に、アズラエルは少しだけ目を見開いた。


「僕も、それ読んだことある」

「……は?」


累都が顔を上げる。


「嘘だろ」

「前の章だけ。でも」


アズラエルは、自分の手元の本を見せた。

ジャンルは違うが、同じ棚から取られたものだ。

統計学と評価制度の相関

――数字によって人間を序列化する仕組みの本。


「黒塔の成績表示、これに近いよね」 「……」


累都は、しばらく黙ってアズラエルを見つめた。


「……お前、何でそんな本読んでる」 「分からないから」

「何が」

「ここが」


アズラエルは、図書室をぐるりと見回す。


「正解があるふりをしてるところ」 「……」

「でも、正解が先に決まってるなら、努力って何なんだろうって思って」


その言葉に、累都の指が止まった。


「……それを、疑問に思うやつは少ない」 「そうなの?」

「ほとんどは、“そういうものだ”で飲み込む」


累都は初めて真っ直ぐアズラエルを見る

エメラルドのような瞳を真っ直ぐに


「ここは競技場だ。人間じゃなくて、結果を見る場所」

「うん」


即答だった。

累都の眉が、わずかに動く。


「……否定しないんだな」

「否定できないから」

「それでも?」

「それでも、考えるのはやめたくない」


沈黙。

図書室の時計の音だけが響く。やがて、累都が小さく息を吐いた。


「……お前」

「うん?」

「話が、通じる」


それは、累都にとって最大級の評価だった。


「ここでそれ言える人間、ほとんどいない」

「じゃあ、貴重?」

「貴重すぎる」


一瞬だけ、累都は笑った。

誰にも向けない、力の抜けた表情。


「……友人枠に入れてやる」

「枠制なんだぁ」

「黒塔だからな」


アズラエルも、少し笑った。

その瞬間、はっきりと決まった。

アズラエルが累都を気にし続ける理由。


――同じ檻に入れられているのに、

 自分とは違う選択をしている人間だったから。




累都は、本を閉じる。


「……座る?」

「いいの?」

「別に」


二人は、同じ机についた。

沈黙。

だが、居心地は悪くなかった。


「なあ」

「何?」

「お前、ここ苦しくないのか」

「……苦しいよ」


即答。累都は目を細める。


「なのに、なんで笑ってる」

「笑ってないよ」

「笑ってる」


アズラエルは少し考えてから、言った。


「檻だって分かってるから」

「……」

「分かってれば、選べるでしょ」


累都は、初めて言葉を失った。

同じ場所にいるのに、同じ圧を受けているのに。この男は、違う立ち方をしている。


「……」


ページをめくる音だけが響く。

累都は、ぽつりと呟いた。


「……お前、嫌いじゃない」

「よかった」


その日。累都は、初めて黒塔学園で

「一緒にいてもいい」と思える人間を見つけた。





夜。

日本での暮らしに慣れた新しい家。

アズラエルは、リビングのテーブルに肘をつき、マグカップを大きな両手で包んでいた。

向かいにはヴィクターが座っている。

仕事用の眼鏡は外し、シャツの袖も少し緩めている。


「最近学校はどう?」


ごく自然な問いかけだった。


「……うん」


アズラエルは少し考えてから言う。


「友達が、できた」

ヴィクターは驚いた様子も見せず、

ただ穏やかに頷いた。


「それはよかったどんな子なんだ?」

「……頭がいい」

「ははっ、それはアズもだろう?」


軽い冗談。

アズラエルは小さく笑った。


「でも、ちょっと変わってる人で」

「変わってる、か」

「同じ場所にいるのに、立ち方が違う感じなんだ」


ヴィクターは、そこで少しだけ真面目な顔になった。


「無理はしていないか?」


その言葉に、アズラエルは一瞬だけ詰まる。


「……大丈夫」

「“大丈夫”って言う時はね、だいたい頑張ってる時だ」


責める調子ではない。決めつけでもない。

ただ、分かっている人の言い方だった。


「……ちょっと、疲れるけど」

「そうか」


ヴィクターはそれ以上追及しなかった。




少ししてから、思い出したように口を開く。


「そういえばさ。どうして黒塔学園だったか、ちゃんと話してなかったな」


アズラエルが顔を上げる。


「今さらだけど……理由は、話しておこうと思ってね」


叱責でも命令でもない。


「アズを鍛えたかったわけじゃない」

「……うん」

「黒塔学園は、才能を見る学校じゃない。才能が“扱われる場所”だ」


静かな声。


「評価される圧の中で、自分がどう在るかを知るには、あそこは分かりやすい」


アズラエルは、黙って聞いている。


「家の中だとさ」


ヴィクターは、少し言葉を選ぶ。


「どうしても、比べられる立場になるだろ?」

「……」

「セラはね、アズを否定しているわけじゃない」

「……でも」

「当主としては、まだ認めていない」

「うん」


そこは、アズラエル自身が一番よく知っている。


「だからこそ」


ヴィクターは、柔らかく微笑んだ。


「家の外で、自分の立ち方を見つけてほしかった。誰かの評価じゃなく、姉の視線でもなく、アズ自身が“これでいい”と思える立ち方を」




部屋に戻ったあと、

アズラエルは天井を見上げた。家は、嫌いじゃない。父さんは優しいし、

マリーナ姉さんたちも、雑だけど悪意はない。

でも。


「……セラフィナ姉さんだけは、違う」


セラフィナ姉さんは、アズラエルを“弟”としては扱う。

だが、“次期当主”としては見ていない。

その視線は、いつもどこか別の場所を向いている。


「(だから、かな)」


黒塔学園の露骨な序列が、思ったより息苦しくない理由。


「(ここは……)」


少なくとも、“否定されている理由”が、はっきりしている。




同日 夜


累都は塾からの帰り コンビニで弁当を買い家に着いていた。


「……」


家の中は暗く誰もいない。母親は深夜まで仕事で居ないことがほとんどだ。


「また作ってる 」


麦茶を取るために覗き込んだ冷蔵庫の中には母親が作った料理がラップに包まれて入っていた。

しかし累都はそれを食べない。

基本的にコンビニ弁当を食べている。


これが累都が母親に出来る唯一の「反抗」だ。


味も栄養素も関係ないどうでも良い。

ただ腹に貯まれば良い。弁当をかき込んで麦茶で口の中の米を流し込む。


直ぐに累都は弁当が入っていたレジ袋に空の弁当箱を入れて縛る。

そして外に捨てに行くのだ。


もし、家の中で母親の料理を食べずコンビニ弁当を食べたとバレたならどうなるか累都は何度も経験した。ただこのゴミをサッと外のゴミ捨て場に投げてしまえばあんな目には合わずに済む。



適当な夕食を済ませ 自室の机に向かう。

塾で出た宿題を終わらせようと問題集を開いたところ、スマホが光る。


「……?アズラエルの事か?」


どうやらLINEにはアズラエルが上級生しかも生徒会長補佐の人間に楯突いた、という話題でLINEが埋まっていた。

暇なヤツら 外っツラばかり気にして噂話と評価の話しかしない面白みのないヤツら

LINEには返信せず、今日のニュースでも見るかとアプリを開いた時だった


【使用時間が過ぎています 使用権限を一時的に停止しております】


「……ッチ」


舌打ちをする。これも母親の仕業だ。過保護なのか 管理したいのか どちらでもどうでもいい。

累都はただの板になったスマホをベットに投げ自分も横になる。


「アズラエル……なよなよしてる癖にやる奴なんだな……」


生徒会補佐と教師を前にした、あの表情。遠目でも分かった。

普段とはまるで別人だった。

あのふんにゃりとした雰囲気と真逆の見たことない表情で補佐と教師をたじろさせていた。


「アイツを”使え”ば少しは面白くなるな……」


フフフッと笑ったあとふと、考える。


”使え”ば? アズラエルを?

そもそもあいつはなんなんだ?


アズラエルが入れば目障りで暴力しか震えないヤツらから逃れられる。

これは確かに便利だ。身体の痛みに耐える日が減った。


でも、アズラエルは俺と対等に話ができる。これもクラスのヤツらとは違う。アイツらは体裁しか興味無いやつらで会話にならない。


アズラエルは、友達?

それとも便利な道具?


累都の頭に解けない難解な問題がグルグルとめぐる。


「俺はアズラエルと友達なのか?」


誰もいない暗い部屋に話しかけるが何も返ってこない。


累都は結局 結論を出せないまま眠りについた





昼休みの廊下。

人の流れが一段落した、静かな時間帯。

アズラエルは、窓際に立つ累都の隣にいた。

昨日と同じ場所。だが、今日は少し距離が近い。


「……昨日の夜、大丈夫だった?」


何気ない声。だが、累都は一瞬だけ目を伏せた。


「別に」

「そっか」


それ以上、踏み込まない。

その距離感が、累都には少しだけ楽だった。


「お前さ」

「うん?」

「昨日、生徒会のやつらに噛みついたって聞いた」


アズラエルは、少し考えてから首を傾げた。


「噛みついた、っていうか……質問しただけだよ」

「普通、ああいうのは黙る」

「分からなかったから」


淡々とした返答。累都は鼻で息を吐いた。


「……ほんと、変なやつ」


そのとき。


「おーい、優等生サマぁ」


聞き覚えのある声。

数人の生徒が、廊下の向こうから歩いてくる。


「また転入生と一緒かよ」

「転入生、評価下がるぞ?」


累都が、何も言わずに睨み返す。


「なんだよその目は!」


リーダー格であろう男子生徒が累都の胸ぐらを掴んだ

その時。

——す、と影が差した。

アズラエルだった。何も言わない。

ただ、累都といじめっ子たちの間に、静かに立つ。

空気が変わる。いつもの“無言の圧”。


「……チッ」


一人が舌打ちした、その瞬間。


「そこで何をしている」


低い声。



振り返ると、

例の教師と、生徒会長補佐が立っていた。


「また君か、ヴァイス君」


教師は、露骨に不快そうに眉をひそめる。


「トラブルメーカーだな」


生徒会補佐が、嘲るように言った。


「今度は何だ?まさか、この生徒とも“個人的な関係”か?」


視線が、累都に向く。


「……」


累都は歯を噛みしめる。教師が続けた。


「君は、もっと相応しい人間と付き合うべきだ。この生徒は、評価的にも問題が多い」


その言葉が——

アズラエルの中で、何かに触れた。

一瞬。

空気が、目に見えない重さを持つ。

教室の床が、軋んだ気がした。

視線を向けられただけで、背筋が凍る。


——拒絶されたと、身体が先に理解した。


アズラエルの瞳が、静かに燃えていた



それは感情ではない。

少なくとも、クロウリー家に刻まれるそれは。

クロウリー家の血に宿る“ギフト”は、意思や努力で獲得する力ではない。生まれながらに刻まれ、人格と共に育ち、使い手の在り方そのものを映す。


——“憤怒”。

アズラエルに刻まれたギフトのひとつ。

怒りを爆発させる力ではない。


理不尽。

歪み。

踏みにじられたもの。それらを前にした時


「それは許されない」と、世界に宣告するための力。

彼自身は、感情を荒立てる人間ではない


両腕に刻まれたギフトのタトゥーが、じわりと熱を持った。



いじめっ子たちが、無意識に一歩下がる。 生徒会補佐の喉が鳴った。

だが、次の瞬間。


アズラエルは、一度だけ深く息を吸った。

——そして、声色を変えた。



「——クロウリー家の名において」


声が、低くなる。


「不当な評価、ならびに根拠の示されていない交友関係への干渉について、正式に異議を申し立てます」


教師が言葉を失う。


「当該生徒が誰と行動するかは、現行の学園規則および評価基準のいずれにも抵触しておりません」


淡々と、しかし一切の逃げ道を与えない。


「それを“相応しくない”と断じるのであれば、該当する規則番号および評価項目を、明示してください」


廊下の空気が、押し潰されるように重くなる。

視線が集まる。誰も、口を挟めない。

アズラエルの瞳が、静かに光る。


生徒会補佐が、無意識に後ずさった。

——怖い。

怒鳴っていない。威圧しているつもりもない。だが、

“怒らせてはいけないもの”を、確実に踏んだと分かる。そのとき。


「……そこまでだ」


静かな声が、割って入った。

鷲宮生徒会長だった。状況を一瞥し、

そして、アズラエルを見る。

——違和感。

昨日までの“ふんにゃりした転入生”ではない。

立ち方が、違う。


「……」


さっき一瞬垣間見えた“憤怒”の名残が、

まだ、空気に残っている。

鷲宮は、何も言えなかった。教師も、生徒会補佐も、いじめっ子達も

言い返す言葉を見つけられない。

アズラエルは、その全員を一瞥すると——

ふっと、肩の力を抜いた。そして、累都の方を見る。


静かな声。


「今は、ここに居るべきじゃない」


アズラエルは、くるりと教師たちの方を向き深く息を吸った。


「僕は、彼との関わりを断つつもりはありません。もしそれが評価に影響するというのであれば、その判断を、正式な文書によって通知していただきたい。」


ーーー沈黙



鷲宮は悟った。

“従わせる側”の論理を、最初から内側に持った生徒だ。



アズラエルは累都の肩を持ち 優しい声で


「行こう」


と教室を出ていった。

累都は、一瞬だけ目を見開き、それから何も言わず頷いた。

——「クロウリー家の名において」。


その言葉は、確かに聞こえていた。

でも、今はそれどころじゃない。頭の中はぐちゃぐちゃで、意味を考える余裕なんて、なかった。


二人は、そのまま教室を去る。

取り残された人間たちは、ただ立ち尽くすしかなかった。






二人は、誰も来ない場所まで歩いていた。

校舎の影。



風が、コンクリートの匂いを運んでくる。

しばらく、沈黙。累都が、先に口を開いた。


「……さっきのさ」


アズラエルが首を傾げる。


「さっき?」

「“クロウリー家の名において”ってやつ」


一瞬だけ、アズラエルの動きが止まった。


「ああ……聞こえてた?」

「聞こえた」


累都は、視線を地面に落とす。


「(クロウリー家の名において)」


その言葉に、胸の奥が、ちくりとした。

——母親の声が、脳裏をかすめる。


『才能は武器よ』

『名前は盾になる』

『賢く使いなさい』

『あなたは特別なの』

『いつかあの人も迎えに来てくれるわ』


「……でも」


累都は、顔を上げる。


「今は、それどうでもいい」


アズラエルが、少し目を丸くする。


「俺にとってはさ」


累都は、言葉を選びながら続けた。


「お前が、俺の肩持ったことの方が重要」


一瞬、アズラエルは理解できないような顔をして、 それから、ゆっくり笑った。


「……そっか」


累都は、少しだけ躊躇ってから、言った。


「だからさ俺の“一番”を見せる」


アズラエルが瞬きをする。


「一番?」

「……誰にも、言うなよ」


アズラエルは、素直に頷く。


「うん」


累都は、ゆっくりと右手を持ち上げた。

指を揃え、掌を自分の胸の前に向ける。


「(落ち着け。数式は簡単でいい)」


呼吸を整える。魔法は、この世界では“裏”のもの。派手さはいらない。

見せるのは、ほんの断片でいい。

指先が、わずかに震えた。

——その瞬間。

掌の上、数センチの空間が歪む。

空気が、ぎゅっと圧縮されたように揺れ、淡い白光が、点として生まれる。

光は、球体にならない。不完全な、多面体。

角が揃わず、わずかに崩れながら、浮いている。


「……」


それは、攻撃魔法でも防御魔法でもない。

ただ、魔力を“形にする”だけの、ごく初歩的な術式。



累都の脳裏に、嫌な記憶が割り込む。


——母の顔。叫び声。割れるような声。『やめなさい!!』 『なんでそんなことができるの!!』


魔法を見せた。だそれだけで。


『気持ち悪い』

『普通じゃない』

『お前は、ほんとに——』


唾を飛ばしながら、罵る。

人格を、存在を、否定する言葉。

そして、最後に必ず、あの一言。


『……また、お前も殺すのか』


——誰を?

——いつ?

——どうやって?


分からない。


ただ、その言葉だけが、呪いみたいに残っている。


「……っ」


累都は、反射的に魔力を切った。光は、音もなく霧散する。短い沈黙。


「……ごめん。しょぼいだろ」


自嘲気味に言う。


「これが、俺の限界」


だが。

アズラエルは、目を見開いたまま、動か

なかった。クロウリー家で生きてきたアズラエルにとっては——

正直に言えば、粗末な魔法だった。

制御も甘い。出力も弱い。実用性もほとんどない。それでも。

アズラエルは、息を呑んだ。


「……累都」


アズラエルの表情を見れず下を向く累都


「すごいよ!」


賛称だった


「え?」

「だって、それ“ちゃんと自分で組んだ魔法陣”でしょ?無駄がないし、“組み立て”が、すごく綺麗だった」


アズラエルは、少し照れたように笑ってから言った


累都が、眉をひそめる。


「え?」


アズラエルは、言葉を探すように続けた。


「魔力の流れを、無理に引っ張ってない。」


そして、はっきりと言う。


「……大事に使ってる魔法だ」


累都は、言葉を失った。

そんな言い方をされたのは、初めてだった。


「じゃあ……僕も」


アズラエルは、少しだけ照れたように笑い、 同じように手を出す。


だが、次の瞬間。


彼の掌の上では、 魔力が自然に層を成し、 薄い幾何学模様が、空中に描かれていく。


円環。

重なり合う線。

安定した構造。

光は柔らかく、一定で、揺れない。


「……」


累都は、思わず息を呑んだ。

圧倒的な差。技術も、経験も、血筋も。


アズラエルは、慌てて魔法を消す。


「あ、ごめん……なんか、つい」


累都は、乾いた笑いを漏らした。


「……次元が違うな」

「でも!」


アズラエルは、ぱっと顔を上げる。


「累都の魔法、嫌いじゃないむしろ……」


少し考えて、言い切る。


「すごく、好き」


その言葉に、累都の胸が、わずかに痛んだ。アズラエルは、身を乗り出して、声を潜める。



「お互い、魔法が使えるなんてさ、これは——」


にこっと笑う。


「二人だけの秘密だね!」


累都は、しばらく黙ってから、短く答えた。


「……ああ」


小さく、だが確かに。


「秘密だ」


その瞬間、累都は思った。

母の言葉よりも、学園の評価よりも。

——今は、この秘密を守りたい、と。

そしてアズラエルは、

その“差”を誇示することなく、

真正面から受け取った。


その日、累都は「道具」よりも先に、

アズラエルを“友達”として選んだ。


そしてアズラエルは、

初めて、自分が“壊れていない”と感じてい


アズラエルは友達ができました。

今まで姉たちの影に隠れてた子が成長した感じがしますね。

ちなみにアズラエルの身長は2m程と考えてます。

デカすぎ

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