There Was a Crooked Man
現代と魔法が存在する設定の 1つの家族の話です
初投稿なんでよろしくお願いします。
There Was a Crooked Man
イングランド・サリー州。
ウィンブルドンから南へ八キロ。
霧が深い。
街灯のオレンジの光が膨らみ、輪郭を失って、まるで古いサスペンス映画のワンシーンだ。
エリオット・ハリスはタクシーを降りると、運転手に小声で告げた。
「ここでいい。……あとは歩く」
運転手はバックミラー越しに怪訝な目を向ける。
「こんなところで? この先、街灯も途切れますよ。携帯も圏外になりますし……」
エリオットは、よく馴れた笑みを浮かべながら、軽く百ポンド札を二枚押し込んだ。
「問題ないさ。旧友の家でね。ちょっと、変わった場所に住んでるんだ」
札を受け取った瞬間、運転手の警戒がほどけたのが分かる。
金の力は、いつだって本能を上書きする。嘘を信じさせるのは、簡単だ。
タクシーが走り去ると、まるで排気の代わりに霧が押し寄せてくるかのように、視界は一気に白に染まった。
エリオットはコートの襟を立て、スマホを取り出す。
画面には「圏外」。地図アプリは、真っ白で何も表示しない。
──ここから先は、住所が存在しない。
ゆっくりと歩き出す。
靴音だけが、霧の湿った空気を切り裂くように響いた。
10メートル進むごとに、背後の街灯が一つずつ消えていく。
ぱちん──
ぱちん──
まるで、何者かが後ろから指で弾いて消しているように。
「……は?」
振り返る。さっき見たはずの光は、一つも残っていなかった。
ぞわり、と首筋が粟立つ。こんなの偶然じゃない。
20メートル。
30メートル。
視界が急に開けた。
霧の幕の向こうに、黒い洋館が浮かび上がる。
屋根も、壁も、門も、すべてが光を飲み込む“艶消しの黒”。
まるで、建物そのものが夜の一部で、そこだけ現実から抉り取られたようだった。
エリオットの喉が鳴る。
「……これが、クロウリー邸……」
クロウリー その筋のものなら名前を聞いただけで震え上がる「魔術一族」 らしい。イマイチよく分からない
きな臭い噂はたくさんあるが表向きは当主ヴィクター・クロウリーは製薬会社
「クロウリー・ファーマシューティカルズ」を設立
この製薬会社は世界で五本の指に入る巨大製薬企業だ。公式で分かる活動は事故・難病患者向けの細胞再生治療、先天的疾患の治療研究それと新薬開発。
従業員は公表の発表では22万人程。
他に慈善活動なんかもしているとか……
だが裏はどうだか……
ヴィクター・クロウリーには娘が何人かいるらしいが表舞台に立つヴィクター・クロウリーの横にはいつも 長身の女が立っていた。おそらく長女だろう。
ここまで来たらもう、引き返せない。引き返さない。
詐欺師は“逃げたい瞬間”ほど笑顔を作れる。
エリオットはスーツの袖を整え、靴先をそろえて一歩踏み出した。復讐のため 俺のため エミリアのために
近づくと、鉄の門が音もなく開いた。
誰も触っていないのに、ゆっくり、まっすぐ、来客を迎え入れるように。
「……はは、歓迎ムードってわけか」
軽口が、いつもより一オクターブ高かった。
門をくぐる瞬間、背後の霧がぴたりと塞いだ。
──もう、戻れない。
石畳を歩くたび、靴音が妙に大きく響く。
門から玄関まで、どう見ても距離が“伸びている”。
「(早く……早く着けって……)」
焦りがにじむ。
やっと玄関にたどり着き、ドアノッカーに手を触れた瞬間
ぎぎぎ……
重い扉が、内側から自動で開いた。
黒いホール。
静寂。
空気が冷たい。
ふと、長い廊下の奥に目を凝らす。
一人のメイドが立っていた。
白い肌。
光のない瞳。
人形のような無表情。
だが礼儀だけは完璧で、深く一礼した。
「──お客様。ようこそ、クロウリー邸へ」
その声は、妙に澄んでいて、冷たくて、あまりにも現実離れしていた。
エリオットは、初めて本物の寒気を覚えた。
この邸の外では“霧が深い”だけだったが──
ここから先は違う。
──ここはもう、“外の世界”ではない。
──クロウリー家の、庭だ。
「お客様。ようこそ、クロウリー邸へ。当主ヴィクター・クロウリー様にご用件があると伺いました。」
エリオットは一瞬だけ喉を鳴らしたが、すぐに“詐欺師の顔”を作った。
背筋を伸ばし、声に柔らかく低い響きを乗せる。
「ええ。投資の件で、急ぎお伝えしたい話がありまして。
クロウリー様には、必ず気に入っていただける内容です。」
メイドは一切疑わない表情でうなずく。
「(見た目は完璧だ。そりゃあ、このスーツも靴も“信用されるため”に金かけたしな。貴族相手はまず外側から落とす……)」
エリオット自身、三つ揃いの上質なスーツに身を包み、髪は丁寧に撫でつけ、靴は鏡のように磨いた。
普通の詐欺師では手を出さない額を、外見に投資している。
“見た目が資本”。
それは彼の流儀だった。
黒いメイドが機械のようにぎこちない動きで会釈をする
「応接室へご案内いたします。どうぞこちらへ」
抑揚のない 空洞な声を発する
黒いメイドはエリオットにくるりと背を向けると、まるで“移動だけに特化した機械”のようにカツ、カツ、カツと一定のリズムで歩き出した。
(―――速っ 普通こっちに合わせるだろ)
エリオットが思わず早歩きになるほど、メイドの歩調は異様に早い。しかも振り返らない。客を気にかける素振りが一切ない。本当に機械なんだろうか
そんな事を考えてたら黒いメイドは廊下の角を曲がってエリオットの視界から消えてしまう
「お、おい……!置いていくなよ! 客だぞ俺!!(くそっここの使用人の教育どうなってんだ!)」
小走りで角を曲がろうとスピードを上げると
ドンッ
「きゃあ!」
「うぉっ」
エリオットの胸に小さな衝撃がぶつかる
「いたーい」
「(子供?ヴィクター・クロウリーには娘が数人いたな、その1人か)」
「大丈夫?お嬢ちゃん?」
エリオットはしゃがんで小さなレディの無事を確認する ここでもし怪我でもさせてしまえば自分がやりたい事が不利になってしまうかもしれない
「うー、大丈夫!私の方こそごめんなさい!」
黒い髪に白い肌をした10歳前後の少女だった
「(よしよし怪我はしてないようだな)」
「おじちゃん?どうしたの?私の顔になにか付いているの?」
「あぁごめん 君の瞳が随分綺麗な赤だったから……」
適当に誤魔化すために少女の頭を撫でる
早くメイドに追いつかないと……
エリオットが後ろを振り返ると、
──もうメイドの姿はどこにもなかった。
「(なんで客を置いていくんだよ……!)」
エリオットは少女の頭を撫でながら、なんとか笑顔を作る。
「もう、ぶつからないように気をつけてね。……お嬢ちゃんは、ここに住んでるの?」
少女はぱちりと瞬きをし、にこっと笑った。
「うん。わたし、朝霧っていうの」
その笑顔は年相応のかわいらしさだった。
が、エリオットは違和感をおぼえた
「(この時間……普通なら学校だろ。家庭教師か?まぁいい、狙いは子供じゃない。目的は“あれ”だ)」
「あー、朝霧お嬢ちゃん私は君のパパに用があってね、さっきメイドさんに案内されてたんだけどはぐれちゃってね……」
朝霧はぱっと顔を上げ、にこっと笑った。
「パパにご用事? いいよ!朝霧が案内するよ!」
朝霧がエリオットの手を掴む
どうやらこのお転婆お嬢様が案内してくれるようだ
「でも、お姉ちゃん達と遊んでいたんじゃない?それかお勉強の途中で逃げてきちゃったのかな?」
エリオットは早くその手を離したくて、意地の悪い調子で笑う。
この小さく氷のように冷たい手を早く離してほしかったのだ
朝霧はぴくりと眉を上げ──
すぐににこっと笑った。
「朝霧がお姉ちゃんなの!お勉強は今日はおしまい!」
その小さな手は見た目に反して驚くほど強かった。
エリオットは半ば引きずられるように廊下を進む。
(子供の握力じゃない……なんだこの力は)
一体どこからこんな力が出てるんだ?
数分 長い廊下を歩く相変わらず冷たい手は離してくれない 冷たさがじわじわ皮膚に染み込んでくるようで、エリオットは落ち着かない。
「あっ!おじちゃんこれできる?朝霧の得意技!」
「んー?なになに?」
どうせ指が取れるマジックか片目を変な方向に向けるとかだろ
とエリオットは余裕を装うが──
その油断は一瞬で砕け散った。
バギャァ!!!!
「っ!!!!?」
廊下に生々しい破砕音が響く
朝霧が自分の頭を持つように両手を添えると右に思いっきり捻ったのだ
首 首だ 首の骨を捻り折ったのだ人の首が動いてはいけない角度まで捻り切った。
「えへへ 首折り得意なのどう?すごいでしょ?」
「ひ、ひぃぃぃ!!」
エリオットは返事にならない悲鳴を上げ、
這いつくばって廊下を逆走していった。
朝霧の笑い声が、その背中をいつまでも追いかけてきた。
エリオットは這いつくばって廊下を逆走していた。
どれだけ走っても終わらない廊下。
同じ燭台、同じ肖像画。息が切れる。
肺が焼ける。そのとき──前方から、
無機質な車輪の音。
ガラガラ……ガラガラ……黒いメイド四人が、
巨大な医療機器を載せた台車を押して現れる。最新型の人工呼吸器 、体温維持ポッド(常に39.7℃表示)、無数の点滴バッグ(赤い液体が揺れる)
モニターが十数台、ケーブルが蛇のように絡まっている
酸素濃度調整装置が、低く唸るような音を立てている。
その瞬間、
エリオットの視界が歪んだ。
「(……おい、やめろ……その匂い……)」
エリオットは喉を押さえた。
金属の焦げた匂いがした気がした。
熱と薬品の混ざった匂い。
五年前の記憶が、
一気にフラッシュバックする。──炎の中のエミリア
──酸素マスクが赤く熱して、
彼女の頬を焼き、
喉を焦がし、
最後に爆発した瞬間
──焦げた匂い
──焼けた金属の匂い
──助けられなかった自分の手今、目の前の機器が、
同じ匂いを放っている気がした。
台車は、
エリオットが通ってきたばかりの廊下の奥──
「SAYO」とだけ書かれた扉に向かって進む。
ピィィィィィィィィッ!!
台車のモニターが突然、甲高く鳴いた。
《SAYO:体温低下》
メイドは無表情のまま、淡々と操作を始める。
この医療機器の集合体があの日のエミリアの姿を見思い出してしまう
「(やめろ……!思い出すな!)」
メイドは静かに歩き続け、
青白い顔色のエリオットの横を通り過ぎた。
その先にあるのは、青白い光を放つ《SAYO》の扉。
メイドが淡々と言う。
「小夜様。機器を更新いたします。開けます。」
返事はないのに、扉がゆっくり開いた。
ごほっごほっと咳が聞こえた。
柔らかいはずなのに、どこか金属が擦れるような濁りを含んでいる。
「やめろ……頼むから……“あの日”を重ねるな……」
エリオットは自分に言い聞かせるように呟く
一瞬、扉の隙間から蝋細工のように白い“腕”が見えた。
点滴の痕だらけの腕。異様に細く、血管に生気がない。
メイド達は静かに部屋へ入り、扉はまた閉じていく。
最後に、
「小夜様。体温を落とさないように。」
扉が閉まりきる。機械音だけが廊下に残った。
エリオットは胸を押さえ、力なく座り込む。
(……ここ……ここは、俺が来ていい場所じゃない……
エミリア……すまない……また……置き去りにした気がする……)
そのとき。扉の向こうから、微かに聞こえた。
コホ……コホ……
そして小さくか細い。笑った声。
エミリアの事 あの日の事を思い出して呼吸を荒くしたエリオットは己を落ち着かせるため深呼吸しつつゆっくりと今いる場所を見渡した
「(今俺はどこにいるんだ ここは……あのガキに追いかけられて逃げて逆方向に逃げてしまったのは分かるが……)」
エリオットは今屋敷のどこにいるか分からくなってしまった
とにかくさっきの事は早急に忘れたい 両方とも。
「こんなに広い屋敷だったとは…それに随分間取りが…」
富豪の元へ仕事ために 何度も似たような屋敷へ訪れた事があったかここまで迷うことなど今までなかった。
「まぁまた使用人をとっ捕まえて聞けばいいさ」
今度は置いてかないメイドがいいな などと思いながら西の方角へ歩くことにした
西の方角へ歩き出した数分
来た道を戻るだけのはずだった。
しかし、エリオットはだんだんと違和感に気づいた。
さっきの廊下をまっすぐ戻れば玄関ホールだったはず、なのに──
──それに空気が、温い。
いや、ひどく息苦しい。
屋敷特有の乾いた空気ではない。
水を多く吸いこんだ布のように、重く湿っている。
「(……こんな空気、さっきまでなかっただろ)」
背筋に汗が伝った。
廊下を進むたび、
照明がひとつ、またひとつと、
じ……じ……と微かに音を立てて明滅する。
振動ではなく、
心臓のような“脈”に同期する。
エリオットの脈拍ではない。
もっと巨大で、鈍重で、生々しいもの。
──屋敷が脈打っている?
そう思った瞬間、足が止まった。
壁紙は同じ柄。
絨毯も同じ色。
なのに、壁が……近い。
いや、違う。
じわり、じわりと迫ってきている。
生き物の皮膚のように、触れれば温もりがありそうで、
押し返しても形を変えそうなほど柔らかい“気配”を放っている。
「(……狭くなってる……?)」
ありえない。建物が縮むはずがない。
しかし、照明と照明の距離がさっきより短い。
廊下の幅も、腕一本ぶん……いや二本ぶん、狭くなっている。
ほんの一瞬、壁紙の模様がぬるりと動いた。
まるで、誰かが内側から手のひらで撫でたように。
「……っ」
エリオットは早足になる。だが足音が消える。
吸い込まれている。
靴底が床に触れているのに、
反響がない。
本来なら響くはずの硬い大理石の床が、
まるで沼に沈む泥のように、音を殺している。
(……戻れない……!?)
ゆっくりと振り返る来た道は、見る間に闇に溶けていくようだった。
照明がひとつ、またひとつと勝手に消え、
闇がまるで液体のようにせり上がってくる。
追いかけてくる。
エリオットは小走りになった。
呼吸はまた乱れ始めていた。
「(やめろ……落ち着け。パニックになるな……!)」
角を曲がると、そこに──扉が一つだけ浮かぶように立っていた。他に選択肢はない。
エリオットは取っ手を掴み、勢いよく扉を押し開けた。
扉を開けると薄ら寒かった屋敷の空気から一変 心地よい暖かな空気が身体を包むそして鼻腔をくすぐる花の香り
天井は高いガラスドーム。外の霧とは対照的に、
ここだけが南国の夜のように蒸している。無数の花と蔓が、壁も床も天井も埋め尽くしている。生きている。
葉が、風もないのにゆっくりと波打つ。
どうやら自分は温室に入ってしまったようだ
「(おかしい……もと来た道を戻ってきたはずなのに全然違う部屋に着いてしまった)」
茂みの奥から声がする
「あれーー?だれーー?!」
声の主は花達をかき分けてエリオットの前に姿を表す
「ーーーっ」
肌は白い、というより光を反射しすぎている。
日陰のはずなのに、輪郭が淡く発光して見える。
血管の青は透けすぎて、まるで薄い陶磁器のよう。
白髪は風もないのに、ひたり、ゆらりと揺れた。
まるで温室の中の空気が彼女だけ別のリズムで動いている。
そして──赤い瞳。
ただ赤いだけではない。
光を宿していないのに、燃えているように見える。
瞳孔の奥が、こちらを覗き返してくる。
エリオットの背中にぞくりと冷たいものが走った。
「(……アルビノ……
いや、それだけじゃない……)」
なぜだ。
幼い頃に読んだ絵本の妖精たちは美しくて、優しかったはずだ。
目の前にいるこの女性は──
綺麗すぎて、“自然な生き物”として認識できない。
たとえば、
鏡の中からこちら側へ間違って出てきてしまったもの。
エリオットは茂みから出てきた女性から目が離せなかった
「っ し、失礼しますね私 ヴィクター・クロウリー様に御用がありまして……」
少し上ずった声を出してしまった
「パパに用なの? ふーん」
温室の暖かな気温のおかげか彼女の頬は薄くピンク色に染まっている
「あたしはブランシュ ブランシュ・クロウリー」
頭に着いた葉っぱや花を取りながらこちらに向かってくるブランシュ 俺にに警戒心は無いようだ
(?……なんだ……この感覚)
エリオットの背中を、氷の指で撫でられたような悪寒が走った。
ブランシュは、花弁に触れた指をひらひら揺らしながら首をかしげる。目の色が変わった。獲物を狙うような目に
「ねぇ、お客様。迷ってしまいました?」
その声は、少女の可愛らしさを含み耳の奥で、ねばつく甘さだけが残る まるで喉に絡みつき、離れない甘さ。
エリオットは笑みを作りながら、一歩だけ後ろへ下がる。
「(前言撤回 警戒心というよりやはり「異常」だこの屋敷の人間は……!!!)失礼します、ね、私はヴィクター・クロウリー様に御用がありまして どうやら部屋を間違えたようで……」
「ふーん」
赤い瞳が、じっとエリオットを観察する。
どこを見ているのか分からない、焦点の揺れた視線。
しかし今目の前にいる人物が本当に客なのかそれとも部外者なのか見定めているようだ。
その視線に捕まれた瞬間──
胸の中に、ひどく冷たいものが流れ込んだ。
まるで氷水を心臓に流し込まれたような感覚。
エリオットは思わず息を詰める。
「(なんだ……この女……視られている”じゃない……“覗き込まれている”……?)」
ブランシュはふわりと微笑んだ。
「こっちとはぜんぜん違うよ? パパのお部屋。ねぇ……どこから来たの?」
「い、いや……ただ戻ってきたつもりで……」
「へぇ。じゃあ──」
ブランシュはそっとエリオットの手首に触れた。
白い指。
薄い皮膚の下に、青い血管が透けて見える。
なのに、その手は驚くほど温かかった。
温室の熱に焼かれた石のように。
「ここに、“呼ばれちゃった”んだね」
「……呼ばれた?」
「うん。屋敷がね。呼びたがってたから」
エリオットはぞくりとした。
笑っているのに、その赤い瞳だけは、まったく笑っていない。
ブランシュは手首に触れたまま、エリオットの脈を感じ取るように指を滑らせた。
その仕草はどこか甘やかにすら見えたが──目だけは、まるで深い井戸の底のように静まり返っている。
「すごい速さで鳴ってるね?」
「っ……」
エリオットが手を引こうとすると、ふわりと微笑んだ。
けれどその指は、華奢な見た目に似合わず、人間とは思えない力で絡みついてくる。
「あなたの心臓の音 怖がってる音だね。あ、言っても分からないか!」
眉を八の字にしてブランシュが淡々と話すがその声色は舌先で砂糖を転がすみたいな甘さで語り、奥底には、ぞぶりと泥のような黒い気配が沈んでいる。
エリオットは心臓を冷たく握られたような感覚に陥った
「(今……何をされた……? ただ触れられただけだろ……?)」
ブランシュはしばらく彼の鼓動に“耳を傾けるような仕草”をしていたが──
次の瞬間、ぱちりと瞬きをし、
「あ。なんか飽きちゃった」
ブランシュは手を離し、
花の葉を指で弾きながら、
完全に退屈そうにため息をついた。
「ねえ、お客様。パパに用があるならあっちの方だよ
」
ブランシュはくるりと背を向ける白い髪がふわりと揺れた
「案内してあげてもいいけど…どうする?」
ブランシュは、もうエリオットを見ていない。
花の蔓を指でくるくる巻きながら、ぼそりと呟く。
「案内、してくれませんか……?どうやらこの屋敷と相性が悪いようで……」
「うん、わかった。パパのところ案内してあげる。ついておいで。ここで立ち止まってると……温室が飲み込んじゃうから。」
「[温室が飲み込む?]」
目を凝らすと温室の茂みの奥で、蔦がゆっくりと蠢いた。植物が無風の中で揺れ、葉が擦れるようなざわめきが低く響く。
エリオットの背中に、冷気が走った。この温室が「生きている」?
「迷っていたいならそこいなよ 食べられるのも時間の問題だから」
ブランシュはエリオットの方を振り返らずスタスタと出口への扉がある温室の奥へ歩き出す
先程までの甘い声色とは違い無機質な声色へ変化していた 。エリオットは慌てて彼女の背中を追った。
温室を出てしばらく廊下を歩く 先程のような変化は起きていない。
急にブランシュがピタリと歩みを止めた
「……もういいや。あなた、あんまり面白くない」
はっきりと言う。
つい先ほどまでエリオットを案内すると言っていた人物は興味を無くし乾いていた声で宣言した。
「退屈しのぎに案内したげようと思ったけどお客さんすっごいつまんないから飽きちゃった。」
綺麗にネイルされた爪を眺めながらたまにささくれを気にしつつそんな事を言われてしまった。
「い、いやでも案内してもらわないと私はヴィクター様の所に行かないといけない理由が……!」
自分でも情けないほど声が上ずる。ブランシュはエリオットの焦りなどどうでもいいという顔をして
「あ、そうだ」
指を鳴らし やや間延びした声を出した。
「今、マリーナの部屋の前を通るのがいちばん近道だよ」
「……マリーナ?」
エリオットの喉がわずかにひきつる。ブランシュは完全に投げやりな調子で、
「うん。五女。私の下の妹いつも寝てるから、静かに通れば大丈夫♡」
からっと笑うが、その言い方が妙だ。
大丈夫、と言いながら何を“危険”と言っているようだ。
エリオットの頭にに鈍い警鐘が鳴る。
ここで彼女に置いてかれたらどうなるか
しかし屋敷はエリオットを嘲笑うかのように先程までの道を変形させ元の道に戻せないようにさせた。
そして──
ブランシュは突然、ぴたりと止まった。
目の前には古い木製の扉がある。扉の上には
【Marina】と刻まれたプレートがかかっていた。
ブランシュはニコニコしながら振り返る。
「ほら、ここを通って。あたし、もう飽きたから先に行くね。 あ、本当に静かにしてね?マリーナ、起こされると機嫌悪いから♡」
そう言って扉の前を軽やかに通り過ぎる。そのままふっと廊下の角へ消えていった。一瞬、ブランシュの瞳が、一瞬だけ、本当に楽しそうに細まった。まるで、「これから何が起きるか知ってる」って言ってるみたいに。
扉の前で置いてかれたエリオット。
背中に、ぬるりとした視線が貼りつくような気配。
この扉の向こうで何がいるんだ?
しかしこのまま引き返すこともできないエリオットは、
仕方なく、マリーナの部屋の扉を開ける。
──理由はただの「近道」。
ブランシュにとっては、どうでもいいこと。
妹に面倒臭いことを擦り付けただけ。
でもエリオットにとっては、地獄への直通便になる。
エリオットは、震える手で扉を押した。重い木の扉が、軋みながら、ゆっくりと開く。扉を押し開けた瞬間──
エリオットの視界は、思わず“子供部屋”と錯覚するほど色彩に満ちた空間に染まった。
淡いクリーム色の壁。床にはふわふわしたラグ。
大小さまざまなぬいぐるみが床を埋め、天井には星と月の装飾が施されたベッドメリーのような小さなシャンデリア、棚にはガラス細工、ランプ、宝石、古びた本、意味のわからない金属装置……
統一性があるようで、まったくない。
(……なんだ、ここは子供部屋いやそれしては古美術品が多い気が…?)
一歩踏み入れるだけで、
鼻腔に甘い香りが触れる。
おそらく香草か魔法素材だろうが、エリオットには判別できない
部屋中央を見ると黒い天蓋付きのベッド。カーテンはレースと蜘蛛の巣で、ぐちゃぐちゃに絡まっている。
このベットの上で眠っているのがクロウリー家第五女
マリーナが静かに寝息を立てている。ぱっと見、ただの「寝ている子供」。だが部屋の密度は異様に重かった。
「(……なんだこの圧。ガキの部屋にしちゃ冗談みてぇに空気が濃い)」
壁際に積まれた本は恐らく「魔導書」だろう、しかし見慣れない「封」の文字が幾重にも重ねて描かれていた。
魔法知識に乏しいエリオットでも、直感的にわかった。
これは素人が触っていいものではない。
それに、エリオットの狙いは魔導書ではない。
触らぬ神になんとやらだ
数歩進んだときだった。
ふわりと柔らかかった足元の感触が、急に“ざらり”と変わる。
「ん?」
エリオットは思わず足元を見る。
そこだけ、色が違った。
ラグは深い葡萄色で、まるで風合いのいい絨毯のように見える──が、その中央には、淡く褪せた金糸で円形の模様 が織り込まれていた。
(……模様?)
だがよく見ると、線が妙だ。
同じ太さの線ではない。ところどころ滲んだように歪んでいる。絨毯に刺繍したというより、誰かが“内側から爪で描いた”ような不規則さ。
エリオットが眉をしかめて覗き込んだ瞬間─
バチンッ!!
足元から電流のような硬い衝撃が走る。エリオットは反射的に飛び退いた。
「なっ……!?」
逃げた足元で、ラグの模様が勝手に動く。線が線を呼び、中心の円が“時計の針のように”ぐるりと回転した。
布なのに、動いている。
(動いて……?布が……!?)
素人目にもわかる。これは魔法だ。ただの刺繍が勝手に動くはずがない。
エリオットが息を呑むと、まるで呼応するように、絨毯の模様がぱちぱちと火花を散らす。
カチ、カチ、カチ……
まるで部屋中の空気が“スイッチを入れた”ように音を立てた。
エリオットが冷や汗を垂らす
そして……
ドンッ!!!
棚が勝手に跳ね上がった。
次の瞬間――
ガラス瓶、金の細工物、宝石の詰まった小箱……
さまざまな物が、
まるで投石器で弾かれたみたいな勢いで飛び出してきた。
「うっ!?」
反射的に顔を腕で覆うエリオット。
金属が壁に当たって跳ね返る甲高い音。
割れたガラスの切っ先が、かすめただけで腕が焼けるように痛む。
だが攻撃はそこで止まらない。
床に転がっていたはずのぬいぐるみたちが――
ガバッ!!
一斉に立ち上がった。
毛足の長いウサギ、キツネ、熊、ドラゴン……
可愛らしい見た目のはずが、そのボタンの目が不自然にギラリと光り
ドドドドドドッ!!
エリオットめがけて、信じられない速度で突進してきた。
「ぐっ!!」
避けきれず、脇腹にウサギのぬいぐるみが激突する。
ふわふわのはずなのに、拳骨を入れられたように重い衝撃が走った。続けざまに熊のぬいぐるみが飛びかかる。その重さはまるで砂袋。
「(なんだこの人形……!? 中に何が入ってやがる!?)」
信じられない痛みが身体に走る。布と綿の塊とは思えない。
まるで金属の芯があるかのような、“殴打の重さ”。
ぬいぐるみたちは無表情のまま、どこか律動的に、機械のように動いている。
まるでひとつの意思でエリオットを排除しようとしているかのように。
ぬいぐるみたちの猛攻を、転げるようにしてどうにか抜けたエリオットは、荒い息を吐きながら身体を起こした。
「っは……っは……ふざけんな……何なんだこの部屋……!」
だが、終わりではなかった。
第2波が、すぐそこまで来ていた。
「……?」
足元で、何かが“波打つ”ような気配。
エリオットが視線を落とすと――踏んでいたラグが、ぞわり……と蠢いた。
バキンッ!!
乾いた破裂音とともに、さっき踏んでいたラグの表面が“裏側から突き破られる”ように盛り上がった。
「……は?」
次の瞬間――
ドドドドドッ!!!
絨毯の繊維を引き裂いて、
何本もの“杭”が一斉に突き上がった。
素材は……分からない。木でも金属でもない。ただ、表面は鈍く黒光りし、先端は針のように鋭く、“生きている”ようにも見えた。
「ッ!!」
エリオットが思わず肩をすくめた瞬間、杭の一本が彼のコートの裾を裂いた。
「っぶねぇ!!?」
杭は一本では終わらない。
太いもの、細いもの、角度も長さも統一性がない。まるでラグの下に潜む何かが、“適当に伸ばした手足”を無作為に突き出しているようだ。
バキッ!
バキバキッ!!
床が割れそうな勢いで杭がせり上がり、部屋の空気が震える。どうやらラグを踏んでいる限り杭は出続けるようだ。
「(……なんだよこれ!? 床に仕込む罠じゃねぇだろ!)
寝言のような声が、天蓋ベッドから降ってくる。
「……ねむい……五分で……静かにして……でないと……本当に……殺すから……」
マリーナはまだ夢うつつの状態のようだ。
「出口!出口は!?」
エリオットが入ってきた扉は案の定無くなっていた
代わりに別の扉を探さなければ……この猛攻をよけつつ?
――死にもの狂いで転がり、飛び、避け続けた末に。
エリオットは、部屋の奥──半ば家具に隠れる形になっていた扉に気づいた。
「っ……はぁ……っ……あった……!」
杭が背後で床を裂く音を聞きながら、エリオットは体勢を崩しつつ扉に手を伸ばす。
ガチャッ!
錆ついたような重い手応えとは裏腹に、扉はあっさりと開いた。
エリオットは振り返る余裕もなく、そのまま飛び出した。
バタンッ!!
廊下に転がり出るようにして扉を閉め、しばらくそのまま肩で息をしながら、床に手をついて荒く呼吸した。
「……っ……なんなんだよ……あの……部屋……」
しばらくしてようやく呼吸を整えたエリオットは、どうにも信じられない気持ちで振り返り、そっと扉を開けた。
ギィ…………
さっきまでの地獄のような光景を思い返し、心臓が跳ねる。
しかし――
「…………は?」
中は、静かだった。
まるで最初から“何も起きていない”かのように。
棚は整然と並び、ぬいぐるみは可愛らしく積まれ、ガラス細工は割れひとつない。
床は傷一つなく、あの凶悪な杭を生やしたラグも、柔らかく敷かれたまま。
痕跡が、ひとつもない。
(……おいおい。俺が逃げ回ってたのは幻か?
んなわけあるか、コート裂けてんのに……)
そして部屋の中心。
黒い天蓋のベッド。レースと蜘蛛の巣のようなカーテン。
その中で――
マリーナは相変わらず、静かに寝息を立てていた。
微動だにせず、まるで天使の寝顔。
「…………」
ぞっとするほど“平穏”。
さっきの殺意の奔流と、あまりにも落差がある。
エリオットは寒気を覚え、そっと扉を閉めた。
カチリ。
「……クロウリー家、マジでどうなってんだよ……」
深く息を吐き、
立ち上がろうとしたとき──背後の扉の奥から、
かすかに、寝言のような声が漏れた。
「…………逃げちゃった…………ねむい……」
エリオットは、振り返ることもできず、
ただ、走り出した。──あの部屋の主は、本当に、寝てるだけだったのか?
エリオットは、マリーナの部屋から離れ、薄暗い廊下を慎重に歩いた。
どこもかしこも不気味だが、少なくとも“あの部屋”よりはマシだ。
しばらくすると──鼻をくすぐる香ばしい匂いが漂ってきた。焼きたてのパン。溶けたバター。香草の甘い刺激。そし
て、かすかに、肉の焼ける匂い。
「……飯か?使用人が作ってんのか?」
胃が、鳴った。同時に、背筋に、冷たいものが走った。この屋敷で、“普通の匂い”がする方が、よほど危険だしかし心のどこかで身体と頭を落ち着かせたいと思っている。
匂いを追っていくと、重厚な両開きの扉が現れた。
プレートには、確かにこう記されている。
|【Dining Hall】
《食堂》
「……食堂?」
食堂と言っても、貴族邸の食堂は、侍従たちが給仕を整える場所のはずだ。
令嬢が立ち入る場所ではない。
それなのに──扉の隙間から、かすかに包丁の規則的な音が聞こえる。
トン、トン、トン、トン……
そして、見えた“誰か”の細い背中。白いエプロン。髪をざっくりまとめて後ろに垂らした長い影。
エリオットは思わず首をかしげた。
(……誰だ?まさか、またヴィクターの娘か!?……でも、顔を知らねぇし……使用人か?)
どう見ても、貴族のお嬢様がやる姿ではない。
だが、この屋敷の人間について、普通を当てはめること自体が間違いだということも痛感している。
とりあえず、進むしかない。
エリオットは小さく息を吐き、
――“その誰か”が振り返る前に音のする方へ、そっと扉に手をかけた。
エリオットの視界は、一瞬だけ“救われた気がした”。
白いエプロンは、陽だまりの色を吸って柔らかく輝き、
少女は、心の底から嬉しそうに目を細めていた。
「こんにちはー! ちょうどいいタイミング! 新作できたんだよー!」
こちらに振り向き明るく声をかけるその声は、春風みたいに軽くて明るい。
……だからこそ、エリオットの脳が現実を理解するまでに、数秒の遅れが生まれた。
ぱち、ぷち……
まな板の上の“それ”が、まだ動いていた。
(……生きてる……?)
オリーフィアが持つ包丁は、刃の根元まで真っ赤。
滴った赤が、シンクへ向かって細い線を描いて落ちていく。
エリオットの喉が張り付く
「(なんだ、あれ……肉?魚?いや違う形が根本的に違う!!それに動いている!!)」
そんなエリオットの固まった様子を見て、
オリーフィアは「あっ」という顔をして、急に笑った。
「ごめんね、お客さん。自己紹介まだだったよね!」
くるりとスカートを揺らし、小さくお辞儀する。
血塗れの包丁を握ったままで。
「わたし、オリーフィア・クロウリー。クロウリー家の四女だよ。よろしくね、お兄さん♡」
にっこりと微笑むその横で、まな板の上の“それ”がぴくん、と跳ねた。
エリオットは言葉を失った。
「(なんで“血まみれの包丁を持ったまま”名乗るんだよ……!!いや、そもそも誰がそんな状況で笑えるか!!)」
オリーフィアは、まるでエリオットの怯えた顔を不思議がって首をかしげる。
「あ!もしかして、これ苦手だった?大丈夫だよ?食べられる所 しか使ってないから!」
「食べられる所って……」
エリオットは彼女が放つ言葉が理解できない。いや脳が理解を拒否をしている。しかしこれだけは分かる。
──確実に、危ない
脳内で警報がまた鳴り始める。とにかくここから移動しないと……!!
エリオットはごくりと唾を飲み、声を絞った。
「い、いえ……あの……私は、ヴィクター・クロウリー様に……お会いしに……」
声が裏返った。
「今日のメニューはね、パパの大好物なの。
家族のためにって思うと、つい夢中になっちゃうんだよねぇ」
オリーフィアが楽しげに話す。こちらは一切見てはいないようだ。
「じゃ、じゃあ、邪魔しちゃ悪いから私はここを出ていくね……!」
ゆっくり 静かに後ろににじり寄った……よしよしこのままこのイカれた調理場から逃げるぞ……
エリオットは今いる場所から早く避難したかったがその思いは無情にも打ち砕かれる
ガシャンと大きな音。食器棚に背中をぶつけたのだ
「あら?そんなに怖がらなくていいよ?これは”新鮮”だから動いてるだけだし、あ!味見して欲しいな!お客さんの好みの味付けにしたいから!」
屈託のない笑顔が言ってることの怖さを倍増させる。
オリーフィアが一歩、こちらに近づく。エリオットの心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
(こ、来るな……! 頼むから、それ以上近づかないでくれ……!)
もう一歩。
そして、彼女の顔が照明の下に入った瞬間——
エリオットは、息を呑んだ。
「(この女、瞳の色が……!!)」
オリーフィアの瞳は右が赤く左が青い瞳 いわゆる「オッドアイ」と呼ばれるものになっていた。
逃げ場を探していた視線が彼女の両の瞳から反らせられない。
「味見してくださる?」
笑顔は天使のようだ。手にしているお玉の中身は地獄だがエリオットには、それが断頭台の刃にしか見えなかった。
「ほら。口、開けて?」
差し出されたお玉の先端が、ゆっくりとエリオットへ近づく。
そこに入っているのは……もはや原形を留めているのかすら怪しい、得体の知れない“何か”。
甘い匂い。鉄の匂い。焼きたてのパンの香り。全部が混じった、吐き気を誘う温度。
笑顔は天使のよう。
なのに、エリオットには——
その天使の瞳が、赤と青の光でこちらを“捕まえて”離さないように見えた。
「(やばい……動けない……!
今、少しでも動いたら……この女、迷いなく刺してくる……!!)」
オリーフィアの足音が近い。靴底が床に触れる、軽くて小さな音が、やけに大きく響く。
お玉がエリオットの唇に触れ——る寸前。
「ひっ……!!」
反射的に身体が跳ねた。足がもつれ、横へ転がるように避ける。
ガシャンッ!!
調理台の角に肩がぶつかり、その痛みすら“生きてる”と実感させてくれてありがたい。
「わっ!? 逃げちゃうの!? まだ味見——!」
オリーフィアの明るい声が追ってくる。
「(誰が味見なんかするか!!アホ!!)」
とにかくこの場所から逃げなければ……!エリオットは足をがむしゃらに動かした。スーツにシワがよっても革靴が擦れても構わない 今 ここから早く逃げ出したい!
だからなのか向かいからくる人影に気を回す余裕などなかった。それが1番最初に会ったクロウリー姉妹の1人朝霧だった事に気がついたのはすれ違いざまの怒号だった。
「オリーフィア!また勝手に食堂占領してるーー!!
また使用人 使ったでしょ!?パパに言いつけるよ!」
「!?!?」
朝霧の声が、エリオットの脳へナイフのように突き刺さる。
“また使用人使った”
その言葉で、エリオットは理解してしまった。
——鍋の中身。
——お玉の中身。
——まな板の上で、まだ動いていた“それ”。
朝霧の大声で鍋の中身が分かってしまった。つまり味見させようとしたあのお玉の具材は……
胃がひっくり返るような嗚咽がこみあげる。
「うっ……っ、げぇ……!!」
呼吸が乱れ、涙がにじむ。足がもつれそうになるが、それでも止まれない。
後ろで、食堂の扉が──
カシャン……
と静かに、まるで演劇の幕が降りるように閉まった。
エリオットはただ走る。吐き気と恐怖と震えで、視界がぐらぐら揺れながら。
エリオットは死にもの狂いで走り、角を曲がった瞬間——
影にぶつかり、尻もちをついた。
「っいて……!」
「ひゃっ……!!? ご、ご、ごめんなさい……!」
何だこの影……恐る恐る上を見るそこには2mは超えているであろう巨大な体が、まるで子犬みたいに慌てふためいていた。しかし、腕も肩幅も自分の倍はあるのに、挙動があまりに弱々しい。
「(で、でかっ……俺の倍はあるんじゃ……)」
エリオットはあまりの巨大な少年に(よくよく見ると顔付きがかなり幼い)先程とは違う恐怖を感じた。
「だ、大丈夫ですか……!?あの、ぼ、僕、またやっちゃって……ごめんなさい……!」
「(なんだコイツ、威圧する訳でも怒鳴る訳でもなく……泣いてる?)」
エリオットは、むしろ彼の怯え方に圧倒され、逆に落ち着いてしまった。
「いや……俺は大丈夫。泣くなって。ほら 怪我もしてない。」
両手を広げて無傷を彼にアピールするするとさっきまで泣きじゃくっていた少年はパァっと笑顔になった。
巨体の少年は胸に手を当て、ぎこちなく挨拶した。
「……よ、よかった……!僕また壊しちゃったかと……!僕の名前はアズラエル!ようこそクロウリー邸へ!」
アズラエルと名乗った少年がエリオットの顔ぐらいある大きな手を差し出した。そういえばやっとここの住人に歓迎の言葉をもらった気がする。
「あぁ 俺はエリオット。エリオット・ハリス。ここの主人ヴィクター・クロウリー殿に用があって来たんだ。」
「パパ……あ、いやお父様に?」
アズラエルは目を丸くする
力強い握手をしつつ自分の目的をアズラエルに告げるどうやら彼もクロウリー家の1人のようだ。
「(庭師とかじゃないのかよ……)」
握手は、驚くほど優しかった。この体格でこの気遣いができるのは、逆にすごい。
アズラエルは恥ずかしそうに笑い、
「えへへ……あの……来客の方と話すの、僕……慣れてなくて……で、でも……えっと、エリオットさんは……こ、怖くない……」
その言葉にエリオットは思わず吹き出した。
「いや、俺だってここに来てから怖い奴ばっかりだし——まともに会話できるお前は、助かるよ。」
アズラエルは嬉しさを隠せず、尻尾でも生えてるんじゃないかってくらいそわそわした。
「ほ、本当!?ぼ、僕と話すの……嫌じゃない……?」
「嫌じゃないっていうか、お前……普通にいい奴だろ。」
「いい奴」と聞いてアズラエルは弾かれたように顔を上げ、涙の跡を残したまま眩しい笑顔を浮かべた。
「ほ、ほんとうですか!?僕、嬉しいです……!僕、いつも嫌われるから……こうやって話せるだけで……」
なんか会話がやや噛み合わないが、“安心できる”。
初めて、屋敷の中で、エリオットは呼吸ができた気がした。
「お父様に用があるだよ……ですよね?だったら僕が案内します!と言ってもすぐそこなんですけれど」
「えへへっ」と恥ずかしそうに笑うアズラエルと共に廊下の角を曲がる。
いや、曲がろうとした瞬間だった。
「アズラエル」
静寂を裂く声その声は“音”というより“命令”だった。
温度が一瞬で数度下がったような錯覚さえあった。
空気が、沈む。喉に重い石を押し込まれたような違和感が走り、エリオットは思わず振り返る。
2人のメイドを従えた長身の女性がそに立っていた
艶やかな黒髪 やや前髪は長めだがその隙間から青い氷のような瞳が見える。立ち姿は一切の乱れがなく、貴族が持つべき“威厳”というより、“支配”そのものの形をしていた。 そして美しさよりも恐ろしさを感じる美貌。
彼女は名乗らなくてもエリオットは彼女を知っている
息を飲むほど美しい——
なのに、エリオットの心臓は凍りついた。
美しさよりも速く、恐怖が先に来る。
——クロウリー家、長女 セラフィナ・クロウリー。
アズラエルの反応はもっと分かりやすかった。青ざめる所ではない。巨大な少年はセラフィナが視界に入った瞬間、ビクリと震え小動物のように丸まった背をさらに小さく畳んだ
「せ……セラフィナ姉さん……!」
「何をしている?」
恐怖で震えているのに、逃げようとも隠れようともしない。ただ、従うためだけに存在する姿勢。
エリオットは悟った。
「(……こいつ、ほかの姉妹より……比べ物にならない“化け物”だ……)」
この瞬間、廊下の空気は完全にセラフィナの支配下にあった。
「アズラエル。おまえは――“無断で家に連れ込んだ”者と、なぜ……友人のように振る舞っているんだ?」
セラフィナの声は静かに、しかし廊下の空気を削り取るようだった。氷のように冷たい視線が、アズラエルへ落ちる。
アズラエルの肩が小さく震える。目にはまだ涙が残り、唇がわなわなと震えた。
「そ、その……ぼ、僕は……ただ……この人、怖くなさそうだったから…………かもしれない……」
答えはあまりに弱く、頼りない。
だが、それでもセラフィナの注意を逸らすには不十分だった。
「“怖くなさそう”?“かもしれない”?甘い言葉は聞き飽きたぞ、アズラエル。」
その冷たい言葉だけで、アズラエルは思わずくしゃりと縮こまった。
「アズラエル。お前……“次期当主”と呼ばれていること、分かっているな?」
アズラエルはビクリと肩を跳ねさせた。
「ぼ、僕は……っ……でも……!ぼ、僕はそんな……」
セラフィナは、その言葉を切り捨てるように続ける。
「いいや。お前がどう思っていようと関係ない。周囲は勝手に“お前が継ぐ”と噂し、父上も……お前に期待している。これは事実だ。」
“期待”という単語を吐く時だけ、セラフィナの声には僅かな嘲りが混じった。
「なのに――お前は、部外者と、無防備に笑って、触れ合って、信用しようとしていた。」
アズラエルの顔がみるみる青ざめていく。
「そ、そんなつもりじゃ……ない。ぼ、僕は……ただ……エリオットさんが……優しそうで……!」
「優しそう? 」
セラフィナの目が細くなる。
言葉の温度は氷点下そのもの。
「“次期当主”と噂される者が、そんな理由で安全を放棄するか?――愚かだ。甘さにも程がある。」
その声は、アズラエルの胸を鋭く刺した。少年は肩を震わせ、俯く。
「お前の甘さ一つで、この家が、お前自身が、簡単に壊れるんだ。」
淡々と告げられるその言葉に、エリオットも息を飲んだ。
セラフィナは続ける。
「私は“お前が次期当主にふさわしい”とは一度も思ったことがない。尚更“この家の血族”として最低限の警戒すらできないなら、話にならない。」
アズラエルは握りしめた大きな手を震わせ、小さく、しぼむように呟く。
「……ごめんなさい……セラフィナ姉さん……。」
セラフィナは一度も彼を慰めない。優しい言葉もかけない。ただ冷徹に事実を突きつけるだけ。
「謝るなら、行動で示せ。二度と、部外者に情を見せるな。お前が何者であるか、自覚しろ。」
アズラエルは、絞り出すように頷いた
「……はい……。」
その表情は悲しげで、悔しくて、
そして“縛られている”。
エリオットはその様子に胸が痛み、同時に――この姉の冷徹さに背骨が凍りつくほどの恐怖を覚えた。
セラフィナはようやくエリオットへ視線を戻す。
「さて……。“部外者”。貴様にも、聞くべきことがある。」
セラフィナは、アズラエルに背を向けたまま、
ゆっくりと、エリオットの方へ顔を向けた。視線が合う。瞬間、廊下の空気が音を立てて、凍りついた。まるで氷の刃が、心臓を貫いたように。セラフィナは、一歩、一歩ゆっくりとエリオットへ近づく。
「貴様は何をしにこの屋敷に踏み入れた?」
無表情のまま静かにエリオットへ問う
これは質問ではない。宣言だ。
エリオットの喉がカラカラに乾き完全に塞がる。
「答えろ」
エリオットの身体が自然と勝手に頭を下げた。体が自分のものではない。
まるでセラフィナの“手”が、背骨を掴んで操っているようだった。
アズラエルの小さな声だけが震えて聞こえる。
「ね、姉さん……エリオットは……っ……!」
「黙れ、アズラエル。」
氷より冷たい声が少年を切り捨てる。
「お前は“次期当主”の名を軽くしすぎだ。部外者と馴れ合うなど――処罰に値する。」
アズラエルの肩がびくんと跳ねた。
セラフィナはアズラエルを“次期当主”と呼ぶくせに、
その才能は一切認めていない。
ただ“家が決めた役割”として扱っているだけだ。
「(抵抗できない……!!)」
「3秒やる」
「え!?」
無慈悲な宣言 エリオットは一瞬全て話して楽になろうかと思った。しかしそれではダメだ「彼女」のために言ってはいけない……!!けれど……
口が開きかけた――その瞬間。
「……セラフィナ。」
廊下の奥から、重く、低く、
だが絶対的な威厳をまとった声が響いた。
空気が揺れた。セラフィナの放つ“圧”とは質の違う、
“支配者の気配”が前方から押し寄せる。
黒いスーツ、ゆっくりとした歩み。
存在そのものが闇を引き連れているような男。
ヴィクター・クロウリー
セラフィナですら背筋を伸ばし直し、氷のような顔にわずかな影を落とした。
「……お父様。」
ヴィクターはエリオットを一度だけ見た。その“視る”という行為だけで、エリオットの心臓が握り潰されそうになる。
「子ども相手に、本気で威圧を使うな。みっともない。」
「申し訳ございません。」
セラフィナは頭を下げた。その仕草に感情はない。
ヴィクターは歩を進め、真っ直ぐエリオットの目の前に立つ。
「――さて。君が、アポイントもなく我が家に踏み入った理由。聞かせてもらおう。」
エリオットの背中に冷たい汗が流れる。
心臓が跳ねた。言えない。言ったら終わる。
言わなければ死ぬ。
「あっ……」
「いや、聞くまでもないか。“不老不死薬”を盗みに来たのだろう?エリオット・ハリス。」
エリオットの体温がいっきに下がる。
セラフィナは――表情を動かさなかった。まるで、最初から知っていたかのように。
エリオットは声が出なかった。
ヴィクターは続ける。
「闇オークションの参加資格は――最低50億ポンドの預金証明。」
ゆっくりと、残酷に。
「君に、その金はない。」
エリオットの体が震えた。
「だから我が家から薬を盗む計画を立てた。盗めなければ、私の極秘口座から金を引き抜き、偽の預金証明を作るつもりだった。」
全て――言い当てられている。
息ができない。
「そして……」
ヴィクターの声は、今までで最も低く、最も深かった。
「恋人を……“貴族の火災”で失ったな。」
エリオットの瞳が大きく揺れた。
「臨床試験のバイトで高額報酬に釣られ魔術研究施設に入った―ーそこで起きた火災。」
ヴィクターの視線には哀れみも同情もない。
ただ、事実だけを突きつける死刑執行人のようだ。
「貴族の魔術実験の失敗。すべて金で揉み消された。罪なき庶民が死んでも、誰も裁かれない。」
エリオットの喉が震えた。涙が、出そうになる。
ヴィクターは問う。
「……その“恋人”を、不老不死薬で蘇らせるつもりだったか?」
エリオットは――
答えられなかった。
否定も肯定もできなかった。
廊下には、誰の呼吸音すら聞こえない。
ただ、ヴィクターの黒い影だけが、静かにエリオットの前に立っていた。
「……エリスを返してほしかっただけなんだ。」
エリオットの声は、壊れたガラスのように震えていた。
ヴィクターはほんの一瞬ゆっくりと瞼を閉じた。
彼の告白を静かに聞き入れた。その横顔はまるで哀れみを浮かべたように見えたが次に開かれたその瞳は絶対零度だった。
「――不可能だ。」
ヴィクターの声は淡々としていた。残酷さを隠そうともしない。
「不老不死薬は、“死者蘇生”などしない。」
「……え?」
ヴィクターは冷たく続けた。
「君の恋人は火災で死亡した時点で、肉体の原型を失っている。」
喉に何かを押し込まれたように、息ができない。
「不老不死薬は“死体”には効かない。必要なのは――」
ヴィクターは片手を持ち上げ、指を一本立てた。
「“生きている細胞”だ。」
エリオットの目が大きく揺れた。
「……生きて、ないと……?」
「そうだ。といかそもそも”不老不死の薬”がなんで死者を甦らせる物だとおもったんだ?」
「……ッフ」
セラフィナが顔を背けて小さく笑った
エリオットの胸が、鈍い痛みを越えて、焼けるように熱くなる。
ヴィクターは続けた。まるで冷笑するように。
「老いを止める薬が、死を巻き戻すと?論理が破綻している。死者蘇生など、君の幼稚な幻想でしかない。」
エリオットは唇を震わせた。
「……でも……!だって……実験データに……!」
「“死にかけた細胞が回復した”——その一文だけだろう?」
ヴィクターの声は嘲りを含むほど静かだ。
「死にかけた細胞と、“すでに死んだ肉体”は別物だ。君は最初から、希望的観測で現実を塗り替えたつもりになっていただけだよ。」
エリオットの膝が崩れ、冷たい床に手をついた。
ヴィクターは斜め後ろから、刺すように言葉を落とす。
「――君の計画は、最初から成り立っていなかったんだ。」
エリオットは、膝をついたまま動けなかった。瞳から色が抜け、呼吸だけが辛うじて続いている。
――もう、何も残っていない。
目的も、怒りも、希望も。
セラフィナが見下ろす視線は氷のように冷たい。
「哀れな男だ。復讐は無駄に終わり 意思も反抗も失った”抜け殻だ” 」
ヴィクターはそんな彼を一瞥し、眉ひとつ動かさずに言った。
「――処分を決める。」
廊下の空気がピンと張りつめる。
セラフィナはゆっくり歩み出て、父ヴィクターの横に立つ。
アズラエルは青ざめたまま、固く拳を握りしめている。
「理由は簡単だ。部外者がクロウリー邸に無断で侵入した。家の掟に従い、“処分”とする。」
「お……お父様……!」
アズラエルの喉がひゅっと鳴った。
「アズラエル。」
ヴィクターの声は絶対のものだ。
「情は不要だ。掟は掟。そして――処分は、クロウリー家の“姉妹”が行うものだ。」
エリオットの肩が微かに震える。
セラフィナは一歩前へ出て、スカートの裾を優美に揺らした。その青い瞳は、氷の表面と同じ無機質な光を帯びている。
「承知しました。お父様。」
「ま、待ってください姉上……っ!エリオットは――!」
「“エリオット”?」
セラフィナは眉ひとつ動かさず、弟を刺すように言う。
「部外者の名を気安く呼ぶな。」
アズラエルは顔を引きつらせた。セラフィナは続ける。容赦なく
「アズラエル。お前はは“次期当主”と扱われている自覚を持て。部外者と仲良くした直後に情で揺らぐなど論外だ。」
アズラエルの目が大きく揺れた。
だが、父ヴィクターの視線が一度だけ向けられた瞬間――
息を止めるほどの怯えがアズラエルの背骨に走った。
「……は……はい……分かりました……セラフィナ姉さん、お父様……」
逆らえない。
父の命令は、この家では“絶対”。
どんな感情よりも、優しさよりも、恐怖が先に喉を塞ぐ。
エリオットは、膝をついた姿勢のまま、
ぼんやりとアズラエルを見つめている。
アズラエルはエリオットの目を見ることは出来なかった。
セラフィナはゆっくりと振り返り、絶望の底に沈むエリオットに向け、薄く微笑んだ。
「では――これより、クロウリー家の名において。部外者エリオット・ハリスの“処分”を執り行います。」
セラフィナが宣言した、その瞬間だった。
エリオットの身体が反射的に跳ねた。
(ここで殺されるわけには……いかない!!)
床を蹴る音と同時に、エリオットは廊下を全力で駆けだした。セラフィナは追わない。ただ、微笑んだだけだ。
「……逃げるのか。好きにしろ。」
アズラエルが「ま、待って……!」と手を伸ばしたが、
ヴィクターの低い声で動きを止められた。
「好きに走らせてやれ。――どうせ、この屋敷からは出られない。」
エリオットは必死に駆ける。足はもつれ、肺は焼けるように痛い。廊下の角を曲がり、扉を開き、階段を駆け下りる そうすれば直ぐに玄関ホールにつく。
だが。
「……は?」
さっき通ったはずの廊下が、なかった。
代わりに、いつの間にか見たことのない長い回廊が伸びている。
「(くそっ!また屋敷の造りが変形してやがる……!!)」
パニックのまま次の扉を開く。
また知らない部屋。
隣の扉を開くと――
そこは“最初の広間”だった。
「戻って……きた……?」
心臓が音を立てて跳ねる。
彼は外へ通じる玄関ホールへ走った。
重い扉を思い切り引く。
開かない。
回す。
動かない。
殴る。
微動だにしない。
「(なんでだよ……なんで開かない!?)」
額を扉に押しつけた時、扉そのものが、まるで呼吸しているように、わずかに“膨らんで”見えた。
クロウリー邸は魔術的構造物。“許可された者以外は出られない”。
エリオットは完全に詰んだのだ。
「……嘘、だろ……?」
背後から靴音がひとつ。コツン、コツンと響く。
息を切らしながら立ちすくむエリオットの前に、ヴィクターが静かに現れた。
「……死ぬのは簡単だ。どの娘に殺させてもいい。でもな、有力な経営者というのは”優秀な人間”を
使わずに殺すのは少し、バカな判断だと思わないかい?」
「バカな判断……?」
エリオットはもうオウム返ししか出来ない程思考が停止している。
ヴィクターは呆然としているエリオットの周りをゆっくり回りながらこう続けた
「君は一般人でありながら”裏社会の魔法”と私口座にアクセスできた。今までそんな人間は現れなかった。だから興味が湧いたよ」
その声は柔らかい。だが、背筋を凍らせるほど冷たい。
「エリオット・ハリス。君には価値がある。——私の『別のプロジェクト』に協力してもらう。」
エリオットの喉がひゅっと鳴る。
「協力すれば、君の恋人が死んだ“あの火災”の真実。
教えてやろう。今の君には悪い条件じゃないだろ?」
エリオットの目が大きく見開かれる。
「もちろん断っても構わない。君が死ぬだけだが。」
「どうだろうか?」 とエリオットの顔を覗き込むヴィクター。その表情は楽しそうにまるで新しい玩具を目の前にしている少年のようだった。
今のエリオットに逃げる道はない生き延びるためには答えはひとつ。
「……わかった……協力する……だから……殺さないでくれ……」
ヴィクターは満足そうに微笑む。
「良い返事だ。」
その一言を合図に、屋敷の歪んだ空間が元に戻る。
その屋敷には、ひとりの“ゆがんだ男”がいた。
だが本当にゆがんでいたのは——
男か、屋敷か、それとも世界の方だったのか。
エリオットは結局どうなったんでしょうね。
次は長女の話です よろしくお願いします




