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永遠の皐月  作者: 緑玉
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本編

とある世界の、とある国の片隅にある小さな村で、その子は産声を上げた。

母親は妊娠の折、重い病に倒れ、医師からは「もって数日」と告げられていた。しかし家族は諦めなかった。険しい山の奥にのみ咲くという漆黒の"永命の花"を手に入れ、必死に煎じて母の口に含ませた。すると奇跡のように容体は回復し、やがて母は健康な女の子を胸に抱くことができたのである。


その後の年月は穏やかだった。少女は村人たちに愛され、珠のように美しく育った。その評判は遠く都にまで届き、ついには帝の耳にも入る。やがて少女は帝の側室として宮中へ上がることとなった。両親は別れを惜しんだが、貧しい村へと多額の援助が入ると聞き、少女は「これで親孝行ができる」と笑顔だった。


そして少女が二十歳を迎える頃、帝との間に長男を授かる。出産後も寵愛は衰えず、彼女の穏やかで慈しみに満ちた性格は侍女たちにまで慕われた。皇子となる息子にも愛情を注ぎ、その将来を誰よりも案じていた。


しかし、静かな異変はいつからか始まっていた。

年月が過ぎるにつれ、周囲の者たちは老い、両親は他界、皇子も立派な青年に育ったというのに――彼女だけは二十歳の姿のままだったのだ。皺ひとつ、疲れの気配すらなく、まるで彼女だけ、時間に置き去りにされているようだった。


誰よりもその異常に気づいていたのは、彼女自身だった。この姿は人々にいつか恐れられる。帝にも、息子にも、侍女たちにも、この奇妙さを囁かれ始めている。これ以上酷くなる前に、愛する人々の前から姿を消さねば――。

そう思い詰め、彼女は都を去る決意を固めた。


早朝、深くフードを被り、霧に煙る港から一隻の船に乗り込む。生まれ育った国を一度だけ振り返り、彼女は静かに旅立った。




 * * *


「皐月、これ頼めるか?」

「はい、もちろん!」


 今、皐月と呼ばれるその少女――いや、もはや少女と呼ぶべきでない年数を生きた彼女は、不老の身であった。

 祖国を出てから何十年経ったのだろうか。さまざまな国を渡り歩き、ようやく腰を落ち着けたのがこの結城の国である。

 商家で奉公し、日々を慎ましく過ごす皐月を、若旦那の源之助は好ましく思っていた。豪快で気さく、少し抜けたところもあるが、誰からも好かれる青年。皐月も彼の人柄に惹かれるのは、ごく自然のことだった。

だが応えることは決してできない。彼に微笑まれるたび、胸の奥がチクりと痛む。


「ん〜!疲れた!だが皐月のおかげで捗るな〜!」

「ふふ、それは良かったです」

「本当に助かってるんだ。それに……一緒に仕事するようになってから、仕事が楽しく感じるから……」


そう言って少し頬を赤らめて視線を逸らす源之助を、可愛く感じてしまうのは生きていた年月が長いせいだろうか。


「そろそろ休憩してください、お茶を淹れますね」


どうか、この平穏な日々がもう少しだけ続きますように――。皐月はそう願っていた。


願いは、しかし長くは保たなかった。

ある日の夕暮れ、奉公を終えて店を出た皐月を源之助が呼び止めた。そしてーーー


「俺は、皐月が好きだ。一緒に生きていかないか?」


その言葉がどれほど嬉しく、そして残酷であるか、源之助は知るはずもない。

皐月はただ、かすかに震える声で答えた。


「…少し、考えさせてください」


翌朝、結城の国から皐月の姿は消えていた。




 * * *


その後、皐月は人里を離れ、ひとり山の中に小さな暮らしを築いていた。余計な情が生まれぬよう、誰とも関わらぬために選んだ生活だった。


だが、人の縁は望まずともやって来るものだ。

ある日、山道で怪我をしている若い女性を見かけ、介抱してやった。彼女は奈緒という、近くの村に住む村長の娘だった。それからというもの、律儀にお礼だの何だのと、何かにつけて皐月の暮らす小屋を訪ねては他愛もない話をして帰る、そんなことを繰り返していた。


長く生きてきて初めて出来た、友人。

奈緒は村一番の働き者と結婚し、子を産み良き母となっても、時折り皐月の元を訪ねては、世間話に花を咲かせる。

しかし彼女も途中から気づいていたはずだ。皐月の姿が出会った頃と一切変わらない事に…。

だが彼女は問いただす事をしなかった。


「今日もいっぱい喋っちゃったな〜、話聞いてくれてありがとう!そろそろ帰るね。」

「良いのよ、いつでも聞くからね。」


すると奈緒は少し間をおいてから口を開いた。


「私は、皐月に出会えて、本当に幸せだよ。」


皐月も奈緒との関係を大切に思っていた。一緒にいるととても満たされて、幸せだった。


だからこそ皐月は再び恐怖した。

自分の異質を知られることを。いやそれ以上に、老いていく友人を見て、彼女がこの世から居なくなる事を想像し、酷く苦しんだ。温度を失った空虚な日々を、ここで一人過ごすことなど…耐えられるはずもない。

ならばーーー


「私も、奈緒に会えて幸せだよ。」


皐月はまた、逃げることにした。

彼女に宛てた一通の手紙だけを小屋に残してーー。




* * *


季節は規則正しく巡り、春の花が何度散ったのか数え切れなくなった頃。

大陸で最も栄えた国――藍英国では、このところ宮中にひそかな噂が立っていた。


「白月の夜、天より一人の女人が舞い降り、帝の伴侶となる」

帝に仕える占い師が、そう予言を口にした。


帝・亮凰には后がなく、側室も置かれていない。そのため政治の安定を憂う者たちの間では、この予言が囁かれ広まった。

若き宰相・蘇芳も、占いを信じる性質ではないが、妙な引っ掛かりを覚えた。


そんな折、隣国での公務を終えた蘇芳が帰路についた、満月の夜のことだった。月光に照らされた山道の脇に、一人の女人が倒れていた。


豊かな国の道端で行き倒れなど、あってはならない。

蘇芳は躊躇なく馬を降り、侍従たちに介抱を命じた。


皐月と名乗ったその女性は屋敷で手厚く看病され、みるみる回復した。身なりは質素だったが、凛として立つその姿は、まるで天女のように美しかった。


――予言の女人。


蘇芳はそう確信し、皐月を自身の養女として手続きを終えた後、後宮へ送り出した。


皐月は、数百年ぶりの後宮入りに、過去に引き戻されるような感覚を覚えた。

ーー私は、故郷に帰ってきたのだろうか……


もう誰も…私のそばに居ないというのに……。


皐月は後宮の縁側に立ち、夜の月を見上げた。

その頬には、もはやどう流すかさえ忘れていた涙が伝っていた。


「其方は……天女か?」


振り向くと、そこにはこの後宮に入ることを許された唯一の男、藍英国の帝・亮凰がいた。

月明かりに照らされた皐月の色白の肌に光る涙は、まるで真珠のように煌めき、風になびく長い黒髪が彼女をさらに神秘的に見せていた。

亮凰は、その美しい姿に心を奪われた。

そして、その日を境に、皐月への寵愛が始まったのである。


皐月は愛することに疲れ果てていた。大切に思う人々は皆、自分とは違う時間を生きていた。不老という異質を知られる事を恐れ、最後まで寄り添う勇気もなく、ただただ逃げ続ける人生だった。

藍英国の手前で倒れていたのも、もう生きる気力が残っていなかったから。飲まず食わず、それでも生命が尽きる事がないこの身体を、何度憎く思っただろうか。


亮凰は、そんな皐月にとって驚くほど優しい男だった。長く黒いまつ毛の影に隠れる瞳は、どんな物事の核心も見通すような深い漆黒。だが決して冷たくはなく、その奥には常に温かな光が宿っていた。

若くして帝位についたことを良しとしない者もいたが、亮凰の手腕は群を抜き、その人柄に触れた者は皆、やがて彼を支えようと尽力するようになった。


皐月は、そんな亮凰を愛してしまった。毎日のように注がれる真っ直ぐな愛の言葉。嘘偽りのない眼差し。

見つめられ、触れられれば、もう自分の気持ちに蓋などできはしない。

そして同時に、皐月は思った。

ーーすべてを明かしてしまおう、と。


抗えないのなら、真実を知った相手が離れてゆけばいい。

そうすれば、自分はまた、いつものように逃げればいい。

その方がきっと、楽なのだから。


「其方から私に会いに来てくれるとは……漸く想いが通じたのかと思ってしまうな」


欠片もそんなこと思っていないのに。

私が話しやすいよう、わざと茶化してくる彼には、やはり敵わない。


「私は、不老の身です。すでに三百年ほど生きております」


亮凰の表情は変わらなかった。

まるで最初から知っていたかのように。

ただ柔らかく口元に笑みを浮かべ、皐月の三百年分の人生を静かに聞いていた。


そして、皐月は最後にまた泣いてしまう。

なぜ亮凰の前では、こんなにも涙が零れるのか。


「私は……この呪われた身体で、これからも彷徨い続けるのです。貴方様のお側には相応しくありません。早々に出て行きますゆえ、どうか許可を……」


「そうしてまた、逃げるのか?」


胸の奥で鼓動が鳴った。

“逃げる”

亮凰のその言葉に、これまでの自分の選択が暴かれた気がして、居心地が悪くなる。

分かっている。誰よりも、自分が。


頬を一筋伝うのは、涙ではなく冷たい汗だった。


だが亮凰は責めたわけではなかった。

ただーー皐月を手放す気がないだけで。


「皐月」


名を呼ばれ、俯いていた顔を上げる。

その瞳は優しく、温かく、すべてを受け止めようとしていた。


「一緒にいてほしい。必ず其方の寿命を取り戻してみせる。何年経っても、必ず見つける。だから……私が老いてこの世を離れるその時にも、側にいてほしい。」


胸が締め付けられるような覚悟の告白だった。

皐月は一瞬たじろぐ。


ーーこの人のそばに居たい。

ずっと、その温もりを感じていたい。

……でも、怖い。


最期は必ず訪れる。

その先を、自分は耐えられるだろうか。

悲しみが尽きぬまま、ただ季節だけが過ぎる日々を思うと、とてつもなく、恐ろしい。


それでも、ずっと後悔していた。


これまで愛した人々の顔が浮かぶ。

自分が去った後の彼らの人生がどうなったのか、気にならないわけではなかった。

傲慢だと分かっていても、

"もしきちんと別れを告げていたら"

そう思う度、胸が締めつけられた。


弱さゆえに。

勇気のなさゆえに。

誰より自分勝手に、逃げ続けた。

もう、そんなことはしたくない。


それでも、足は震えた。


亮凰はそっと近づき、皐月を抱きしめた。


「其方の恐怖を、私は本当の意味では理解できていないのだろう。それでも…」


抱擁を解き、皐月の顔を上げて視線を合わせる。


「私と過ごした日々が、其方の支えになるよう努力する。私がいなくなっても、次代の者たちが必ず呪いを解く方法を見つける。信じてくれ。怖いだろうが、私を信じてくれ。」


皐月の震えは止まっていた。

長い生を、流されるまま生きてきた自分を恥じる。

覚悟を決め、真っ直ぐ彼を見つめ返した。


「分かりました。私は……貴方様のお側におります。

この命、尽きるまでーー」


* * *


不老の秘密を解き明かす方法は、亮凰が老い、寝たきりとなったその時に、ついに明らかになった。

遠い国の商家跡地の地中から文献が発見されたのだ。

埋められた金庫に保管されていたそれは、皐月の母国の文献であり、“永命の花”と対になる“返命の花”の存在が記されていた。

ただし、その花がどこで、いつ咲くものなのかは分からなかった。


それから、どれほどの年月が経っただろう。

皐月は亮凰との間に子を授からなかったが、親戚筋から養子を迎え皇子とし、その子に“返命の花”探索の使命を継承した。

その次の代も、その次も……。


亮凰を看取った後、皐月は後宮を出て旅に出た。

これまでの軌跡を辿るように。


懐かしい山あいの村は、今や立派な町だった。

友人と過ごした山小屋はもう無いが、場所は覚えている。


若旦那のいた商家は移転したのか、跡地になっていた。穏やかで、溌剌とした日々だった。


最後は故郷。

皐月の息子にあたる皇子はすでに亡くなり、今や何代目かの帝が治めていた。

皇族の力は小さくなったが、民意が反映されるようになり、国は昔よりもずっと豊かだ。

両親のいた村も帝都並に繁栄していた。


そして皐月は旅を続け、海の見える崖の端に立った。

水平線。

藍英国も南側が海に面しているため、亮凰とよく眺めに行っていた。


崖に座り、海風を吸い込む。

空を見上げ、息を吐き、愛しい彼を思う。


ーー大丈夫だよ。


そう聞こえた気がした。

皐月は寂しくなかった。

亮凰の言葉通り、彼との日々が、孤独をそっと温めてくれているから。






夜になり、月が昇る。

白い光が降り注ぐ中、藍英国の国境付近の花畑に、一輪の花が咲いた。それは月光を受けて白く輝き、後日発見されるまで凛として咲き続けた。



なんの因果か、皐月が帰国すると同時に発見されたその花は、古い文献に描かれた"返命の花"そのものだった。













そして、時間は再び流れ始めた。


藍英国は代々にわたり素晴らしい治世を続け、繁栄した。

皐月はその片隅で、亮凰の墓石に寄り添い、背中を預けて座る。

その手にも顔にも、年齢が刻まれていた。


皐月は老いを喜んだ。

涙を流して歓喜した。

今日の空も綺麗な青で、皐月は爽やかな風に目を細めてゆっくりと瞑った。


ーーありがとう。










当時の宰相が様子を見に行った時、彼女は穏やかな表情で静かに眠っていた。

亮凰の隣には、のちに彼女の墓が建てられたという。




お読みいただきありがとうございます!

最後まで読んでくださった方はぜひ、⭐️評価お願いします!

人物視点を変えてサイドストーリーもゆっくり更新する予定です。

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