別の結末:ガラハドの決死の告発
戴冠式の朝、ガラハドは最後の決意を固めていた。証拠はない。だが、このまま黙っていることはできない。たとえ自分が破滅しようとも、真実を告発する義務がある。
王都最大の広場に数万の民衆が集まり、大司教がダミアンの頭上に王冠を載せようとしたその時—
「待て!」
ガラハドの声が広場に響いた。聖騎士の鍛え抜かれた声量が、ざわめく群衆を一瞬で静寂に包む。
「何事だ、ガラハド卿?」大司教が困惑の表情を浮かべる。
ダミアンの表情に、一瞬だけ興味深そうな光が宿った。だがすぐに、心配そうな慈愛の表情に戻る。
「ガラハド殿、どうされたのです?体調でも...」
「黙れ、偽善者め!」
ガラハドの叫びが広場に轟く。群衆がざわめき始める。
「民よ!よく聞け!この男は—ダミアンは真の王ではない!彼は悪魔だ!」
「ガラハド!何を言っている!」
「エドワード殿下とリチャード殿下を陥れた真犯人は、この男だ!」
群衆の間にさらなる騒めきが起こる。ダミアンは悲しそうに首を振る。
「ガラハド殿...重責に耐えかね、精神に異常をきたされたのですね。可哀想に...」
完璧な演技だった。慈愛に満ちた表情で、狂人を哀れむ聖王の姿。群衆の多くが、ダミアンに同情の眼差しを向ける。
しかし、ガラハドは止まらない。
「聞け、民よ!私は聖騎士として誓う!この男の正体を見抜いたのだ!」
「証拠は?」貴族の一人が叫ぶ。「証拠もなしに王族を中傷するのか?」
「証拠...証拠はない」
ガラハドの言葉に、群衆の失望が広がる。ダミアンの表情に、ほんの少しだけ安堵の色が浮かぶ。
「だが!」ガラハドが再び声を上げる。「見よ!今のダミアンの表情を!私に証拠がないと知った時の、あの一瞬の安堵を!」
群衆が再びダミアンに注目する。だがダミアンは既に完璧な仮面を取り戻している。
「ガラハド殿...どうか正気に戻ってください。あなたは立派な騎士だった。こんな姿を見るのは、私には耐え難い...」
涙さえ浮かべるダミアン。その演技は完璧で、多くの民衆が感動していた。
「演技だ!すべて演技だ!」ガラハドが叫ぶ。「民よ、騙されるな!この男には良心がない!愛も慈悲も、すべて計算された演技なのだ!」
「もういい加減にしろ!」
群衆の中から怒号が飛ぶ。
「聖騎士ともあろう者が、何という無礼を!」
「ダミアン殿下の御心の美しさが分からぬのか!」
ガラハドの予想通り、民衆は彼を糾弾し始めた。しかし、彼は諦めない。
「では聞こう、ダミアン!」ガラハドがダミアンを指差す。「お前の理想とする王国とは何だ?どのような治世を望む?」
ダミアンは少し考える素振りを見せてから、美しい声で答える。
「すべての民が幸せに暮らせる国。飢える者なく、争いなく、皆が互いを愛し合える理想郷を...」
「嘘だ!」ガラハドが割り込む。「お前の真の目的は支配だ!他者を操る快楽だ!苦痛を眺める娯楽だ!」
群衆の間にさらなる怒りが沸き起こる。だが、その中に—わずかではあるが—ガラハドの言葉に耳を傾ける者たちもいた。
「ガラハド殿下...」
エリザベスが前に出る。彼女の瞳には困惑と痛みが宿っている。
「なぜそのようなことを?ダミアン殿下は...」
「エリザベス嬢!あなたも騙されているのです!」ガラハドがエリザベスに向かって叫ぶ。「この男の正義への情熱は偽物です!あなたの純粋さを利用しているだけなのです!」
エリザベスの表情が揺らぐ。一瞬、疑念の影が差したように見えた。
それを見たダミアンの瞳に、ほんの一瞬だけ苛立ちの色が宿る—
「今だ!」ガラハドが叫ぶ。「見たか、民よ!今の表情を!苛立ち、怒り、そして...」
ダミアンが振り返る。その瞬間、仮面が完全に剥がれ落ちた。
純粋な怒りと憎悪に歪んだ顔。これまで見せていた慈愛の表情とは正反対の、悪魔的な相貌。
群衆の間に衝撃が走る。
「あの顔...」
「ダミアン殿下の顔が...」
だが、ダミアンはすぐに気づく。表情を元に戻そうとするが—
「遅い」ガラハドが言い放つ。「もう遅いぞ、ダミアン。民衆は見たのだ。お前の真の顔を」
ダミアンの脳裏に計算が駆け巡る。まだ巻き返しは可能だ。今の表情を「怒り」ではなく「悲しみ」だったと説明すれば...
だが、エリザベスの瞳が全てを語っていた。
「あの表情...まるで違う人のようでした」
彼女の声は震えていた。
「ダミアン殿下...いえ、あなたは一体...」
群衆の中にざわめきが広がる。疑念の声、困惑の声。そして—恐怖の声。
「説明してください、ダミアン殿下」大司教が厳粛な声で言う。「今の表情は一体...」
ダミアンは一瞬、すべてを諦めようと思った。だが、彼は最後の賭けに出る。
「...そうですね」
ダミアンが口を開く。その声に、これまでの温和さはもうない。
「もはや隠す必要もないでしょう」
群衆が息を呑む。
「私は確かに、兄上お二人を陥れました」
「ダミアン殿下...」
「正確には、『ダミアン王子』です。いや...もうじき『ダミアン王』ですが」
完全に開き直ったダミアンの表情に、純粋な悪意が宿る。
「なぜ?」エリザベスが震え声で問う。「なぜそんなことを...?」
「楽しいからです」
ダミアンの答えに、広場が凍りつく。
「楽しい...?」
「他者を操り、苦痛を与え、絶望させる。それが私の娯楽なのです」
群衆の間に恐怖が広がる。だが、ダミアンは止まらない。
「あなたたちは皆、私に踊らされていました。愚かにも、純粋にも、私を慕い、私に希望を託していた」
邪悪な笑いが広場に響く。
「そして今、その希望が絶望に変わる瞬間を、私は心から楽しんでいます」
完全に正体を現したダミアン。もはや慈愛の王子の影は微塵もない。
「悪魔...」誰かが呟く。
「そうです。私は悪魔です。人間の形をした純粋な悪」
ガラハドが剣を抜く。
「これで終わりだ、ダミアン。お前の悪行は暴かれた」
「終わり?」ダミアンが笑う。「まだ始まったばかりですよ」
その時、王宮の兵士たちが広場を囲み始める。ハロルドに率いられた近衛兵たちだった。
「申し訳ございません、陛下」ハロルドが跪く。「遅れてしまいました」
群衆が困惑する。なぜ兵士たちが...?
「心配いりません、ハロルド」ダミアンが満足げに頷く。「むしろ、良いタイミングです。民衆の前で私の真の力を示す絶好の機会ですから」
「陛下のご命令を」
「この場の全員を『保護』してください。王国の安定のために」
民衆が騒ぎ始める。逃げようとする者、抗議する者。だが兵士たちに囲まれ、どうすることもできない。
「なぜ兵士たちが...」エリザベスが呟く。
「簡単です」ダミアンが説明する。「彼らの家族を『人質』にとっているからです。従わなければ、愛する人たちがどうなるか...」
ハロルドの表情に苦痛が宿る。だが、彼に選択の余地はない。
「見てください、民よ」ダミアンが群衆を見回す。「これが現実です。あなたたちに選択権はないのです」
「貴様...」ガラハドが歯を食いしばる。
「私に刃向かえば、あなたたちの家族、友人、愛する人々が苦しむことになります」
完璧な支配システム。ダミアンはすでに王国の中枢を掌握していた。
「さあ、選択してください」ダミアンが楽しそうに提案する。「私を王として受け入れるか、愛する人々の犠牲を覚悟で抵抗するか」
群衆が絶望に沈む。真実を知った今、彼らにできることは何もない。
「悪魔め...」ガラハドが呟く。
「『悪魔』で結構」ダミアンが微笑む。「むしろ光栄です」
だが、その時—
「いいえ」
一人の老人が前に出る。貧しい身なりをした、名もなき民の一人だった。
「私は受け入れません」
ダミアンの眉が僅かに顰められる。
「家族がどうなってもいいのですか?」
「家族は...もういません」老人が答える。「戦争で、病気で、皆逝ってしまいました」
失うものがない者。ダミアンが最も苦手とするタイプの人間だった。
「ですが」老人が続ける。「この国の未来があります。子どもたちの未来があります」
「一人で何ができると?」
「一人では何もできません」老人が認める。「ですが...」
老人がガラハドを見る。
「正義は死んでいません。この騎士が証明してくれました」
ガラハドの瞳に、希望の光が宿る。
「そうです...」エリザベスも前に出る。「私も...私も抵抗します」
「エリザベス嬢!」ダミアンの声に初めて動揺が宿る。「あなたまで...」
「あなたを愛していました」エリザベスが涙を流しながら言う。「あなたの正義を、あなたの理想を...でも、それがすべて偽物だったなんて」
「偽物ではありません」ダミアンが反論する。「演技でしたが、完璧な演技でした」
「演技と真実は違います」
一人、また一人と、民衆が前に出始める。
「俺も抵抗する」
「私もです」
「子どもたちのために」
ダミアンの表情が歪む。計算が狂い始めていた。
「愚かな...愚かな人々だ」
「愚かでも結構」ガラハドが剣を構える。「それが人間というものです」
最終的に、広場の民衆の半数以上がダミアンに対する抵抗の意志を示した。彼らにも家族がいる、愛する人がいる。それでも、正義のために立ち上がったのだ。
「くっ...」ダミアンが歯噛みする。「こんなはずでは...」
彼の計算では、人間は皆、自己保身を最優先にするはずだった。愛する人を人質にとられれば、必ず屈服するはずだった。
しかし、現実は違った。
人間には、自分の命よりも大切なものがある。家族よりも大切な理念がある。
「人間を舐めるな」ガラハドが言い放つ。「我々は、お前が思っているほど弱くない」
ダミアンの支配システムが音を立てて崩れ始める。真実を知った民衆の怒りと正義感が、恐怖を上回ったのだ。
「ハロルド」ダミアンが命令する。「全員を拘束しろ」
だが、ハロルドは動かない。
「申し訳ございません、ダミアン殿下」
ハロルドがゆっくりと頭を上げる。その瞳に、兵士としての誇りが戻っていた。
「私は王国の兵士です。民を守るのが使命。民を弾圧する命令には従えません」
「家族がどうなってもいいのか?」
「...覚悟はできています」
ハロルドの決意に、他の兵士たちも続く。一人、また一人と武器を下ろしていく。
「なぜだ?」ダミアンが叫ぶ。「なぜ皆、私の思い通りにならない?」
「それが人間だからです」エリザベスが答える。「あなたには分からないでしょうが、人には心があるのです」
完全に孤立したダミアン。彼の完璧な計画は、人間の心という計算できない要素によって破綻した。
「終わりです、ダミアン」ガラハドが近づく。「あなたの悪行の報いを受けなさい」
最後の最後で、純粋な悪は純粋な善に敗北した。
計算され尽くした悪意は、計算できない人間の心に敗れたのだった。