純粋なる悪の勝利
さらに数日が過ぎ、エドワード王子への風当たりは日増しに強くなっていた。民衆の間でも不正疑惑は既定事実として受け取られ、「裏切りの王子」という蔑称まで生まれていた。
「殿下、お話があります」
深夜の王宮、ガラハドがダミアンの私室を訪れた。もはや敬語も形式的なもので、その瞳には鋭い光が宿っている。
「こんな夜更けにどうしたのかね?何かお困りのことでも?」
ダミアンは読書を続けながら、興味なさそうに答える。だが内心では、ついに来たかと興奮していた。
(さあ、ショータイムの始まりだ)
「エドワード殿下の件...あの証拠書類、偽物ですね」
「なんと恐ろしいことを...兄様を陥れる者がいるとでも?」
明らかに芝居がかった驚きの表情。だがガラハドは動じない。
「筆跡鑑定を再度行いました。今度は王国最高の専門家に依頼して」
「それは素晴らしい。兄上の無実が証明されるのですね」
「結果は...やはり偽物でした」
静寂が部屋を支配する。ダミアンは本を閉じ、ゆっくりとガラハドと向き合った。
「それは良かった....大変な発見です。では、誰が偽造したのでしょう?」
「筆跡、インクの成分、紙の質...すべてを徹底的に調べました。偽造に使われた材料は、すべて王宮内でしか手に入らないものです。」
ガラハドは一歩ずつ、迷いなくダミアンに近づく。その足取りは重くもなく、軽くもない。確実に標的を捉える獣のようだった。
「はい、はい。犯人は私でーす」
ダミアンの声には、冷ややかな小馬鹿にする響きが含まれていた。言葉の端々に、計算された余裕と楽しみが滲む。
「……」
ガラハドは黙ってその言葉を受け止める。沈黙が長く流れるほど、部屋の空気は重く張り詰めた。
「やはりそうでしたか」
落ち着いた声。瞳には動揺の色はなく、淡々と事実を見据えているだけだ。
「やっぱり知ってたのか……なぜ、そのように結論付けた?」
ダミアンの問いに、微かに不安が混じる。だが、ガラハドの視線は揺るがない。
「あなたの目です。エドワード殿下が苦しまれている時、会議の最中に見せたあの表情」
「どのような?」
「快楽です。他人の苦痛を見て楽しんでいる目をしていました。」
ダミアンの表情がゆっくりと変わった。これまでの慈愛に満ちた仮面が、まるで融けるように剥がれ落ちていく。
「よく見ていますね、聖騎士殿」
声のトーンも変わった。先ほどまでの温和な王子の声ではなく、冷たく、どこか楽しそうな響きを帯びている。
「あなたは...何者ですか?」
「何者?」ダミアンは声を立てて笑った。「王子ですよ。ヴィクトリア王国第三王子、ダミアン・ラヴェンクロフト。それ以外の何者でもありません」
「しかし...」
「ただし」
立ち上がったダミアンの瞳に、純粋な悪意が宿る。もはや善良さの欠片も残っていない。
「あなた方人間がいう良心というものを持たないモノですが」
「なぜこんなことを?王位が欲しいのですか?」
「王位?」ダミアンは首を振る。「つまらない。そんなものは副産物に過ぎません」
「では何が目的なのです?」
「圧倒的な支配の快感。他者の感情を操る喜び。絶望に歪む顔を眺める至福の時間...」
ダミアンの瞳が危険に光る。
「それらすべてが私の娯楽なのです」
ガラハドが剣の柄に手をかける。だがダミアンは微動だにしない。
「あなたを止めます」
「....止める?」ダミアンは心底楽しそうに笑う。「はは、どうやって?証拠でもありますか?私が偽造したという決定的な証拠が?」
「...」
「残念、ありませんねぇ。なぜなら、私は完璧にやったからです。あなたの推理は正しいが、証明することはできない」
ダミアンは窓際に移動し、月夜に照らされた王都を見下ろす。
「あと、ハロルドは完全に私の駒です。家族を人質に取っているような状態ですからね。彼は私のために何でもします...分かりましたか?」
「あなたという人は...」
「エリザベス嬢も私に夢中です。彼女の正義感を利用して、さらに多くの人々を操ることができるでしょう。『ダミアン殿下こそが真の王だ』と、彼女自身が民衆に訴えかけるでしょうね。」
ガラハドの拳が震えている。
「そして、リチャードの番は明日です。商人ギルドとの癒着の証拠がもうすぐ『発見』されます。もちろん、偽物ですがね」
「民衆は?民衆はあなたを信じている!」
「はぁ、だからこそ面白いんだろ?」
ダミアンの笑みが深くなる。
「彼らは最後まで私を愛し続けるだろう。真実を知ることなく。私が悪魔だと知らずに、『慈愛の王子様』として崇拝し続けるのだよ。」
「あなたを...あなたを必ず止めてみせます!」
ガラハドが剣を抜く。だがダミアンは全く動じない。
「止める?聖騎士殿、あなたは根本的に理解していない」
「何を?」
「私には弱点がないのです」
ダミアンが振り返る。その表情に、一片の人間らしさも見当たらない。
「愛する人とやらもいない。守りたいものも特にない。恐れるものもない。後悔することもない。失うものが何もないの。」
「それは...人間ではありません」
「その通りです。私は人間の形をした何か別のものなのかもしれませんね」
ガラハドの剣が震える。目の前にいるのは、自分たちが戦ってきたどんな悪とも異なる存在だった。完全で、純粋で、そして救いようのない悪。
「悪魔じゃないイカれた邪神...」
「『神』と言われると嬉しいですね。まさに私が目指していたものです」
翌日、予想通りリチャード王子の汚職疑惑が発覚した。商人ギルドから賄賂を受け取っていたという証拠書類が「発見」され、王宮は再び騒然となった。
証拠は完璧で、弁解の余地がない。リチャードもエドワードと同様に必死に弁明したが、民衆の信頼は既に失われていた。
「これで兄様お二人とも...」
王宮の大広間で、貴族たちの前でダミアンは悲しそうに頭を垂れる。その演技は完璧で、誰もが同情を禁じ得なかった。
「ダミアン殿下...今や、あなたしかおられません」
「私などが...王位継承など重すぎる責務です」
謙遜しながらも、ダミアンの内心は歓喜に満ちていた。すべてが計画通りに進んでいる。
ガラハドだけが、歯噛みしながらその光景を見つめていた。真実を知っているが、証拠がない以上何もできない。
「殿下こそが、真の王にふさわしい方です!」
「慈愛の王子、ダミアン殿下万歳!」
民衆の声援が王宮に響く。誰もが純粋にダミアンを慕い、彼に希望を託している。
戴冠式の前夜、ガラハドが最後の賭けに出た。ダミアンの私室に再び現れたのは、深夜のことだった。
「明日の戴冠式で、民衆の前であなたの正体を暴露します」
「証拠もなしに?」ダミアンは笑う。「狂人の戯言として処理されるでしょうね」
「それでも...」
「やめておくことです」
ダミアンの声が氷のように冷たくなる。
「あなたが真実を叫べば、私は『心を痛めた』演技をします。『忠実な騎士が重責に耐えかね、精神に異常をきたした』と。そして...エリザベス嬢を始めとする多くの人々が、あなたを『嘘つき』として糾弾するでしょう」
ガラハドの顔が青ざめる。
「あなたの騎士としての名誉は地に落ち、二度と立ち上がれなくなります。最悪の場合、『王室への反逆』として処刑される可能性もありますね」
「悪魔...」
「選択肢をお教えしましょう」
ダミアンが近づく。その瞳に、純粋な悪意と計算された冷酷さが宿っている。
「黙って私の治世を見守るか、無駄な抵抗をして破滅するか。もしくは私を殺すか。好きな方を選んでください。まぁ、私より力で劣る貴方には無理ですがね。」
戴冠式の日。王都最大の広場に数万の民衆が集まった。
「我、ダミアン・ラヴェンクロフト、ヴィクトリア王国第十三代国王の座につくことを、ここに誓う」
大司教の手により、黄金の王冠がダミアンの頭上に置かれる。その瞬間、民衆から雷のような歓声が上がった。
「新王陛下、万歳!」
「慈愛の王、万歳!」
「我らが希望、ダミアン王万歳!」
すべてが計画通りだった。完璧に計算され、実行された陰謀の集大成がここにある。
王座に座ったダミアンは、群衆を見渡す。その中に、絶望の表情を浮かべたガラハドの姿を見つけた。
(美しい...実に美しい絶望の顔だ。興奮するよ。)
内心で陶酔しながら、ダミアンは民衆に向かって手を振る。慈愛に満ちた、完璧な王の笑顔で。
数週間後、王座の間でダミアンは重臣たちと政治について話し合っていた。
「陛下、最初の政策についてですが...」
「民衆の生活向上を最優先にしましょう。医療制度の拡充、教育の無償化、社会保障の充実...」
表向きは理想的な政策を語るダミアン。だが、その真の目的は完璧な支配体制の構築だった。
民衆が政府に依存すればするほど、統制しやすくなる。教育を国家が独占すれば、思想を思い通りに操ることができる。社会保障を政府が握れば、反抗する者への制裁も容易になる。
「素晴らしいお考えです、陛下。さすがは慈愛の王と呼ばれるだけのことはございます」
重臣たちの称賛を浴びながら、ダミアンは内心で笑っていた。
(愚かな連中だ。自分たちが支配されていることにも気づかずに)
会議の後、一人になったダミアンは王座に深く座り直す。
「ついに手に入れた...完璧な支配体制を」
数年が過ぎた。ダミアン王の治世は「黄金時代」と呼ばれていた。犯罪率は劇的に下がり、経済は繁栄し、民衆は平和な日々を送っている。隣国からも「理想的な君主」として称賛されていた。
だが実際は、完璧に計算された監視と統制のシステムの中で、すべてが王の思い通りに動いているだけだった。反抗する者は密告により排除され、不満を抱く者は「再教育施設」で思想を矯正される。しかし、それらすべてが「民衆の幸福のため」という名目で行われているため、誰も疑問を抱かない。
「陛下、ガラハド卿が謁見を求めております」
ある日、侍従が報告する。
「通しなさい」
やつれ果てたガラハドが王座の間に現れる。かつての威厳は見る影もなく、まるで生きる屍のようだった。
「何の用ですか、元聖騎士殿?」
ダミアンは玉座から見下ろしながら、冷たく問いかける。
「陛下...いえ、ダミアン」
「王に向かって無礼な」
「もう...もうやめてください」
ガラハドが膝をついて懇願する。かつて誇り高かった騎士の姿はそこにはなかった。
「何をやめろと?」
「あなたは勝ったのです。もう十分でしょう?」
ダミアンは立ち上がり、ゆっくりとガラハドに近づく。
「十分?何を言っているのですか。私の楽しみは、これからが本番なのですよ」
「楽しみ...?」
「そうです。完璧に支配された世界で、私は永遠に楽しみ続けるのです」
ダミアンの瞳に、純粋な狂気が宿る。
「あなたたちの絶望、苦悩、そして無力感...それら全てが私の娯楽なのです。特に、正義を信じていた者が絶望に打ちひしがれる様は、最高の見世物ですね」
ガラハドが絶望に打ちひしがれる姿を見て、ダミアンは心から満足した。
「美しい...実に美しい表情です。かつて私の前に立ちはだかった正義の騎士様が、今やこんなにも哀れな姿に...実に滑稽」
「なぜ...なぜこんなことを...」
「...なぜ?」ダミアンは首を傾げる。「楽しいからです。それ以外に理由が必要でしょうか?」
その夜、王宮のバルコニーから、ダミアンは自分の王国を見下ろしていた。
街には平和が溢れ、民衆は幸せそうに生活している。街灯が規則正しく並び、清潔な道路、整然とした建物。まさに理想郷のような光景だった。
だが、その全ては一人の悪人によって操られた偽りの平和だった。
「私は神だ...」
ダミアンは満足げに呟く。
「誰一人として、真実に気づいていない。私の正体を知る者は、もはやガラハド一人だけ。そして彼はもう、完全に無力化した。呆気なく。」
夕日が王都を照らす。本当に美しい光景だった。民衆は彼らの王を愛し、王もまた民衆を「愛して」いる。完璧な調和が保たれている。
「さて...次は何をして楽しもうか?隣国との戦争でも仕掛けてみるか?それとも、新しい『敵とやら』を作り出して、民衆の団結を演出するか?迷うな...」
邪悪な笑みを浮かべながら、ダミアン王は新たな「ゲーム」を考え始める。
彼の治世は永遠に続くだろう。誰にも止められることなく。民衆に愛され、歴史に名を残し、理想の王として語り継がれながら。
純粋な悪が、完全に勝利した世界で。
そして、その事実を知る者は、もはやこの世界に存在しない。
真実は永遠に闇に葬られ、ダミアンの完璧な仮面だけが歴史に刻まれることになる。
「私の勝利だ...完璧な、絶対的な勝利だ」
最後にそう呟くと、ダミアンは部屋に戻っていく。明日もまた、慈愛に満ちた理想の王を演じ続けるために。
永遠に。