遠距離恋愛が始まる前夜の話 ~彼女Side~
彼が新任地に行く前の夜、私たちは彼の下宿の最寄り駅に向かっていた。
下宿から私の家までは徒歩30分の距離だから、終電を逃したら歩いて帰ればいい。でも、夜半から降り始めた雪で凍った道路は滑りやすい。徒歩で帰ればいつもの倍以上の時間はかかるだろう。
過保護な彼のことだ。もし終電を逃せば絶対家まで歩いて送っていくと言い張るに違いない。そんなことをしたら、彼が風邪をひいて明日旅立てなくなる。それを避けるためにも終電に乗らなければ。と思った。
なのに足が重くて動かない。
足元が悪いせいじゃない。もっと彼と一緒にいたいから足が重くなるのだ。
彼が心配そうな顔で「大丈夫か?歩きづらければつかまれ」と言ったが、私は首を横に振って「大丈夫。歩ける」と歩を速めた。
やがて駅に到着した私達は、簡単に別れの挨拶を交わした。
「じゃ、また明日」
と彼に言って改札に行こうとしたその瞬間。
彼がほんの一瞬不安げな目でこちらを見た……が、次の瞬間笑顔に戻って私に手を振る。
「うん……また明日な」
そう言ってこちらを見つめる彼の目を見た瞬間。
……あの時と同じ目だ。と思った。
ずっと会社で不遇な目に遭っていた彼がようやく正当に評価され、栄転による転勤辞令が出た。
その時、私は私は離れたくない気持ちを押し殺して「このチャンスを手放してはいけない」と言った。おそらくそれが今後の彼にとってベストな選択だと思ったから。
しかしその瞬間、彼は突然暗い表情になり、地獄を見るような暗い眼差しで私を見つめた。その眼差しは、ついさっき彼が一瞬見せたものと全く同じだった。
そのことに気づいた時、このまま離れたら彼が壊れるような気がした。
彼はいつも「お前がそばにいてくれるから俺は頑張れるんだ」と言っていたが、その言葉は私が考えるよりもずっと重い意味が含まれていたのかもしれない。
「本当にこのまま帰っていいのか?」
「本心を言わないまま離れていいのか?」
と自問自答した瞬間、終電がホームに滑り込んでドアが開いた。
その瞬間、私は電車に背中を向けてホームの階段を一気に駆け上がった。
……本当はずっと彼のそばにいたい。この本心を今彼に伝えなくては。
そう思った途端に涙があふれ出して止まらなくなったが、私は涙もぬぐわず改札に向かって全力で走った。
改札口から彼の背中が見える。たぶん終電が出るまで駅にいてくれたのだろう。まったく過保護な彼らしい。それで自分が風邪をひいたらどうするの。
駅に背中を向けて帰途につく彼に向かって、私は彼の名前を叫んで呼び止めた。
驚いた顔で振り向き、こちらを見る彼。声は聞こえなかったが、口元の動きで「なんで…」と言っているのがわかった。
私は彼の元に急いで駆け寄り、語気を強めて彼に今の想いを一気に告げた。
「今夜は帰らない」
「朝まで一緒にいたい」
私の言葉を聞いた彼は、明らかにうろたえた様子でこちらを見た。でもその瞳の中に闇は見えない。ハンカチで私の涙をふき取る彼のしぐさにはどこかホッとしている様子も見受けられた。
その時私は、「ああ、やっぱり戻ってきてよかった」と心から思った。
その後2人でコンビニに寄って着替えや飲み物を買ったあと、私達はガランとした空間になった彼の下宿に戻った。
部屋に入るなり、「体が冷えちゃっただろ。給湯器のスイッチをつけておいたから先にシャワーを浴びてきなよ」と彼が言うので、私はその言葉に甘えてシャワー室に行った。
シャワーを済ませた後、服を着て部屋に戻ると、彼が私に自分の服を手渡した。
「その服じゃ窮屈だろ?大きいだろうけど俺のTシャツを用意した。俺がシャワー浴びている間に着替えてて」
そう言って彼はシャワー室に入っていった。
……ホントそういう世話焼きなとこは出会った頃から変わらないな……
そう思いながら、私の体には大きすぎる部屋着に着替え、その後はベッドのふちに座ってぼんやりしていた。
それからどれくらい経っただろう?
ふと気づくと彼がこちらを覗き込みながら私の名前を呼んでいた。
「どうした?ぼんやりして。今日は引越しの手伝いありがとう。お前も疲れたよな」
そう言いながら、彼は私の横に腰を下ろした。
「なあ」
「ん?」
「俺は床で寝るよ」
……は?何言ってんの?
一瞬そう思った。
しかし次の瞬間、彼がこのシチュエーションでなんとか理性を保とうとしていることに気づいてしまった。
……あ、そういうこと?
全身がカッと熱くなる。
しかし終電を見送った時から私の心は決まっていた。
……私は彼の全てが欲しくてここに戻ってきた。その心も、その体も私のものにしたい。私も、私の全てを彼に捧げたい。
だから……
私は、「やだ。」と言いながら首を横に振って彼に抱きついた。
そして、彼の体をぎゅうっと抱きしめながら、「寂しい…朝までずっと離れたくない」と彼の胸の中でつぶやいた。
すると・・・・・・彼が私の体を強く抱きしめた。
「……俺、今日はセーブできなくて乱暴になるかもしれない」
「うん」
「怖くないか?」
「怖くないよ」
その途端、彼は私の唇を塞ぎながらゆっくりと私をベッドに押し倒した。まるで繊細なガラス細工を扱うように、とても大事そうに私の頭を大きな手で支えながらとてもゆっくりと。
彼は私の背中に腕を回し、最初はふんわりと、次はその腕に少しずつ力を込めて最後は窒息しそうなほど強く私を抱きしめてくれた。
その腕から、その体から彼の私への想いが直に伝わってくる。彼に愛されていると実感できる。私はとても幸せな気持ちに満たされて胸がいっぱいになった。
その後ついばむようなキスと深いキスを交互に交わしながら衣服を脱ぎ捨てて素肌を重ねた。
筋肉で盛り上がった逞しい腕に抱きすくめられ、全身にキスの嵐が降り注ぐ。
彼の手が私の敏感な場所に触れる。
いつもより長く触れているので、体の奥が疼いて頭がおかしくなりそうだった。
そんな自分が怖くなって思わず体を離そうとしたが、彼はそれを拒むように強い力で私を抱きしめた。その目はどこか不安げだ。
「お前が嫌ならこれ以上のことはしない。だから離れないで…」
…違う。そんなこと全然思ってない。これ以上彼を不安にさせたくない。
私は彼に顔を近づけてその唇にキスをした。
「全然嫌じゃないよ。続けて」
「うん……」
少し彼の表情が緩んだので、私もほっとして彼に身を任せた。
……それからどれくらい経っただろうか。
ふいに彼が「……いい?」と耳元でささやいた。
その熱を帯びた瞳に吸い込まれそうな感覚を覚えながら、私は黙ってうなずいた。
その後私たちは時間を忘れて夢中で愛し合った。何度キスしたかも思い出せないほどに。
彼の体温を直に感じながら私は思った。
どれだけ遠く離れようと2人は共にある、私達はもう大丈夫だと。そして、彼も私と同じ気持ちに違いないと確信した。
「セーブできない」との言葉とは裏腹に、彼はむしろいつもより優しく丁寧に私に触れた。
それで気が緩んだ私は思わず「本当は離れたくない。すごく寂しい」と泣いてしまったが、そんな私を彼は包み込むように抱きしめ、私の気持ちを全身で受け止めてくれた。
それに…初めて「愛してる」と言ってくれた。照れ屋の彼からその言葉が聞けるとは思わなかったからびっくりしたけど、同時に深い喜びがあふれて胸がいっぱいにもなった。
今でもその低い声を思い出すたびに鼓動が高まり、体が溶けそうなほどの幸せを感じる。
・・・・・・彼がとても愛しい。この人に深く愛されていることが死ぬほど嬉しい。
生まれて初めて自分が女でよかったと思った。
こちらも以前から温めていたテーマです。男女で視点を変えてみましたが、やはり似たような描写になってしまった感じが・・・・・・・(滝汗)