峯田くんはツイてない
峯田は最近ツイてない。それもこれも全部、同じクラスの山田が悪い。影が薄い陰キャのくせに、あいつと出会ってから最悪だ。おい山田、お前のせいで――え? いや、恋じゃねえよ! 峯田くんが空回りする日常と、ちょっとだけ非日常。
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お読みいただきありがとうございます。不幸な男峯田と、影の薄い少年山田くんのお話です。
同じクラスの山田が、癇に障る。
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「あームカつく。マジうぜぇ」
忌々しげに呟くと、頭上で雀がチュンと鳴いた。そのあざとい声さえ腹立たしい。
「くそ、山田の奴め……」
口にしたのは、クラスメイトの名前だ。名字は山田。下の名前は知らない。
「峯田、何怒ってんの?」
「眉間にしわ寄ってんぞ」
左右の友人がそれぞれ言う。アホだが気のいい連中だ。峯田も割と嫌いじゃない。
「山田だよ。あいつ、マジでムカつく」
「山田?」
「山田って、あの」
そう言った二人はちょっと黙った。
「「……誰だっけ?」」
「山田だよ!! 同じクラスの!!」
吠えた峯田に、彼らはうるさそうに耳をふさいだ。またこれだ。彼らは山田の存在を忘れる。
「なんで同じクラスなのに知らねーんだよ。お前らクラスメイトだろ? 知ってろよ、クラスメイトの名前くらい!」
「峯田は友達想いだなぁ」
「友達じゃねえよ!」
そう、山田は友達じゃない。初めて見た時から、妙に気に障る人物だ。
「とにかく目障りなんだよあいつ。なんだあれ、いつも影薄くしやがって」
「えー、そう?」
「俺別に何とも思わないけどなぁ」
彼らはそれぞれ首をかしげる。というか、こいつらまだ山田の存在を思い出してない。
「分かれよ! 山田だよ!」
「いたような気はするけどさぁ」
「いるだろ!! ちゃんと存在してんだよ!!」
「峯田はホント山田のことが好きなんだなぁ」
「好きじゃねえよ!!」
ほのぼのと言われ、峯田は吠えた。
山田、マジで許さない。
***
そもそも、峯田は割と恵まれた人生を送っていた。
顔は平均以上だし、勉強も運動もそこそここなす。女子からの人気も高く、バレンタインデーにはクラスで三番目にチョコをもらった。
小学校も中学校もそんな感じで、峯田は順風満帆の生活を送っていた。
自分の人生は勝ち組だ。峯田はそう思っていた。
だが、この春。
入学した高校で出会った人物に、峯田は人生設計をぶち壊された。
それが山田だ。下の名前は知らない。
彼と関わってから、とにかく峯田はツイてない。
ちょっと絡んだら怖いお兄さんに呼び止められるし、ジュースを奢らせようと思ったら鳥のフンが頭に落ちるし、にらんだだけで机の角に足をぶつける。
あまりにも不幸が続くせいで、ついたあだ名が「不幸男」。みんな気を遣い、峯田の耳に入れないようにしていたらしい。初めてそれを知った時、峯田はちょっと傷ついた。
「あーそれ? オレも知ってた。うまいこと言うよな」
「不幸マンと不幸男、どっちにするかで揉めたらしいぞ」
「知ってるなら教えろよ! お前ら!!」
のほほんと言われ、峯田は吠えた。……お前らほんとに友達か?
肩で息をつく峯田に、彼らが心配そうな顔になる。そう、そういう顔が見たかった。
「峯田……」
彼らのひとりが口を開く。
「……不幸マンの方がよかった?」
「そういう意味じゃねえよ!!」
駄目だ、まったく通じていなかった。
「えーでも、峯田が運悪いのは本当だし。お祓い行った方がいいんじゃね?」
「そうそう、祓ってもらえって」
左と右でそれぞれ頷く。言っておくが、彼らは本気で言っている。アホか。本気でアホなのか。
「んな非科学的なモン信じられっか。それより山田だ、山田」
「え、山田って……」
「誰だっけ?」
「またかよ! てかそこからかよ!」
ふたたび吠えた峯田に、彼らは先回りして耳をふさいだ。
……こういう学習だけしやがって。
***
山田は、クラスの中に溶け込んでいる。
正確に言えば、埋没している。保護色というのが近いだろう。ジャングルの中の迷彩柄、教室の中の山田柄。
現に、クラスであの男を認識しているのは峯田ひとりだ。
「峯田くん、何見てるの?」
「ああ、いや」
「放課後カラオケ行こうって話してたんだけど、峯田くんはどうする?」
目を合わせてくる女子は可愛い。峯田は髪をかき上げた。
「そうだな、行ってもいいけど」
「駅前と繁華街、どっちの方がいいと思う?」
うちの生徒がよく使うカラオケ店は二つある。ひとつが駅前、もうひとつが繁華街の中にあるチェーン店だ。
どちらも飯がそこそこ旨く、設備も割と整っている。料金的にもイーブンだ。
「そうだな、駅前」
「じゃあ繁華街だね! みんなー、繁華街だって!」
「よし決定!」
みんながわっと盛り上がる。
「え……?」
ぽかんとしていたら、友人がぽんと肩を叩いた。
「お前が選ばなかった方がラッキーだって有名なんだよ」
「厄除け逆張り全当で、ちょっとした騒ぎになったらしい」
「……マジか」
いくらなんでもひどくないか?
「くそ、山田め……」
「山田関係なくないか?」
「あるんだよ! 全部あいつのせいなんだよ!」
無茶を言っているのは分かっている。けれど、あいつさえいなければ。
そもそも、どうしてこんなに気に障るのかも分からない。自分はクラスの中心人物、相手は存在さえ意識されないクラスメイト。強さで言ったら壁紙以下だ。勝負は峯田の圧勝だ。
それなのに――どうしても、気にかかる。
「それって恋……」
「じゃねえよ! 違うよ!」
「俺あんまりそういうのに偏見ないタイプだから」
「俺もねえよ! でもそれとこれとは関係ねえよ!」
「照れなくていいよ、峯田」
彼らは慈悲深い顔で峯田を見て、ぽんと肩に手を置いた。
「俺たち、どんなお前でも友達だから」
「それはありがとうな!? でも違うから! 俺は男が好きなわけじゃねえから!」
「えーでも、無理しないでいいから」
「自分の心に正直になれって。それは恋だよ、峯田」
「恋じゃねえから!」
はっと気づくと、周囲が峯田を見つめていた。
その中には先ほどの可愛い女子もいる。
彼らは気まずそうに眼をそらし、それから言った。
「……僕らも偏見はないつもりだから。その……頑張って、峯田くん」
だからそれは誤解だって!
***
あまりにもあまりにも――あまりにも鬱憤が溜まってしまい、峯田はちょっと爆発した。
山田に手を出してしまったのだ。
友人達は心配そうだったが、峯田を止められない様子だった。
ジュースを奢らせるのや、ちょっと絡んだりするのとは話が違う。これは暴力だ。全部褒められた行為じゃないけれど、暴力は種類が違う。一歩進んだ、本物の悪だ。
友人達は一度も手を出さなかった。それで当然だ。峯田もやらせるつもりはない。
「峯田……ちょっとヤバいんじゃね?」
横たわって動かなくなった山田に、友人がびくついた顔になる。
「は? お前、逆らうのかよ」
「そういうわけじゃないけどさ、問題になったらヤバいだろ」
なんだその顔。むしゃくしゃする。
「だからさ、もう……」
やめようという声を無視して、峯田は彼に近づいた。
「こいつにチクる度胸なんてあるわけねーよ。なぁ、山田くん?」
脇腹に軽く蹴りを入れ、薄く笑う。
自分は嫌な顔をしているんだろうなと思った。
「まあ、チクっても問題ないけど。あとでひどい目に遭うのはお前だしな」
ほら、どうした山田。
反論しろよ。嫌だって言え。
抵抗しろ、自分に。
「……チクらないよ、別に」
その時だった。
気を失ったと思われていた山田が、むくりと起き上がったのは。
「な、山田!?」
峯田がぎょっと目を見張る。
あれだけ殴ったはずなのに、山田はなぜかピンピンしていた。よく見ると、その顔にも身体にも傷ひとつない。まるで昼寝から目覚めたみたいだ。制服の汚れをはたき、袖口についた砂を払う。
「チクらないから、もう行っていい? 教室に戻らないといけないんだ」
山田は淡々と口を開く。特に気にしてはいないらしい。
「てめえ……ふざけやがって!」
思わず殴り掛かろうとした時、「こっちです!」という声がした。
「こっち、こっちです! 早く来て!」
どうやら現場を目撃されてしまったらしい。その声には聞き覚えがあったが、なぜか思い出せなかった。気が動転しているせいだろうか。相手の顔もよく見えない。ひるがえるスカートが近づいてくる。
その後ろからやって来たのは、誰もが恐れる体育教師。
「お前ら、何してる!」
腹の底から轟く声に、峯田は「やべ」と思った。
思うと同時に、目の前がふっと晴れた。
そう、ヤバい。
本当にヤバい。
ダッシュでその場から逃げながら、峯田はちょっとほっとしていた。
もう一歩踏み出していたら、戻れなくなっていた。
それはごめんだ。そう思った瞬間、シュワっと何かが抜けていく。
それと同時に、心が少し軽くなった。
あんな自分は好きじゃない。
山田の事は嫌いだが、ボコボコにするのは話が違う。ああいう事は、別の奴がやればいい。
峯田は山田の事が気になる。恋ではない。絶対違う。
山田の事は嫌いだが、こういうのは二度とごめんだ。
うん、そうだ、それでいい。
自分はジュースをたかるくらいでちょうどいい。
*** *** ***
後にそれを話したところ、クラスメイトの三崎はドン引きしていた。
「言いたくないけど……ジュースをたかってる時点で十分最低だよ、峯田くん」
確かに自分もそう思う。
***
***
結局その後、教師に捕獲された峯田達は、それはもう叱られた。
こんなに怒られるのは久々だというくらい叱られた。反省の気持ちも消え失せるくらい叱られて、ようやく峯田は解放された。
今はバスの中だ。ここ最近では唯一と言っていい幸運が起こり、峯田は久々に座席に座った。
「くそ、山田の奴……」
言いながらも、先ほどのような悪意は消えている。
あれは一体何だったのか。
もしかすると、五月病のせいかもしれない。
「それにしても山田、すごかったよな」
「なんで無傷だったんだろ。あんだけ峯田にボコられたのに」
「今ごろ倒れてたりして」
まさかなぁ、と彼らがアハハッと笑う。なまじ山田の無事な姿を見ていたせいで、安心しきっているのだろう。一歩間違えば大変な事になっていたのを分かっているのか。今笑っていられるのは、山田が無傷だったせいだ。
もっとも、その責を負うべきなのは全面的に峯田で、他の二人ではない。
かすかに息を呑む声がしたが、気のせいだろう。
次のバス停に停まり、誰かが勢いよく飛び出していく。
あれはうちの制服だ。同じ学校の女子だろうか。駆け出しているせいで、背中しか見えない。
「今の子、ちょっと可愛くなかったか?」
「うちのクラスにいた気がするけど。峯田、知ってる?」
知らないと答えつつ、峯田は窓際で頬杖をついた。
山田の事は気に入らない。
目立たないくせに目につくし、意識しないのに視界に入るし、気にしてないのに見てしまう。しかも、本人はまったく気にしていない。気づいてさえいないと思う。
あの飄々とした態度が、本当にムカつく。
「山田め……なんであんなに目障りなんだ」
「峯田、言いにくいけどそれは」
「きっと」
一呼吸置き、同時に。
「「恋だよ」」
「違えよ!!」
いくらなんでもやめてほしい。鳥肌が立つどころの話じゃない。
峯田は山田が気にかかる。恋ではない。殴るぞお前。
だけど――まあ。
「……山田の下の名前、なんだったっけ?」
下の名前を覚えるくらい、してやってもいい。
峯田の問いに、二人は顔を見合わせた。
そして、
「知らない」
と言って笑った。
了
お読みいただきありがとうございました。なんかいい感じにまとめてますが、カツアゲも絡むのもダメゼッタイ。暴力ダメ、絶対。山田くんは無傷です。