美咲はなんだかツイている
美咲は最近、妙にツイている。ひとつひとつは些細だが、なんだかとてもラッキーなのだ。そんな美咲が気になっているのは、同じクラスの山田くん。ある日、美咲は彼が絡まれているのを目撃してしまい――。
*** ***
お読みいただきありがとうございます。メガネ女子と、影の薄い男子生徒のお話です。
美咲は最近ツイている。
***
「美咲ー、何してんの?」
声をかけられて、美咲ははっと顔を上げた。
「な、なんでもない」
「また図書室? ほんと、相変わらず好きだねえ」
呆れた顔になるのは、親友の尚ちゃんだ。小学校から一緒の幼なじみで、スポーツ万能の優等生だ。ポニーテールが似合うきりっとした美人で、高校でも陸上部に入っている。
対する自分は、一言で言うと……とても地味だ。
「美咲は可愛い顔してるんだから、メガネやめて、コンタクトにすればいいのに。高校デビューしたらどう?」
「い、いい。メガネがないと落ち着かない」
「そんなのび太くんみたいなこと言って」
のび太くんがそんな事を言ったかは定かではないが、美咲はメガネが嫌いじゃない。薄いレンズを一枚通すと、世界が違って見える気がする。
「そういえばさっき、何見てたの?」
「えっ?」
「あそこ壁しかないじゃん。幽霊でもいた?」
尚ちゃんが目をすがめるが、反応はない。何も見えていないようだ。
「い、いるよ……? 山田くんが」
「山田? そういえばいたっけ」
もう一度目をやり、「ホントだ」と目を丸くする。
壁しかないと言われたところに、ひとりの少年が座っていた。
彼の名前は山田くん。れっきとしたクラスメイトだ。
「いやー、相変わらず影薄いわあいつ。本気で見えなかった」
「失礼だよ、尚ちゃん」
「嫌なやつより見えないやつの方がずっといいじゃん。山田……下の名前なんだっけ?」
数秒考えたが、思い出せなかったらしい。尚ちゃんは早々にあきらめた。
「じゃああたし、部活あるから。また明日」
「うん、ばいばい」
部活がんばってと告げると、尚ちゃんは片手を上げてくれた。
本を手に立ち上がろうとして、落ちていたゴミが目に入った。何気なく拾い、ゴミ箱に捨てる。それから美咲は教室を出た。
***
図書室は学校の中で一番好きな場所だ。
教室が嫌なわけじゃない。けれど、ここに来るとほっと落ち着く。
「あらいらっしゃい、藤崎さん」
図書室の先生ともすっかり顔見知りになってしまった。こんにちはと挨拶して、持っていた本を返却に回す。
「どうその本、面白かった?」
「はいとっても!」
入ったばかりの新刊を、偶然借りる事ができたのだ。
欲しかったけれどお小遣いが足りず、我慢していたので嬉しかった。いつもは入れないジャンルだけれど、気まぐれで購入したらしい。
新しい本を選ぼうとして、ふとカウンターにテントウムシがいるのに気づいた。どうやら開いていた窓から入ってきたらしい。
図書室に虫は厳禁だ。見つかると即座に駆除される。
美咲は田舎育ちなので、虫はあんまり怖くない。
指先にとって、窓から放す。テントウムシは羽を広げて飛んで行った。
後ろから入ってきた山田くんが、「返却です」と言うのが聞こえた。
その帰り道の事だった。
重い荷物を持って歩いていたおばあちゃんを手伝ったため、美咲はいつものバスに乗り遅れた。次に来るのは激戦区だ。座るどころか、立つのも辛い。
なんとか後ろに滑り込むと、目の前の青年がはっとした。
「やべ、降りないと」
荷物をひっつかみ、慌てて駆け下りていく。空いた座席に、美咲は目をぱちくりさせた。
――あ、また。
ここ最近、なんだか妙にツイている。
人気の新刊が借りられたり、好きなアイスが偶然買えたり、バスや電車の席が突然空いたり。ひとつひとつは些細だが、積み重なるとラッキーだ。
(……気のせいかなぁ)
首をかしげつつ、美咲は本を取り出した。家に帰るまで待ちきれない。
次のバス停で、お年寄りが乗ってきた。本を閉じ、美咲はすぐに席を譲った。
***
話は変わるが、美咲には気になる人物がいる。
同じクラスの男子生徒だ。恋ではない。念のため。
入学直後、なぜかぽっかり空いた空間に、ひとり座っていたのが彼だった。入学早々いじめかと思ってひやりとしたが、影が薄いだけだった。
彼に話しかけようと思ったのは、ほんの些細なきっかけだ。
美咲は内向的な子供だった。友達はいたけれど、多くはなかった。
クラス替えになるたびに、仲がいい子がいますようにとドキドキした。同じクラスになれますようにと真剣に願った。あの時の緊張は、今でも鮮明に思い出せる。
幸い、尚ちゃんがいてくれたため、美咲が仲間外れになる事はなかった。
そんな人間にとって、新学期は格別だ。
同じ思いをしている人がいたら、他人事ではない。
せめて一言、誰かに話しかけてもらったら。
よろしくと言ってもらえたら。
それだけで、ほんの少し心強かったはずだ。
少なくとも美咲はそうだった。
だから、次は自分が。
あの日、尚ちゃんに話しかけてもらった美咲のように。
(でもそれが男子っていうのは……さすがにハードルが高いかもしれない……)
美咲に男子の友達はいない。
そして美咲は繰り返すが、とても地味だ。
尚ちゃんのような美人ならともかく、自分にそんな魅力はない。かえって迷惑になってしまうかもしれない。嫌がられてしまったら? そう思ったら、二の足を踏む。
どうしようと迷っていると、尚ちゃんに呼ばれた。
「美咲ー、こっちおいでよ」
「あ、うん」
このまま背を向けるのは簡単だ。
美咲は友達の輪に入り、彼はひとりで本を読む。それで何の問題もない。
――でも。
「ちょっと待ってて、すぐ行く」
尚ちゃんに断って、美咲は彼に足を向けた。
***
結果として、彼とは無事に言葉を交わせた。
緊張していたから、笑顔が引きつっていたかもしれない。
彼は山田と名乗った。読んでいた本は美咲も好きな歴史ファンタジーだった。
話はそれほど弾まなかった。美咲はお喋りな方ではないし、彼も口数は少ないようだ。二言三言、言葉を交わすのが精いっぱい。それが美咲の限界だった。
やっぱり迷惑だったかもしれない。お節介だったかも。
そう思うと、枕に顔をうずめたくなる。
(でも、ちゃんと話せた)
山田くんは嫌な顔をしなかった。
それだけで、救われたような気持ちになる。
気をつけて見ていると、山田くんは影が薄かった。
名前を呼び忘れられるのは日常茶飯事、ひどい時には名簿にない。親しい友人はおらず、いつもひとりで過ごしている。その割に、面倒な用事や当番の時だけ、彼の存在は浮上する。そして、これ幸いと嫌な仕事を押しつけるのだ。
彼らに悪気はないのだろう。ただ少し、ちゃっかりしているだけで。
でも、それじゃ。
(……山田くんが気の毒だ)
かといって、自分にできる事は少ない。
クラスで問題を提議する? 駄目だ、そんな勇気は自分にない。
だったら彼らに直接言う? そんな事ができっこない。美咲はヘタレだ。
先生に言うのはもっと駄目だ。問題が大きくなってしまう。かえって山田くんを困らせる。
なら――どうしたら。
限りなく消極的な解決策として、山田くんが押しつけられた雑用の一部を、美咲も手伝う事にした。
ごめんなさい、山田くん。勇気のない自分を許してほしい。
山田くんは気づいているのかどうか、いつも淡々と仕事をしている。何かすると、「ありがとう、藤崎さん」とも言ってくれる。そういう時だけ、その目が少しやさしい気がする。でも、気のせいかもしれない。
美咲は山田くんの事が気になっている。
最初は視界から外れる事も多かったが、今ではちゃんと目に入る。いくら影が薄くても、存在していれば目に映る。それでも気配が薄いので、ちゃんと見えるのは日に数度だ。それでもすごい事だと思う。
花瓶の水を替える時、さりげなく山田くんが代わってくれた。
「重いよ、それ」
「…………」
やっぱり彼はいい人だ。
山田くんがトラブルに巻き込まれたのは、そんなある日の事だった。
「山田ぁ! こっち来いよ」
山田くんを呼びつけたのは、クラスでも目立つ峯田くんのグループだった。
リーダーの峯田くんを中心として、あと二人。峯田くんだけやたらと目立つ。尊大な態度のせいだろうか。
イケメンらしいが、美咲の好みからは少し外れる。彼は山田くんを目の敵にしていて、こうやってしょっちゅう絡んでいる。昨日の日直を押しつけたのも彼だ。
美咲は彼が怖くて、一歩も動けなかった。
(私って最低だ)
いたたまれなくて謝ると、山田くんは快く許してくれた。それどころか、藤崎さんは悪くないとまで言ってくれた。どれだけいい人なんだろう、彼は。
彼が許してくれても、美咲の罪悪感は消えなかった。
山田くんの味方になれたら。
もしも、彼の力になれたら。
――次はきっと。
次こそは。
「いいからお前、ボコらせろ。放課後、校舎裏来い」
「いや、でも……」
「来いっつってんだろ!」
襟首をつかまれて、周りの女子が悲鳴を上げた。美咲も思わず息を呑む。山田くんはいつも通り淡々としていた。それがまた峯田くんの癇に障るらしい。
「チクったら許さないからな」
そう言うと、峯田くんは山田くんを突き放した。
ざわざわとした教室は、やがて静かになっていった。
(山田くんを助けなきゃ)
最初に思ったのはその事だった。
まず思いついたのは、先生に言う事だ。だがこれは早々に断念した。
現場を押さえられればともかく、今の段階では証拠もない。証言も期待できないだろう。峯田くんもしらばっくれるはずだ。
だとすれば、山田くんを連れて逃げる?
それも無理だ。今日は逃げ切っても、明日も学校がある。峯田くんは根に持つタイプだ。
だったら峯田くんをどこかにおびき寄せるのは? いや、これもその場しのぎだ。根本的な解決にはならない。
それなら強いボディガードを探してきて……どこで見つけたらいいんだろう。
便利屋さんとか、催眠術とか、アイディアは次々出てくる。でも、どれも現実では使えない。
(どうしよう……)
時間がどんどん過ぎていく。
もうすぐ放課後になってしまう。
ラッキーの神様、と美咲は祈った。
もしも神様がいるのなら、いいアイディアを出してほしい。
山田くんを助けたい。
そのためならラッキー期間が終わってもいい。――だから、どうか。
その日のお弁当は、美咲の大好物ばかりだった。
すごく美味しかったけれど、ちょっぴり味がしなかった。
***
ようやく妙案を思いついたのは、放課後になる少し前だった。
山田くんが連れて行かれた場所を特定して、先生を連れてくる。
知恵を絞った割にひねりがないが、これが一番確実だろう。
校舎裏と言っても色々ある。場所が特定できなければ、山田くんを助けられない。
尚ちゃんにも頼もうかと思ったが、それは断念した。万が一の事もある。尚ちゃんを危険に晒すわけにはいかない。男子で言うと、三崎くんあたりは頼れそうだが、それも行動には移せなかった。彼らを巻き込みたくはない。
緊張で心臓がバクバクする。
怖くて怖くて、吐き気がしそうだ。
峯田くんにバレたら、自分も無事ではいられない。
それでも、やれる事はやりたかった。
「……痛って!」
教室の向こうでは、峯田くんが机の角に足をぶつけている。
相変わらず運が悪い。何かに取り憑かれているのかもしれない。
山田くんは淡々と過ごしている。
もうすぐ放課後がやってくる。
ラッキーの神様、どうか力を。
美咲は真剣に祈っていた。
――それなのに。
「え……?」
掃除の後、先生に呼び出された美咲が戻ってくると、もう二人はいなかった。
なんで。どうして? どこに行ったの?
「や、山田くんは?」
近くにいた人に聞くと、「え、誰のこと?」と安定の返事をもらった。そう、彼は影が薄い。
「峯田くんは知らない? どこに行ったか、見た?」
「さあ……あ、あっちの方に歩いてたかも」
「ありがとう!」
礼を言い、美咲は教室を飛び出した。
油断していた。まさかこんな落とし穴があったなんて。
(どうしよう)
今から探し回って、果たして見つけられるのか。
誰に聞いても、山田くんの目撃情報が出てこない。
「峯田なら見たけど……山田? いたかなぁ?」
「峯田のグループ? 三人バラバラだったと思うよ。どこに? さぁ……」
せめて一緒に歩いていれば、方角が特定できるのに。
とにかく片っ端から当たろうと、美咲は廊下を駆けていく。
第一校舎、第二校舎、どこを見ても人影はない。
部活に向かう人間は多いが、誰も山田くんを見ていない。
どうしよう、このままじゃ。
山田くんは細身だ。背が低いわけではないが、がっちりともしていない。
体育の時は知らないけれど、運動部がスカウトに来るわけでもないから、得意なわけでもないのだろう。三対一で、敵うはずがない。
(ラッキーの神様、お願い)
どうか山田くんを助けてあげて。
残りのラッキーを全部使って構わない。この先一か月分もつけていい。
クラスメイトがリンチに遭うなんて、絶対に嫌だ。
(お願い……!!)
強く願った時だった。
「峯田、あっちの方で見かけたよな」
何気ない会話が耳に入った。
「第一校舎の、ちょっと奥だろ? なんであんなところに行ったんだろう」
「あそこ人が来ないし、見えにくいんだよな。悪いことでもするんじゃね?」
「!!」
美咲ははっとした。
ダッシュで向かおうとして、「おーいそこ! 廊下を走るんじゃない」と注意される。
振り向いた美咲は目を見張った。
厳しい事で有名な体育教師が、竹刀を持って立っていた。
***
結果として、作戦は大成功に終わった。
山田くんはノーダメージだったし、彼らは先生に捕まって、みっちりこってり叱られた。なぜか自分の事は目撃されなかったらしく、美咲の名前は出なかった。不思議だが、まあいい。大事なのは山田くんが助かった事だ。
胸をなで下ろしていると、山田くんに聞かれた。
「藤崎さんは、なんでそんなに俺のことを気にしてくれるの?」
「え」
山田くんが珍しく長いセリフを喋った、と思ったが、返答にはちょっと困った。
山田くんの事は嫌いじゃない。
影が薄いが、真面目だし、サボらないし、面倒な当番も代わってあげる。とてもやさしい人だと思う。
美咲は山田くんの事が気になっている。恋ではない。念のため。
でも多分――一番の理由は。
「山田くん、いい人だもん」
ごく素直な言葉が口をついた。
山田くんが目を丸くしている。どうやら意外な返答だったらしい。
そう、山田くんはいい人だ。
重い花瓶を持ってくれるし、汚れる作業は自分でやる。決して美咲にはやらせない。何かやるたびに「ありがとう、藤崎さん」と言ってくれる。
だから、気になる。
美咲はやさしい人が好きだ。
いい人も好きだ。
別に変な意味じゃない。ただ、助けたくなるだけ。無条件で手を貸したくなる。
美咲を助けてくれた尚ちゃんのように、誰かに手を差し伸べられたら。
ほんの少し力になれたら、それは。
きっと、世界を少しだけやさしくする。
「……なるほど」
彼はしばらく黙っていた。何か変な事を言っただろうか。
考え込む顔は真面目だが、怖くはない。彼が意外にも整った顔をしている事に、今さら気づいた。
「ところで藤崎さん、最近何かいいことはあった?」
「え、なんで分かるの?」
びっくりすると、山田くんは「なんとなく」と答えてくれた。そんなに顔に出やすいのだろうか。
最近のラッキーな出来事を話すと、山田くんは興味深そうに聞いていた。魔法みたいだと言った時、その目が少し笑った気がする。でも、気のせいだったかもしれない。
「山田くんにもいいことがあるといいね。それじゃあ」
手を振ると、山田くんは頷いてくれた。
美咲は知らなかった。
彼が美咲の背中に向けて、「幸運を」と呟いた事を。
***
***
そんなごたごたがあったせいで、美咲はまたバスに乗り遅れた。
いつもの激戦区。最後まで立つのを覚悟せねば。
前しか空いてなかったので、美咲はかろうじてできた隙間にもぐり込んだ。車内は今日も混んでいる。乗車率は百二十パーセント。
「あ、そうだ、降りなきゃ」
と、目の前の男性が席を立ち、「すいませーん」と言いながら降りて行った。
――あれー……?
ラッキー期間は終わったんじゃなかったか。
混乱しながらも、空いた席に腰を下ろす。頭の中では「?」マークが点滅している。
ラッキー期間は気のせいで、ただの偶然だったのか。
それともこれはただのおまけで、次からなくなる予定なのか。
よく分からないながらも、座れたのは単純に嬉しい。
ふと後ろを見ると、大荷物を持った女の人が立っていた。よかったらと席を勧める。彼女は嬉しそうにお礼を言って、「大丈夫よ。すぐだから」と笑ってくれた。
美咲は知らない。
ラッキーをひとつ使うたびに、彼女が善行を施して、使った分だけチャージされている事を。三回ほどで枯渇するはずだった幸運が、ひたすら補充され続けている事を。
そもそも、空いた席を他人に譲っては意味がない。美咲は結局立っている。彼女が分かっていないだけで、何回も同じ事がある。
だが、本人はその事に気づかない。
席が空いたらラッキーだし、バス停ひとつ分座れたら大ラッキーだ。
ランプが点り、次のバス停でバスが停まった。
大荷物を持った女の人が下りて行き、おばあちゃんが乗ってくる。
いつものように席を立ち、美咲は彼女に席を譲った。
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――この少し後、山田くんがボコボコに殴られていたと知って、逆方向のバスに飛び乗る事になるのだが――それはまた、別のお話。
了
お読みいただきありがとうございました!