隣の席の三崎くん
隣の席にいる三崎くんが、山田の事を見つめている。その目はきらきらしていて、何か言いたげだ。彼の目的とは一体? そして山田との友情の行方は? 影の薄い少年、山田視点のお話です。
隣の席の三崎くんが、やたらと見てくる。
***
「おはよう、山田くん」
溌溂とした声に、山田はふと目を上げた。
「……おはよう、三崎くん」
「化学の宿題やった? 俺あんまり自信なくてさ」
鞄を置きながら、三崎くんが話しかけてくる。彼の話題は宿題が多い。「ああ、まあ」と答えながら、山田はノートを取り出した。
「あ、ありがとう……? あっよし合ってた、山田くんありがとう、めっちゃすごい!」
何がすごいのか分からないが、彼が喜ぶとちょっと嬉しい。
「山田くん、化学得意?」
「普通かな」
「英語好き?」
「まあまあ」
「数学は?」
「……苦手な方」
「へえ、そうなんだ」
三崎くんがきらきらした顔でこちらを見つめてくる。あまりにもまぶしくて、山田はちょっと目がくらんだ。
三崎くんが隣の席に来たのは、ほんの少し前の事だ。
席替えの関係で隣になったのだが、それ以来、彼はちょくちょく声をかけてくれる。入学式で話しかけてくれたのも彼だった。多分、彼は対人スキルが高い。
「俺も数学苦手かな。英語と国語は割と好き。あと美術」
「……なるほど」
「山田くん、体育好き?」
それはあんまり好きじゃない。
首を振ると、三崎くんは嬉しそうに笑った。
「そうなんだ」
三崎くんに見られていると気づいたのは、いつの事だろうか。
ふと気づくと、彼はこちらを見つめている。
嫌な感じの視線ではないので、気づかないふりをしている。三崎くんはじっと見ている。まるで何かを見つけるように。
その目がなぜか――とても、きらきらしている。
「山田くん、おにぎりの具何が好き?」
「……鮭とタラコと昆布かな」
「漬物は? 好きなやつある?」
「キュウリ」
「あれおいしいよね! 俺薄切り派!」
自分は厚切り派だったが、頷くにとどめておく。……後でもう一度話題に上る事になるのだが、この時の山田は知らない。ちなみに「どっちもおいしい」で片がついた。三崎くんは心が広い。
「サンドイッチも好き?」
「好き」
「おいなりさんは?」
「割と好き」
「お弁当の中身何が好き?」
「玉子焼き」
「甘いの、しょっぱいの?」
どっちも好きだが、甘い方が多いかもしれない。
「……甘いやつ」
「あっ俺も! 一緒だね」
そう言って、三崎くんはにこっと笑った。
……観察日記でもつけられているのだろうか。
山田に質問するだけでなく、彼は惜しみなく自分の情報も開示している。おかげで山田は彼の事なら、ご両親の次に知っているレベルになってしまった。
おにぎりの好みはドンピシャで一緒、ツナマヨと明太子マヨも好みらしい。昆布だけはそれほどでもないが、昆布マヨなら好きだという。……それはマヨネーズが好きなんじゃないか?
玉子焼きは甘い派で、唐揚げとササミチーズカツとハムカツが好き。あと、ブロッコリーが少し苦手。
いつも友達に囲まれていて、明るい笑顔にあふれている。
そして――山田の事を、妙に見てくる。
「山田くん、チョコレート好き?」
「うん、まあ」
「飴好き? グミは? ガム食べる?」
飴は嫌いじゃないが、グミは食べない。ガムもそれほど口にはしない。
よく分からないながら、ひとつひとつ答えていく。
「クッキー食べる? 俺は好き」
頷くと、三崎くんは嬉しそうな顔になった。
***
そんな三崎くんにトラブルが起きたのは、よりにもよって、山田の事がきっかけだった。
「おい三崎、お前最近山田と親しいらしいじゃん」
三崎くんに絡んできたのは、同じクラスの峯田という男だった。
入学当初からなぜか山田の事を目の敵にしていて、ちょくちょく因縁をつけられる。いつも罰が当たるため、それほど気にしてはいないのだが、三崎くんに飛び火するとは思わなかった。
(厄介だな)
彼との距離は大分離れている。
助ける方法はいくつかあるが、どれも今は適さない。
三崎くんは峯田とその仲間に、「山田はゴミだって言え」と脅されている。小学生か、まったく。
彼の友達ははらはらしたように見ているが、誰も助けには行かないようだ。それはしょうがない。彼らはクラスの中心人物だ。誰だってトラブルに巻き込まれたくないだろう。彼らを責める事はできない。三崎くんが山田の悪口を言えば、無事に解放されるはずだ。
ゴミクズ、ゴミカス。あまり綺麗な言葉じゃない。
仕方ないと思った時、三崎くんが言った。
「山田くんはいいやつだ! カスじゃない!!」
「―――――……」
不覚にも、心臓を撃ち抜かれた気がした。
この感覚は二度目だった。一度目は藤崎さんと出会った時だ。彼女もひとりぼっちの山田を心配して、声をかけてくれたのだ。それ以来、彼女は山田の中で天使扱いになっている。
山田をかばっても、三崎くんには何の得もない。
峯田に目をつけられると面倒なのは、山田が一番よく分かっている。隣の席なら、彼が知らないはずがない。他の人間ならともかく、彼は山田を気にしている。
それなのに。
「てめえっ……」
峯田が拳を振り上げたのを見て、山田は動いた。
「ちょっと失礼」
二人の間にもぐり込み、暴力沙汰を回避する。三崎くんは目をぱちくりさせている。何が起こったのか分からない様子だ。構わずすたすたと歩き、目的のものを手に戻ってくる。
とにかくこの場から助け出そうと、山田は彼に声をかけた。
「三崎くん、図書室」
「……あっ」
口実には図書室の本を使った。返却期限だと言えば、三崎くんはおとなしくついてくる。動かなかったら手を引くかお姫様抱っこだと思っていたのだが、動いてよかった。
「ま……待てよ、お前らっ……」
追いかけようとした峯田の目を山田は見た。じっと見た。
――じっと、見た。
「ん……あれ?」
案の定、彼らがすぐに戦意をなくす。
「えっと……俺たち、なんだっけ?」
「てか、なんでここにいるんだっけ?」
うん、そのまま忘れていい。
三崎くんは、山田の事が気になっていたようだった。
うん、それは知っている。多分、本人よりも知っている。
道理で、手品だの催眠術だの聞かれたわけだ。あれだけ目がきらきらしていたのも納得がいった。
だが、山田は手品が使えない。
(……仕方ない)
次までに何か仕込んでおこう。多分、ハンカチくらいなら消せる。
先ほどの出来事は、影の薄さによる特殊技能だと説明した。
全部本当でもないが、嘘でもない。三崎くんは目を丸くして聞いている。
「あまりにも影が薄いと、直前の会話まで忘れるらしい。彼らに起こったのはそういうことだよ」
「……まさか」
うん、まさかだ。まったくの嘘でもないけれど、真実でもない。
それでも会話を続けると、彼は黙った。
「そっかー……」
それで納得してくれるのがすごい。三崎くんは素直だ。人を疑う事を知らない。どうかそのままでいてほしい。
山田には友達がとても少ない。
クラスでよく話すのは藤崎さんくらいだし、あとは近所の犬か猫だ。三崎くんが話しかけてくれて、実は嬉しい。とても嬉しい。
本当は、自分から話しかけてみたい。だが、話題が見つからない。三崎くんの事はほぼ知っている。彼が話してくれたからだ。お尻のホクロの数さえ知っている相手に、今さら何を聞いたらいいのか。
三崎くんは相変わらずきらきらした目を向けてくる。真実を知った今でも、山田に対する感情は変わらないようだ。その目が少しこそばゆい。
「助けてくれてありがとう。理由はどうあれ、山田くんは山田くんだよ」
「……大げさだな」
だが、嫌な気はしなかった。
彼が喜んでくれると、自分も嬉しい。
「なあ、ほんとにどっか遊びに行かない? 俺、山田くんともっと話してみたい」
「放課後は駄目なんだ。大事な用事があるから」
これは嘘ではない。山田は放課後に用事がある。
「そっかー……」
しょんぼりした三崎くんに、「でも」と続ける。
「今度の休みは暇なんだ。よかったら、その時にでも」
三崎くんがぱっと顔を上げ、
「……うん!」
今までで一番の笑顔になった。
***
***
そして、放課後。
教室の席に戻り、山田は時計を見つめていた。
時計の針は四時十分前。そろそろ――始まる。
「早く部活行こ。急がないと」
「購買まだ開いてるかなぁ」
「ちょっとトイレ」
いつものように、なんとなく人が教室から出て行き、なんとなく用事を思い出し、なんとなく別の場所に行きたくなる、その隙間。
今日は色々あったと思いながら、山田はほっと息をついた。
三崎くんに言っていなかった事が、ひとつだけある。
放課後に用事があると言ったが、その行き先が特殊なのだ。
だが、これは言う必要がない。山田もこの先言うつもりはない。
三崎くんはいい人だ。山田は彼の事が好きだ。恋ではない。念のため。
三崎くんは本当にいい人だ。
だからこそ、妙な事には巻き込みたくない。
カチリ。
時計の針が午後四時を指した。
その時だった。
山田の足元で、気配がした。
(……来たか)
――異世界召喚。
最初に自分の身に起こった時は何かと思ったが、こうも続けばいい加減慣れた。持ち物は特にないが、トイレは済ませておこうと思う。
山田は別の世界で、魔王を倒した勇者になっている。よく分からないだろうが、呑み込んでほしい。そうなっている。
無事に魔王を倒した山田は、なぜか国を譲られそうになってしまい、ものすごく困った。辞退する代わりに、放課後の三十分だけ異世界へ行き、彼らと交流する事になった。今でもそれを続けている。
最初は教室の中央いっぱいに展開されていた魔法陣も、だんだんコンパクトになっている。向こうも慣れてきたらしい。
もうすぐ魔法陣が浮き上がり、慣れた光が体を包む。
三崎くんにはとても言えない。
もし知られてしまったら。
「あ、山田くん、まだ残ってたの?」
――それはまた、別のお話。
了
お読みいただきありがとうございました! このお話の続きは第3話から。三崎くんの運命や如何に?