第5話
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目を開けると、見慣れた学校の教室だった。
「か……帰ってきた……?」
自分の体を見回すが、どこもおかしなところはない。無事に転移は成功したようだ。
「お疲れさま。ただいま」
振り向くと、山田くんがそこにいた。
「山田くん、お帰り」
「三崎くんもお帰り」
「うん、ただいま」
答えると、ようやく実感がわいてくる。
「山田くん、異世界に行ってたんだね」
「こっちの世界で三十分だけ。それ以上は無理だから」
「ああ、だろうねぇ……」
「あと、ひとつ言い忘れてた」
山田くんが陽太の顔を見た。
「勇者じゃない人間が異世界に行くと、その時の記憶はなくなるんだ。今は覚えているけど、だんだん薄れて、一晩寝ると忘れてる。ごめん、言わなくて」
「ああ、だろうなぁ……」
そうでなくてはおかしい。誰でもこんな体験ができてしまったら、それを覚えていて誰かに言ったら、世界中大騒ぎだ。
「いいよ、別に。……でもさ、山田くん、ひとつ聞いていい?」
「何?」
「やっぱり峯田くんの時、魔法使ったんじゃない?」
そう言うと、山田くんは目を丸くして、そして笑った。
「ばれたか」
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そして、翌日。
「山田くん、おはよう」
陽太が挨拶すると、山田くんはこちらを見た。
「おはよう、三崎くん」
その目は何かを確かめるようだったが、陽太が「何?」と聞くと首を振った。
「なんでもない」
「英語の宿題やった? 俺今日当たるんだけど、自信なくてさ」
その問いに山田くんは鞄を探り、無言でノートを突き出した。
「俺もそれほど得意じゃないけど、一応は」
「あ、ありがとう……? うわ、ここ間違ってる、全然違う!」
急いでノートを引っ張り出すと、陽太は宿題の添削を始めた。教室の前では、峯田くんがしかめっ面をしている。その体にはまた包帯が増えている。今度は転がっていた空き缶に蹴つまずいたらしい。ちなみに、その空き缶を捨てたのは三日前の彼だ。なんという自業自得。
「助かった、ありがとう」
ノートを返すと、山田くんは頷いた。
当たり前の平凡な毎日。
何かが起こる予感はなく、何事もなく時間が過ぎる。
「山田って、相変わらず影が薄いよなぁ」
「何を励みに生きてるんだあいつ」
「下の名前が思い出せない……。つか本当に存在してるのか?」
「もー! やめろよお前ら!」
失礼な事を言う彼らに、陽太が本気で説教する。
「ごめん山田くん、失礼なこと言って」
「大丈夫、気にしてない」
いつも通り山田くんは影が薄い。
女子生徒にも男子生徒にも気づかれず、名前を呼び間違えられたりしている。ちゃんと呼ぶのは藤崎さんだけだ。山田くんもちょっと楽しそうにしている。え、もしかして恋の予感? それは待ってほしいんだけど。
そのまま何事もなく昼を迎え、放課後になった。
時刻は午後四時五分前。
いつも通り、なんとなく人が教室を出て行き、なんとなく別の場所に行きたくなり、なんとなく近寄らなくなる瞬間。
陽太も立ち上がり、山田くんに声をかけた。
「また明日、山田くん」
「また明日」
それで会話は終わってしまい、彼の隣を通り過ぎる。
山田くんはいい匂いがする。かすかに爽やかな緑の香り。ハーブティーにも少し似ている。
教室の出口まで歩き、陽太は扉に手をかけた。
「あ、そうだ、山田くん」
彼が目を上げると、陽太は笑った。
「行ってらっしゃい。気をつけて」
――時刻は午後四時一分前。
「山田くんとずっと一緒にいた影響で、記憶が消えなかったみたいだよ。帰ってきたら土産話期待してる!」
大きく目を見張った山田くんが、何か言いかけて。
「了解」
こぼれるように笑って、消えた。
了
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