第2話
***
「山田くん、昨日消えた?」
……などと聞けるわけがないので、陽太は口をつぐんでいた。
(気のせい、だよな……? 人間が消えるわけないしなぁ……)
ちなみに陽太の視力は、左右ともに1.2。だからと言って、見間違いが起こらないわけじゃない。
(目の錯覚? それとも乱視? まさかとは思うけど、ドッペルゲンガー?)
乱視は違うんじゃないかと思ったが、それにしても不思議だ。
うーんと悩んでいたら、「おい山田ぁ!」という声がした。
「てめえ、何俺らの前横切ってんだよ。通行料払え」
「そうだよ、払え払え」
「払っていってくれるかなー?」
にやにや笑う男子生徒が三人、山田くんを取り囲んでいた。
「悪いけど、教室に関所はないと思う」
山田くんは真面目に返している。そう、今は江戸時代じゃないし、ここは関所でもない。
「通行料だっつってんだろ!」
山田くんに絡んでいるのは、クラスでも目立つ峯田くんのグループだった。リーダーの峯田くんがイケメンで、女子がきゃあきゃあ騒いでいる。
彼は山田くんの事が気に入らないらしく、しょっちゅう絡んでいるらしい。不思議な事に、山田くんの隣の席になるまで知らなかった。
「山田のくせに生意気なんだよ。金よこせ」
「財布持ってないんだけど」
「小銭でいいから出せよ! 百円!!」
胸ぐらをつかまれて、女子がきゃあっと悲鳴を上げる。山田くんは無言のままだ。
「あーあ、山田かわいそー」
「マジ気の毒だよな。ほんと、何が楽しくて生きてるんだあいつ」
「あそこまでいくと、さすがに同情するわ。なー陽太……って、あれ? 陽太?」
彼らに向かって歩き出す陽太に、友人達がぎょっとする。
関わりたくはなかったけれど、目撃したらしょうがない。だって山田くんは隣の席だ。無関係な他人じゃない。
いや、無関係な他人でも、ここで見捨てるのは寝覚めが悪い。
「あの、ちょっと……っ」
声をかけようとしたら、彼らがそろってこちらを見た。
「何、三崎」
「いや、あの、山田くんを……っ」
「は? 山田?」
「何の話? つか誰?」
「今俺らしかいねえんだけど」
「…………へ?」
見ると、そこには誰もいなかった。
「あ、……あれ?」
「なんだよお前、変な奴だな」
怪訝な顔をしたものの、彼らは「なんか飲まね?」、「俺スポドリ」などと言いながら立ち去っていく。取り残されて、陽太は呆然とした顔になった。
「…………えー……?」
山田くんは、やっぱり謎だ。
その翌日、峯田くんは顔を腫らして現れた。
「なんか、ガラの悪いお兄さんに絡まれたんだって」
「あいつ、そういうの多いよな。お祓いした方がいいんじゃね?」
「呪われてるよなぁ……」
ひそひそと話すクラスメイトに、陽太は何も言えなかった。
山田くんは隣の席で、『洪水の歴史と対策』を読みふけっている。その様子は普段通りだ。何もおかしな事はない。
(気のせい……だよなぁ?)
首をひねりつつも、「おはよう山田くん」と挨拶する。山田くんは目を上げて、「おはよう、三崎くん」と返してくれた。
「あのさ、昨日……」
「うん?」
「……いや、何でもないや」
今日も山田くんの影は薄く、「山田って誰だっけ?」と言われている。いるから! すぐそこに本人いるから!!
こんな風に思ってしまうのは自分だけかもしれない。最近では山田くんの事ばかり考えている。これって恋……ではない。それは違う。
「山田くんって、忍者?」
「違う」
「だよねぇ」
それで会話は終わってしまい、後には沈黙が残された。
(うーん……)
山田くんの事は嫌いじゃない。
話しかければ答えてくれるし、宿題だって見せてくれる。読んでいる本も教えてくれたし、挨拶だってちゃんとする。
普通に暮らしていれば、不思議に思う事もない。
だけど、妙に気になる。
「山田くん、手品使える?」
「使えない」
「山田くん、催眠術できる?」
「できない」
「山田くん、魔法使える?」
そこでふと彼は目を上げて、少し笑った。
「――使えない」
やっぱり山田くんは謎の人だ。
***
山田くんの事が気になってから、しばらくが過ぎた。
注意して見ると、おかしな事は色々ある。あるけれど、説明できない。
絡んできた相手が急に興味を失ったり、かと思えば何もない場所でずっこけたり、突然の腹痛を起こしたり。
代役を頼まれた仕事が、いつの間にか完璧に終わっていたり。
ひとつひとつは些細だが、積み重なれば偶然じゃない。
(山田くんって……不思議だ……)
陽太が見ているのに気づいても、彼の態度に変化はない。
読んでいる本は治水から浄水に変わった。運河を終えて、飲用水になったのだろうか。下水の本も熱心に読んでいるから、本格的にインフラ整備だ。
ここにもしかして、山田くんの秘密が隠されている!?
(……まさかなぁ)
脳内で自分に突っ込んで、陽太は首を振った。
積み重なれば偶然じゃないが、ひとつひとつなら偶然だ。
案外、自分が気にしているからそう思ってしまうのかもしれない。山田くんはただの人間で、ちょっと無口なクラスメイト。そう思った方が、ずっと自然だ。
(もう忘れよう)
こうしていれば、ただのお隣さんなのだ。
普通に暮らしていれば、不思議に思う事もない。わざわざ騒ぎ立てるのはどうかと思うし、余計な波風は立てたくない。これ以上は深入りしない方がいいかもしれない。
あまり詮索すると、山田くんにも迷惑だ。実際、穴が空くほど見つめているし。
最近では見つめ続けていたせいで、たまにちょっとときめいたりする。これって恋?……ではない。そっち方面はもう忘れよう。
山田くんは目立たないが、いい人だ。
最近ではちょっとした雑談も交わすようになった。
山田くんはキュウリの漬物と、甘い玉子焼きが好きらしい。陽太も割と好物だ。好きなものが一致して、ちょっと嬉しい。
キュウリの切り方でひと悶着あったが、最終的には「どっちもおいしい」で片がついた。山田くんは引き際も鮮やかだ。ちなみに陽太は薄切り派だ。
そんなこんなで、山田くんの謎から遠ざかるようになったある日。
陽太はトラブルに巻き込まれた。
お読みいただきありがとうございます。山田くんは鮭とタラコのおにぎりが好きです。あと昆布。