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巨乳牛っ娘獣人にマッサージされた泥棒の俺、お宝ゲットの名案浮かんじゃいました

 断崖絶壁の上にたたずむ古い城。誰も住まなくなってから数百年はたっている。


 そして、古城を背景に、若い男女が向かい合っていた。窓口を挟んで。


「観光旅行だよ」


 クレイは、短く刈り込んだ飴色の髪を右手で軽くすきながら言った。なるほど、人畜無害で愛想の良い青年に思える。


 目の前にはプレハブ小屋がある。『長柄ながえ城管理事務所』と黒地に白抜きで記された板が出入口の脇に釘打ちされていた。長柄とは槍などの総称である。古城は細長く伸びる舌のような崖に沿って建てられたので、槍に見立ててその名がついた。管理事務所とやらから、いっとき歩けば着く。


「だとしてもお城はダメです」


 プレハブ小屋の窓口で、藍鉄色の瞳が厳し気にクレイを制した。薄紅色のセミロングがきちんと整えられた、目鼻立ちはきついが美しく若い女性だ。


 耳の形といい、額からかすかに伸びる小さな角といい、牛系の獣人だろう。顔や身体つきは人間そのもので、女性の牛系獣人らしく胸が大変充実している。


 プレハブ小屋は、大人が四人も入れば満杯になる。古城の容積からすれば精々一万分の一くらいか。道に面して胸から上だけが見えるガラス窓が設けてあった。


 『管理事務所』には、クレイに釘を刺している人物一人しかいない。薄紅色の髪の彼女。


 そして、プレハブ小屋の向こう側には手入れされた畝が何列か並ぶ畑があった。野菜とおぼしき葉が等間隔に畝を覆っている。


 そんなのどかさと真反対に、長柄城は殺伐とした外観……遠目にも、崩れかけて黒みがかった茶色い染みと緑色のコケに覆われている。


 とにかく、話しかけたのはクレイが先だった。彼女は誰もがマニュアル通りと察しの着く口調と内容で、型通りにクレイの名前と用件を聞き出したころだ。


「あの城になんかあんの?」


 無知で無邪気な若者といったていでクレイは尋ねた。その視線は抜け目なく彼女の胸元に注目している。


「強い呪いがかかっています。脅しではなく、冒険者を自称する自由放浪者が何人も死体で発見されています」


 説明を受けるクレイの格好も、『冒険者を自称する自由放浪者』そのものだ。革ジャンに近いなめし革の薄い鎧。少し筋肉質な体格の背中にはリュック。ベルトには短めの剣を吊ってナイフも二丁差している。


「自由放浪者、ねえ。で、呪いの正体って?」

「調査中です」

「いつから?」

「一ヶ月ほど前からです」


 つまり、管理事務所とやらができたのがその辺りでもある。もうこれで説明は終わったといわんばかりだ。


「ふーん。入ったら呪い以外に罰でもあるの?」


 クレイの質問に、管理事務所の女性はほんの少したじろいだ。


「こちらで長柄城の訪問者を登録していますので、最悪の場合は犯罪者予備軍とみなされる可能性があります」

「あ、そう。はいどうも」


 ちゃっちゃと右手を振って、クレイは長柄城と自分の距離を縮め始めた。


 背後にした管理事務所でなにかガタガタ音がする。


「待ちなさい! お城はダメって言ったでしょう!」

「じゃー、日報にでも書いといたら?」


 振り向きもせずにクレイは答えた。


 それから数歩としない内に、地面から突然水柱が四本たち昇ってクレイの前後左右を囲んだ。一本一本がクレイの胴体くらいの太さで、高さは彼の背丈を越えている。


「それ以上進むなら強制執行で追い出しますよ」

「悪いが俺は好きなようにするんでね」


 クレイはずっと管理事務所の女性に背中を向けたまま、左手の小指をかすかに動かした。彼女の頭をなにか硬いものがコツッと叩いた。小さなゴム球を指で弾いて、ビリヤードの要領で管理事務所のプレハブ小屋に当ててから彼女の頭に命中させただけだ。


「きゃあっ!」


 集中が途切れたのだろうか、水柱は消えた。


「さいなら」


 クレイは軽く走り出した。


「このっ……ふざけるな!」


 今度は水の壁が道いっぱいに広がった。通せんぼされる前にクレイは向こう側にいた。彼女が仮に魔法かなにかを使ったとしても、それが具体的に効き目を現す前にクレイが逃げ出してしまうので全く意味がなかった。


 息も乱さず長柄城のすぐ目の前に至ったクレイは、改めて屋上から正面玄関までを目で追った。


 へこんだ屋上には小鳥一匹出入りしない。窓は窓枠が腐ったせいでガラスごと脱落して地面に落ちている。痕だけを示す虚ろな穴からは瘴気めいた気体でも出入りしていそうにすら思えた。中庭だった場所にも噴水や植え込みはない。


 それでいて、鉄のタガで補強された両開きの玄関……正式な城門はとうに城壁ごと残骸になっている……だけは新品同様だった。大人が三人並べるくらいの広さをしている。


「ク……クレ……クレイさん。強制……執行……」


 バタバタ走る音を聞きつけるまでもなく、管理事務所の女性が息を切らせながら宣告しようとした。クレイは玄関を開けて城内に入った。


 いざホールに入ると、窓だった孔からまだらに差し込む光がほこりを浮き上がらせた。


 本来なら、二階なり他の部屋なりに至る階段や通路もあったはずだろう。それらは全て崩落し、がらんどうのホール……一万人は収容できそうな広さ……だけが残っている。


 ホールの中央にはイーゼルがあった。そこにある一枚の油彩画。城とは裏腹に新品同然だ。


 絵そのものは等身大で、一人の男性が描かれている。


 背は人並み、髪は一本もなく儀礼用の鎧を身につけている。見た目は五十代だろうか、少々太り気味ではある。その代わりに、冷酷な権謀術数と残虐な戦場を数十年に渡り生き延び続けた貫禄が横一文字に引き結ばれた唇から感じられた。


 屋内にあるとはいえ、隙間風も入れば湿気や日光も当たり続けただろう。それなのに、絵は玄関と同様に……否、それ以上に異様な存在感を示した。まるで、日を追うごとに新しくなり続けるような。


 目当てのお宝が無防備に等しい状況にある。用心は当たり前として、その露骨な怪しさには知的好奇心を刺激された。


「長柄城最後の城主、キーテス伯爵さ」


 玄関が開いた音を聞きつけ、クレイは相変わらず振り返らないまま説明した。更に、心の中で多くの好事家にとって垂涎の的だともつけ加えた。もっとも、クレイは自分のコレクションにするつもりだが。


 数百年前、キーテスは国王に次ぐ実力を持つ人間として知られていた。そして、謀反を企み処刑されている。この絵は、生前の当人を描いたという意味でも画家自身の経歴という意味でも最後の作品になる。


 請け負った画家はマッカレアという名で知られていて、その筆で描かれた者は王侯貴族に出世するとまことしやかに噂されていた。もっとも、マッカレア自身については名前といくつかの作品以外ほとんど分からない。


 噂の究明にせよマッカレアの謎めいた生涯にせよ、二重の意味で最後の一作という点が絵の値打ちを大いに高めていた。


「そ……んな、ことくらい、知ってます」


 まだ息が乱れたまま、管理事務所の女性は膝に手をつきながらホールに入った。


「魔法なんてそれこそご法度にしてちょーだい。どんな反動があるか分かんね」

「危険……ですから止めて下さい」

「まだ大丈夫だって」

「どうして、判断出来るんですか」

「城そのものには罠も呪いもねんだよな。問題は絵なんだって」

「ですからそれがどうして」

「本で読んだよ」


 かくも簡潔至極な事実を想定していなかったらしく、彼女は黙りこんだ。


「あんたこそ、農家だか役人だか分かんねべ?」


 お返しにクレイは軽く皮肉を述べた。


「あんたじゃありません。アンテ」

「似たような名前じゃん」


 吹き出しかねないクレイに、アンテはつかつか歩いてクレイの前にたちはだかった。


 背はクレイより少し低く、自然と上目遣いになった。


「クレイさん。あたしはれっきとした衛兵です。長柄城の管理が任務です。それと並行して『現地生活自給自足プログラム』を実行しています。あと魔法じゃなくて召喚」

「そりゃ色々ご親切にあんがとな。で、アンテは今まで直に絵を見たことあんの?」

「ないです」

「絵の犠牲になった奴を見たことは?」

「それも……ないです」


 要するに、アンテはお飾りの衛兵だった。この地域の治安当局がなにかあった時に責任を逃れるべく、『確かに人員を常駐させていた』とポーズを取る為のアリバイにすぎない。


「精霊に聞かないの?」

「あたし、下級精霊しか使えません」


 身も蓋もない。下級精霊には知力はほとんどなく、水を湧かせたり火をつけたりする程度のことしか出来ない。もっとも、その程度はとうに下調べしてある。


 本で読んだというクレイの説明は、嘘ではないが事実の全てでもなかった。これまで、少なくとも五十人は下らない冒険者達が絵の入手を試みている。戻ってきた人間はその三割ほどで、絵には一切触れてないことだけが共通していた。


 管理事務所とやらが出来たのはつい最近の話で、その反面、ただ城を外から見てきただけという者もいる。


 それで、入るだけなら当たり障りないとは知っていた。ややこしい落とし穴だの隠し弓矢だのもない。


 消去法的に、絵だけが問題だと絞りこまれていた。が、これまでの挑戦者達とて呪い封じや魔法防護の類は準備したはず。何故失敗したのか。


「まさか、絵を盗むんじゃないでしょうね」

「そのまさかに決まってんだろ」

「なっ……なにをぬけぬけと。あたしは衛兵なんですよ」

「盗むと宣言しただけじゃあ無罪。記録でも取った?」


 眺めていてもらちが開かない。大胆にもクレイは絵に歩み寄った。


「本当にやる気ですか?」

「いや、絵の秘密を明かすのが先だし」


 クレイは言い捨て、遂に手を伸ばせば絵に触れられるところまできた。それでもなにも起こらない。


「絵に指一本触れたが最後、逮捕しますよ」

「へいへい」


 クレイはリュックから毛布を出した。季節がら薄い毛布しかない。


 それを丁寧に畳んで分厚くして、絵の前に置いた。しかるのちに、ロープを出してイーゼルの後ろに回し、両手で端を握った。


 クレイがロープを引くとイーゼルは傾き、弾みで絵は毛布の上に落ちた。分厚くしているので傷一つついてないはずだ。


 それから風呂敷の要領で……絵にも額縁にも触らず……現物をくるんだ。思いつけたら呆気ない仕事だった。


「せ、窃盗です!」

「絵に指一本触れてないじゃん」


 平然とクレイは言い放ち、絵をくるむ毛布を掴んだ。


「危ない!」


 アンテがクレイを突き飛ばした。思いもよらぬ不意討ちにクレイはお宝を手放し、不覚にもよろけた。牛系獣人は普段はおとなしいものの、瞬間的に異常な怪力を発揮する場面がある。


「なにす……」


 床に落ちて毛布がめくれ、半透明の白い線で形造られた腕が絵から生えて空中をまさぐった。人間の腕なのは分かるものの、正常な事態とはとても思えない。


「逃げるぞ!」


 クレイはアンテの腰を抱え、肩に担いだ。革鎧のせいで漠然としか胸の感触が味わえないが、この際どうでも良い。


「え? あのっ!?」


 アンテを担ぎながら全力で走り、後ろを振り向かずに玄関へ一直線だった。彼女がいない方の肩でドアを吹き飛ばすように外に出ると、間一髪で白く半透明な腕が触手のように伸びて戸口で止まった。


 アンテを降ろし、さすがに肺の中身を丸ごと入れ換えるほど速く鋭く呼吸せざるを得ない。


「あ、あたしに触りましたね!」

「今頃……怒るなって。危う、く、呪いに……やられる……ところを、助けて、やったんだからさ」

「元はといえばあなたが!」

「ついて……こいとは……言わ、なかっ、た」

「とにかく、今度こそ二度と足を踏み入れないで下さいね!」

「分かった……よ……」


 クレイは大人しく退却した。アンテも一緒に歩いた。彼女は腹をさすってから、意外に広くたくましいクレイの肩をちらっとだけ見た。


「それで、どうして事務所に入ってくるんですか?」


 そのまま去るのかと思いきや、さも当たり前のようにクレイは管理事務所に入った。アンテより先に。


「さっきのやり取りで肩と腰を痛めちゃってさー。回復するまで保護してくんね?」


 室内に目立たないように積み上げられた木箱を、クレイはさっと確かめた。人参だのピーマンだのが一つ一つに満載されている。


 アンテは牛系獣人であるから野菜だけでなんの苦もなく生活出来る。クレイに好き嫌いはないものの、喜んで長居する環境とは言い難い。


「じゃあ治癒精霊を……」

「あんたが呼べるの水の精霊だけじゃねーの?」

「下級精霊なら一通り呼べます。それで、治癒を……」

「いや、精霊が俺にこびりついた呪いを受けるかも知れねーし」


 召喚師はあくまで契約に基づいて精霊を呼び出すので、呪いや魔法によってダメージを受けると契約を解除される場合がある。再契約は非常に面倒な手順が……祭壇を構えたり生け贄を捧げたりするものが……必要になる。召喚師なら誰しも、それは避けたいところだ。


「それならどうするんですか」

「まず肩を揉んでちょーだい」

「ええっ!? セクハラです! ていうかあたしに呪いが移るかもしれないじゃないですか。嫌ですよ、あたし」

「俺の呪いが進んで死んだらどーすんのさ」

「し、死ぬって……」

「だから助けてよ。獣人は呪怨系に強いんだからさ。変な真似はしないって」


 むすっとした顔でアンテは黙りこんだ。確かに、獣人は人間よりは多少呪怨に強い。それにも増してクレイには確信があった。基本的に牛系獣人の女性は母性本能が強い。


「じゃあそっちの椅子に座って下さい。邪魔ですからリュックを降ろして」

「嬉しいね」


 クレイが、本来アンテが使っていた窓口用の椅子に座るとアンテの指が肩に当たった。


「この辺ですか?」

「うん。そこそこ」


 細目だが強い力がぐいっと肩に食い込んだ。


「あーいいね。きくきく」

「こんなので……本当に呪いが解けるんですか?」

「どうだろう。でも気持ち良いし」

「真面目に答えて下さい!」

「うーん、じゃあ次は腰かな」

「こ、腰もですか!?」

「肩だけやって腰は無視っておかしいだろ」


 際限なく図々しいクレイであった。


「分かりました。じゃあ、そっちのベッドに横になって下さい。鎧と剣とナイフを外して貰えますか?」

「あんがと」


 野菜を積んだ箱に囲まれたベッドはかなり青臭い。


 アンテ自身が青臭いのではないにしても、別な意味でのインパクトがあった。


 ともかく、上半身はシャツ一枚になった。さすがに上半身だけとはいえ裸になるつもりまではない。うつ伏せになったクレイの脇でアンテが膝をつき、かいがいしく腰を揉み始めた。


「うーっ。これもキク……ていうかクル……」

「呪いがですか!?」

「いや、ああ、その通り。もっと揉んで」

「はい」


 真剣に腰を揉むアンテの胸元を横目で眺めながら、クレイは思案をまとめた。アンテのマッサージが本当に差し迫って必要なのではなくて、考えを建て直す機会が欲しかったに過ぎない。なにがしかの余録は得るにしても。


「アンテ、マッカレアって画家知ってる?」


 腰の凝りがほぐれる感触を味わいつつ、クレイは持ちかけた。


「いいえ。あの絵を描いた人ですか?」

「そーだよ。でも詳しい話分かんないんだよね。男か女かも。一応、最後の記録じゃ城主のキーテス伯爵お抱えだったらしいけど」

「でもどっちみちもう城には入らないんですよね」

「そうだな。アンテも俺に抱えられて逃げたって日報に書いときなよ」

「そんな恥ずかしいこと書けません!」


 たちまち真っ赤になってアンテは叫んだ。


「うんうん。色んなマッサージをして呪いを解いてくれたと俺からも……」

「色んなマッサージってなんですか!」

「ツッコむのはそこじゃねーだろ」

「頭の中に水の精霊を注ぎますよ!」

「そりゃ過激……いや、それだ!」

「ええっ!?」


 アンテは思わず手を引っ込めた。クレイは弾むように起き上がり、身支度をした。


「あの、どこに行くんですか?」

「城」

「さっき約束……」

「呪いを解く手立てが分かったんだって。アンテの力が必要なんだよな。一緒にきてくれよ。衛兵なら地域の安全に努力しなくちゃならねーじゃん?」

「んもうっ。さっかからなんだか引っ張り回されてばかりです」

「嫌?」


 剣の鞘についている吊り具に紐を通し、ベルトに通すクレイを三秒ほどアンテは眺めた。


「嘘だったら許しませんよ。あと、逃げるときはちゃんと一人で走りますから」

「いいね! 世話になるよ」


 仕上げにナイフをベルトに差し、クレイは率先して管理事務所を出た。


 絵は何事もなかったかのようにイーゼルに収まっていた。それを包んで床に落ちていた毛布は、中身を失った状態でその場にあった。


「誰も手を触れてないはずなのに……」

「絵そのものに、呪いってより意志がこもってるからさ」

「意志?」

「ああ。伯爵かマッカレアか、あるいはその両方かもしんね」


 そういう仕組みが世間にないわけではない。ただ、数百年も続いて人の命を奪い続けるとあっては相当なものだ。


「どんな意志なんですか?」

「マッカレアはともかく、伯爵にはあれこれ書かれた本やら言い伝えやらあって、一通りは分かっちゃいた」


 要約すれば、数百年前に主君に謀叛を企んだ。決行直前にことが露見し処刑された。一族も追放され城は廃墟となった……少し歴史をかじった人間なら誰でも知っている。


「それと絵がどう結びつくんですか?」

「そこでアンテの出番ってワケ。俺が絵にわざと手え伸ばすんで、さっきみたいに白い手が伸びたら絵ん中に水の精霊突っ込んでくんね?」


 絵から手が伸びるということは、魔法のニュアンスとして『シャッターが開いた状態』になる。つまり精霊が出入り出来るようになる。


「それって呪いが……」

「俺が囮になっからさ。で、水の精霊に絵の中で見知ったことを教えて欲しんだわ。それで呪いの正体分かっから」


 確かに、下級精霊でもそうした情報をコピーするのは不可能ではない。


「それでも、呪いを解く前になにかされたら困ります」

「この呪いは一度に一人しか攻撃できねんだ。さもなきゃさっきやられかけた時にアンテにも手が延びてるはずだろ? で、アンテは水の精霊から正体を教えて貰ったら炎の精霊を絵の中に入れて、そいつを焼いてちょーだい」

「絵まで燃えるんじゃないんですか?」

「呪いの根っこだけ燃やすから大丈夫」

「絵が傷みませんか?」

「これ油絵だもん、水は関係ねーし」


 遺漏がないようなあるような、なんとも大雑把な『作戦』だった。しかし、つまるところ自分の存在意義は危険の根本的な改善だとアンテが判断するのをクレイは読みきっていた。


「危なくなったらすぐ逃げて下さいね」

「へいへい」


 おもむろにクレイが額縁に手を伸ばすと、すかさず例の『手』が伸びた。と同時にアンテの呼び出した水の精霊が絵の中に飛び込んだ。


 クレイだけが絵をつついたのなら、呪いの手は彼を捕まえて思う存分力を振るうことができただろう。


 しかし、水の精霊と同時に彼が額縁に手を触れたせいで一瞬の迷いが出来た。


 精霊が情報を写しとるのはほんの一瞬で済む。つまり、クレイが手を引っ込めるのと同時に戻ってきた。呪いの手は消えた。


「教えてもらおじゃないの」


 終始クレイの口調は軽いままだった。その癖額から首筋にはぶつぶつと汗が吹き出ては流れ落ちていた。危険な賭けだったのは間違いない。


「はい」


 特に言葉や呪文で命令したのではない。水の精霊は空中で大人一人くらいの塊になり、それから何者かに変身した。絵にあるキーテス伯爵その人だ。完全に本物の姿になったのではなく、氷の彫像が形を保ったまま水になったような状態だ。


「妻も息子達も皆死んだ。寿命には程遠いのに、何故だ」


 時折り水の精霊自体が建てるごぼごぼという音を差し挟みつつも、はっきりとキーテス伯爵の写し身は嘆いた。


「国王陛下の差し金ですわ」


 どこからか、滑らかで高く美しい女性の声がした。こちらは姿がない。キーテスが聞いた話として再現されている。


「何故だ! 陛下は私をいたくご信任遊ばされていたではないか」


 その女性に対して、伯爵の写し身は質した。


「猜疑心にかられたのです」

「だからといって何故私を狙わない?」

「子孫に復讐されるのを恐れたのでしょう」

「うぬうっ、許さん! 手勢を集めるのだ!」


 それからまばたき三回分ほどの沈黙が流れた。


「無念だ! ことが漏れて国王の軍勢に囲まれるとは!」

「伯爵様、まだ一つだけ手だてがございます」

「おお、申して見よ!」

「私が今から魔法で描いた絵に、伯爵様の魂を封じます。国王の軍勢には脱け殻になった肉体を私が差し出しましょう」

「それで?」

「私は身を隠しますが、伯爵様の絵はお城のホールに据えるようにしておきます。お城はそのまま捨て置かれましょう。しかし、ほとぼりが覚めたら物好きな下々が絵を手にしようと現れるはず」

「ふむ」

「そして、そうした者らの魂を絵から直にお取り入れ下さいませ。ちょうど千人の魂を食しますと、もはや何者も太刀打ち出来ぬ力を得られます」

「それまでに国王が死んだらどうする」

「国王は秘密の力でずっと寿命を伸ばし続けています。何百年かかろうとも成就は必定かと」

「良し。やれっ!」

「かしこまりました。それで、小賢しい盗賊に召喚師。お前達二人でちょうど千人よ!」


 水の精霊が弾け飛んだ。一時に極端な魔力の負荷をかけられ、少しの間だけ消えた。


 絵の額縁に手をかけ、キーテス伯爵がホールに実体化した。全身から淡い緑色の光を放ち、例外として浅紫色の瞳からは同じ色の小さな炎が燃え盛っている。


 伯爵は剣を抜いた。ためらわずにクレイはナイフを一本抜いて投げつけた。こともなげにキーテスは剣で弾いた。


「アンテ、俺の剣に精霊のっけてくれ!」


 こんな化け物に普通の刃が通じるとはとても思えない。


「少し待たないと無理です!」

「なんでだよっ!」


 無慈悲な返答の間にもキーテスが鎧をガチャつかせてクレイに迫った。クレイも腹を括って自分の剣を抜いた。


 クレイ一人なら逃げれば済む。アンテを見捨てるのは個人的な仁義に反した。


「さっき水の精霊が受けたダメージであたしの召喚速度が落ちてます!」


 キーテスが剣を両手で握り、大上段に振り下ろした。寸前で見切って右に横転したクレイだが、キーテスはやすやすと身体の向きを変えた。そして一度振り下ろした剣を下段からすくい上げるように凪いだ。クレイは背中を反らせて逆宙返りを決め、またしても刃は空を切った。


 背後にいるアンテを常に意識しながら、キーテスの一撃一撃を見切って反撃もなく避け続けるのは莫大な集中力と機敏さを必要とした。


 自らの剣を戻すより先に、キーテスは右手を剣から離して左足で蹴りを入れた。着地点を狙われたクレイは避けきられず、左手首に爪先を叩き込まれた。金槌で卵を潰すような音がして、クレイは苦痛に顔をしかめた。


「クレイさん!」

「は……早く、精霊呼んで……」


 かろうじて剣は握ったままながら、痛みでたちまち動きが鈍った。キーテスは再び両手で剣を構え、右足を踏み込んで全身の突きを入れた。身体をひねるクレイは、革鎧の左脇腹が薄く裂けて肌が見えた。


「今です!」


 アンテが叫ぶと同時にクレイの剣が炎に包まれた。キーテスが突きから刃を上げてクレイの左腕を斬り飛ばそうとしたところをクレイの剣が食い止めた。


 クレイは力ずくでキーテスと斬り結ぼうとはせず、キーテスが押し返そうとした力を利用して宙に飛んだ。キーテスが自らの剣を引きつける前に、唐竹割りの要領でクレイは相手の額に剣を叩き込んだ。


「うううおおお……あああああ~っ!」


 キーテスは、クレイ達の前に現れてから初めて口を開いた。身の毛もよだつ断末魔であり、彼の身体を包んでいた緑色の光が急に激しく光ったかと思うと同じ色の炎になった。


「ぐわあああああ~っ!」


 緑色の炎に焼きつくされ、キーテスは灰になった。それも空気に混じり合って消えた。


「オホホホホホホ。今回は負けを認めて上げるわ、お二人さん。またどこかでね」


 あの高く美しい声がホールに響いた。


 そして、何事もなかったかのように廃墟のがらんどうと絵が残った。


「とりあえず、炎の精霊は引っ込めますから」


 呆然とたちすくむクレイの背後でアンテは声をかけた。


「痛たたたたたた」


 剣が元の状態に戻ると、クレイは砕かれた左手首の痛みを急に思い出した。


「大変! 治癒の精霊を出しますから!」

「いや……それよりもっと重要なことがある……」

「な、なんですか!?」

「俺の顔に……キーテスの呪いが張りついた……」

「ええっ!?」

「呪いを解除するには……絵が必要だ……」

「必要って……」


 クレイは、自分の左手の平を天井に向けてアンテに伸ばした。


「この手に絵を乗せろ……頼む……」

「はい、分かりました」


 アンテが実行すると、クレイは空いている右手を振った。床に何かが叩きつけられ、黒灰色の煙幕がたちこめる。


「ごほっ……ごほっ……何ですかこれは!」

「ア~バヨ~! ア~ンテ~!」


 煙幕を抜け、クレイは絵を抱えて城から出た。


「ああーっ、騙したんですね! 許しません! 待ちなさーい!」


 追いつ追われつする二人の姿は、いつしか夕陽に消えた。


               終わり

 ご読了ありがとうございます! もし面白いと感じて下さいましたら、どうか、ご遠慮なくご感想・レビューコメント・星・お気に入り追加を切に切にお願い申し上げます!

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[良い点] 初めは失敗したけれど、試行錯誤して最後に盗みを成功させる、って感じが非常に面白かったです。まるでル○ン三世のような面白さを感じさせてくれました。
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