初めての奇怪人調査
【4月2日 8時02分 心霊ルポルタージュ本部内】
窓から差し込む太陽の光と、窓の外から聞こえる小鳥の囀りで自然と目が覚めた。少し横になろうとしただけなのに完全に寝入ってしまった。壁掛け時計は8時過ぎを示している。ざっと8時間くらい眠ってしまったか。でもお蔭で疲労感は完全になくなり、起き上がらせた体もかなり軽く感じる。
こういうシチュエーションにありがちな展開として、一度寝て目が覚めたら全部夢でした~みたいな展開を期待したのだが……残念ながら寝る前に入った部屋と全く同じ部屋で目が覚めただけだった。服装も、胸ポケットに入ったままのプラスチック板キーホルダーも全て寝る前の状態と変わらない。そして相変わらず記憶が戻らない自分の頭も。
既に死んでいる体とは言え、起きたら顔を洗いたくなるのは無意識のうちに身体に染み付いている習慣の所為だろうか。ベッドから立ち上がり、洗面台がある方へ向かう。
蛇口をひねり、出て来た冷たい水で顔を濡らし擦る。心地よい清涼感で更に目が引き締まる心地がした。ふと顔を上げると、備え付けの鏡に自分の顔が映っていた。思えばつつじの宮に来てから鏡を通して自分の顔を見たのは初めての事だった。
―――これが、オレの顔……?
そう思わずにはいられない程、オレは鏡の中の自分の顔が自分のものと認識出来なかった。鏡の中の自分の顔は良い意味でも悪い意味でも強烈だった。白い肌、白い髪、眉毛と睫毛に至るところまで白くて、瞳孔の色さえも薄い灰色で、オレの体からは色素という概念が欠乏しているかの様だった。
そうだ、聞いたことがある。色素欠乏症なる先天性の病気があるって。それは人間に限らず様々な動物でも時折見られる現象で、そういう症状に見舞われている人と動物はみんな「アルビノ」と呼ばれている事を思い出した。オレの体と顔は正にそれだ。「色白」なんて言葉で片付けられるレベルでは無い肌の白さ、老人みたいに真っ白な毛髪、日の光さえまともに受けられないほど光に弱い瞳孔。それが今のオレの体。
顔のパーツが整っているから、その病的な白さも相俟って我ながら芸術的な美形だなと思わずにはいられないが……鏡の中の自分に見惚れるとか、水面に映った自分に恋をするナルキッソスかよ……。自分の事は思い出せない癖に、そういう一般的な知識が残っているのは相変わらず変な感じだ。
しかし、オレは恐らくアキラという名前らしいが……それが本名なのかいよいよもって疑わしくなって来た。アルビノは日本じゃあまり生まれないらしいし、そもそもこの掘りの深い顔立ちからして東洋人なのかすら疑わしい。そもそも自分の名前が刻まれたキーホルダーを胸ポケットに入れておくか?このアキラという名前、オレの名前じゃなくて別の誰か大切な人の名前とかじゃないんだろうか……それこそ「アキラ」という名前は女でも有り得る名前だし……。なんてことを疑い始めたらキリが無い。
どっちにしろ今のオレはアキラと名乗るしか無い訳だし、今は"オレの名前はアキラなんだ"だと思い込むようにしておこう。何であれ、死ぬ間際まで肌身離さず持っていたこのキーホルダーはきっとオレにとってとても大切な物だったんだろう。これからもお守り代わりに肌身離さず持っておいておこう。オレは一度掌に出したキーホルダーを、再び胸ポケットの中にしまい込んだ。
オレが鏡の前で物思いに耽っていると、扉の方から軽やかなノック音が鳴った。
「アキラさーん、起きてるー?」
この底抜けに明るい声は恐らくてねだ。
「鍵はしていないから、入ってきて良いぞ」
「いや鍵してくださいよ、不用心だなぁもう。じゃあ入るよーん?」
てねはそう言って顔が通るくらいの隙間が開くまで扉を開け、部屋の中を覗き込むように隙間に頭を突っ込む。
「今から人面犬の情報収集に行くんだけど、一緒に来る?」
「情報収集……?」
「そう。奇怪人は基本的に夜しか戦わないから、日のある内は戦闘能力を持たないウチと光の出番ってわけ!アキラさんも今日一日やる事無いなら一緒に来る?」
確かに、相変わらずオレは無一文だし、職もないニートだ。住まわせて貰っている以上出来る限り此処の仕事を手伝うのが最低限の礼儀というものだろう。
「よし解った、オレに出来る事があれば何でも言ってくれ」
当然オレは2つ返事で彼女らの仕事に協力する事にした。
【4月2日 9時05分 つつじの宮駅前商店街】
昨晩、オレと湊が心霊ルポルタージュ本部に来た道と逆方向の道を10分程歩くとつつじの宮駅と書かれた駅舎が見えて来た。決して大きくは無いが綺麗な駅ビル、商店、ファミレスなどに囲まれた都会の住宅街特有の程よく賑やかな駅。駅から少し離れた細い通りには小さな店がぎっしりと詰め込まれた様な商店街があって、まだ午前中にも関わらず既にそこそこの賑わいを見せていた。
しかし、この駅から電車に乗ったら一体何処に行くんだ?つつじの宮以外にも死者の為の街が存在するんだろうか?そんな素朴な疑問に首を傾げながら駅から出る電車をぼんやりと眺めていると、商店街に向かって歩くてねと光に置いて行かれそうになっていた。
「ちょっとアキラさん、まだ来たばかりで色々なものが物珍しいのは解るけど迷子にだけはならないでよ?」
「迷子って年齢じゃねぇよ」
「まぁ迷子になってもすぐに見つかりそうな容姿してるけどね、此処まで来るだけでも相当な注目を集めてるし」
「え、そうか?」
ふと周囲に目を配ると、何人かの住人が慌ててオレから視線をそらした。全然気づいていなかったが無意識のうちにかなり注目の的になっていたらしい。新しい住人だから……という訳じゃ無く、矢張りこのアルビノ特有の容姿は嫌でも人々の注目を買ってしまうみたいだ。確かにこんなに目立つんじゃ、便利な時もあるだろうが不便な時もありそうだ。太陽の光の下に出るとより一層白さが際立つ自分の手の甲をじっと見つめた。
「……日光浴びて平気なの?」
光がオレの腹の辺りからオレの顔を見上げるように言って来た。昨晩は座っている状態でしか話して無かったけど、並んで立つとかなり身長差がある。言動が大人びているから大人っぽく見えるだけで、身長からして小学校低学年どころか幼稚園児くらいじゃないだろうか。
「別に平気だが、それが?」
「先天性白皮症の人は日光に極端に弱くて、日光に素肌を晒しただけで赤く腫れたりするから、普通はもっと日光に対する防御を固めて外出すると思うんだけど。でもやっぱりつつじの宮ではそういうのは関係無いんだね」
「アキラさんみたいな人の事を確かアルビノって言うんだよね?肌も髪も綺麗で羨ましい~なんて思ったけど、やっぱりそういう苦労もあるんだぁ。美しいものは儚い……」
「やっぱそういうもんか。太陽の光を直視した時若干目に染みる感じがしたがそれ以外は特に異常は出てないし……多分普通ならそんな事したらもっと大変な事になってるんだろうな」
という事は生前のオレは日がある内はまともに外出も出来なかったのか、てねの言う通り美しいものは儚いというか、生まれつき美し過ぎる容姿で生まれたからにはそれなりのハンデを負って暮らしていたんだろうな。まぁ、勿論生前の記憶なんて1ミリも覚えていないんだが。
「ああ、じゃあつつじの宮には病院が無いのか?みんな病気にもならないし怪我もしないって事だろ?」
「あーそうねぇ、そういえば此処に来てから病院に行った事って無い。普通の病院も無いし歯医者も無いし整体とかも見た事無い……あまりにも行かなさ過ぎて意識した事すら無かったわ。生前は平日はデスクワーク、週末は整体通いってのが日常だったのに……そういう点ではつつじの宮の住人は最高ね! 貴重な休日を体のメンテナンスに費やすって事も無いんだし!」
病気や怪我どころか、虫歯や肩凝りに悩まされる事も無い。まさに、ストレス社会を生きる現代人なら誰もが憧れるユートピアだ。
「でも絶対に病気も怪我もしないって訳じゃ無いよ。車に轢かれれば普通に手足折れるし血も出るし、死ぬほど痛い。試しに轢かれてみれば?」
「嫌に決まってんだろ! じゃあやっぱり病院は必要じゃねぇか。例えつつじの宮だって車や交通機関を使う人がいれば交通事故が起こる事だってあるだろ?」
「怪我はするけどわざわざ治療する必要なんて無い。だってじっとしていればその内治るんだから」
「え………」
魂が肉体という実体を持って生活しているのがこの街の住人。だったらそれ相応の衝撃を与えられれば肉体は損傷し痛みも出るが、そもそも誰もが死を超越した存在なんだから死ぬ事は無いし、ただ損傷した部分は時間が経てば自然に塞がっていくだけという事か。だがそれはどれ程の怪我ならどれ程の時間がかかるんだろうか……数分、数時間ならまだ良いが、数日間治療もされず痛み止めも与えられずただ苦痛に耐えながら自然治癒を待つしか無いっていうのはなかなかにしんどそうだ。
だがよく考えてみたら、此処で暮らしている以上どんな事があっても死なないし恐らく年もとらない。となると此処の住人は、一体どのタイミングでこの永遠に続く平穏な日常から卒業するんだ?
「まぁ此処の人たちはみーんな優しい人たちばっかりだから、それこそ不慮の事故でも無い限り事件なんか起きないし、そんな大怪我を負うような事は滅多に起こらないよ!」
「住民間のトラブルは殆ど無い。そういう不慮の事故を起こすのはいつだって奇怪人だし」
「……そのためにお前達の働きが必要ってわけか」
「奇怪人が奇怪人に致命傷を与えれば消滅させる事が出来るしね。要するに迷惑な奇怪人はボクたちにしか退治出来ないってこと」
「ウチらの組織の重要性が解ったところで、張り切って情報収集に行くわよ!」
てねの元気のいい掛け声に光は小さく頷く。知的なクールボーイを装ってはいるが、自分に与えられた仕事については誇らしく思っているんだろう。やっている事は街の平和を守る正義のヒーローみたいなもんだし、それこそ全国のニチアサ視聴者である少年少女が憧れるような身分だ。
オレはどうだろうか。まだこの街に来たばかりで解らない事だらけで、つつじの宮に対する愛着もまだ薄いが、いつ戻るか解らない記憶に漠然とした不安を抱えてぼんやりと過ごすよりも、街のヒーローたちのお手伝いでもしながら過ごしている方がよっぽど精神衛生上良さそうだ。今はそういう動機の下で働かせて貰うとしよう。