女社長の甘い誘惑
はゆまに案内されるがままにオレは三階の一番奥の部屋に入った。其処が空いている部屋の1つらしい。他にも何部屋かあったから、恐らく湊やはゆまも此処に住んでいるんだろう。てねと光も、こんな夜遅くまでこの建物内に残っているという事は住んでいるんだろうか。てねは兎も角、光の両親は一体どうして……ああそうか、恐らくこのつつじの宮には居ないのか。
扉を開いた先の部屋はごく普通の1LDK。少し狭いが1人で寝泊まりするだけなら丁度良い。というか、この少し狭めな部屋が何故だか自分に合っている気がして落ち着く。しかし部屋の設備には何の申し分も無いが、謎のキーホルダー以外何の手持ちも無くつつじの宮に来てしまったから着替えが無い。今から何か買いに行こうとしても、夜になると一般市民は出歩けないのなら何処の店もやっていないだろう。まぁそもそも死んだ体なら着替えが無いくらいでいちいち気にする必要も無いか。
「気に入ってくれた?」
「ああ、今日は何から何まで有難うな。もう大丈夫だから、はゆまも早く自分の部屋に戻って休めよ」
「………ねぇアキラ?」
ん? 何でいきなり呼び捨てになった?
なんて些末な違和感に気を取られていると、一気にオレの顔にはゆまの顔が近付けられて心臓が縮み上がった。あぶねぇ! もう少しで唇と唇が重なっちまうくらいの距離だった。オレは慌てて一歩後ずさって距離を取ろうとする。
「っうわ?! い、いきなりどうしたんだよ……吃驚した……」
「ふふふ、おやすみのキスをしようかなって思って。駄目?」
「駄目ってわけじゃねぇけど……」
そりゃこんな色気たっぷりの美女におやすみのキスをされて嫌がる男なんてこの世に居ないだろう。あ、オレが今居る場所は所謂あの世だった。まぁどっちにしろ、はゆまほどの美女に迫られて嫌な気分は全くしない。例えつい数時間前に出会ったばかりの関係だとしても。
だが、はゆまに其処まで気に入られている理由が未だに解らないという一抹の不安感はある。こんな美女に一目惚れされるほどオレはイケメンなのか?そういえば此処で目が覚めてから一度も鏡を見ていない。オレはどんな顔をしているんだ?なんて雑念もはゆまの声によって次々と強制終了させられる。
「駄目じゃないなら、良いでしょ?」
「え、ちょ……うわっ」
はゆまの体が密着する程に2人の距離が物理的に縮まる。鳩尾の辺りにとてつもなく柔らかい何かがあたっているのを感じる。見て確認しなくても解る。はゆまのおっぱいがオレの体に思いっきりあたっている。春用ニットの生地を通して、身震いする程心地よい柔らかさの乳房の感触が伝わってきている。こんな状況で昂奮するなと言われる方が不可能だ。
というかこんなに顔と体を近付けているけれど臭いとか大丈夫だろうか。路地裏で目覚める前の記憶が無いような男だ、いつ風呂に入ったかなんてわかりゃしない。でもはゆまの話からして、つつじの宮の住人は魂が肉体という実体を作っているような状態であって体臭とかそういう概念は無い……んだよな……?などと意味も無く考えを巡らせている隙に、はゆまの唇がオレの唇を塞いだ。
「ん―――……」
「――――!」
はゆまの唇もまた、全身が微かに震えるほど柔らかくて気持ち良い。それに、間近にあるはゆまの頭から漂って来る髪の毛の甘い香りが鼻孔に入り、更にオレを夢心地へといざなってくれる。
「ん、ふぁ……はぁ………んふっ」
おいおいおいマジか。予想以上にねっとりと舌を絡められて昂奮するよりも先に驚きでつい腰が引けてしまう。だが驚いたのはほんの一瞬。だってこんなあからさまに発情している巨乳美女社長に2人っきりの密室で迫られてみろ、抗え切れない性衝動に下半身が支配されてしまうに決まっている。最高のシチュエーション過ぎて逆に何かの罠では?と疑いたくなる程だ。それでも彼女の誘惑を断ち切るという選択肢は浮かばない。オレもまた、自分から舌を動かし唾液をたっぷり含んだはゆまの甘い舌に絡める。
「んん……っ?! んぁ、あっアキラ……! はふ、んぷ……ぅうっ」
突然動き出したオレの舌に驚いて肩を大きくびくつかせたが、次第にオレの体に体重を委ねて完全にされるがままの体勢になる。はゆまの自重で大きな乳房だけでなく、腹、股間部分までオレの体に思いっきり押し付けられる。温かい、柔らかい、良い匂いの三拍子が揃った理想的な女体の感触に、雄としての本能がもろに刺激される。既に死んでいる上に記憶喪失な癖して未だに雄としての本能はしっかりと残っているとかどういう事なんだ?ケダモノ過ぎて自分で自分に引きたくなる。
「んくっ、んっ、ぁあ……アキラ……アキラぁ」
「っ……はゆま……?」
唇を離すと、2つの唇の間に細い唾液の糸がのびた。深く濃厚なキスが終わっても尚、はゆまの目に宿る発情の炎は消える事は無い。いや寧ろ更に熱く燃え上がっている。言葉にせずとも、この先の行為を期待している様子だった。
このまま性衝動に背中を押されるがままに彼女を抱いて良いものなんだろうか?はゆまの押しの強さに圧倒されて、オレの頭には冷静さが戻ってきていた。やっぱり出会って数時間の男にいきなりキスを迫って性行為に及ぼうとする女は少しおかしい。美女だから若干心を許してしまいそうになるが、美女だとしてもこの股の緩さはヤバイ。矢張り何かの罠か?オレが記憶喪失な事を利用しての罠か?
「っふふ……ねぇアキラ?」
それとも、この女こそ―――
「良いのよ、貴方は……私を好きに扱って……」
―――オレの失われた記憶について、何か知って……?
「――――はゆま」
熱く甘ったるい空気を一瞬で掻き消すような冷ややかな声が飛び込んで来る。声の主は湊だった。湊は部屋の扉を開けた状態で突っ立っている。頭から唐突に冷や水をかけられた気分になっているであろうはゆまの目の中の発情の炎は一瞬にして消え失せてしまった。オレの方はというと、この状況をオレ1人で切り抜ける事は不可能だと感じていたので正直かなり助かったと思わざる得ない。
「中々戻って来ないからおかしいと思ったら、何をしているんだ」
「あらあら湊ちゃん~……一体何の用かしら?」
「はゆまに少し話がある、来てくれ」
「………ええ、すぐ行く。またねアキラくん、おやすみなさい」
「あ、ああ……おやすみ……」
助かった……と思う反面、はゆまの声と表情に明らかに苛立ちの感情が表されている事に苦笑いしてしまった。矢張りオレの気の所為じゃ無く、はゆまと湊は相当に仲が悪いと感じる。一体この2人にどんな事情があるのかオレの知るところではないが、その仲の悪さを仕事に影響を出さないで欲しいもんだ。
はゆまはひらりと軽く手を振ったあと、湊が待機している部屋の外へ出て行った。
しかし……本当に今日は疲れた。ベッドの上で横たわり全身の力を抜いてリラックスをしていると、あっという間に睡魔の波にさらわれ、毛布もかけずにそのままの恰好で深い深い眠りに入っていった。
「……何て言っておいて、どうせ話す事なんて無いんでしょう?」
「……………アキラを護るのが私の使命。それはお前が対象でも同じこと」
「はいはい、抜け駆けは無しって事ね。そういうルールだものね、解ってるわよ」
「…………」
「別に良いわ、まだ初日なんだしちょっとくらい手加減しないとね。でも貴女は今から何をしたって無駄よ。だってアキラは絶対に、最後には私を選んでくれるもの」
「…………」