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メアリ(きずな)19

 夜を迎えても、眠らないことはそれほど苦にならなかった。香を焚くことを覚えてから、安眠を忘れた日はなかったため、香を控え、部屋の空気を入れ替えるだけで耐えるべき眠気は穏やかなものになった。

 ベッドの上で膝を抱え、メアリは胡乱な目で宙を睨んだ。メアリとオズの動きを気取られぬために、ヴィクイーンには今日だけは自分の部屋で眠るよう言い含めてある。

 待ち構えていたヴィクイーンの部屋の扉が開く音が、宵闇に響いた。誰かがヴィクイーンの部屋に入っていく。すると突然、ヴィクイーンの部屋にあった魔力がふっと途絶えた。メアリの部屋の扉が、勢いよく開き、蒼白な顔をしたオズが飛び込んできた。

「ヴィーが消えた! 後を追わなきゃ!」

 メアリは神妙に頷く。

「わたしたちだけで、魔力を追えるかな?」

 オズの言葉は力強かった。

「できるよ、僕らなら」

 二人は両手を繋いだ。指を絡め、額を合わせる。瞼を閉じると、闇の中に閃く光があった。紫に輝いたと思えば緑に弾ける奔放な光。それを心が追えば、足元がふっと軽くなり、再び重力が戻った時には、二人は暴風の中にいた。

 息ができないほどの、叩きつけるような、切り裂くような、空気の暴力。

 街が風に砕かれ、宙に巻き上げられていく。地面が割れ、人が帯のように舞っている。家が火を噴き、風に煽られ高く火柱を噴き上げる。この疾風の中心に、ヴィクイーンがいた。

「何、これ。ヴィーがやってるの?」

 メアリが呟いた声は、風の轟音に掻き消される。目を凝らせば、風に弄ばれる人の中には、武装している者が少なからずあった。

「戦争……?」

 オズの囁きに、閃く記憶があった。戦争、嫌い?ヴィーが、終わらせてあげるね。幼稚で純粋な思いやり。

 帝国が勝てば、戦争は終結するのだ。

 吹き付ける風の中、メアリはオズの腕を掴み、必死に叫んだ。

「ヴィーを止めなきゃ! あの子、戦争に利用されている!」

 オズの瞳に鋭さが走った。彼は頷き、湖に手を浸すように滑らかな動作で、胸の中に利き腕を入れた。オズの体から、剣が引き抜かれる。

 どうすればいいのか、予め分かっていたような気がした。メアリは自分の体に導かれ、胸に手を差し入れて心臓を掴み、己の剣を風に晒した。

 足を踏み出そうとしても、風に圧され進めない。すると柄に埋め込まれた宝玉が、メアリのものは翡翠色に、オズのものは瑠璃色に輝き始め、その光が全身を纏い、その光が消え去る頃にはメアリは白金の鎧、オズは黒金の鎧を身に付けていた。

 呼吸が楽になる。突風の中、二人はヴィクイーンの魔力を感じる方角へと歩き始めた。足を進める度に、風が勢力を増す。

「ヴィクイーン!」

 オズが叫ぶと、「うん?」と寝惚けた声が微かに応えた。途端、ぱっと風が止む。舞い上げられていたものたちが、隕石のように降り注ぐ。破片、土くれ、肉塊。衝突した何かが更に地面を割る。そんな悪夢に似た状況で、こちらに向かって軽やかに走り寄る姿があった。

「オズ! メアリ!」

「ヴィー!」

 二人は剣も鎧も解き去って、覆い被さるようにヴィクイーンを抱き締めた。いとけない体躯に、愛おしさが湧き上がる。「苦しいよ、ねえ」とヴィクイーンが音を上げてやっと、メアリとオズは抱擁を緩めた。

 メアリはヴィクイーンの目線に膝を折り、努めて平静に問い質す。

「ヴィー、どうしてこんな所にいるの?」

「えっとねー、よく覚えてないや」

 彼女は首を捻り、けれども明るく言い放った。

「でもね、戦争、もうちょっとで終わりそうなんだよ。やったね。嬉しい?」

 無邪気な問い掛けに、オズが顔を引き攣らせ絶句する。メアリもまた、陰鬱な二人を前に、ヴィクイーンが表情を曇らせていくのを見届けても、何も声を掛けられずにいた。

「その子を、責めないでやって。私が、全部悪いんだ」

 割って入った声は、よく知ったものだった。

「先生……?」

 健康的な肌は宵闇に紛れて暗く沈んでいる。短く揃えられた髪を掻き上げ、彼女は弟子に歩み寄る。

「ごめんなさい。君たちを裏切ってしまった」

 そう言って笑った表情は、溌剌としたコルネリエとは縁遠い自虐と悲嘆に暮れていた。メアリは一歩進み出る。

「ヴィーに何をしたんですか」

 その問いには直接答えず、しばし視線を彷徨わせると、コルネリエは口を開いた。

「君らの大切な子、ヴィクイーンは、大尊師アルダ=アザロが予言した大災厄をもらたすとされる悪魔だ」

「そんなの信じない!」

 顔を歪めて身を乗り出したオズを見つめ、彼女達沈痛な面持ちで続ける。

「聖団はヴィクイーン、そしてヴィクイーンと絆を結んだと思われる魔導師、ルノアールとディクソールの排斥を決めた。君たちは、聖団に命を狙われているんだ」

 メアリは乾いた音を立て、短く息を吸い込んだ。オズを見れば、彼も目を見開いて瞳を揺らしている。

「大切な弟子を殺されたくなかった。帝国に与すれば、生き延びる方法あると思った」

「でも、わたしたちも……ヴィーに人を殺させたくない」

 やっとのことで声を絞り出したメアリに、コルネリエは「うん、そうだよね。ごめん」と優しく言った。

「先生」メアリは真っ直ぐにコルネリエを見つめる。「わたし、やっぱりヴィーを幸せにしてあげたい。誰からも監視されない場所で、自由に笑ったり駆けたりさせたい。そういうの、間違ってるかな?」

 問い掛けに、師は静かに首を振るだけだった。

「先生」オズがコルネリエの前に進み出た。そして深く頭を下げる。「今までありがとうございました。先生に見つけてもらえなかったら、きっと僕は人間として生きられなかった」

 コルネリエは瞠目し、顔を上げたオズの頬に自らの手の平を添えた。大きな瞳に、涙が滲む。

「オズの声、初めて聞こえた。君、こんなに優しく話していたんだね」

 濡れた瞳とわななく唇。それが、最後に焼き付いた師の表情だった。

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