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メアリ(きずな)16

 焦ったメアリは、警戒の姿勢を崩さないヴィクイーンを抱き締めた。当然ながら、腕の中でヴィクイーンは必死にもがき、爪で歯でメアリを攻撃する。

 ヴィクイーンの小さな体躯を抱く右腕に、蛇が無数に這うのを感じた。メアリが右腕をヘルゲへと向けると、蛇がヘルゲに襲いかかるように腕を飛び出してゆき、群になったそれは剣へと変わった。切っ先を尊師に定め、メアリは彼を睥睨する。ヘルゲは、薄く長いため息を吐いた。

「憐れな子らよ。汝らが産み落とした災厄は、汝らさえも食い破り、数多の血と屍を贄にして、世界をその胎に飲み込むだろう」

 言葉は脳裏に反響し、透けたヘルゲの姿は細かい光の粒になって霧散する。危機が去り力が抜けたメアリはヴィクイーンを解放し、剣も一匹の大きな白蛇へと姿を変えた。メアリの首や腕にはいくつもの傷が残ったが、痛みを気遣う余裕もなかった。ただ、尊師の言葉の重みと気魄だけが、意思と関係なく反芻される。

 ヴィクイーンは白蛇を見つけて気を良くし、楽しげに追いかけている。メアリは届かないと分かりつつも声を漏らした。

「また咬まれるよ。そんな醜い生き物のどこが良いの……」

 口をついた言葉と、ユウが吐き捨てた「あんたは皆を不幸にする」という言葉の毒が重なったような気がして、メアリは顔を歪めた。そんなメアリを意に介することなく、ヴィクイーンは上機嫌で白蛇を捕まえ、頬ずりしながら抱き寄せた。

 蛇が、毒気を抜かれたように大人しく腕の中に収まっていた。金の瞳が細められ、気持ち良さげに白い体をヴィクイーンに委ねている。そして、抱き締める少女の幸せそうな笑み。伏せられた睫毛は光を反射し煌めいて、緩められた口元は温かさに満ち溢れていた。

 眩しかった。

 翡翠色を帯びた優しく美しい白蛇の、何がそんなに醜いと忌み嫌っていたのだろう。幼い慈愛と包容を心に育む少女の、何をそれほど畏怖していたのだろう。これは尊いものなのだと、直感的に悟った。

「あれ……?」

 気付けば、涙が頬を伝っていた。両眼から溢れる雫が、長年メアリの心を覆っていた澱を洗い流していき、清々しい疲労感が全身を襲う。

 ヴィクイーンの双眸が開かれ、真っ直ぐにメアリを見つめていた。最早、不気味だとも恐ろしいとも感じなかった。そこには、年相応にあどけなく不躾な少女がいるだけだった。彼女の唇が動く。

「メーア」

 甘いほど高く、空気を揺らすには頼りない声音だった。感動に、全身の肌が粟立つ。

「今、わたしを呼んだの?」

 これほどまでに不完全でか弱い存在が自分を受け入れたのか、という驚きが胸を突いた。ヴィクイーンの不思議な色をした瞳が細められる。眦が、親愛を帯びていた。

「メ、ア」

 愛らしい声がメアリを呼ぶ。

「そう、メアだよ」

 恐る恐る少女を抱き締めると、白蛇が柔い金色に光り、メアリの中にすっと溶け込んだ。小さな手がメアリに応え、背中に回る。まるで自分自身か、世界の全てをを抱擁しているような、穏やかな安心感が全身を満たした。腕の中の体温が、凍りついた心を溶かしていき、自己嫌悪や罪悪感が涙となって零れた。

「メアリ」

 オズの優しい声がした。振り向くと、まだ眠たげな眼をしたオズが、二人を見つめていた。

「オズ!」

 ヴィクイーンが嬉しそうに言った。オズが「いい子にしてた?」と尋ねると、彼女は考える素振りもなく「うん!」と自信満々に答え、両腕を広げメアリとオズ一遍に抱き着いた。勢いに押され、後ろに転げた三人は、顔を見合わせ笑い合う。

 笑い声が宙に溶けた頃、力強い声が飛び込んだ。

「引越ししようか!」

 腰に手を当て起立し、堂々とした笑みを湛えたコルネリエに、メアリは首を傾げた。

「引越しって……どうして、突然」

「君たちもこの薄暗い洞窟に飽きたんじゃないかと思ってさ。元来、魔導師は流浪の旅人だ」

「飽きてはいないけど……じゃあ、どこへ行くの?」

 コルネリエは犬歯を覗かせた。

「リスサンチオ帝国の帝都だ」

 メアリは、アリスバーグを占領した敵国の名に、目を瞬かせた。

「国を導くんだよ」

 師の言葉は突然で、政治とは縁遠く生きてきた弟子たちを驚かせるには充分の衝撃をもっていた。


 コルネリエは平らな岩面となっている洞窟の床に、小石で大きな円を描いた。

「これから、ここに魔法陣を描きます。意味を説明するから、そこのお転婆さんにも教えてあげてね」

 ようやく貫頭衣を着たヴィクイーンを見て、コルネリエが小さく笑った。

 「転移魔法は、二人ぐらいまでなら補助装置なしでも同じ場所に辿り着くことができるけれど、今回のように大所帯だと難しい。心を一つにしなければいけないからね」

 洞窟の外は誰もいなくなったらしく、しんと静まり返った中に師の声が響いた。

「魔法というものは、基本的に物を操ることに長けていて、人の心身に影響を与えられる場合は限られているんだ。大きく分けて二つ。本人が望んでいるか、物理的な力を与えて動かすか。魔法の強度は意志の統一が要だから、大人数で使用するのは適さない。補助器具が必要となる。そこで、この魔法陣だ」

 彼女はにやりと笑い、円を指さした、

「この円の中が、この場所とします。みんな、入って」

 全員が円に納まったのを確認すると、コルネリエは少し歩いて入り口近くに腰を屈め、円を区切るように短い線を引いた。そしてその上に、簡略化された波に似た絵を描く。

「南には、南洋があります」

 彼女は右回りに歩き出す。

「東には山脈」山の絵。

「西は森林で」木の絵。

「北が帝国」城の絵。

 最後に北の絵の近くに線を引き、彼女は大きく五芒星を書き加えた。

「目指すは、北北西。帝都の、しかもなんと皇帝宮」

「えっ、皇帝と一緒に住むの?」

 驚いて声を上げたメアリに、コルネリエは苦笑を漏らす。

「んーまあ、端っこの離宮だけどね。警備が頑丈なところがいいってお願いして、用意してもらったの」

「警備?」

 首を傾げるメアリに、師は手の平を滑らかな仕草でヴィクイーンを示す。

「君らも、可愛いヴィーを危険な目に遭わせたくないだろう?」

「そうだけど……いきなり、どうしたの」

 引き攣った笑みが痛かった。視線が絡んだコルネリエは、睫毛を僅かに伏せ、明るい瞳を翳らせた。

「国政に近付く者は、命を狙われやすいんだよ」

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