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ベラ(つるぎ)04

 むせ返りそうな爽やかな香りに、ベラは思わず顔を顰めた。石灰の壁と木枠の窓に包まれた部屋には、中央に硝子の机、それを挟んで向かい合うように小型のソファアーが置かれているだけで、それほど広くはないのにがらんと寂しく見えた。

 麻でできた肌触りの悪いソファーに並んで腰掛けたベラとアリスの前に、初老の男がカップを二つ置いた。


「ドクダミで作ったお茶です。甘くておいしいですよ」


 穏やかな声が言う。聖導師フェレ・デ・ルシアは、頭頂部から額にかけて大きく禿げた頭と、くっきりとした二重瞼が特徴的な男性だった。彼はベラたちの向かいに座り、白い手袋をはめた手で机の上に無造作に置かれた、太陽のような色の果実を手に取った。


「師匠、お気遣いありがとうございます」


 アリスがよく通る声を発し、礼儀正しく頭を下げる。それに合わせて、ベラもおずおずと謝辞を述べた。フェレは柔和に微笑み、手の平でベラの知らない果実を磨くように撫でながら言った。


「ディクソール、お会いできて光栄です」

「いえ、私はベラです」


 一瞬目を丸くして、「これは失礼いたしました」とフェレは苦笑した。「そうですよね。生まれ変わりと言えど、あなたはディクソールとはまた別の生を歩んできたのですから、一緒くたにされては気分が悪いですよね」

「私、まだ信じられないんです。自分が伝説の魔導師の生まれ変わりだなんて」

「ベラが信じようが信じまいが、あなたの身体の内の強大な魔力がそれを証明しているわ」


 突き放すように、アリスが口を挟んだ。


「魔力?」

「魔法の源よ」


 アリスの言葉にフェレは深く頷く。


「いきなり生まれ変わりだなんて言われても、信じられませんよね。けれどヴィクイーンが認めたのが何よりの証拠ですし、同じ定めを負う者同士ゆえに惹かれ合い、ここにこうして集ったのでしょう」

「同じ、定め」

「悪魔退治です」


 ベラは膝の上で両手を握り締めた。皮膚の感覚が遠く、心臓だけがうるさかった。一つ息をつき、フェレの大きな瞳を見つめた。


「ヴィクイーン……悪魔とは、何なのですか?」

「それには、魔法とは何かを説明しなければいけませんね」


 目を伏せたまま、ゆっくりと果実を拭きながら、フェレは言った。


「魔法とは、孤独な者に神から与えられたギフトなのです」


 穏やかな声が、語り始めた。



 魔力は、量こそ違えども、全ての人の中に宿っているものなのです。しかし、それを解き放つことができるのは孤独な者だけです。だから私たちは、魔法を孤独な者に神から与えられたギフトだと呼びます。


 真に孤独な者は、心の中に憎しみを飼っています。けれど、憎しみに身を委ね、復讐に手を染めた者は、無差別に他者を傷つける存在になってしまいます。それが悪魔です。

 悪魔は、排除すべき邪悪な存在です。けれど、魔導師は悪魔にも慈悲の心を忘れません。


 遠い昔、遥か二千年前の田舎町に、一人の少女がおりました。名前をアルダ・アザロ。彼女の身体は不自由で、起き上がることさえままならず、両親の介護なしでは命を繋ぐことさえできませんでした。


 近隣の民は、彼女を不吉な存在として忌み嫌いました。アルダが十になった年、彼女の父が死にました。重い木材を運んでいる途中、土手で足を踏み外し、濁流にのみ込まれてしまったのです。アルダを忌む民から、母が彼女を守りました。しかし、アルダが十八になった年、母も病でこの世を去りました。アルダを守る者はいなくなりました。


 アルダの母を蝕んだ病は、町全体に広がっていきました。多くの人々が手足を細くし、肌を紫に染めて死にました。町民は、アルダが全ての災厄の源だと思い込み、群れを成してアルダの家を襲い、魂をいくつ殺しても足りないほど、それはそれは残虐な仕打ちをしました。けれどもアルダは、辛うじて命を失っていませんでした。


 彼女は孤独に打ちひしがれました。憎しみは彼女の息絶えた心を焼きました。彼女は悪魔になったのです。

 彼女は町民を殺しました。とても凄惨な光景だったそうです。彼女にはもはや、人の心はありませんでした。憎しみに飲み込まれてしまったのです。


 通常、悪魔になった者は、周囲も自分も殺し尽くすまで止まりません。けれど、アルダ・アザロは違いました。

 アルダは自分を切り離しました。善なる心と、憎しみに染まった心。アルダは憎しみに奪われた半身を殺したのです。そうして、彼女は悪魔に打ち勝ちました。


 悪魔になった後に自身を取り戻したのは、彼女が初めてでした。彼女は神の寵愛を受けました。強大な魔力を手にしたのです。

 憎しみの渦から生還した彼女の元には、魔法を手に余し、迷える者たちが救いを求めて集まり始めました。彼女は彼らを導くため、聖団を開いたのです。


 アルダは魔法を得た者たちが悪魔に堕ちないよう、戒律を定めました。その戒律を守ることを誓った者を、魔導師として聖団に受け入れました。魔導師として経験を積んだ者には聖導師の称号を与え、弟子を取らせました。今の聖団の原型は、アルダ・アザロが作ったのです。魔導師たちは、偉大なる彼女を敬して大尊師と呼びました。


 ギフトを真に使いこなす者は、大尊師のように憎しみから身体を取り戻した者なのです。だから我々は、悪魔さえも見放しません。彼らは、神の寵愛を一身に受ける存在になりうるのです。

 しかし、ヴィクイーン――あの最凶の悪魔は、もう憎しみから救い出すことはできません。彼は、人を殺し過ぎたのです。


 大尊師は、潤沢な魔力によって未来を予知し、膨大な予言の書を記しました。後世の者たちが災厄を前に道を違えないよう、取るべき方策を詳細に示したのです。予言書のおかげで、魔導師たちはそれから千年の間、平穏な歴史を紡いできました。けれども時は過ぎ、ついにその時がやってきたのです。そうです、今から千年前の、あの大災厄です。


『一人の悪魔が地上に降り立ち、未曾有の大災厄をもたらす。それを二人の魔導師が阻止するだろう』


 予言の書にはそう記されていました。そうして選ばれたのが、ベラも知っているでしょう、かの有名なメアリ・ルノアールとオズワルド・ディクソールです。けれど、予言は実行されませんでした。彼らは、悪魔を殺せなかったのです。


 ルノアールとディクソールはその魂と引き換えに悪魔を封印しましたが、彼らもそれが根本的な解決にならないと知っていたのでしょう、死の間際、予言を残しました。


『大災厄が復活する時、我らもまた再来し、世に平穏をもたらすだろう』


 彼らは大尊師の予言を破り、新たな予言を作ってしまったのです。それは、重大な背信行為でした。新たな予言が生まれた時、大尊師の予言の書は砂となって消えました。聖団は、ルノアールとディクソールを裏切り者とみなし、除籍することを決めました。


 大尊師亡き後、聖団は聖導師の中から尊師を選び、トップに据え、永らえてきました。民衆はルノアールとディクソールを救世主として崇めていますが、聖団は彼らの生まれ変わりであるアリス、ベラ、あなたたちを信用していません。


 しかし、私はヴィクイーンを倒せるのは、アリスとベラしかいないと信じています。アリスは既に儀式を済ませていますが、ベラ、あなたに私と子弟契約を結んでほしいと思っています。私があなたたちを導きます。どうか、あの大災厄を退治してください。

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