メアリ(きずな)07
その晩、地割れのような音が響いた。実際、大地も揺れた。
それに気づいて瞼を開いたのはメアリが一番早かったが、真っ先に飛び起きたのはシュンで、「頭を隠して!」と叫んだのはエリーゼだった。
取り乱す双子にシュンが毛布を被せ、一足遅れて泣き出したヨウを庇うようにエリーゼが抱え込む。ようやく体を起こしたメアリは呆然と振動に揺られていたが、弾かれたように立ち上がり、小屋の外に駆け出した。何度も体勢を崩しながらもようやく辿り着いた外の景色は、夕映えと見紛うほどの鮮烈な赤だった。
咄嗟に走り出そうとしたメアリの手を、引き止める存在があった。振り向くと、黒曜石の双眸が痛切な眼差しでメアリを射抜いた。
「行くな」
シュンが発した短い言葉は、動転したメアリを思わず従わせる力を持っていた。言われるがままにメアリは頷き、しばらくして爆撃が止むと、シュンに手を引かれて屋根の破片が散らばった小屋の中に戻っていった。
年少組の啜り泣きが止む頃には空が白み始め、静かな寝息が立つ頃には柔らかな朝陽が小屋の中を照らしたが、メアリはくるまった毛布の中で目が冴えて、一睡もできなかった。外の光が眩しくなり始めると、メアリは静かに毛布から起き出した。外に出ようとしたとき、後ろから「メ、ア」と舌っ足らずに呼ぶ声か聞こえてきた。足元を見ると、ヨウが寝ぼけた顔でこちらへ近寄ってくる。
「どうしたの」
静かな声の方に顔を向けると、エリーゼが上体を起こしてこちらを見つめていた。
「ちょっと、出てくる」
自分の口から出た声が掠れていて、メアリは思わず苦笑漏らした。
「ヨウちゃんもいくー」
メアリの足を掴んだヨウを見て、エリーゼが言う。
「メアに懐いているみたいだから、連れて行ってやってよ」
「んー、楽しい場所じゃないから、駄目」
笑って言うと、泣きたくなるのが不思議だった。頭を撫でると、ヨウがきょとんとした顔で首を傾げた。
「遅くなるまでに、帰れよ」
シュンが横になったまま言った。双子は互いの肩を抱きながら、涙の跡が乾いた顔で熟睡している。メアリは首を傾げた。
「心配してくれるの? 大丈夫だよ」
「ふざけんな。野垂れ死なれると、ヨウが悲しむだろ」
「すぐ戻るって」
逃げるように外に出ると、罪悪感が晴天の空に晒される。焦燥に駆られて駆け出し、崩壊した街をメアリは走り抜けた。
ユウと初めて会った時のことを思い出していた。家が燃えていた。おそらくその中で、家族も炭になっていた。
真っ黒に汚れた体で蹲り、泣いていた気がする。その時、手を差し伸べてくれたのがユウだった。
彼女の言葉が蘇る。
『あんたは、みんなを不幸にする』
息が切れる。ふくらはぎが引き攣る。脇腹が鈍く痛む。
『帰る場所なんて、どこにもないから』
杞憂であって欲しいと願った。救われたいと望んだ時よりも、明確で強烈な願いだった。
ようやく家があった辺りに辿り着いたが、周辺の家が全て炭になって崩れ落ちており、どれがユウの家か分からなかった。
メアリは脱力してその場にへたり込んだ。目の前の光景か現実だと思えなかった。昨日まで綿々と続いていた日常が、突然分断されてしまい、もう戻らないのだと思った。戦果に生きる身であっても、信頼していた世界に裏切られたように感じた。
周囲からは人を呼ぶ声や嗚咽、悲鳴が引切りなしに響いてくる。涙も流れなかった。呆然と呟く。
「もう、どこにも帰れないよ」
あの場所に、あの温かな陽だまりに、戻るわけにはいかなかった。ユウの言葉が呪いとなってメアリの体を縛る。
どれほど時間が経ったのだろうか。喉の乾きも空腹も感じなかった。ただ酷い怠さと眩暈だけがすぐそばにあった。眠いのか死にたいのかすらも分からなかった。
陽炎の中、ぼんやりと差し出される手が見えた。幻想だと知りつつも、言った。
「お願い。わたしに、手を差し伸べないで」
陽射しが後頭部と背中を灼く。うつらうつらと声を紡げば、夢現の境が曖昧になっていくのを感じた。
「もう誰も、不幸にしたくないの」
尚も消えないその手は健康的な小麦色の肌をしている。そして、メアリに語りかける声は溌剌と優しさを帯びてた。
「私たちは、君といても不幸にも幸福にもならないよ。だって、私たちは魔導師だからね」
「魔導師……?」
「そう。魔導師は、誰とも絆を結ばないんだ」
メアリはようやく顔を上げて、手の主を見た。そこには、小麦色の肌をした短髪の女性と、青白い肌をした少年が立っていた。女性は力強く笑って言った。
「君に、魔法の使い方を教えてあげる」
「魔法?」
首を傾げるメアリを、女は指差した。
「それのこと」
ふと視線を下げると、へたり込んだ自分の下肢から透明の蛇が湧き出ているのが見えた。
一瞬、目を疑った。小さく引き攣った声を上げ、メアリは全身を固くした。その蛇はメアリの前腕ほどの体長で、胴も手首ほどの太さもなく、比較的小ぶりの大きさだったが、幾重にも折り重なるように皮膚を通り抜けて大地に広がっていく様は、ある種の神聖さとおぞましさを感じさせた。
「何これ」
呆然と呟いた声に、女が悪戯っぽく笑った。血色の良い唇から覗いた、白い犬歯が光っていた。
「気になる?」
こくりと頷くと、蛇の群れがメアリに合わせて波打った。誘われるようにメアリが手を浸してみると、肉体をすり抜けていく数多の命の躍動が流れ込み、不意に涙が込み上げるのをこらえた。




