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ベラ(つるぎ)03

「ここがわたしと先生が拠点としている修道院よ」


 石灰で塗り固められた建物の前で、アリスは言った。薄汚れてはいたが、亀裂を埋められた痕が生々しく、修復されてからそう古くないのだろうと思われた。


「聖堂は簡易的な病院としても機能しているの。わたしたちは裏の部屋で生活しているわ。こちらに回って」


 促すようにアリスは歩き出した。ベラは迷いつつも彼女に従い足を踏み出した。壁沿いに進む二人の前に、車椅子に乗った青年が現れた。


「アリス。良かった、無事だったんだね」


 黒髪は細く、頭部の丸みを強調している。薄く青い血管の透けた瞼は閉じられ、痩せた足が揃えられた車輪を、しなやかな筋肉をまとった両腕が押し出し、進めている。


「マリ!」


 赤毛をたなびかせ、アリスが彼に駆け寄った。背を屈め、紅葉のような手を、青年の白い頬に添える。すると彼の方も、おぼつかない動作で両手を伸ばし、不自然に指の曲がった手の平で少女の肩を掴むと、その背中を抱き寄せた。


「良かった、帰ってくてくれて。怪我はない? 僕、心配でいても立ってもいられなかった」


 薄い瞼を閉じたまま、マリと呼ばれた青年はしなやかな筋肉のついた両腕で車輪を回しこちらに近づく。それを見て、アリスが彼に駆け寄った。


「わたしは大丈夫よ。それより、一人で外に出ては危ないわ。あなたは目も足も不自由なのだから」


 小さな手の平を彼の頬に当てた。マリはたくましい腕で、彼女の背を抱き寄せる。


「君がいなくなったら、僕はもう生きていけないよ」

「あのう」見ていられず、ベラは声をかけた。「感動の再会は、後にしてもらってもいい?」

「誰?」


 マリが不機嫌な声を出した。彼の腕を解きながら、窘めるようにアリスが言う。


「彼女はディクソールよ。伝説の魔導師の生まれ変わり」アリスがベラを見た。「こちらはマリ。私の長い友人よ」


「ベラです」強い口調で訂正する。「初めまして。サヴァンクロス王国から来ました。よろしく」


 手を差し出したベラは、目を閉じたままの彼を見て、はたと気付いた。膝に置かれた彼の手を握って、軽く振る。しかしマリは彼女の手を振りほどいた。


「君も、アリスを戦いに引き摺り出すのかい?」


 ベラはぱちりと目を瞬かせた。


「マリ、やめて」アリスが鋭く声を掛ける。

「だってそうじゃないか。伝説の魔導師が揃ってしまったんだ。もう、アリスが後に引けなくなった」

「違うの。例えディクソールがいなくても、わたしは悪魔に立ち向かうわ。それがわたしの責任よ」

「ちょっと」


 ベラは声を尖らせた。


「さっきから失礼じゃない? それに、私の名前はディクソールじゃなくて、ベラだってば」

「そんなの、どっちだって一緒だ」


 苛立った物言いに、ベラは目を見開いた。駄々をこねるように、マリは握った拳をゆする。


「君も僕からアリスを奪おうとするんだ。僕にはアリスしかいないのに」

「じゃあ、他にも友達を作ったらいいじゃない」


 能天気な提言に、マリは拳を膝に叩き付けた。


「そういう問題じゃない!」

「どうして? 友達が取られたようで、寂しいんでしょ?」

「違う! 悪魔と戦うなんて危険なこと、アリスにさせられないからだ」

「でも、あたしとアリスしかできないんでしょ?」


 言い争いを続ける二人の間に、アリスが割って入った。


「ベラ、ごめんなさい」その声音は硬い。「マリは、大災厄で家族を亡くしているの」

「でも、新しい友達は作ることができるでしょう?」


 ぬるい風が吹き抜けた。ほんのかすかに残った潮の香りが、沈黙を際立たせる。夕陽は既に落ちかけ、暗幕が掛かった空には、波の残滓のような黄色が、ぼんやりと浮かんでいる。


「君みたいに傷付いたことのない、恵まれた人間には、僕の気持ちなんて分からないよ」


 ぽつりと零された言葉は、何の温度も持っていなかった。言いようもない虚しさが喉元に込み上げ、ベラは片足を踏み込み、声を荒げた。


「あたしが恵まれていようが、いまいが、関係ないでしょう? あたしは今、一人の人間としてあなたと話をしているんだよ」


 アリスが、ベラの肩に手を掛ける。


「そこまでにしてあげて。マリは今、心が弱くなっているの」

「彼は弱くなんてないよ。私にこれだけ言い募ることができるんだから。あなたが甘やかすから、彼自身もそう思い込んでいるんじゃない?」


 細い喉を動かし、アリスが言葉を飲み下した。痩せた膝の上、マリが親指を握り込む。


「……君なんて、嫌いだ」

「そりゃあ、あたしだってまだ、あなたのことは好きか嫌いか分からないけれど」


 アリスがため息をつく。


「この話は終わりよ。ベラ、あなたに私の師匠を紹介したいの。付いてきてちょうだい」


 有無を言わさない口調だった。マリは口をつぐみ、ベラは素直に従った。


「分かった。連れてって」

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