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フェレ(しんじて)11

 フェレはすっと足元を見た。ローブの裾から伸びた足は太く頑健に地上を踏みしめている。大地はヴィクィーンが撒き散らした破片や海水でまだらに汚れていた。

「そして、魔法の封印は二重になっていて、大地にも施されています。千年前にヴィクイーンが滅ぼした旧リスサンチオ帝国の大部分は封印が解けていますが、その他の国々では依然として封印は強固です」

 不安げな表情で、ベラは話を聞いていた。彼女はまるで、フェレの言葉が自分の深い部分を脅かすことを恐れているようだった。

「サヴァンクロス帝国は、魔法が使えないことで知られる最たる国だったのですよ。しかしベラの自分を知りたいという強い思いは、体の封印を突き抜け、大地の封印も打ち破り、ベラをエグタニカに導いたのです」

 金色の瞳が揺れた。フェレは二人の弟子を見渡し、声を張った。

「ベラ、アリス。私があなた達の師になろうと思ったのは、あなた達に光を感じたからです。二人なら、この世を覆う深く暗い闇に対峙することができると思った」

 彼女たちはまだ若く未成熟だ。けれど、彼女たちの中に灯る光を信じることを止めてしまったら、全ての生を、人という存在を否定することになってしまうのではないか、とフェレは思った。善き願いが憎しみに打ち勝つことを信じられなければ、人は生きる意味を見失ってしまうのではないか。

 二人の弟子を信じたい。それは師としての甘い情だけでなく、もっと根源的で切実な、茨の道を行く一人の人間としての、人類の希望を照らし出して欲しいという、胸を突き上げる衝動だった。

 フェレは、深く深く頭を下げた。

「わたしは、己の間違いを認めなければなりません。ヴィクイーンによる被害の拡大を恐れるあまり、あなた達を駒のように扱い、傷付けてしまった。あなた達から真実を隠し、こうして問い質されなければ、死の淵まで導こうとしていた。大事な弟子を信じきることができなかった。私は師匠失格です。本当に申し訳ありません」

 膝に当てた手が震えた。頭に血が上り、視界が暗く滲んでいた。

「あなた達が私に見切りをつけるなら、わたしに止める資格はありません。自分の信じる道を行き、自分の信じる結末を掴み取る自由があなた達にはあります」

 ゆっくりと顔を上げると、頭の血と共に背負っていた重荷も下りていくようだった。

「けれどその前に、ルノアールとディクソールがどんな魔導師だったのか、そしてヴィクイーンとの間に何があったのか伝えなければなりません。あなた達は当事者で、真実を知る権利がある」

 水を打ったように静まり返った空間で、足を一歩踏み出したのはアリスだった。

「フェレ=デ=ルシア聖導師」

 彼女もまた、憑き物が落ちたような表情をしていた。

「わたしは、師匠が間違っていたとは思いません。万人の命と二人の命、選ばなければいけないのなら、どちらを取るべきかなんてあまりにも明白です。裏切られたとも感じません。師匠は最善を選んだだけです」

 アリスはワンピースの胸の辺りを、ぐしゃりと握った。

「それに、わたしに師匠を責める権利なんてないのです。わたしは、ヴィクイーンを殺すことができるなら、自分の命なんてどうでもよかったのです。むしろ、ヴィクイーンと共に死んでしまいたいとさえ思っていました。自分の犯したことの責任から逃れたかったのです」

 小さく息を吸い込み、震える声で懺悔をする。

「自分の命を大切にしていないから、ベラが生まれ変わりの片割れだと知った時、彼女を戦いに引きずり込むことに一切の呵責を抱かなかった。ベラの命を危機に晒すことに罪悪感を覚えなかったのです。あまつさえ、命懸けで戦わないベラに苛立ちをぶつけてしまった。本当に命を軽んじていたのはわたしです。ベラ、ごめんなさい」

 彼女はベラに体の正面を向け、腰から上体を折り曲げた。長い巻毛が大地に垂れる。

「アリス……」

 ベラは足を一歩引き、顔を翳らせた。頭を下げたまま、アリスは声を紡ぐ。

「でも、ベラのひととなりを知っていくうちに、わたしは自分の過ちを知りました。ベラがわたしにとって大切な存在になったから、その命の重みがやっと分かったのです」

 アリスがゆっくり上体を戻す。赤い双眸がフェレを射抜いた。

「師匠もそうなんですよね? わたしたちを大事に思ったから自分を恥じ、頭を下げてくださった。だから、師匠は信頼できる方です。わたしが師事するのは、あなただけです」

 放たれる言葉の一語一語が、フェレの鼓膜を激しく揺らす。極まった感情が声にならず、フェレは思わず口元を覆った。心臓が脈打って、うるさかった。海面を波立たせた風がフェレの頬に届き、耳の縁を撫でていった。熱をもった耳朶に、硬い声が飛び込んだ。

「あたしも、誰かの死を願ったこと、あります。実際に刃も向けました」

 金色の瞳を伏せて、ベラは迷いつつも語り出した。

「そんなあたしが言えることじゃないけれど、やっぱりきついですね。自分が死んで欲しいって思われていたとか、死んでもいいっていう存在だったこと」

  太陽を背負って、ベラは口を噤んだ。祈るように、彼女は胸の前で指を組む。伏せられていた瞼が静かに持ち上げられる。

「だけど、あたしは今、知ってます。ヴィクイーンが死を願った誰かにも大切な人がいたこと、誰もから死を願われるヴィクイーンを大切に思う人がいること」

 黙って成り行きを窺っていたノキノが肩を震わせた。その隣でロゼが唇を噛む。

 ベラは一歩前へ進み出た。

「師匠もアリスもあたしを今、大切に思ってくれている。あたしだって、師匠もアリスも大切です。それでわだかまりが全て溶けることはないけど、歩み寄るには十分な理由です」

 彼女は目を細め、軽やかに笑った。

「あたしの相棒はアリスだけ。あたしの師匠はあなただけです、フェレ聖導師」

 アリスがベラの胸に飛び込んだ。ベラはわずかに驚きを浮かべ、アリスの赤毛を優しく撫でた。

 フェレは湿った息を吐き出した。笑ったつもりだったが、頬が引き攣って痛かった。

「あなた達二人は、私の誇りです。そして私は、あなた達の師であれることを誇りに思います」

 金色と緋色の瞳がフェレを見た。ベラとアリスが微笑む。その笑顔に見つめられると、自分の中の冷たさが溶け出し、自然に笑える気がした。

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