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ロゼ(よあけ)01

 家畜が野獣に襲われた時のような死体の匂いがして、ロゼは思わず眉を寄せた。けれどまさか、大量の血を流し倒れているそれが、人間だとは思っていなかった。


「誰、こいつ」


 呟きは呆然と薄青の虚空へ消える。

 隣で荷台を引く祖母のカエラが静かに言った。


「こりゃあ、駄目だね。もう長くは持つまいよ。行こう、ロゼ」


 その言葉に、ロゼは初めて道端に倒れている少年の胸元が微かに上下しているのに気付いた。


「生きてるじゃん、こいつ」


 駆け寄ると、血の気の失せた唇が生々しく映った。年はおそらくロゼと同じくらいで、十を過ぎた辺りだろうか。血溜りに沈む髪は綺麗な銀色をしており、その肌は炎症を起こした皮膚が厚く盛り上がり、赤い岩のようになっていた。

 ロゼは彼の口元に手の平を近付けた。表面に淡く、呼吸が触れる。


「置いていけないよ」


 縋るように祖母を見れば、冷静な眼差しに見返される。


「助けたいのかい?」

「うん」


 噛んで含めるように、カエラは言った。


「じゃあ、この子が持ち直しても、駄目だったとしても、お前が責任を持って面倒を見るんだよ。それが、命を引き受けるということなんだ」


 それはまるで、脅しだとロゼは思った。


「この子を助けたら、お前の眠る時間が減るんだよ。一回の食事の量も少なくなる。遊びにだって行けなくなる。それでも、いいのかい?」


 祖母に今、試されている。突然日常に飛び込んできたこの非日常に、ロゼがどこまで自分を変容させることができるのか。通りすがりの善意の果て、望まざる結果を受け入れることができるのか。カエラはきっと、ロゼの覚悟の重さを知りたがっている。そう思うと、ロゼは身の引き締まる思いがした。結んだ唇を、大きく開く。


「俺、それでもいいよ。いつも通りを引き換えにしても、こいつを見捨てた俺として生きていくより、全然マシ」


「ふうん、そうかい」大した感慨もなさそうに、祖母は言った。「じゃあ、台車の荷を下ろしてその子を乗せな。荷物はお前が持つんだよ」


「ありがと、ばあちゃん」


 ロゼは肩で結んでいた衣をほどき、少年の胴にくぐらせた。野犬が食い散らかしたような無惨な傷口を締め付け、きつく結ぶ。腕を引っ張り上げ背負ったその体は驚くほど軽く、冷たかった。背から荷車に下ろそうとした時、少年の唇が小さく動いた。


「どうして……」


 ほとんど音の乗らない、意識していなければ気付かない空気の振動。けれどその響きにロゼは心臓を掴まれた思いがした。

 痩せた土地ミスォーツでは、人も獣も簡単に死んでいく。昨日まで温かかった体が、目覚めたら冷たくなっているなんてことは、日常茶飯事だった。生死の境が曖昧になっていく中で、生きるということを突き付けられる毎日。冷徹な現実を知っているからこそ、ロゼは祈った。


「生きたいって、思えよ」


 荷台に転がった華奢な体に呼びかけた。過酷な状況で生死を分けるのは、ほんの少しの意志の力なのだと、ロゼはよく分かっていた。

 聞こえていたのかいないのか、返事もなく苦しげに喘いだ少年は、ゆっくりと瞼を持ち上げた。不思議な色の瞳だった。深い深い翡翠色の池に、紫色した夜の帷が溶け込んだような、見る者の心を吸い取る色彩だ。その視線は宙の遥か奥に溶け、再び姿を隠した瞬間に、彼の上体を覆った布から眩い光が漏れ始めた。驚きに身を乗り出すと、その金色の光はどうやら傷口から流れ出していることが窺えた。血の代わりに洪水のごとく溢れ、少年の体を優しく包む。


「何だこれ……」

「どうかしたのかい?」


 しかし祖母が振り向いた時にはもう、全てが白昼夢だったかのように光は消え去っており、ただ彼の出血が止まったことだけが真実だった。ロゼは血まみれになった両腕を服にこすりつけ、何でもないよと売れ残りの山羊乳の入った樽を担いだ。

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