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ベラ(あらし)04

「ベラが育った国のこと、もっと知りたい」


 囁くようにアリスが声を紡ぐ。


「雪以外、なんにもなかったよ」


 ベラはそっと笑って応えた。


「短い春だけ色が宿って、あとは全部雪が食べちゃう。雪が融けないと、国の外にも出られない。火を囲んで寒い息を吐くような、そんな国だったよ」

「雪がたくさん積もるなんて、憧れるわ」生ぬるい風を受けて、アリスは言った。「空からふわふわ降ってきて、触れるとすぐに消えてしまうのでしょう。温かくて、優しい光……」


 ベラは眉を寄せてアリスを見た。彼女はうっとりと眦を下げた。


「エグタニカにも、一度だけ雪が降ったことがあるの。大災厄のすぐ後だった……あんまり綺麗で、一瞬、地獄を忘れたわ。金色に光る、美しい雪……」


 顔を強張らせ、ベラは言った。


「雪は……白くて冷たいものだよ」


 ベラの意を決した言葉にも、アリスは寂しげに微笑むだけだった。


「じゃあやっぱり、わたしが見たのは幻想だったのかしら……マリは視力を失っていたし、誰にも聞けなかった……幸せな夢が、愚かな子どもの幻になってしまう気がして。でもあの時から、わたしの頭はおかしかったのかもしれないわね」


 口を引き結んだベラに、アリスは言葉を重ねた。


「わたしはどこか、おかしいのかしら。病気か……大切なものが足りないのか」


 アリスが落とした言葉は水に垂れたインクに似て、滲みぼやけて霞んでいく。アリスの輪郭さえも崩れていく錯覚に、ベラは唇を噛んだ。


「皆そうだよ。皆、どこかしら変で、どこかしら欠けてるんだ。そんなものだよ」

「わたし……わたしが嫌い」


 海が凪いでいた。雲が薄れ、月が煌々と光り、水面に道を架ける。その光に、星は霧になって雲に溶けた。ベラが伝えたいことは、一つだけだった。


「でも、あたしはアリスが好きだよ」


 アリスは眉間に皺を寄せた。


「それは、あなたがわたしの表面上しか知らないからでしょう」


 反撃は、欠片もベラの心を削ぎはしない。なぜなら、ベラは知っていたから。


「そうかもしれないけど、あたし、アリスが身勝手なとこも、意地悪なとこも、頑固なところもあるって分かってるよ」


 人間は、相手がただ美しいからという理由で、人を愛するわけではないのだ。


「それに真面目で、人一倍頑張り屋で、責任感が強くて、優しいところも知ってる」


 美しいだけの人間など、いるはずがないのだ。


「だけど、そんなとこも含めたアリスが好ましいと思うよ」


 笑い掛けると、アリスは眩しげに目を細めた。険のある眼差しが、ほどけるように緩んでいく。ぽつりと、言葉が落ちる。


「わたしは、酷い人間ね」


 闇色の空と海の境を遠く見つめながら、アリスは言う。強張りの抜け落ちた声が波音に溶ける。


「昔、マリに好きだと言われたことがあるの。自分が特別になったように胸が高鳴って、けれどマリは勘違いしているに違いないって思った。殻を破って初めて見たものを親と思い込むように……彼の思いを、全く信じていなかった」


 言葉に滲んだ刺々しい後悔や、甘やかな絶望が潮に導かれていく。


「自分が誰かに愛されることも、自分が誰かを愛することも、いつか誰かと愛し合うということも……何一つ、信じていなかった」

「今もまだ、信じられない?」


 ベラはそっと手を伸ばした。アリスは緩んだ瞳をこちらに向け、小さく笑みを零した。指先が、絡み合う。


「怖いけど……信じるわ。わたしだって、あなたもマリも、大好きなんだもの……」


 求め合うまま、両手を伸ばし、手の平を合わせ、指を絡めた。皮膚に、血管に、神経に、互いの存在が駆け巡る。骨の髄が温かく痺れる。すると、重ね合わせた皮膚に、鋭い熱が生まれた。痛いほどの熱さは不思議とどこか心地良く、次第に両手の合わせ目には宵闇を切り裂く光が宿り始めた。優しい光は穏やかに二人を包み込んでいく。その色は、目の醒めるような金色だった。


「金色の、光……」


 アリスが呟いた。驚きに見開かれていた双眸は、温かな光に溶かされていき、懐かしさと切なさが入り混じった笑みがそっと零れる。

 小さく唾液を嚥下して、ベラは思った。この金色を知っている。決断の色。抱擁の色。高潔の色。

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