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ベラ(あらし)01

 もう一度、始まった場所に戻ってみようとベラは思った。ヴィクイーンと出会った場所。アリスと出会った場所。あの海沿いの道へもう一度行きたいと思った。

 靴を履き、修道院を出た。魔法を使えばすぐだが、足を使いたかった。そういう気分だった。


 時刻は黄昏。空には黒い雲と黄色く熟れた夕陽が垂れ込めている。世界が金色の光に包まれているような、優しい時間の中、ベラは草原を掻き分け南へ進む。草丈は膝くらいまであり、葉先は柔らかいが根元の茎が固く、踏み付けるのに力を要した。汗と風が運んだ潮に、肌がべたつく。ようやく海が見える場所まで出た時には陽は既に暮れ掛け、夕の残滓がわずかに波を輝かせるだけで、あとは暗い水面が茫洋と続いていた。


「どうして、何も言わないの?」


 遠い海を眺めながら、ベラは訊ねた。


「何かを伝えたくて、後を追った訳ではないの」


 ベラの背後から少女は答え、隣へと並んだ。俯いたまま、言う。


「あなたの姿を見たら、体が勝手に動いてしまって。ごめんなさい」

「嫌じゃなかったし、謝ることではないけれど」


 ベラは俯き、そして顔を上げた。


「ねえ、あたしが傷を治したことで、アリスの尊厳は損なわれた?」


 二人の間にある見えない糸がぴんと張った気配がした。


「それがわたしの強さであると、ずっとそう信じてきたわ」


 噛んで含めるようにアリスは言った。


「けれど、私はもっと他の強さを選ぶこともできたのかもしれないと、思うようになった……血だらけの体を押して、裸足で荒れ地を征くようなものじゃなくて、それが決して間違っていたとは思わないけれど、だってわたしにはそれしかなかった……でも、もっと別の……」


 そっか、とベラは呟いた。ひび割れた石畳の道に、足を踏み出す。歩く度、木靴を通してにじんと沈み込む衝撃が伝う。


「人生って、辛いね」


 零れた言葉は、普段なら黙って飲み込んでしまう類のものだった。けれど今は、感情の溜め池が溢れ返ってしまったようだった。


「耐えても耐えても辛いことは終わらなくて、それでも自分のしたことと、されたことの後始末をつけなくちゃいけない。日々の幸運を、鎮痛薬みたいに握り締めて、傷だらけになって歩いて行っても、その先に光がある保証はない。いつか来る終わりまで、報われることを信じて、ありふれた絶望から目を逸らして生きていくんだね」

「そうまでして、生きていたくないって思う?」


 問うた目は、暗闇の中でも煌々と赤く輝いていた。


「そう思うなら、手放してしまえばいいじゃない。あなたを苦みに繋ぎ止めようとするもの全部、投げ出して忘れてしまえばいい」


 低く吸い込んだ息はちくちくと尖って、体の内を細かく刺していく。


「でも、全部含めてあたしだから」


 崩れた石畳が見えてきた。戦闘の跡。さざ波の音。海面には明るい月が泳いでいる。

 朽ちかけた手摺に歩み寄り、ベラは両手を胸の中に入れた。温かく、心地よい。


「あたしが背負ってきた全てを、あたしは結構愛しちゃってるみたい」


 心臓を掴み、滑るように抜き取り天に掲げた大剣は、潮風を受け、月明かりを反射し、白い光を放っていた。


「どうしようもないよね」


 振り返って作った笑顔は失敗していたのか、目が合ったアリスの表情は薄氷のごとく砕け散った。


「あたし、故郷で姉を刺したの」


 大剣を軽々と海に向かって構え、ベラは声を紡いだ。


「父と母と姉とあたし。家族はみんな穏やかで優しくて、大好きだった」


 アリスが進み出て、隣に寄り添う。視線を向けなくても耳を傾けているのが分かる、静かで確かな存在感があった。


「でも何でだろう、ずっと、ここじゃないどこかに行きたいって思ってた。自分には、どこか他に帰るべき場所があるんじゃないかって感じてたの。毎日、幸せだったのにね、馬鹿みたい」


 月が黒い雲に隠れる。ぼやけた光が空に穴をあける。


「ずっと見ない振りしてきた。家族と髪の色が違うこと。背の高さが違うこと。言葉の発音が違うこと。抜け落ちている記憶があること。……でも、父さまがあたしには家督を継がせないって言ったとき、どうしようもなく分かってしまった。あたしは家族との血の繋がりをもっていない、養子なんだって」


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