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ノキノ(いえない)07

 ベラは両手を前へ伸ばしていた。手の平を正面に向け、築いた結界を維持するように、神経を研ぎ澄ませている様子が窺える。

 ノキノが思わずベラに見惚れていると、腕の中の体が、ぐらりと崩れた。咄嗟に支えようと力を込めた手をすり抜け、アリスは地面に力なく膝をついた。後ろへ倒れそうになる背中を、慌てて屈み、引き寄せる。ノキノはしゃがみ込んで、意識を失くした少女の上体を、仰向けに膝へと横たえた。


「アリス? 大丈夫かい?」


 肩を揺らしても、少女が目を覚ます気配はない。血に塗れた幼い顔に、恐怖が込み上げる。青褪めたノキノは、けれど迷いのない足音を聞いた。

 ベラが真っ直ぐにこちらへ歩いてくる。その表情は悲愴と決意に溢れていた。彼女が足を踏み出す度、その短い金髪が揺れ、幾重にも光を乱反射させ美しい色彩を生み出す。その姿はあまりに力強く、あまりに荘厳だった。


 ノキノの前まで歩み寄ると、ベラは腰を低くし横臥したアリスを抱き寄せた。そのまま肩と膝の裏に腕を回し、少女の体を持ち上げる。アリスを横抱きにベラは立ち上がり、切なげな表情でノキノを見下ろした。


「ノキノさん、ありがとうございました。もう、行きます」


 眩しさに目を細め、ノキノは思う。もうそこには、あの日暑さに茹だっていたか弱い娘の姿はなかった。固く頷く。


「頑張るんだよ、ベラ」


 その言葉に、彼女は泣き出しそうに笑った。さよなら。別れの一言を残し、ベラは金色の光に包まれていく。彼女達が完全に姿を消すと、花が萎むように光も絶え、上空に張り巡らされた光のドームも崩れ始めた。


 それは、光る雪だった。


 崩落したドームは金色の光の粒となって、ノキノの上に降り注ぐ。ノキノは目を見張った。彼女はこの光景を知っていた。あの悪夢の朝、ノキノは確かに金色の雪を見た。全てが壊れ果てた夜明けを裂くように、空から美しい光が舞い降りてきたのを覚えている。


 忘れもしない。息子の冷たくなった体。黒くなった血液。苦悶に歪んだ表情。そんな絶望と不釣り合いな温かい光に、七年前のノキノは思わず放心した。懐かしい情景に、凍りついていた記憶が、感情が一気に溶け出す。


 ノキノは両手で顔を覆った。久方ぶりに邂逅した金色の雪は、間も変わらず美しかった。数多の優しく、柔らかな光の粒。悪魔と二人の魔導師が去った街に残された瓦礫の中、ノキノは静かに泣いた。息をする度に肺が壊れたようにひゅーひゅーと鳴る。失ったものの大きさが、今更ながら突きつけられる。


 さよなら。

 心の中で呟く。またね。きっとすぐ、会えるから。ノキノは胸を上下させる。有限の別れなら、耐えられるはず。周囲から足音が響いてくる。皆、生活へと戻っていくのだ。誰もが癒えない傷を抱え、それでも日常を編んでいく。ノキノは深く息を吸い込んだ。自分だって、これからも生きていくのだ。そっと顔を覆った手を外す。夢のような雪は消えていた。朝陽は既に高く登り、忙しない昼を連れてくる。立ち上がり、壊れ果てた家へと向かう。


 その時、ノキノは見慣れない青年の姿を見つけた。青みがかった短い黒髪に、紺碧の瞳を持っている。困ったように周りに視線を泳がせ、宛所なさげに蛇行して足を進めている。どうやら自分は異邦人に縁があるらしい、とノキノは微笑み、彼に近づき声を掛けた。


「旅人さんかい?」


 青年は困惑した顔で頷いた。


「ええ、市場を探していたのですが……。酷いですね、悪魔ですか?」

「そうだよ。明け方、ヴィクイーンが現れてね。何もかも壊して行ったよ」


 ノキノの言葉に、彼は痛々しげに表情を歪めた。一瞬言いよどみ、けれど意を決したように口を開く。


「違います」

「え?」

「あいつは、そんな名前じゃありません」


 希望と失意に揺れる若い瞳に、ノキノは思わず息を止めた。心臓が脈打つ。昼の穏やかな風が頬を撫でる。巻き上がった砂埃が、陽に透ける。陽射しが背中を温める。新しい日が、既に始まっていた。


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