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ノキノ(いえない)06

 夜が明けた。

 白んだ空に光が差し、宵闇を薙いでいく。悠然と渡り鳥が羽ばたく下で、日に晒された惨状に、村人達が集まってきた。二人の魔導師とノキノを囲むように、人垣が出来上がっていく。その輪を狭めるように、囁き声が投げかけられる。


 また悪魔が来た。

 あの赤毛。

 呪われし巫女。

 災いを呼んだ。

 災厄だ。


 周囲の緊張が限界まで張り詰めたとき、一番にそれを破ったのはアリスだった。足を揃えて真っ直ぐ立ち、腰から花を手折るように深く胴を前に倒し、頭を下げた。赤い長髪が、地面に垂れる。左右の太股に真っ直ぐ揃えられ両の指先。誰もが一瞬、息を止めた。


 耳が痛いほどの静寂が落ちる。耳鳴りを打ち消したのは、ノキノの足元に鎮座する瓦礫に、何かがかつんと跳ねた音だった。ノキノが目を滑らせると、地面に転げ落ちたのは、土の付いた小石だった。

 その一拍後、視界の端で赤髪が乱れた。アリスの身体がふらつき、こらえる。少女のこめかみに、一筋の血が伝った。


 その鮮血が契機となった。堤防が決壊したように、人々の激情が濁流となって溢れ出し、小石の雨を降らせた。

 爽やかな朝の空気が、憎しみに淀む。あちこちから、嗚咽と怒声が響いた。投げつけられた小石の多くはアリスの頭や体を打ち、的を外したいくつかはノキノやベラを襲った。

 血を流しながら、アリスは厳然と頭を下げ続けた。傷は増えていく。大地に血が滴る。


 ベラは今にも泣き出しそうに目を潤めていた。ノキノはと言えば、心は嘘のように静かに凪いでいた。

 歓びも感じない。悲しみも感じない。ただ、心の中に透明な湖があったとしたら、表面が静かに凍っていき、澄んだ水が氷に白く濁っていただろう。ノキノは、自分の内の何かが冷たく壊れていくのを感じていた。それは悲嘆や遺憾を越えて、寂寞とした無情があるだけだった。


 ノキノは動いた。明確な意志があったわけではない。それでも何かに突き動かされるような、得体の知れない「そうすべきである」という衝動があった。

 小石の降る中、ノキノはアリスに歩み寄った。彼女に近づくにつれ、被弾する石の数は増えていく。固く尖ったそれは、容赦なくノキノの肌を破り、熱い血を流させた。けれど体の痛みは、ノキノが足を止める理由にはならなかった。


 ついにアリスの正面に立つ。少女は深く頭を下げたまま微動打にしない。ノキノは屈み込んで、両手でアリスの肩を掴んだ。少し力を入れ、アリスの上体を起こさせる。彼女は傷だらけだった。幼い顔は血にまみれ、その瞼は垂れる血液に苦しげに持ち上げられていた。


 ノキノの胸に苦々しい思いが込み上げた。それも一瞬で、湖が地割れに砕けるように、激しい痛みが心に吹き出した。目頭が熱くなり、鼻の奥がつんとした。喉元が震える。


「わたしの息子も、あなたと同じくらいの年齢だった」


 言ってしまえば、限界だった。ノキノは無我夢中で傷付いた少女を抱き寄せた。滂沱のごとく涙が溢れる。湿った嗚咽が零れる。喘ぐように言葉が口から流れ出す。


「歌が上手だった瞳が綺麗だった髪が柔らかかった背が低くて足が小さかった手の平の小指の付け根にほくろがあった背中の産毛が金色に光っていた頬が丸くて桃色だったうなじがお日様の香りだった撫で肩で少し猫背だったお尻に小さな痣があった声が高かった大切だった」


 腕の中で、少女も泣きじゃくっていた。肩を震わせ、潤んだ声で叫ぶ。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 抱き合う二人の頭上に、石の雨が降り注ぐ。背中に回された互いの手に、力がこもる。


 その時、金色の虹が掛かった。ノキノが目の端で捉えたそれは、大きな球体を半分に割ったような、金色に輝く光のドームへと広がっていった。ノキノとアリスを中心として膜のように張り巡らされ、投げられた小石を防いでいる。美しい光景だった。そして、金色の光の中で一際眩い存在があった。


 天使かと思った。

 ベラの金糸の髪が、金色の双眸が、周囲の光を受けてきらきらと輝いていた。反射した黄金が、真夏の太陽より優しく、揺らめく炎より神々しく光を放っている。

 彼女は泣いていた。目尻を赤く染め、黄色い肌を濡らし、引き結んだ唇をわななかせていた。それでも、眉は気丈に釣り上げられ、その視線も強く真っ直ぐだった。


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