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ノキノ(いえない)01

 天使かと思った。


 金色の光に包まれ突如現れたその娘は、金の髪と瞳、そして黄色がかった肌をもち、金糸の刺繍に覆われた蒼いドレスを纏っていた。耳の横で揺れる短髪は軽やかで、風に靡く豪奢なスカートから伸びる足は高いヒール靴を履いていた。

 ついに迎えが来たのかと思ったノキノは、洗濯物を干していた手を止め、庭に立ち竦んだ娘に向き直った。


「あなたは……天使様ですか?」


 ノキノが恭しく問うた声に、彼女は痛みを堪えるように顔を歪めた。緩く首を振る。


「……あたしは、罪人です」


 沈黙の後に落とされた声は、酷く震えていた。彼女は両手を前に差し出した。

 晴れた昼下がり。空は透き通って、薄く引き伸ばされた雲が優雅に流れている。緑の中に芽吹いた黄色い綿毛に似た花は、エグタニカでは乾季の始まりの名物で、そよ風に吹かれて揺れていた。そんな穏やかな日常に、彼女の血濡れた両手はあまりにも異様だった。


「人を、刺したんです」

「……どうして、ここへ?」

「それが、分からないんです」

 いきなり眩しい光に包まれたと思ったら、気付いた時にはここにいて。


 娘が語った内容は不可解でノキノには理解が追い付かなかったが、魔法が跋扈する世界なのだ、そのようなこともあるのだろうと疑問を押し流した。

 娘は両手を握り締めガタガタ震えていたと思ったら、急にしゃがみ込んで息を荒くした。


「ちょっと、あんた大丈夫なの?」


 ノキノも膝を曲げて彼女を覗き込むと、赤い顔をして大粒の汗で金髪を濡らしていた。見れば彼女は分厚い生地で覆われたドレスを首から指先、足の裾までぴっちり着込んで、しかも柔らかそうなシフォンの薄い布をその下に幾重にも重ねて纏っていた。ノキノが娘の額に手を当てると、予想通り火が出そうなほど熱せられていた。


「……暑い。ここ、本当にサヴァンクロスですか?」

「何を言っているの。ここはエグタニカ公国よ」

「あの、大陸最南の?」

「ええ、そう」

「どうりで。……こんな灼熱の天気、初めて」


 極北の国から来たと言う彼女は、ぐったりとして体幹を崩した。ノキノは慌てて彼女を抱き止める。今日の気候は乾季のピークに比べると大分温度が低いはずだったが、気を失った彼女の身体は蒸し風呂のように熱く茹っていた。


 ノキノは溜息をつき、力の抜けたその首元と膝裏に腕を通し、自らの胸元にぐっと引き寄せた。背筋に力を入れて胸を張り、片足を踏み出し真っ直ぐに立ち上がる。肩周りの筋肉がわずかに引き攣ったが、娘の身体を取り落すことはなかった。以前よりは体力が落ちたものの、女手一つで息子を育てるために、村の重労働を引き受けることで培った体力は完全には衰えていないようだった。


 簾をくぐり、丸太を組み合わせて造られた我が家に足を踏み入れ、藁の上に布を被せたせた寝具に娘の身体を横たえる。衣装の重みで、ずっしりと布が沈み込んだ。ノキノは自分の首に浮かんだ汗を拭い、布巾を水瓶に浸して絞り、娘の額に乗せた。そして娘の服を脱がせに掛かる。異国のドレスは絹紐が複雑に入り組んで結われた上に縛られており、全て剥ぎ取るまでに四半刻は費やしてしまった。


 肌着は汗ですっかり皮膚に張り付いていた。ノキノは娘の身体を丁寧に布巾で拭う。背中を拭くために娘の身体を裏返した時、ノキノは思わず息を止めた。


 厚く衣類で守られていた黄色い肌には、左右の肩甲骨から腰元へかけて大きな深い切傷の名残があった。濃い皮膚が盛り上がった傷痕は、周囲の肌に伸ばされて引き攣れており、幼い頃の創傷であることが窺える。それはまるで、羽を捥がれた天使のような傷だった。

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