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ベラ(ゆらぎ)01

 控えめなノックの音が響いた。ベラはベッドに横になりながら、それを聞いた。肩まで覆った毛布を頭まで引っ張り上げる。そうすると、呼吸がこもりじんわりと体温が上昇した。


「ベラ」


 ドアの向こうで、控えめにフェレが呼び掛けた。心配しているような、焦っているような声音。


「大丈夫ですか。体調が悪いのですか。少しでいいので、顔を見せてくれませんか」


 ベラはゆっくりと瞼を閉じた。身じろぎをすると、小さく腹が鳴った。しかし、昨日から何も食べていないというのに、不思議なことに全く空腹は感じなかった。


「話をしましょう、ベラ。不満や不安なことがあるなら、力になります。話してくれなければ、どうすることもできません。もし、私のことが煩わしくて立ち去って欲しいなら、あなたの言葉でそう言ってください。ベラの声を聞くまで、私はここから動きませんよ」


 溜息をつき、ベラは毛布から裸足の足先を出した。空気が生ぬるく、皮膚がじんわりと汗ばんでいる。起き上がると、喉がずきりと痛んだ。その疼痛が渇きから来るものなのか、それとも風邪からくるものなのか判別できない。靴に足を通し起立すると、鈍い頭痛と眩暈が襲う。ふらつきながらも、ベラはドアを開けた。


「身体の具合はどうですか?」

「……平気です」

「嘘つきですね。こちらに来なさい」


 優しい呼びかけにベラは瞼を伏せ、一歩フェレに近づいた。もどかしげにフェレも歩み寄り、ベラの後頭部に優しく手を当て、自らの胸にベラの額を寄せた。


「私に体重をあずけていなさい。力を抜いて……そうです。ベラ、あなた熱があるのではないですか?」


 フェレは大きな両手の平をベラの肩からうなじの辺りを覆うように、ふわりと被せた。手の皮は厚く、硬い。そしてどこか冷たかった。しかし、触れ合った肌からじんわりと心地よい熱が生まれ、血流に乗って全身へと広がっていく。それにつれて、疲れや怠さも消え失せていくようだった。


 ベラはそっと目を閉じ、フェレの心臓の音を聞いた。規則正しいその鼓動に、安らぎが湧いてくるのを感じる。彼女は囁くように、訊いた。


「……魔法は、どんなものも癒すことができるのですか?」

「いいえ、魔法は万能ではありませんからね」


 フェレは穏やかに応える。


「魔法が傷を癒すのは、癒す者の魔力と癒える者の魔力が呼応して、初めて成り立つのです。癒し手と癒え手は同一でも構いませんが、どちらかの魔力が少なすぎると上手くいきません。それに、傷の深さにも依ります。魔力を越えるものは、治すことはできないのです」

「じゃあ、マリの目や足は……」

「ええ。彼の障害は重く、彼自身の魔力も非常に少ない。癒すことは困難でしょう」


 他にも治せないものはあります。何だと思いますか、とフェレは問うた。


「死んだ人……とか」

「ええ、それもそうですね。死んでしまえば、魔力も感情に呼応しません」

「治りたいと思っていないと、治らないということですか?」

「そうです。治りたい、直したいという双方の願いが重要なのです。けれど、どんなに願っても、魔法で修復できないものもあります。それが、心です」


 心、とベラは呟いた。


「心、なんてあるのですか」

「目に見えないものでも存在しますよ。魔法だってそうでしょう」

「心も傷ついたり壊れたりするのですか」

「そうです。本来、心は柔軟なもので、多少の負荷がかかったとしても、しなやかに形を変え、生き延びる力を持っています。けれどその分、強すぎる衝撃には弱い。いきなり切り裂かれたり、押し潰されたりしては、ひとたまりもありません」


 ベラはゆっくりと息を吐いた。フェレは続ける。


「心も体と同じように、自己治癒力をもっています。引き攣る痕は残っても、熟れた傷口は自然と塞がるものです。けれど、深すぎる体の傷は癒えることなく失血死してしまうように、深すぎる心の傷も放っておいては治りません。けれど、心がどんなに傷ついていても、体は生きてゆけてしまうものなのです。どれだけ血を流そうと、膿が零れようと、瀕死になったとしても。だから人は、心の傷に疎い」


 フェレが言葉に笑みを織り込んだ。


「人間が耐えられる痛みには限りがあります。心の痛みはたやすく麻痺してしまいます。本当は平気ではないのに、自分は傷ついていないと思ってしまうのです。そのように凍り付いた心を、魔法は癒す術を持ちません」


 ベラはすっと聖導師から体を離した。気付けば、全身が軽くなっていた。先程までの憂鬱が嘘のように、体調が清々しい。真っ直ぐな瞳でフェレを見つめる。


「では、どうすれば傷ついた心は救われるのですか」


 彼は優しく目を細め、頬の皺を濃くした。


「それはベラ、あなたが自分で考えてみてください」


 眉を寄せたベラに、フェレが肩を揺らす。


「不満げですね。気持ちは分かります。でも、仕方のないことなのです。わたしだって、全ての答えを持っているわけではないのですから。わたしも探し続けているのです。あなたも自分で探し続けてください」

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