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ロゼ(こうふく)

 ミスォーツ連合国は貧しい小国の集まりだ。南方の豊かなエグタニカ公国、西方の雨の国アレイゼン共和国、北方の列強ハスバル皇国と共に、千年前には大陸の大半を支配したリスサンチオ帝国を構成していた時代もあった。しかし、伝説の悪魔による大災厄で壊滅的な被害を受け、リスサンチオ帝国が崩壊すると、分裂した四国は別々の道を歩み始めた。


 その中でも、ミスォーツは千年前から取り残された国だと揶揄される。ひたすら続く荒野には作物は実らず、所々に牧草が群生するのみだ。地下資源も乏しく、家畜の世話で精いっぱいの国民は教育を志す余裕もない。牛や羊、山羊を細々と育て肉を食らい、その乳を様々に加工することで偏った栄養の中でも生き延びてきた。


 クオリア村も例に漏れず、恵みの神に見放された貧しい村だった。村を貫く一本道に沿って、石を積み上げて作られた民家が辛うじて目視できる距離を保って点在し、道の両脇には家畜が放牧されている荒れた土地が広がっている。そんな閑散とした村の中で、唯一村人たちが憩うのが、ちょうど村の中間辺りにある井戸だった。


 閑散とした村の光景に反して、井戸の周囲は天候の良い日はいつでも賑わっている。井戸を囲むように、貴重な木材で四本の大きな柱が据えられており、その上には木の梁を隠すように太く束ねられた藁で立派な屋根が鎮座していた。そして、日陰に入るように大きな細長い石を四つ並べ、水を汲みに来た村民が雑談しつつ、家で作った食料を物々交換できる場になっているのだ。


 その日、ロゼは頭ほど大きな山羊乳で作った乾酪を持って井戸へ向かっていた。山羊の母乳は匂いが強烈で、それを使って作られた乳製品も好みが分かれる品だったが、ロゼはその風味を気に入っていたし、羊飼いのリー爺の大好物だった。


「リー爺、おはよう」


 ロゼが声を掛けると、日陰に涼む皺と染みにまみれた顔がこちらを向いた。


「おや、ロゼ坊かね。達者にしとったか」


 白い眉と髭がもごもごと動く。リーはロゼが子どもの頃から腰の曲がった老人だったので、今では村一番の長寿になっていた。


「やめてくれよ。もう、坊なんて言われる歳じゃないって」

「そうだったか。儂にとっては、ロゼもカイもいつまでも坊やじゃよ」


 カイ、という名前の響きに、胸の奥がずきりと痛んだ。懐かしい名前。癒えることのない傷。彼と引き離されてから、傷口はロゼの中でぱっくり開いたままで、生温かい血を流し続けている。疼きをこらえ、ロゼは言った。


「エグタニカで大災厄が再来してから、悪魔は破壊を続けている」

「ロゼ」

「誰かが、あいつを止めてやらなきゃなんない」

「ロゼ。あの子の運命がお前と交わっていたのは、もう昔の話じゃ。あの子もお前も大人になったのだろう。ロゼは自分が幸せになることだけを考えていればいい」


 荒野に照り付ける陽射しは焼けるように熱く、乾いた大地が光っているかのように、眩い陽光を跳ね返している。ミスォーツの乾季は草木が枯れ果てるほどに厳しく、ひとたび風が起これば、鼻や喉の水分を全て奪い去って、熱気を撒き散らしていく。高い気温に空気さえも歪み、見慣れた風景に白昼夢を映し出す。


 ロゼの中でカイは幼いままで、絶望に染まった双眸でロゼを見つめる。ロゼは首を振り、包みを開いて乾酪を取り出すと、リーに差し出した。


「俺、やっぱりカイに会いに行くよ」


 乾酪を受け取り、リーはもう何も言おうとはしなかったが、訴えかける瞳でロゼを見上げた。


「俺の幸せはさ、俺にしか決められないから」


 早くに家族を亡くしたロゼの親代わりとしてずっと気遣ってくれた老人に、笑みを捧げる。幼馴染に会いたかった。会って、話したいことがたくさんある。自分たちは子どもの頃にできなかった喧嘩をやり直すべきなのだと、ロゼははっきりと分かっていた。

 臓腑まで焼き付ける太陽が、明と暗の落差を激しく塗り込めた。

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