ベラ(つるぎ)13
「ベラ」
廊下の先から、呼び掛ける声があった。落ち着いた、けれどわずかな警戒を宿した声。振り向くと、そこには師がいた。
「フェレ聖導師……」
「師弟契約の時に誓った戒律を、覚えていますか」
静かに律する響きだった。
「一、魔法を得なかった者を苦しみから救うこと。二、魔法が発現したばかりの者、復讐に手を染めそうになってしまった者を導くこと。――そして、三、生涯孤独を貫くこと」
いつもは柔和なその瞳に、責めるような光が灯る。
「魔導師は、師弟契約以外の絆を結ぶこと許されていません。孤独は魔法の源です。孤独を薄めたならば、魔導師は剣を失います」
「……孤独を糧に得た力に、何の価値があるのでしょう。そんな力で、本当に人を救えるのでしょうか」
フェレは無言でアリスの部屋の前まで歩み寄り、座り込んだままのベラを見下ろした。そのまま、アリスにまで届くように高らかに声を上げる。
「ベラ、あなたが大尊師の教えに異を唱えると言うのならば、聞いてください。戒律には、全て意味があるのですよ。
第一の誓い――あれは、魔法という強大な力を手にした私たちが悪の道に染まらないためにあります。
第二の誓い――あれは、絶望に染まった者が、人々を無闇に傷付けないためです。
そして、第三の誓い――孤独を貫くこと。大尊師は、孤独こそが魔法の源であると、弟子達に強く言い聞かせました。しかし、彼女の意図は別の所にありました。彼女は知っていたのです。魔導師が絆を結ぶことの恐ろしさを」
彼は滔々と語り出した。
大尊師アルダ・アザロはクォールの田舎町に生まれました。広大な農地と牧草地に囲まれて育った彼女には、老いた父母と、障害をもった双子の妹がおりました。彼女の名はメリダ・アザロといい、生まれつき四肢が不自由で、一人では寝返りを打つことさえままなりませんでした。
奇異なメリダの姿は、村人達の間に『メリダは悪魔である』という憶測を呼びました。
両親が生きていた時はまだ、良かったのです。村人によって注がれる憎悪からの緩衝材となってくれました。しかし、父を増水事故で亡くし、その後母を病気で亡くした後は悲惨でした。母を侵した病は驚異的な広がりを見せ、村人は次々に床に臥せっていき、多くの死者を出しました。
人々は『悪魔』が、この災厄の原因ではないかと思い込みました。もちろん、メリダにそんな力があるはずがありません。アルダは一人、メリダを害そうとする村人から妹を守っていました。けれど、若い娘には荷が重すぎる役目でした。
アルダの心は弱っていきました。アルダは嘆きをメリダにぶつけました。時には怒りとして、時には悲しみとして、時には深い愛情として。そんなアルダに応えるように、メリダも大きな葛藤と慈愛を差し出しました。二人は強固な絆で結びつけられていったのです。
しかしそれは、悲劇を産みました。
アルダとメリダは憎悪を膨らませ、自我を失くしていきました。破壊欲に支配され、復讐に手を染めてしまったのです。
絆で結ばれたことにより、二人分の膨大な魔力が暴走することとなりました。村は一夜で壊滅し、残ったのは異形となったアルダとメリダだけでした。
怪物となった彼女等は、お互いをも攻撃し始めました。永い戦いの果て、アルダがメリダの命を奪いました。片割れを殺してやっと、彼女は自我を取り戻したのです。
辺りの惨状を見て、アルダ・アザロは心に決めました。魔法を手にした者として、決して他者と絆を結ぼうとしてはならないと。
魔法に心を堕してなお、自己を奪還した者がいるという噂は、クォール村の悲劇と共に広く伝わりました。そして、魔法を御し切れず疲弊した者達が、救いを求めて彼女の元に集ったのです。それが聖団の始まりです。
フェレは深く息を吐き、真っ直ぐにベラを見つめた。その鋭い視線に射すくめられ、ベラは肩を強ばらせる。
「大尊師は、魔導師達を導くため、三つの戒律を定めました。その中でも、孤独を貫くことを定めた条は、彼女が一番守りたかったものなのです。そのために大尊師は、魔法は孤独な者へのギフトだと、孤独こそが魔法の源であると、偽りの教義さえ残したのです」
「偽りって……」
ベラの呟きに、フェレは固く頷いた。
「そうです、何も魔法は孤独な者だけに与えられたものではないのです」
「では、誰でも使うことができると言うのですか」
「魔力は、全ての人の体に宿っています。けれど、重石をされているように、基本的に魔法は発動することはありません。その蓋を間欠泉のように吹き飛ばすのが、強い感情です」
強い感情。ベラは吐息で言葉をなぞる。
「正の感情でも、負の感情でも、果てしない強度をもったそれは、封じ込められていた魔力を解き放ちます。正の感情が引き起こした魔法は奇跡と呼ばれ、負の感情が引き起こした魔法は災厄と呼ばれるのです」
「待ってください。それじゃあ、世界にもっと良い魔法が溢れているはずじゃないですか」
「負の感情が岩漿のように煮え立つものだとすれば、正の感情はせせらぎのように流れるものです。それが暴力的に溢れることは、滅多にありません。あったとしても、それ相応の強度をもって永続することはもっと少ない。感情の強さに応じて大きさが決まる魔法は、負の感情と相性が良いのです」
冷めた声と表情で、フェレは言う。
「ベラ、あなたは今、迷っているのでしょう。戦いに身を投じることに、その手を血に染めることに迷っている。けれど、迷ってはいけません。強い思いがなければ、魔法を発動させることさえできません。ディクソールの生まれ変わりとして力を手に入れたということを、もう一度じっくり考えてみてください」




