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ベラ(つるぎ)11

 修道院を出て北へ進むと、高い塀がある。その内側に入ってしばらく行ったところには、瓦礫の山がある。建物の土台のみを辛うじて残しているものの、屋根や外壁はほとんど崩れ落ちている。

 フェレによると、ここは以前王宮だったそうだ。


 ベラは雑草の茂る大地に寝そべり、空を仰いだ。薄い青を、大きく広がった空が隠している。太陽さえも、白の向こうだ。

 風がそよぎ、耳元で草が囁く。瞼を閉じると、陽に血管が赤く透けた。肌の表面が優しく焼かれる。まるで、大地と一つになったような感覚だった。


 すると、大地の奥からぎっ、ぎっ、と土を踏みならす音が響いてきた。ゆっくり、確かめるように進むそれは、ベラの頭の近くで止まり、影を落とした。


「こんなところで何をしているんだい」

「そっちこそどうしたの、マリ」


 目を開けると、車椅子の向こうに青白い彼の顔が見えた。薄い瞼が光を反射して淡く輝いている。黒い前髪を風に揺らしながら、彼は言う。


「君の泣きっ面を拝みに来てやったんだろう」

「それはどうも、ご足労痛み入ります」


 慇懃な言葉とは裏腹に、ベラは表情を緩めた。憮然とした表情で、彼は言う。


「君のせいで、アリスが落ち込んでたんだけど」

「……怒ってたの間違いじゃない?」

「違うよ。君は何にも分かってないね。だから、人の気持ちが分からないって言われるんだよ」

「そんなの、言われたことないけど」

「僕が言った」

「あっそう」


 時が緩やかに流れる。温かい陽射しの中、ベラは目を閉じ、ぽつりと呟いた。


「アリスは強いから、落ち込むことなんてないと思ってた」

「彼女は強くなんかないよ。固い殻で自分を守っているだけなんだ」

「分かるの?」

「分かるよ。僕はずっとアリスと一緒にいるんだから」


 七年前、アリスは死んでしまうかと思ったぐらいだった、と彼は言った。


「僕もちょうど目が見えなくなった時期だから、混乱しててアリスの状況を正確に把握していたわけではないけれど、あの頃の彼女は酷かった。人形のようだったよ。何も話さないし、何かをするわけでもなく、時々狂ったように泣くだけだった。久しぶりに言葉を発したと思ったら、ごめんなさいの大合唱。さすがにこたえたよ。食事も取らないし、寝てもいないみたいで、骨と皮だけになって死にそうだった」

「そうなの……」


 君は、大災厄の再来で、アリスが悪魔を呼んだことは聞いた? 問われ、頷く。そう。溜息のような呟きが降る。


「僕の両親と兄姉もね、それで死んだよ」


しばらく口を噤み、ベラは訊いた。


「恨んでる? アリスのこと」

「自分でも、分からない」


 例えば僕が、両親から愛されていて、兄姉とも仲良く過ごしていたら、僕は彼女を許さなかっただろうね。

 放たれる声は淡々として、諦観が滲む。


「でも僕は家族から疎まれていたし、僕の方は家族を憎み、彼らに屈折的に執着していた。だから彼らが死んでも、純粋に悲しむことも、無関心を装うこともできなかった。今でもそうだよ。折り合いなんて、つかない」

「……そう」

「でもそれを言えば、フェレ聖導師に対する感情も、同じようなものだよ」


 静かに彼は続ける。


「三年だよ。修道女たちが無理やり食事を取らせていたけど、人形のように無気力な状態が三年続いた。その頃はアリスの罪を問う声も大きくて、裁判も行われていた。……結局、アリスの年齢と彼女が直接誰かを傷つけた訳では無いということで、無罪になったのだけど」


 アリスが衰弱しきって、今にも死んでしまうのではないかと危惧していた。そんな時、フェレがアリスの元に現れたんだ。彼は言った。


 ――あなたは、ヴィクイーンを殺すことのできる力をもっています。


 彼の言葉が、アリスに生きる気力を与えたんだ。そして今、死地に向かわせている。


 ほとんど寝たきりだった彼女が、人並みに回復するのに丸二年はかかった。その後も、まだ上手く魔法を使いこなせなかったみたいだよ。アリスは、憎しみが大きすぎたんだ。魔力を制御できないようだった。


 彼女はしょっちゅう怪我をしていた。自分の魔法に、傷つけられていたんだ。頬や腕、足に擦り傷や切り傷をたくさん作っていたみたい。修道女やフェレが心配いていた。彼女から薬や血の匂いを感じなくなったのは、それから一年ほど後だった。


 魔法を操れるようになってからは、アリスは寝る間も惜しんで剣を奮っていたよ。積りに積もった鬱憤を解消するように、のめりこんでいた。誰が心配して止めようと、聞く耳を持たなかった。……もちろん、僕でも。フェレから遂にヴィクイーンと直接刃を交えることを許可されてから、実際にヴィクイーンが現れるまでは、それは酷いものだった。


 ……でもここ最近、アリスが少し、明るかったんだ。それほど大きな変化ではないけれど、限界まで自分を追い詰めたり、鬱屈を抱え込んだりする傾向が、改善してきたように思うんだよ。悔しいけど、君が来てから。


「だからさ、君には頑張ってもらわないと困るんだよ。アリスのためにも」


 マリが尊大に言い放つ。ベラは彼の車椅子に向かって寝返りを打ち、溜息を漏らした。


「そんな事言われたってさぁ、光栄だけど困ってしまうよ」

「ちょっと、甘えないでくれる?」

「だってさ、あたし、何も出来なかったんだよ? アリスにだって嫌われたに決まってる」

「だから、嫌ってないってば。アリスもあれで、甘えてるんだよ」

「そうなの?」

「愛情表現が下手なんだ」

「ふうん。じゃあ、マリもあたしに甘えてるの?」

「は? どうしてそういう風になるわけ?」


 マリが声を引き攣らせた。得意気な笑みを作り、ベラは言う。


「だって、いつもあたしに意地悪なこと言うじゃん」

「それは君が、いつも頓珍漢で無神経だから」

「今だって、慰めにきてくれたんでしょう。優しいね。でも、よくここが分かったね」

「この辺は僕の庭だ。目が見えなかろうと歩けなかろうと、大抵のことは分かる。いや、そうじゃなくて、僕は君のことなんか」

「ねえ、マリ」


 ベラは、がばりと起き上がった。胡座をかき、マリに笑いかける。


「ねえ、あたし達、友達になろうよ。」

「はあ?」


 マリは大きく口を開け、眉を歪めた。


「嫌だよ、君となんか」

「いいじゃん、あたし達、きっと仲良くなれると思う」

「僕はそうは思わない」

「そんなこと言わないで。友達は多い方がいいよ。マリはどうせ、アリスしか友達いないでしょう?」

「は? 偉そうに言って、君だって友達少なそうじゃないか」

「え、分かる?」

「…………」


 吹き出したのは、二人同時だった。軽やかな笑い声が、晴れ渡る空に吸い込まれていく。腹を折り、涙を浮かべる。こんなに大笑いをしたのは、久しぶりだった。マリは胸を抑え、笑いながら肺を痙攣させひくひくしている。

 下手な笑い方。更に笑いが込み上げる。もしかしたら、マリも同じなのかもしれない。その思いは、灯火のようにベラの心を優しく暖めた。

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