表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/127

ベラ(つるぎ)10

 冷たく爽やかな、朝の香りがした。


「ベラ、アリス、大丈夫ですか」


 穏やかな声が問うた。広がる白んだ空と、朝日を背負ったフェレが、優しく笑いかける。


「フェレ聖導師……?」


 ベラは修道院の裏手で蹲っていた。煤けた石灰の壁を背にし、雑草の茂る大地に手をつきながら、師を見上げる。彼は白い手袋で包んだ手を、握り合わせた。


「魔法であなたたちが戻ってくる手助けをしたのです。危ないところでしたね。間に合ってよかった」


 彼の言葉に、ベラは血相を変えた。負傷したアリスの姿を探す。

 少し離れた所に、彼女はいた。力なく横臥し、赤く波打つ長髪が広がっている。全身に大小の擦り傷をいくつも作り、額の傷口からはまだ温かな血が流れ続けていた。ベラはアリスに駆け寄り、肩を揺する。


「アリス、アリス、ねえ返事をして」

「あまり動かさない方がいいです」

「どうしよう、目を覚まさない。血、血が……」


 声を震わせ、息を荒げる。視界に広がる赤い色に、気が遠くなる。このままアリスが一生目覚めなかったら。想像に胸が締め付けられる。そんなベラの肩に手を置き、フェレが諌める。


「あなたが取り乱してどうするんです。ベラがアリスを救うのですよ」

「あたし?」


 真剣な瞳で、フェレが射抜く。


「治癒の魔法を教えましょう。戦いの中で必要となるでしょうし、傷ついた者を癒すのは魔導師の本分です」


 促されるまま、ベラは頷いた。


「……あたしは、どうすればいいんですか」

「まず、傷口に手をかざしてください」


 わななく右手を伸ばす。止まらない震えを左手で押さえつける。触れそうな距離にある、赤い血液。少女の顔が、苦痛にゆがんでいる。


「内側から、手の平が温かくなるイメージをするのです。湧いてきた力が、アリスに伝わるように」


 血の気の失せた手は、温度が下がるばかりだ。焦りと恐怖が心を満たす。


「そして、祈りを捧げてください。強く、強く。アリスの苦痛が失せるように。彼女の元に、再び平穏が訪れるように」


 ベラは瞼を閉じた。必死で祈る。どうか、早く塞がって。痛みを早く取り去って。アリスを返して。アリスを救って。

 強く願うにつれ、心拍が上がり、首や額に汗が浮かぶ。頬が火照り、食いしばった奥歯が軋む。すると、段々手の平が熱を帯びてきた。薄く瞼を開け、様子を見る。


 右手が、淡い光を放っていた。清廉な白にも似た、金色の光。その光が霧雨のようにアリスの肌に染み入って、零れた血を消し去り、傷口を修復していく。まるで、時間を巻き戻したように、綺麗な褐色の肌が蘇る。


「ん……」


 少女の唇から、声が漏れた。赤い睫が、小さく震える。ゆっくりと瞼が持ち上がり、真紅の瞳が姿を現す。ベラは表情を緩め、安堵の声を上げた。


「アリス! よかった、無事で。他に痛むところはない?」


 目を覚ました少女は手をついて起き上がり、辺りを見渡す。乱れた髪が、顔を大きく隠した。アリスは静かに睫毛を伏せ、立ち上がる。


「ねえ、アリス。大丈夫なの……」


 ベラの問い掛けには答えず、彼女は真っ直ぐにフェレと対峙する。腰を勢いよく直角に曲げ、頭を下げる。


「失敗しました。申し訳ありません」


 フェレが困ったように眉を下げる。


「いいんですよ、アリス。元から難しいということは分かっていたのですから。粘り強くやっていきましょう。とにかく、今日はゆっくり休んでください」

「すみません、失礼します」


 アリスは顔を上げ、片手で髪を額から掻き上げた。そのまま踵を返し、修道院に向かって歩き出す。ベラは地面に膝をついたまま、その後ろ姿に向かって声を張り上げた。


「アリス! さっきは、何もできなくてごめん! 次は頑張るから!」


 何も聞こえなかったかのように、彼女は修道院の扉をくぐり、姿を消した。日が高くなり始め、世界が明るく照らされる。それにつれ、相対的に影もより濃くなる。修道院の影に呑まれたように、ベラは呆然と閉められた扉を見つめていた。


「ベラ」


 優しい声に呼ばれ、顔を上げる。


「初めてだったのですから、上手くいかなくて当然です。緊張は恐怖は身体を縛ります。経験を積んで、慣れるしかないでしょう」


 師は穏やかに微笑んだ。手袋をはめた手を、ベラの目前に差し出す。ベラがその手を取ると、力強く惹かれ、立ち上がる。数歩よろめきながらも、ベラはフェレと向かい合う。フェレはそっと手を離し、ベラを安心させるようにゆっくりと言葉を紡いだ。


「あなたに、魔法を使いこなすコツを伝授しましょう。それは、強く思い描くことです。あなたの心に宿った信念は、いつでも背中を押してくれるでしょう。先程アリスを助けたときのことを思い出してください。強く願えば、必ず魔法は応えてくれます」


 ベラも今日は疲れたでしょう。しっかり休息をとってくださいね。

 そう言い残し、フェレも修道院へと去って行った。一人残ったベラは、自分の手の平をじっと見つめた。


「強い思い……」


 あの時、アリスに鼓舞され確かに自分は剣を取った。本当の事を知りたい、その思いはベラを突き動かしている。けれどそのために、自分は誰かを傷付けることができるのだろうか。

 手に残る地の感触を思い出す。そして、倒れ込んだアリスから流れる、目の醒めるような赤い色。

 そう言えば。はたとベラは顔を上げ、急いでフェレを追い掛けた。修道院の石の階段を駆け上がり、フェレに追いつく。


「フェレ聖導師」


 ベラは彼に呼びかけた。どうしたんですか、と師はゆっくりと振り返る。


「あたし、剣を落としたまま戻ってきてしまったみたいで。取りに行かなきゃ」

「大丈夫ですよ」


 フェレは笑みを深くした。高い位置から声が落ち、壁に反響し階下に抜ける。


「あの剣はベラの魔力を具現化したものです。ベラから離れては、剣も形を失います。心配することはありません。魔力はいつでもあなたの中にあるのですから、剣もいつでもベラと共にありますよ」


 胸のあたりの服を掴み、ベラは唇を噛み締めた。

 剣はいつでも己と共にあるというのに。ベラはちっともそれを扱える気がしなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ