表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/127

ベラ(つるぎ)09

 ベッドの中で、心臓が大きく脈打った。違和感に、目が覚める。ベラは薄暗い部屋で、窓に目をやった。白んだ青。まだ、明け方のようだった。


「なに?」


 どくん。鼓動が跳ねる。全身の血管が叫んでいるようだった。

 ――奴が来た。


「なんなの、これ」


 その時、ドアが勢い良く開いた。ただならぬ様子で飛び込んできたのは、白い寝間着に身を包んだアリスだった。


「ベラ! ヴィクイーンが暴れているわ。行きましょう」

「アリスも何が感じたの?」

「ええ、魔力を操れるようになると、強力な魔力を感じられるようになるのよ」

 そんなことより、急いで支度をして。少女の声に促され、ベラはベッドから起き上がった。


 着替えて飛び出すと、修道院の前にフェレが立っていた。灰色の装束に身を包み、神妙な面持ちでベラとアリスを交互に見る。血色の悪い唇がゆっくりと開かれる。


「アレイゼン共和国の南西部に、悪魔が出現したようです。ベラ、初陣は緊張するでしょうが、鍛錬の成果を見せてください。アリス、ベラをフォローし、リードしてください」

「わかりました」

「任せてください、師匠」


 フェレがゆっくりと頷いた。


「では、二人向かい合ってください」


 ベラが身体の向きをずらすと、アリスと目が合った。


「両手を繋いで。ヴィクイーンの魔力の根源に、意識を集中させてください」


 アリスの小さな手の平と指を絡ませる。どちらともなく寄り添い、額を合わせる。温かな熱が流れ込んだ。

 心臓が脈打つ。閉じた瞼の裏、銀髪の男の姿が見えた。


「武運を!」


 フェレの激励を最後に、感覚がふわりと浮いた。


 重力を取り戻すと、二人は瓦礫の中にいた。元は市街地だったであろうそこは煙に包まれ、悲鳴や絶叫が響いていた。ベラは息を呑み、絡めた指に力を込める。ふと、アリスの表情が強ばった。


「ヴィクイーン……」


 視線の先を追うと、瓦礫に背を預け、腰を抜かした一人の少年がいた。紺にも似た濃い色の髪を持ち、はしばみ色の瞳を恐怖に見開いている。彼に語りかけるのは、銀の長髪を垂らし、黒のローブに身を包んだ男。


「ねえ、全部壊したよ。言ったでしょう、何もかもばらばらにしたいって」


 紫と緑が混じったような奇妙な瞳を細め、男は妖艶な笑みを作る。アリスが叫んだ。


「ヴィクイーン……‼」


 赤髪が舞った。少女が駆け出す。ヴィクイーンに向かって走り抜けながら、アリスが胸の中に右手を突っ込んだ。白刃と緑に輝く柄を施された剣が天高く掲げられる。ヴィクイーンが唇を歪め、笑った。アリスが飛び掛る。


 瞬間、強風が舞う。アリスが少年を庇うよう、身を翻した。上体を低くかがめ、剣をしています地面に突き立て、盾となる。

 ベラは叩き付ける暴風に膝を折った。なおも風に身体を捲られそうになり、四つん這いになる。息ができない。喉が血の味がする。強く目を閉じていないと、瞼さえも破られてしまいそうだった。


 腕が挫けそうになり、半身を横たえる。胎児のように身体を丸め、己を抱く。ばらばらに千切れた自分をかき集めるような、痛切な抱擁だった。

 風圧の中に、激しい剣戟が聞える。アリスが叫んだ。


「ベラ! 何をしている! 立て!」


 涙が滲んだ。身体の芯が冷える。死の恐怖が震えを引き起こす。


「何のためにここに来たんだ! 思い出せ!」


 少女の凛とした声が、ベラの頬を張った。

 脳裏を駆け巡るのは、霜の落ちた、寒い朝。凍った吐息、わななく青い唇。冷えたナイフを痛いほどに握り締めた、血の気のない手。それを包み込んだ、温かい両手。


 ――ベラ。


 甘く優しい声が、蘇る。


 ――あなたは何も、知らなくていいの。


 温かな腕が背中に回る。柔らかな胸に抱き寄せられる。


 風の中、ベラが目を開けた。眼球が乾く。傷ついたって、構わなかった。

 地に手をつき、腕に力を込める。滞っていた血が通い始める。膝を踏ん張り、上体を浮かせる。膝を伸ばす。風に押され、たたらを踏んだ。靴の中、足指で大地を噛み締める。


 ベラは背筋を伸ばし、天を仰いだ。指先まで神経を巡らせ、両腕で弧を描き、そのまま胸に浸す。温かい温度が、ベラを導く。指の腹に脈打つものが当たった。熱く、湿って、力強い。生き物のようにうねるそれを、ベラは両手で握り締めた。押さえ込んだそれを、一気に引き抜く。


 必死に掴んでいたものは、外界に触れた瞬間、強く固い形を持つ。頑丈な柄。埋め込まれた、目が眩むほどに蒼い石。淡い陽光を集め、白銀に輝く真っ直ぐの刃。


 ベラは荒れ狂う風の中、正面に剣を構えた。疾風を切り裂き、道を作る。力んだ足を、一歩踏み出す。そのまま勢いをつけ、駆け出した。

 風の中心から聞える、アリスの息遣い、剣を振る音、ヴィクイーンの甲高い笑い声。歯を食いしばり、押し寄せる抵抗の中、足を速める。


「ああっ」


 突如、悲痛な声が響いた。

 ベラの真横に、少女の華奢な体躯が投げ出される。肉が地面を擦る音。赤髪が乱れる。蹲ったその褐色の額からは、紅い血が零れていた。


 その光景に、ベラは息を止めた。あれほど吹き荒れていた風が、嘘のように収まる。

 血が滴り、大地に染み込む。柄を握る手が震えた。

刃先が肉を切り裂く感触。指先を伝う、生ぬるい液体。鼻腔を抜けた、鉄の匂い。こびりついた感覚が蘇る。

 喉を鳴らして、空気を吸う。けれど、いくら吸っても肺は酸素を取り込まない。胸が、肩が、激しく喘ぐ。


 ベラは剣を取り落とした。乾いた音が響く。喉を抑え、膝をつく。遠くなる意識の中、足音が聞こえた。

巻き上がる塵煙を掻き分け、ローブを揺らしながら男が近付いてくる。昇りかけた日に照らされ、銀髪が煌めく。その表情は、霞んで見えない。


「ヴィクイーン……」


 アリスが苦しげに呻いた。か細くわななく手が、伸ばされる。

 その時、世界が歪んだ。景色が引き伸ばされ、切り裂かれる。聞き慣れた、穏やかな声がした。視界が黒く沈んでいく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ