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ベラ(つるぎ)05

 フェレは口を閉じると、静かに細い溜息をついた。

 ベラはフェレとアリスの視線から逃れるように俯いたまま、膝の上で重ねた両手をさすった。首から肩にかけてが強張る。目を閉じると、暗闇の中に粘ついた柑橘の香りが際立った。


「ねえ、ベラ」アリスが呼び掛けた。「七年前の、エグタニカの悲劇知っているかしら」


 恐る恐る彼女に顔を向け、ベラは浅く頷いた。真摯な深紅の瞳が、見つめ返す。


「エグタニカの巫女が、悪魔に誑かされ、国に破滅をもたらした。それを皮切りに、ヴィクイーンは次々に都市を襲いだしたわ」


 アリスが擦った息が、彼女の喉に引っかかり、掠れた音を立てた。けれどもアリスは、はっきりと言葉を続けた。


「その巫女が、わたしよ。わたしが破滅を願い、大勢の人を殺したわ」


 ベラは黙ってアリスを見ていた。自分の顔の筋肉が、どのような動きをしたのか、彼女自身にも分かっていなかった。

 固い声で、アリスは宣言する。


「わたしは自分の過ちを正さなければならない。たとえそれが償えるものではないとしても。わたしは必ずヴィクイーンを殺すわ。それがわたしの使命だと思ってる」


 彼女は目で、声音で、表情で訴えた。


「ベラ。わたしと一緒に戦って。これは、わたしたちにしか成し遂げられないことなの。あなたの力がなければ、世界を救えないわ」


 ベラはアリスの懇願には答えず、瞼を伏せた。沈黙が落ちる。フェレとアリスは静かに彼女の決断を待った。ベラは小さく首を振った。わずかに表情を歪め、吐息と共に言葉を紡ぐ。


「あたしには、理由がありません」

 

 窓の外、夜の風が木々を揺らした。木製の窓枠が小さく鳴る。かすかな音は静寂を際立たせただけだった。その空気を切り裂く不安を纏った声には、迷いはなかった。


「あたしには、戦う理由がないんです。そりゃあ、ヴィクイーンに襲われてその脅威を肌身で感じて、ヴィクイーンの所業を止めなければいけないとは思います。でも、いきなり伝説の魔導師の生まれ変わりだって言われて、はいそうですかって納得できない」


 アリスが口を挟もうと息を吸い込んだ。しかし、向かいでフェレが小さく手を上げ、それを制した。ベラは果実の転がる硝子机を睨んだ。


「だけど、あたしは知りたいんです。自分が、何者であるか。たぶん、その願いがあたしをこの国に呼び寄せたんだと思うんです。あたしが本当にディクソールって人に関係があるなら、戦いに身を投じることで、あたしが知りたいことも分かるかもしれない。そのためなら、命を懸けても構わない」


 フェレはふっと息を吐き、スラックスのポケットから折り畳みナイフを取り出した。ベラが生唾を飲み込み、全身を硬直させた。血潮の音がうるさい。フェレは優雅な手つきでナイフの刃を伸ばすと、果実の厚い皮を器用に剥き始めた。苦く甘い香りが一気に広がる。


「理由なんて、些細なことですよ」


 緩やかに笑んで、フェレは言った。するすると、剥かれた細い皮が連なっていく。


「重要なのは信念の強さです。アリスが悪魔退治を責任と信じるように、ベラ、あなたが自分探しを強く望み、貫くのなら、それはきっと自身や周囲に大きな成果をもたらすことでしょう。


 昔話をしましょう。

 千年前の大災厄に際して、大尊師の予言に登場した『二人の魔導師』をどうやって選ぶかの議論は紛糾したそうです。経験、人格、魔力、階位……。ルノアールとディクソールが選ばれたのは、並外れた魔力を有していたから、という理由もあります。けれど彼らはまだ若く、その魔力を十分に御しきれていなかったそうです。なにしろ彼らは、未だ聖導師に師事して学ぶ、一介の魔導師の立場だったのですから、仕方のないことですね。


 それでも彼らが選ばれたのは、何故だと思いますか。

 簡単なことです。地位も低く、後ろ盾もなかったからです。彼らの師匠であったルーベンス聖導師は変わり者で、聖団での発言力も低かったそうです。代わりのいる、様子見の捨て駒にされたということですね。


 前途有望な若者二人が、そのような理由で命懸けの任務を任されてしまうなんて、さぞ不幸だったと思うでしょうか。

 私はそうは思いません。


 たとえ、一歩踏み出す理由やきっかけがちっぽけなものであったとしても、その裏に強固な信念があれば、途方もないものを生み出すことができます。

 よい捨て駒になるから。そんな理由で授けられた使命を、誰がやり遂げることができるでしょう。きっと彼らも、死をも恐れない強い信念を持っていたはずです。だからこそ、悪魔を消滅させることはできなかったとしても、千年もの年月の間、封印することが可能だったのでしょう。


 ベラ。あなたも同じです。

 これは、命懸けの役目になるでしょう。かつてないほどの苦難でしょう。確かな信念なしでは、とても成せません。


 けれど、あなたが悪魔退治に参加する理由がないと迷っているのならば、それは気にする必要はありません。そんなもの、なくてもよいのです。大切なのは、強い意志です。


 もう、あなたの中で答えは出ているのではないのですか。もう一度問います。

 私と子弟契約を結んでください。そして、アリスとともにヴィクイーンを倒してくれませんか」


 ベラは強く唇を引き結んだ。フェレの手に握られたナイフの鋭い切っ先が、光る。指先が震える。鼓動が跳ねる。冷や汗が吹き出す。しかし不思議なことに、胸中は信じられないほどに凪いでいた。

 刃物を睨みつけ、言う。


「あたしは、自分が何者か知ることができるならば、何も恐れません。何を失ったとしても、後悔はしない」


 彼女はゆっくりと頭を下げた。金の髪が目元を隠す。


「あたしを弟子にしてください。魔法を教えてください。あたしはヴィクイーンと戦います」


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