チョコ星
1
俺は女にモテる。
なにもしていないのに超絶にモテる。
かわいい。かっこいい。肌がきれい。いい匂い。安心する……称賛されない瞬間はないほど女にモテる。俺のつまらない言葉や態度で、女たちは一喜一憂する。
海賊王をあきらめた10歳のときには、それが俺の才能だと理解した。
多少の時間はかかったが、俺は自分自身を受けいれた。
女を喜ばせることが、俺の役割だ。
しかし、覚悟は決まっても限度はある。
中学生になると非公式のファンクラブがいくつもできていた。
イベントひとつで騒動がおきる。
十七歳。
高校二年。
今年もバレンタインデーがやってきた。
普段は大人しい女たちも、バレンタインデーは特別なものらしい。ほかの男が何個もらったかと騒いでいるのに、俺だけ何キロだったかを計測している。中3のときには計測もあきらめた。致死量であることは誰の目にもあきらかだった。
「曇天だってチョコ日和」
ちょっと意味がつかめないくらい特別な日がやってくる。
年上の女たちも浮かれていた。
嵐であっても負けないそうだが……今年は、どうもおかしなことになっている。
2
『世界中からチョコレートが消失するという不可解な現象が発生しています』
すでにテレビでも報道されていた。
バレンタインデーの前日になって発生しはじめた謎の現象。
日本時間の昨日からはじまっている。
「いまでも完成した瞬間に消失しているらしい。この現象、ユウトはどう思う?」
マサミツが俺にたずねた。
学校までの道のりを、俺といっしょに歩いてくれる、ただひとりの男だ。
友人の質問とあっては、こたえないわけにはいかない。
「消える瞬間を目撃しなかったら、信じられなかっただろうな」
「見たの?」
「まあな」
「避難してるとかいってたから、あのきれいなお姉さんの手作りチョコか」
「正解」
十七歳のいま、付き合っている女は三人いる。ホステスと教師と同級生。厳選した女たちで、それが限界だ。それ以上の数になるとトラブルが多発する。流血沙汰はうんざりだ。みんなおかしくなる。どうして血まみれで微笑む女たちにハグをする必要があったのだろう。あのときの俺たちがわからない。
「去年のバレンタインデーは、箱が積まれすぎて玄関のドアが開かなかったからな。女のマンションにいると情報を流しておいたんだが……」
「それどころじゃない事態になっているわけだ。ははっ……うん、こうしてユウトの近くにいると、悲哀と焦燥の入り混じった恨めしい視線がグッサグッサ突き刺さるな」
俺だって男とくだらない会話をする自由は欲しい。
まわりの女が怖すぎるらしく、いまとなっては、俺に近づく男はいない。
唯一の例外がマサミツで、昔から変わった子どもだった。
「今回の超常現象……昨日の夜までは、モテない男たちの集合意識がなせる奇跡の御業じゃないかと疑っていたんだけど……」
ちなみマサミツにも女がいるらしい。
デジタルの嫁、サイボーグの女友達、異次元の文通相手の三人、三名、三体?
何をいっているのかわからないことも多いが、マサミツはいいやつだ。
「これ、知ってる?」
「……なんだこれ?」
「あれだよ」
俺にスマホの画面をみせたあと、マサミツは空を見あげた。
人工衛星が撮影した、青い地球に黑い球体。
快晴の空を見あげれば、そこには黒い点がみえた。
3
「小学生の頃に考えたことがある。もしかして俺は、世界で一番モテる男なのかもしれない。ぶっちぎりでモテる男であり、人類史上もっともモテる男なのかもしれない」
校舎の屋上で、俺はマサミツに語っていた。
三限目の授業が始まっていたが、俺たちは空を眺めていた。
マサミツがこたえた。
「そこまでスケールの大きなことを考えていたとは知らなかった。ユウトでなければ鼻で笑うところだけど……いまになってそんなことを言いだすのは、今回のあれが、自分のせいだと思うから?」
世界からチョコレートが消失してゆく現象。
時を同じくして、日本のはるか上空、大気圏をこえた宇宙空間に、巨大な黒い球形物体があらわれた。
それは徐々に体積を増していた。
肉眼で確認できるようになっては隠蔽のしようもない。情報があふれている。ふいに目の前から消失してゆくチョコレートと、少しずつ大きくなる黒い物体を関連づけない者はいないだろう。
世界中から消失したチョコレートが、日本のはるか上空に集まっている。
球体すべてがチョコであるとすれば、なんらかのエネルギーでチョコの質量を増している可能性もあるらしい。
「まさかとは思うんだが……もしかして、と考えなくはない」
見あげれば、黒い球体がはっきりと見える。
もはや点とはいえない。
満月のような黒い巨体は、間違いなく──
「まあ、落ちてきてるからね」
こちらに向かって。
黒い天体が落ちてくる。
巨大なチョコレートが迫ってきている。
「ユウトの近くにいると、女の執念というか、狂気をたくさん見てきたからね。ユウトに恋心をぶつけたい、女たちの集合意識がなせる奇跡の御業だとしても、納得できてしまうね」
黒い球体が赤くなった。
大気圏に突入したのだろう。
摩擦熱で溶けてもいいはずだが、常識が通じるのか疑わしい。
「集合意識がどうとかは、俺にはわからない。ただ……」
「ただ?」
「どこかの施設にとらわれた超能力者の女が、その壮大な力で俺のことを知り、乙女心を暴発させたのかもしれないと……」
「ああ、いいね。ユウトのそういうところ、おれは好きだよ」
太陽の光が遮られる。
あたりが暗くなってきた。
スマホから流れる音声も、どこの教室も騒がしくなった。
4
非常識なチョコレートの天体は、燃えつきることなく地表に近づいてきた。
いよいよ死ぬんじゃないかと思ったとき、どこからか、天体に向かって小さな発光体が飛んでいって、その後、天体は爆散した。
砕けたチョコレートは蒸発して、地表には甘い香りが広がった。
発光体の正体は不明とされた。
ミサイルの可能性が広く支持されていたが、政府は全面的に否定している。
はじまりから終わりまで、すべてが不可解な現象ということだ。
報道でもSNSでも、被害はなかったとされているが、実はひとりだけ被害者がいる。
マサミツだ。
天体が爆散したあと、ソフトボールくらいのチョコが、マサミツに落ちてきた。
ドロドロとして固いものではないが、衝撃は大きい。
左胸に直撃したマサミツは、勢いよく屋上で仰向けになった。
火傷こそしなかったものの、熱々のチョコには叫ばずにいられなかったようだ。
「だいじょうか?」
「いや、マジで熱かった」
俺はマサミツに手をかして立ちあがらせた。
ぶつかり飛び散ったチョコで、マサミツは顔も手も制服も汚れていた。
俺の手にもついた。
俺がハンカチを取り出していると、マサミツは、指についたチョコをぺろっと舐めた。
平然と口にするあたり、ほんとうにすごい男だとおもう。
俺にはとても真似できない。
「うん、ちょっと怖いくらいおいしい」
心配になって声をかけると、味の感想が返ってきた。
マジで異次元の美味さ。
そういってマサミツは、手についたチョコを舐めていた。