4_影_Invader(加筆版)
加筆版です。
彼らは宙に浮いている。
しかし、その呪文がどんな呪文であるかも知っているから、怖気づいてしまうことはなかった。自分もその呪文を口にして、彼らについて行った。
「今日は決戦だ」
宿に着くと、真っ先に岡田は言った。禁忌とされる風呂場の覗きをするのだという。
皆呆れたものだが、逆らえないのが男の性。早々と男子軍は周到な計画の下、風呂場周辺に陣を構えた。僕と岡田は風呂場裏の森にて、木の上に隠れて奇をてらっていた。
「さぁ、そろそろお出ましだ。気合い入れていくぞ」
計画通り、女子御一行は露天風呂の戸を開けて入ってきた。
「はぁー。やっぱり露天風呂はいいねぇー」
「こら、先に体を流しなさいな」
遠くでも聞こえる女子達の会話に、男子達のボルテージはうなぎ登りである。勢い余って岡田は木を折りやがった。後は仲良く真下に落ちるだけ。
幸いにも小宮先輩の浮遊の呪文フォローでバレることは回避できた。
「また東堂のでかくなったか?」
「やめてください、柳先輩。あなたは自分のを触ればいいでしょう」
「ケチだなぁ」
「ほら、ð ø͜θ βɪɢ!」
呪文が聞こえた。あれは確か巨大化の呪文だったか。ああ、もどかしい。肝心な時に岡田の奴は。
――ガサガサッ。
「「!?」」
不意に背後から草木を分ける音がした。一体何をしているのか。音でバレてしまうではないか。
――「やめろ、やめてくれ。うがぁぁぁぁ」
何か様子がおかしい。皆、計画内にあった合図で、撤退を始めた。
その途中、鉄の匂いが立ち込め、時季外れに紅葉した落葉が足元に映った。それを機に、それまで統制がとれていた筈の男子軍は一目散に散った。
死んでいる。男子が一人死んでいる。状況が飲み込めない。野生動物に襲われたなら呪文で返せばいいし、殺人犯が偶々いてもこんな直ぐにはやられない。そもそも大抵呪文でなんとかなる。でも死んでいる。足は鋭利な刃で切断されたが如く綺麗に膝から落され、腸は剥き出しの腹にとぐろを巻いて鎮座し、脳は原形を留めることなく四方に散乱している。その先に、黒い影が蠢いている。それは、肉を貪っていた。
死ぬ。本能がそう告げた。
身体は思考よりも早く、既に駆けていた。しかし、逃げるのが僅かに遅かったのか影の狙いは僕に向けられた。思考を巡らせて打開の呪文を絞り出す。
「ð wɪnd͜θ ɪ̥ρɔɴ!!」
弾かれた。ならば――
「ð wɪnd͜θ wɪnd!!」
ダメだ。全く効かない。
「ð̚ ʃkɑɪ͜θ g̥ɑɪ!」
飛行なら着いてこれないだろうという思い込みが甘かった。影にどうやら物理法則は通用しないらしい。呪文の行使無しで着いて来た。それなら、まだ森で逃げたほうが安全だ。しかし、岡田や先輩とははぐれているからフォローも見込めないし、魔力も切れてきた。完全に詰んでいる。
僕の生を刈り取る影は一寸後ろに迫っている。目の前には崖も見えてきた。どの道助からないのなら、まだ少しでも生きていたいと、崖から飛び降りるのが正解だろうと、残りの魔力を振り絞って目一杯に飛んだ。
「ð̚ ʃkɑɪ͜θ g̥ɑɪ!!」
「――正解ね」
目を開けると、僕は宙に滞空したまま障壁に囲まれていた。そして、影と対峙しているのは黒髪の乙女。そう、九条その人だった。
僕に言い放つと、彼女は宙を蹴って踵を返した。
「あの影は一体何なんだ」
当然の問いを彼女へ投げる。
「あれは、モノノケ。あなたはそこでじっとしてて」
間髪入れずに、モノノケと呼ばれるものへ呪文を放つ。呪文が効いている気配がないが、彼女に詠唱を止める気配は無い。しかし、一瞬だけ、奴の黒い影が薄まったような気もした。呪文の衝撃で、金槌で頭を割るような鈍い痛みが続く。そもそも自分が置かれている状況は異常すぎる。逃げ延びたことが全くもって不自然である。
「# “!#$” $!””!”」
「不味い―――。避けて!!」
モノノケから放たれた弾丸は、あっけなく僕の左肩を射抜いた。
「ぐああああああああああああ」
痛い。痛い痛い痛い。血は止めどなく穿たれた穴から溢れてくる。必死になって右手で傷口を押さえつけるが、穴からはもう腐敗が進んでいる。雑巾をきつく締めたように腕は萎れ、あっという間に左腕は朽ちてしまった。さらなる激しい痛み。その呪いは僕の心臓に狙いを定めて蝕んでいった。
――甘かった。彼が危ない。見た目は変わらないくせに、このモノノケは今までの奴とは何かが違う。障壁無効の呪文を重ね掛けした上で、呪いの弾丸まで使ってきた。相手の能力を見誤った結果がこのザマだ。ここは一旦引くべきだ。転移しかない。
「ð ħ」
これでこの森の何処かに飛ばされた。これで数分はモノノケを捲けるはず。その間に彼を治さないと――
――優しい光に包まれる夢を見た。この光を僕は知っている。死の淵に立った時に現れる優しい光。この暖かな光が、僕の冷えて固まった血を溶かしてくれる。心臓が鼓動を再開した。目覚めなさい、と言われているのだろう。そろそろ起きなければ――
誰かが大声で僕に呼び掛けてくる。ゆっくりと目蓋を開ける。そこは暗闇に覆われた空だったが、微かに光るアンタレスが網膜を刺激して、視界を呼び覚ました。
「ここは」
「まだ森の中よ。ごめんなさい。あなたを危険な目に遭わせてしまったわ」
「いいんだ。どうせ僕はあそこで死んでいたかもしれないからね。ところで、あいつはどうなった」
「モノノケはまだ倒せていないわ。まだ私たちを追っている筈よ」
「そうか。でも、君でも倒せないんだろう?なら、一体どうするんだ」
「それは―――」
「$%$&%$#$%&#!!!」
「「!?」」
モノノケの咆哮が近い。見つかるのは時間の問題だ。
「くそ。思ったより早かったわね」
「そのようだね。ひとつ僕に案があるんだけどどうかな」
「取り敢えず聞かせてくれる?」
僕は、さっき九条が呪文を放っていた時、少しだけ見えたモノノケの影について端的に話す。続けて、
「その時見えたんだ。モノノケの中にある青い石のようなものが。あれが弱点なんじゃないか」
「そんなもの聞いたことないけど、やってみるしかないわね。それには、影を剥がす役と石を叩く役が必要よ。せめてさっき私が使っていた呪文をあなたが使えれば…でもあの呪文は難度が高い呪文であなたは使えない筈だし…」
「さっきの呪文なら、使えると思うよ」
「嘘よ、使える筈ないわ…(でもどの道やらなければ死んでしまう)。いいわ、やりましょう」
作戦を立てて、九条と僕は二手に分かれた。
僕は囮になって影を剥がし続ければいい。その隙に、九条に石を叩いて撃破する。
「#&%#$%&%#!!」
かかった。なら、
「ɸ ɒɮχ ð̚ ʊ wɪɴd͜θ ʃ̥ʜɐdɔʍ ̩ ʊ ʃʜɐdɔw͜θ ʍ̥ɪɴɖ !」
「##―――――!!!」
影は順調に剥がれて嫌がっている。
モノノケは僕を目がけて直進してきた。あとは任せた九条!
「ɑɮʈɵɳɐ ɒɮχ ɬ ʊ ɸɔwɐɾ͜θ ɸ̥ɔwɐɾ ̩ ʉ ø͜θ ɖɻɪɭɭ ʃʈɔɴɚ !!」
「――――――――――!!!」
影は砂埃のように、風に吹かれると崩れ去った。
「やったのかしら」
「やったんじゃないかな」
「呵々。やってくれたなぁ、お前さん達」
その声の主は遥か頭上。狐の姿をした白い影が薄ら薄らと月光に照らされていた。
呪文について、勘の鋭い方は傾向が分かってきたかもしれませんね。
――ここでヒント。文法事項の1つとして、「ð」は「肯定」を意味します。
加筆版です。閲覧ありがとうございました。次回もよろしくお願いします。




