4.路地裏の暗殺者
公園を出るのと悲鳴が聞こえたのは同時だった。
「今のは!?」
薫さんと顔を見合わせる。やはり聞こえたのは俺だけではないらしい。助けに行くべきか?顔も名前も知らないような相手を・・・。人道的良心と未知への恐怖が己が内でせめぎ合い逡巡する。
「ッ!!」
風が吹いた。薫さんがその場からためらいなく、悲鳴のした方へと駆けだしたのだ。
一人で彼女を行かせるわけにもいかないと一足遅れながらも後を追う。
薫さんを追いかけるうちに薄暗い路地裏にたどり着く。
先程連れまわされたビル街から外れたここは背の低い建物がひしめき合い、その窮屈さを表すかのように濃い影を広げている。
地面には路地裏らしくゴミが散乱し、さまざまな臭いが混ざり合っている。
生ゴミやコンクリート、土や埃の臭い。そして・・・・・・。
嗅いだら胃の中身を全部戻してしまうような、饐えた臭い。
俺はひとつ違和感を覚えた。いくら整備されていない路地裏とはいえ、ここまでの臭いがするものだろうか?
路地裏の細い角を曲がる。その瞬間、角の先で立ち止まっていた薫さんに危うくぶつかりそうになり、体をひねって地面に倒れこむことでそれを回避する。
倒れた衝撃で視界が軽いスパークを起こす。だが暗転する視界とは裏腹に、己の嗅覚がさっきよりも強く、ツンと鼻をつく臭いを感じ取った。
先程感じた違和感の正体は文字通り目と鼻の先にあった。
死体だ―――その身体を左右に二等分するように切り開かれ、臓器をくり抜かれた死体が血の海の中に身を横たえている。その頭部は耳を境に真一文字に切り取られ、その隙間から零れた脳味噌の一部が顔を覗かせていた。
猛烈な吐き気と恐怖、早くここから離れろと脳が警鐘を鳴らすが、自身の気持ちとは裏腹に、それが目を釘付けにして離さない。
「ひっ・・・」
どさっと後方で、薫さんが尻もちをつく。
それと同時に、目の前に一本の手が伸ばされる。助けか?いや違う、その手は倒れている死体へと伸ばされ、その心臓を掴みとり一気に持ち上げる。
引きちぎれた血管からどす黒い血液が辺りへ飛び散り、頬を濡らす。
完全に視界が戻りその手の持ち主を見上げると、それはおおよそ人とは言えない姿をしていた。
その全身はくすんだ緑色をしており、返り血に濡れた個所がぬらぬらと光っている。
鋭い左手に掴まれた心臓が時折ぽとり、ぽとりと血を垂らし、この惨劇がたった今起こったことを予感させ、その右腕には手のひらは無く、フックの様に大きく湾曲した一振りの鎌が鉄錆のような臭いを放っており、目の前の存在が人間ではないことを大きく主張していた。
間違いない。こいつだ。
俺と奴の視線が交差する。その顔は赤いバイザーに覆われ、その中で妖しく輝く双眸がこちらを見下ろしている。
距離は死体を挟んで約3メートル。俺は振り向き、目の前の薫さんの手をとって走りだす。
それと同時に奴が右腕を振るう。鎌の刃先がYシャツの裾を掠め、切り裂いた。
間一髪、切り身にはならずに済んだ。通って来た道を引き返すように、道端のゴミ箱をなぎ倒しながら駆け抜ける。
「いっ・・・いったい何なんですか!!」
薫さんが叫ぶ。しかしわかりようがない。あんな化け物、どう説明すればいいのかもわからない。
「走ってください!今はそれしか!!」
奴は俺たちが倒したゴミ箱を蹴飛ばしたり切り裂きながら追いかけてくる。
あいつ・・・遊んでいるのか・・・!?
ライオンはウサギを狩るにも全力を尽くすという。しかしあの化け物はそうじゃない。俺たちに恐怖を与え、ゆっくりと嬲り殺すようにじわじわと追い詰めているのだ。自分が生きる為ではなく、他者を殺すことを楽しむために奴は鎌を振るっている。
しばらく走ると、路地の出口が見えてきた。もう日は落ち、街の明かりが突いているのが見える。助かった・・・そう思った瞬間、頭上から奴が降りかかってきた。
「ッ!!」
薫さんを突き飛ばし、思わず歯を食いしばり目を閉じる。鎌が自身に迫る時間は永遠にも感じられた。しかし、それがやってくることはなかった。
自身を包むように、虹色のバリアが展開されている。これが俺を守ってくれたのだろう。
「!!」
化け物はバリアに弾かれ後ろへ飛び退きこちらの様子を窺っている。
「小野田さん・・・それ・・・・・・」
薫さんが俺のズボン、特にそのポケットを指さし呟く。
そこには何が入っている?答えはひとつ、あの虹色の宝石だ。
虹色に輝くポケットから宝石を取り出す。やはりこの光はこれから発されているらしい。
右手で宝石を握りしめ、奴に向き直る。
「さあ!かかってこいよ化け物!!」