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高嶺の花。  作者: 空雪
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4.忘れられた約束未満の何か

 

 次の日の朝8時、湿気た桜が咲いている公園に俺はいた。いつものベンチに寝っ転がり空を見る、雲一つない晴天で眩しさのあまり目を瞑ってしまう。

 居心地がいい、みゃあの家なんかよりよっぽど。


 大学の講義の始まりが迫っているというのに、体が動かない。脳も体も大学に行くことを拒否している。

 あーあ、俺、何のためにこの大学に入ったんだっけ?高校の長期休みの度にバイトしまくって学費貯めて……この大学に来て、それからは?


「嫌になるな」


 本当に。

 なんで俺は公園にいるんだろう、秋月りんに会いたかったから?俺はいつの間にロリコンになったのか、いや違う。

 元々待たせるより待つ方が好きだし、相手は小学生だからひとりでいて何かあったら大変だし……じゃなくて。


 どうしようもなく、悲しかった。


 誰でもいいからサークルの奴ら以外と話をしたかった。

 みゃあと会った次の日は大体こうやって気分が落ち込んでしまう、大学に行けなくなるほどに。人はよく本当に病んでる人は自分で気付かないとか言うけど、俺はどちらかというと病んでいる方だと思うし、自覚している。


 ま、何にせよまだ今週は一回目の講義だし行かなくても大丈夫だろう、この二年間でかなり単位をとってきたし最悪落としてもそこまで問題はない。


 それより、今日のサークルの方が行きたくない。どうせみゃあちゃんを取り囲む男どもがいる。毎日毎日飽きもせずにお菓子やらゲームやら洋服やらを貢いでいる。あんな様子じゃ女が入らない、というのも頷ける。

 俺は何かをみゃあちゃんに貢いだりはしない、だから周りの男達とは違う、最初はそんなくだらないことを思ってた。


 結果、変わらなかった。

 みゃあちゃんにとっては、俺は幼馴染みじゃなくて取り巻きの中の一人でしかない。


「はぁ」


「大きなため息、しあわせがにげちゃいそう」


「あ?」


 上から声がして、薄らと目を開けると目の前に昨日見た顔があった。やけに近いのは気のせいではない。どうやら顔を覗き込まれているらしい。


 そのあまりにも浮世離れした美しさに、思わず無言でじっくり見てしまう。

 睫毛長い。全体的に色素が薄いのか肌も白い、黒い髪も光を受けてか所々茶色に見えた、まるで人形のようだ。


「おはよう、ヒズミさん」


 しばらく見つめていると、ニコッと屈託なく笑って幼女、もとい秋月りんは俺から離れていった。


「朝早いね、これからがっこーなの?」


「……お前には関係ないだろ」


「もしかして、私が昨日来るって言ったから待っててくれたの?」


「そんな訳ない、たまたまだ」


 そう、たまたま。


 体を起こし改めて秋月りんを見る、目が合うとまた薄く笑った。

 黒色に白いラインが入ったセーラー服を身に纏い、赤色のランドセルを背負っている。

 ここから通える小学校でなおかつ制服が存在しているところはひとつしかない。

 大学から割と近い場所にある私立の金持ち学校か。


「お前は学校か」


「お前じゃないよ、私秋月りんだよ」


「……秋月は学校か」


「りんだよ」


「…………あきづ」


「りん」


 しつこい。


「……りんは学校か」


「うん!」


 自分好みの回答が返ってくるまで自分も答えないしつこさとか、元気の良い返事とか実に小学生らしい。


「早く行かないと遅刻するぞ」


「あ、ほんとだ。ヒズミさんがいたからつい」


 こう言ってくれるのが自分に近しい年の女の子だったらどんなに嬉しかったことか……みゃあだったら。

 脳裏にいつまでも残っている失ってしまったみあの笑顔で。


「……そんなに」


 こんな考えでは駄目だ。

 ほんの一瞬だけ思い出に馳せたのを気付かれたのか何なのか分からないが、りんはなんとも言えない表情をしていた。さっきとは違ってあまり小学生らしくない、大人びた顔。


「はぁ、とりあえずもう行けよ」


「……。……ヒズミさんもがっこーいかなきゃダメだよ、あとため息も禁止」


 次に来るりんの言葉を遮って学校に行くよう促す。

 これ以上何かを言ってくることは無かった。


「はいはい」


 更に深いため息をついてしまいそうだよ、りんは今……何を言いかけたのか。自分で遮ったのは、何となく俺に都合の悪い言葉がとんでくるような、そんな気がしたから。


「ぜったいに!がっこー行くんだよ!」


 母親のように念を押し、俺に背を向けてりんは学校のある方面へと去っていく。その最中何度も何度も振り返り俺を見て手を振る、一体なんなんだ。


「また後でね!」


 最後に一際大きな声で叫び、りんはもう振り返ることがなかった。


 りんの後ろ姿を眺めていて思った。

 丁寧に肩上で切り揃えられた質の良い髪、制服はきちんとクリーニングに出されているのかとても綺麗で。

 ランドセルも傷なんてひとつもなくて……きっと、幼い頃から俺とは住む世界が違うんだ。すごく、大切にされているのだろう。

 ただ世間の醜さはもう少し知っといた方がいいかもな、警戒心のなさはなんとかした方がいい。今まで怖い思いなんてしてこなかったのかもしれないが。


「学校行くかな」


 立ち上がり伸びをする。なんとなく今なら行ける気がする、気がするというだけだけど。


 それにしても、なんで俺はりんを覚えていないのだろうか?

 昨日はあまりの動揺に深く考える余地がなかったが、あんなに小学生ながら人目を惹く容姿をしているのだから、覚えていない方が難しいんじゃないか。

 加えてあの海色の瞳なんて珍しくて覚えてそうなものだ、うーん……本当、記憶にない。

 りんの言う通り会ったことがあるにしても、それはいつの話だ?俺がここに引っ越してきたのは大学入学の二週間前、約二年前だ。ってことはその間だよな。


「わかんねー」


 ため息をつきそうになる寸前で止める、つい今注意されたばかりだ。小学生の言うことなんて無視してもいいとは思う、正直なところまだ不信感はあるし、周りから見れば事案だし。

 それに見てるわけじゃないし、幸せが逃げるとか、ため息ひとつで幸せが逃げているのなら俺はもうとっくに手遅れだと思う。

 最早すべての幸せが逃げたあと、今の状況だって……いや。


 俺にはみゃあちゃんがいる、それだけで幸せだろう。それ以外のことなんて、馬鹿馬鹿しい。

 りんの俺への気持ちだって一過性のものだ、そんなの考えたって仕方ない。


 とりあえず歩こう。

 それでいつもみたいに自販機で無糖のコーヒー買って何の変哲もないつまらない講義を聞いて、その後にいつもみたいにみゃあちゃんところに行って遊んで、帰る。

 何も変わらない日常、少なくとも就活が始まるまでの半年から一年間は変わらないはずだ。逆をいえばもう俺に残されている時間はそれだけ、ということなのだけど。そう考えると得体の知れない不安に襲われる。


 ああ、ずっと変わらなければいいのに。


 大学への道中は、そんな考えても仕方ないことばかりを考えてしまう。人間は1秒先のことだって予測できないことがあるのに、そんな不確定な未来のことを考えたってどうなるか分からない。

 ……幼い頃は、自分はみあと結婚するのだと言い張っていた、そんな未来を信じて疑わなかった。もうあの頃には戻れない。




 感傷的になったところで、講義室の手前までくる。気が付いたらもうここまで来ていたのか。

 中に入ると見慣れた顔をすぐに見つけて、そいつの後ろの席に座る。真ん中よりちょっと後ろの席。

 大学の良いところは大体の講義が自由席なことだ、その日の気分で前に座っても後ろに座ってもいいのだから。


「葉月」


「む、その声はかげのくんだね。おはよう!」


 声をかけると、葉月は待ってましたと言わんばかりに勢いよく振り返りニコニコと俺に笑いかけ挨拶をする。

 相変わらず元気そうだった。


「怪我の具合は大丈夫かな?」


「あー気にしないで。大丈夫、みゃあちゃんからつけられた傷なら嬉しいよ」


「ああいつものかげのくんだね、絶妙に気持ち悪い」


「え、ひどいな」


 昨日の怪我か。まああんなのいつものことだし心配されるほどの事でもない。昨日みゃあちゃんから聞いたのだろう。


 葉月、有原葉月は暇つぶし同好会の副部長、ついでに言うと俺とは学部学科も同じ、研究室も同じというやたらと縁がある女だ。合わせたわけではなく偶然だ、葉月は俺に興味はない。強いて言うなら自分の好きなこと以外には興味がない。学科の間では実験大好き変人女なんて言われている。

 見た目もみゃあちゃんと仲良いとは思えないほど無頓着で、味気ない黒いゴムでおさげにした黒髪に、いつもパーカーとロングスカートの服を着ている。なぜか曜日ごとにパーカーの色が決まっていて、曜日がわからなくなった時、周りはみんな葉月の着ているパーカーの色で判断するのだ。


「みゃあちゃんの様子はどうだった?」


「……さあ?良くも悪くも、いつもどーりじゃない」


 興味無さそうに答える。葉月にとってみゃあちゃんは一友人に過ぎないことを表している。仲は良いが、想いの強さが葉月とみゃあちゃんでは噛み合っていないのだ。


「あーそういえば。なんだったかな、来週親が来るかなんかでちょっと荒れてたかも」


「……親?」


 全然いつも通りなんかじゃない。穏やかじゃない単語が聞こえた。


「どしたの、険しい顔してるけど」


 一瞬だけ葉月は俺を見てすぐに逸らし首を傾げる、そういえば葉月って目を合わせながら人と会話することないな、とかどうでもいいことを考えて現実から逃げようとしたが。


「母親?父親?」


「そこまでは聞いてないよ」


 父親ならまだしも、母親だったらかなりまずい。確実に荒れる。

 みゃあは母親と超絶仲が悪い……というか、元凶のひとつというべきか。


「そういえば、かげのくんはみあと幼馴染みだったもんね。親のこと知ってるの?」


「まあ……昔は世話になってたかな」


 どうする?でもみゃあから何も言われてないし動くわけにいかない。どうにかして来週のいつ来るのか知りたいところ、みゃあ本人に聞くのは見える地雷を踏んでいるようなものだ。というか、


「俺とみゃあちゃんが幼馴染ってことなんで知ってるの?」


 誰にも言ってないはずだし、みゃあちゃんがわざわざ葉月に言うとも思えない。


「みあから聞いたんだよ、入学したてのとき。もうみあは忘れてると思うけど」


「ああ、なるほどね」


 オタサーの姫になる前のみあなら有り得ることかもな。そんな気にすることでもないか。


 はあ、やることが、ひとつ増えた。

 ……嫌になるな。


 その後葉月は講義の内容がああだとか話してたけど、もはやそんな話は何一つ入ってこなかったし、講義の内容もまったく聞いていなかった。


 りんとの約束もまた、忘れた。


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