徒労
朝の結露に見守られながら、瞼は開く。カーテンの外は、どうやら柔い白雪の嵐のようだった。やはり暖房は喉に毒だ。頭まで痛くなる。とはいえ私は、窓を開けるわけにはいかないので、換気扇のスイッチを入れる。いい加減に古びたそれは、二日酔いの辛いオヤジのように、うるさく不調を訴えながらも、ゆっくりと回り出した。
はて、今日は何曜日だ。私の直感は、今日が先日取り付けた、新職場での面接の日ならば、間違いなくとっくに遅刻であると、そう言っている。心は若干の不安を装い、大丈夫、大丈夫だから、と何がどうして大丈夫なのやら分からぬまま兎角必死に呟き、カレンダーと時計のある寝室へと、再び赴いた。私のモットーは、十五分前行動、とか、微に入り細に入る、とか、まるで至極真面目を着飾った風だが、それらは実は単なる誠実さとは異なった、ただ焦ること急ぐことが大嫌いな私の性から生まれている。ゆえに、毎日が実に機械的であった。(そりゃあ私だって人で、人の人生とあらば、全く同じ一日などありはしない。日々の中に、タバコを控えようだとか、フーゾクに行ってみようだとか、ちょっとした変化を、それなりに望んで止まない。)しかしその毎日とは、前職が捗っていた頃のことを指していて、一月前に起きたリーマンショックだとかいう絶望と不条理とを前に、それは刃物の前の饅頭が如く、徐々に容易く崩れていったのであった。慣れない寝坊も無理はない。ここのところの毎日とは、全くが晩酌の宴なのであるからして。
吹雪がより一層激しく、私の焦りを誘う。幸いにも、面接は明日であったのだが、妙に落ち着かない。虫歯がこうもやけに痛むのであれば、決まってその日は良い事なしである。朝といっても昼といっても曖昧な、こんな時分に摂る食事を誰かが「あひるご飯」と言っていた。私が、なぜアヒルが出てくるんだ、と問うと、そいつは笑って、何も腹がガアガア鳴くからじゃない、単なるあさとひるの語呂遊びさ、と答えた。これを思い出す度に私は、アヒルって食ったら美味いのかな、と思う。カモは蕎麦にしたって鍋にしたって美味いのだから、きっとこいつもそれなりに、だろうけれど。そもそもが、あひるご飯を食らうのも今日が初めてだ。何事も初めては豪勢なのが良いのであって、私はそれがまるで仕事のように感ぜられて、やれやれと腰を無理に起こし、外出の格好に着替えるのであった。
もし、この辺に、あひる蕎麦でも売っていないだろうか。